まだ若い彼と一緒に歩いた大通り。
夕食の材料を抱えながら、取り留めのない会話をした。

花が咲き乱れる春は、研究詰めの彼の為に部屋中を花いっぱいにした。
多すぎて花の匂いがキツかったけど、彼は苦笑しながら一緒に花見酒でもしようって言ってくれた。

暑くてたまらなかった夏は、一緒にバスルームで水浴びをした。
夜中にやったもんだから、後から風邪を引く寸前ぐらいに寒くなった。

涼しくなってきた秋は、彼が散歩に誘ってくれた。
いい感じに色付いた木々が綺麗だったし、彼の傍にいられるのが嬉しくて手をギュッと握りしめた。

寒くて凍えそうだった冬は、白く染まる駅まで彼を迎えに行った。
雪が降ると無性に彼に会いたくなったから、だけどいつも彼に怒られた。


温かくて、優しくて、寂しかったこの街。
幸せな思い出と共に、辛くて悲しい思い出ばかり。


初めて彼に会った。
初めて涙が出るほどの幸せを感じた。

そして初めて幸せを感じるほど、胸が締め付けられた。

初めて、人を愛した場所。

今思えばあの時、期限付きでもいいから一緒にいたいと言った私は、
なんて純粋で、素直だったんだろうか―――






「……おい、どこ行くんだよ」

駅から出ると、アリィンは取り憑かれたように街の中へ歩いていった。
神田の声などもう耳に入っていないようで、振り向きもしない。

いくらか寒くなってきた季節、優しくない風が吹き抜ける。
アクマが潜んでいるからだろうか、大通りは人気がなかった。

アリィン!」

突然立ち止まったおかげで、神田と探索部隊は一気に追い付いた。
アリィンはずっと一つの店の前で立っていた。

「お前知ってるのか、この街?」

答えは返ってこなかったが、恐らく知っているんだろう。
『準備中』と掛けられた窓の奥には、いくつかのテーブルとガラスケースがあった。
いつもは繁盛してそうなケーキ屋だが、今はアクマのおかげで閉まっている。

アリィンの顔を覗き込むと、彼女は眉をしかめて辛そうな表情だった。
だけどフイっと顔を逸らすと、またどこかへ一心不乱に歩き出す。

「くそ、待てって!」

知っている街かもしれないが、自分達はこんな事をしに来たんじゃない。
エクソシストとして、アクマを倒さなければいけないのに。


「あれ?今の…………?」

背後から聞こえたのは、この街の住人らしい男の声。
振り向くと、髭を生やした渋い雰囲気の男性が、さっきまでアリィンがいた場所を見つめていた。

「知ってるのか?」
「昔よく来てくれた常連さんに似てたんだけど……気のせいか?」
「……いつも来てたのか?」

するとその男も、どこか寂しそうに微笑んだ。

「ええ、いつも背の高い恋人と一緒にね。そりゃもう仲睦まじい様子で」

神田は男が見つめる方向を振り返った。
だけど虚ろな深紅の瞳の彼女はもういない。

ここが……あの2人が恋人として生活していた街。






37・Doom






アリィン!」

バーのマスターだと名乗った男の言う通りに、彼女はここにいた。
裏路地を抜けた先にあった、一軒のアパート。

築年数は結構いってると思うが、外装の雰囲気は悪くない。
その家の前で彼女は遠くを見つめる。

「……ここに住んでたとか、言わねぇよな?」

やっと彼女は神田の声に反応するように振り返った。
そして肯定だと言いたげに、口の端だけで微笑んだ。

彼女の瞳に、自分は映らない。

「いい加減にしろよ、何しに来たと思ってんだ」
「……そうだね、ごめん」

もう一度振り仰いで寂しく笑う。

「……ここは変わってないんだなぁって……」

記憶の廃墟だけが彼女を占める。

「……アリィン……」


ここまで彼女を苦しめているのは、俺のせいなのかもしれない。
俺に逃げている間は彼女は俺の傍にいる。
無理矢理引き出しただけだが、彼女の弱い部分を知っているのは俺だけ。

俺は、優越感にでも浸っているのかもしれない。
こうしている間にも彼女は壊れていくというのに。

彼女の本当の笑顔が見たかったはずなんだ。
作り物じゃなくて、心から笑うようなそんな彼女を。

今はそんな面影など一切残っていない。
見れば見るほど痛々しくて、作り笑顔さえできないくらい。
どうすれば本当の笑顔が見られるか、それはわかっているのに。
それを言えば彼女は自分の元から離れていく。

だから、言えずにいた。


……なんて、最悪な男だろうか。


「……わかってるよ、ちょっと思い出に浸ってただけだから……」


彼女が自分で答えを見い出さなくてはならないと思っていた。
でもそれも、俺のわがままだったのだろうか。

だからもう、解放してやった方がいいのかもしれない。


「どうすればいいか教えてやろうか?」
「え…………?」


「――っ!!」

何を、と聞き返そうとした瞬間、強い殺気が2人を襲う。

アクマが近くに来ていた。











アリィン!振り向くんじゃねぇ!!」

神田くんの声が耳鳴りのように聞こえる。


そんな事言ったって、だって……街が壊れていくから。
ねぇ、街が壊れていくの。
コムイと一緒にいた、コムイが笑ってくれていた街が。

私の記憶が壊れていく。
私の幸せが壊れていく。

私とコムイの、思い出が。


「もういい!お前はそこにいろ!」


いやだ、私も戦う。
だって、あいつが壊してるんだから。
私の記憶を、私を壊そうとするの。

だから倒す、殺してやる。
それがエクソシストなんでしょう?


「……倒さないと……っ!」


ねぇ、エクソシストって何?
どうして私は、こんな運命を背負う事になったの?

アクマを倒す為?千年伯爵を倒す為?世界平和の為?
違う、私はそんな立派な理由なんて持っていない。

コムイの役に立ちたかった、ただそれだけなのよ。
その理由があるから私は死ぬ覚悟で戦える。

でも、それじゃいけないのかな?

だってこんな事してても、苦しくて、寂しいの。
弱くて、不甲斐なくて、いつも怒られて。
雑念ばかり多くて、男の事しか頭になくて。

女を振りまいていたから、愛している人には幻滅されて。
いざ戦いに専念しようとしても、結局怪我して迷惑かけて。


「!!!……私と、コムイの……家が……っ」


そして思い出すら守れないなんて。











瓦礫となってしまったあの家の前に佇み、立ち尽くす彼女。
ジャリ、と音を立てつつ自分もその背後に立つ。

「いい加減にしろよ、本当はわかってるだろ。ここが壊れたって、お前の思い出とやらが壊れる訳じゃねぇって」
「……わかってるよ」

ようやく返事が返ってくるも、その表情が窺える事はなかった。
黒いコートとなびく黒髪だけが、冷たい風に揺れている。

神田は、一歩ずつアリィンに近づいていく。

「随分とクサイ事言うようになったね、神田くんも」
「うるせぇ、お前のせいだろ」
「はは、そうかもね……」


細い背中を柔らかく抱き寄せると、彼女の震えが神田にも伝わる。
笑いながら、彼女は泣いていた。

神田は苛立ちが募るまま、ギュッと強く抱きしめる。
この感情は、一体何なのだろうか。


「……もう、いい加減にしろよ」


こっちまで苦しくなって、泣けてくる。


「笑いながら泣いてんじゃねぇよ」


いくら自分に泣けと言っても、結局泣き付いてくるような事はなかった。
俺はおそらく、アリィンが過去に付き合ってきた何人かの男と同じ列にいるんだろう。

どうやってもこの女は、一度でも俺に振り向いた事はなかった。
それだけの想いのほんの少しでもいいから、俺に分けて欲しかった。


「こんな瓦礫にすがりつくんじゃなくて、もっと他にやる事あるだろ……っ」


この瓦礫に、俺は負けた。

どうあっても消せない気持ちがあるなら、どうしてそれを言おうとしないんだよ。
本当にすがりたい人には何も言わずに、ただ逃げてばかりで。

だからあの野郎は………


「だから何でその涙を………っ!」


少年の涙が、虚しい叫びと共に流れた。






「……雨が降りそうだね、急がないと」

誰かの心情を表しているかのような鉛色の空。
真っ赤に腫れた目を隠すように笑ってみせるアリィン

「早く行かないと列車の時間に遅れる……神田くん?」

何故かギュッとアリィンの腕を掴む神田。
険しい顔をしていて、この空のような怒りを秘めているかのごとく。

「ちょ、ちょっと神田くん……っ」

駅とは逆に歩き出す神田、探索部隊の人だって訳がわからないといった表情で付いてくる。
アリィンにとってはよく見知った宿屋に躊躇いもせず連れ込まれた。
いくら抵抗してもビクともしない腕、その傍らで神田はさっさとチェックインを済ませてしまう。

掴まれた腕が痛い。

「通信機貸せ」

探索部隊の通信機を乱暴にとる神田。

「何してるのってば……」


早く帰らないとって言ってるのに……


「俺」


……誰と話しているの?


「酷い嵐で帰れそうもない、俺とアリィンは泊まって明日帰る」


……ねぇ、嵐なんか降っていないよ?


「俺はあんたの玩具じゃねぇんだよ、欲しかったらここまで取りに来い」



……ねぇ、誰に言ってるの……?

やめて……嫌な予感がするの……


「来なかったら……アリィンは俺がもらう」

そして受話器越しの相手の反応も聞かずガチャンと通信機を切った。


……ねぇ……お願い、やめて……

そんな事、あの人に言わないで……っ





そしてまた腕を掴まれて、部屋に押し込まれた。
狭い部屋に、ベッドが2つ。

「知ってるか?お前が大怪我した時、あいつ仕事をほっぽりだして会いに来たんだぞ?」


知ってるよ、夢だと思って告白してしまったんだから。

……それが今、何の関係があるの?


「俺とお前が一緒の宿に泊まるんだ。今度は……どうだろうな?」


ねぇ、何を言ってるの?

ねぇ、どうしてそんなに迫ってくるの?


嫌な予感がする……怖いよ。
神田くんが怖いんじゃなくて。

お願い、そんな最終通告を突きつけないで。

……そんな事を言っても……



――「じゃあ、あのキスはどういうつもり?」――



たぶんあの人は、来ない。











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探索部隊の方、多分ひじょ~に肩身の狭い思いしてます(笑)
ついでに視点がコロコロ変わってすいません。
メイン視点はおそらく神田です(おそらくかよ)

さぁ、コムイ兄さんは来るんでしょうか。
……その前に、番外編です(笑)
過去の話ですが、読まなくても話の筋は通ってます。
お暇なら読んで下さい。
っていうか、次がラストなんですけどその直前に番外編って…(苦笑)

外国では確かアパートって言わないんだよね?
ま、いっか(コラ)