フロンティアに降り注ぐ雨のように、無情にもバジュラは攻めてくる。
緊急招集を受けてS.M.Sに戻ったリチェルは一足先に着替えを済ませた。

「気合い入れようぜリチェル。長距離フォールドが決行されたら、
もしかしたら戦争が終わるかもしれねえからな!」
「うん、頑張る」

不意に肩を叩いたのは別隊のパイロット。
気心知れた仲間の痛い程の激励を受けリチェルはふわりと笑った。
当たり前のようにくしゃりと頭を撫でられ、そして乱暴にかき混ぜる。

「どうした?最近元気ないなぁお前」
「……そう?そんな事ないよ?」
「まあ無理すんなよ、お前はいつもそうやって隠すからなぁ」
「…………うん」

あまり気負うなよ、そう言って立ち去る仲間に一瞬だけ対応が遅れた。
どうしてわかったのだろうと、不思議なものでも見るかのように。
悟られるような行動はしていないはずなのに、だけど何だか嬉しくて幾分か浮ついた気分で廊下を駆けた。

だが目の前に飛び込んできた光景に自然と足どりは勢いをなくした。
街に行っていたのだろう2人が揃ってこちらに走ってきたからだ。

(ミハエル……クランと一緒だったんだ)

「おかえりークランにミハエル」
「うむ!」
「すみません、遅くなりました!」

スクランブル中とは思えない間延びした口調で2人を出迎える。
先に行ってるねとパイロットスーツを引き締め、ミハエルとクランとは逆の方向を目指した。

既に発進準備が整っている自身の漆黒のバルキリーに乗り込み、操縦桿に触れるとリチェルから表情が消えた。
機械の駆動音が体を震わせるように唸り、膨大な情報がモニターに埋め尽くされ、外の世界と隔絶される。


耳鳴りがする。



――「空を飛ばないお前に価値はない」――


――「貴女は飛ぶ為に生まれたのよ。貴女からそれを抜いたら何が残るっていうの」――


――「あんたなんか………引き取らなければよかった!!」――


――「気味が悪い、あの顔で両親を殺したんだとよ」――


――「もう少し可愛げがあれば……ねえ……」――


――「あんな笑わない人間、誰も見向きもしないわよ」――



ギリ、と握り締めたレバーが鳴いた。

「………っ!」

いくら振り払っても頭の中で声が響く。
この頃リチェルを苛む声は日に日に大きくなるばかり。
惑わして、靄のように視界を覆っていく。

(だれも、私なんか……見向きもしない、だから)


逃げるようにリチェルは真空の闇に飛び出した。






29・天上のクレバス






父親が愛した闇色の空。
この海の支配者になれ、そう言われ続けてリチェルは育ってきた。

空だけを愛していた父は死に、父だけを愛していた母も死んだ。
本当の親の事は一切わからない、何処にいるのかも生きているのかも。

天涯孤独なリチェルに残ったのは、結局この漆黒だけ。
逃げ出して、捨てようとして、それでもこの手に戻ってきた。

飛び続ける事でしか自分は生きていけない、それしか生きる術を知らない。
広すぎる空にしか自分の居場所はない、少なくともこの世界だけはリチェルを裏切らない。

だから飛ぶ、飛ぶしかない。
自分を害す敵を屠るだけ、自分の世界を汚す存在を殲滅させるだけ。
そうしなければいけないのだ。

内に膨らんだ感情は牙となり、怒りのままにリチェルは駆けた。


リチェル中尉!危険です!」

安定剤であった男の制止の声を無視して飛び込んでいく黒いVF-25S。
ガンポッドもミサイルも反応弾も効かなくなってしまったバジュラに対して、
リチェルは装備されているアサルトナイフだけで応戦しようとしていた。

砲撃を避け、正面から衝突するように敵に飛びつき、
急所と思われる場所に何度もナイフを突き立てて抉っていく。
それでも機能を停止しないバジュラの手足を無理矢理もぎ取っては、青色の体液が周囲に飛び散った。

ようやく力なく爆炎を上げて塵となったが、それは凄惨な光景だった。
リチェル機は数体にそれを繰り返し、見ている他の者達が唖然とするような戦い方で敵を減らしていく。

「中尉、前に出すぎだって言ってるでしょう!」

黒いバルキリーを振り落とそうとバジュラは辺りをデタラメに飛び回るが、
ナイフを深く差し込んでいるリチェル機はしがみついて離れない。

離れた所にいたもう一体のバジュラがそれを狙うように、
砲撃のエネルギーを溜めている事に気付いたのは、今のところミハエルだけ。

リチェルさん!!」

スナイパーライフルを構え、遠距離からバジュラを撃った。
命中したもののミハエルの弾では一切傷を付ける事はできず、為す術なく敵の砲撃は発射された。

だがそれを見越していたリチェルは直前でナイフを引き抜き、
突き放すように蹴飛ばした所に飛来した砲撃が、味方である同じバジュラを爆発させた。

リチェルはずっとそのタイミングを計っていたのだが、腹を立てたのは一瞬でも肝を冷やしたミハエルだった。

「いい加減にして下さいよ、死ぬ気ですか!?」
『…………』
「何とか言ったらどうなんですか!!」

思わずリチェル機の両肩を掴み、頭部カメラ越しに怒声をぶつける。
一向に答えようとしなかったリチェルだったが、しばらくしてヘルメットから感情の読み取れない声が聞こえた。

『……単独行動を行う、それがファントム1だから』
「だから勝手に飛び込んだって!?こっちがどれだけ心配すると思ってるんですか!」
『…………』

わかっているけど、どう答えたらいいのかわからない。
リチェルはファイター形態に変形すると、そのままミハエル機の腕をすり抜け闇の空に消えた。

「チッ……オズマ隊長がいないとすぐこれだ!」

不安定な恋人に舌打ちし、ミハエルは吐き捨てるように呟いた。



やがてフロンティア船団はこの戦況に便乗し、既に可決されていた超長距離フォールドを行った。
これでバジュラのいない宙域にフォールドする事ができれば、戦争は終わる。

皆の期待が膨らむ中、わだかまりが残っているミハエルは乱暴にロッカーを閉めた。
その音は同じく機嫌の良くないアルトの癇に障り、
連動されるように戦闘前に街中で出会ったリチェルの表情を思い出して、アルトは静かに口を開く。

「お前……あの人の事、どうする気だよ」
「はあ、あの人って?」

しばらく答えを探り、ああリチェルさんね、とミハエルは面倒くさそうに溜息をつく。

「まあオズマ隊長が復帰すれば多少は元に戻ると思うぜ」
「違う。これからも……付き合っていくのかって事だ」
「……何だよこんな時に」

あの危険すぎる戦い方はさすがにアルトも異質を感じた。
だが今の問題はそこではないと、次第に綺麗な顔に皺が寄っていく。

「いいから答えろ」
「そんなの優柔不断なアルト姫に言われたくないね」
「っ、ふざけんなよ!」

彼女は、他に本命がいると知っていてそれでもミハエルを想っていた。
だけど彼女はもう限界だった。

自分はミハエルの恋愛に対してとやかく言う義理もない、
だが彼女の為にも言わなければいけないと思った。

「ミシェル、お前は人ひとり満足に想えないのかよ」
「何だと?」
「傷つけるだけなら……もうやめろよ」

ピクリと、ミハエルの眉がつり上がった。

「あの人……リチェルさんが、可哀想だ……」

その言葉はミハエルを大いに不快にさせた。











就寝前、リチェルの部屋にやって来たのは案の定ミハエルだった。
戦闘中にあんなにも苛立たせてしまったから来るだろうとは予想していたが、
彼は怒りを秘めて人好きのする笑顔で立っている。

その件に関しては説教を聞かされながらもやんわりと謝罪しようと思っていた、
だけどいつもとはどこか違う様子に恐ろしさを覚え、リチェルの表情は強張った。

「ミハエル、どうし……っ」

招き入れたと同時に唇を塞がれて、訳もわからず蹂躙される。
言葉も何もなしに強引に事を進めようとするミハエルに、
フォールド中に気分が高揚するフォールドハイ状態が残っているのだろうかと、リチェルは少し抵抗の力を強めた。

落ち着かせようとした行動は逆効果だった。
ミハエルはさらに腕を掴む力を強めて、さらに口内の奥深くへ進んでいく。
そのままベッドへと押し倒されてリチェルは軽く眩暈を覚えた。

薄笑いを浮かべ、ただ組み敷こうとする目の前の想い人。
以前にミハエルの心に踏み込んで痛く抱かれた時とも違い、そこには何の感情も読み取れない。

どうして、その問いを伝えたくても唇はもはや奪われて。
警鐘を鳴らすように脳裏をかすめるのは、彼のヘルメットに隠されていた写真の人。

「ミ、ミハエルってば……っ」

抱かれたくないと一心に思った。
自分にはもう捌け口などいらない、ミハエルの捌け口にもなりたくない。
何とかして引き剥がすと彼は怒りともとれる静かな炎を目に宿していた。

「な、何かあったの……?」
「……何も。急にリチェルさんが抱きたくなって」
「ま、待って………お願い、だか…っ」
「待てない、抱かせて」

細い手足を押さえ付けながら服を脱がそうとする。
もがけばもがくほど拘束の力は強まって、リチェルの顔が歪んでいく。

(痛い、痛いよ……ミハエル)

それは体の痛みではなく、心のものだった。

「ねえ……っ、今はそんな気分じゃ……っ」
「俺に抱かれるの、嫌?」
「ミハ……んっ」
「……リチェルさん、俺のものになって?心も体も、全部」
「っ!!」



―――それは恋愛なんかじゃない、ただの支配だ。



「――――嫌だ」

確かな声色で、はっきりと告げられた言葉にミハエルが動きを止めた。
信じられないといった表情でリチェルの静かな瞳を見下ろして。

「やめてよミハエル……お願いだから」
「何、言ってるんですか、今更……」

こんなにも強い意思で真っ向から拒否されるとは思っていなかったのだろう。
ミハエルはただ呆然と翡翠の色を揺らしていた。

「だって、貴方は逃げてるだけだから。
貴方は甘えられる人だったら誰にでも同じ事を言うんだよ、違う?」
「ち、違うよリチェルさん……俺は―――」
「今回は偶然私なだけだった。優しくして、甘えさせてくれた。
それでもいいと思ってた……でも、このままじゃダメなんだよ」


――私は知ってる、貴方には本命がいる事を。

たとえ私が心も体もあげたとしても……貴方はその心、くれないでしょう?

だから嫌だ。


「……もう、終わりにしようか。私も甘えるのはもうやめる」
リチェルさ……」

誰かが傍にいてほしかった。
私の事を理解してくれる人がほしかった。

「今までありがとう。でも……もう、いいんだよ?素直になればいいだけなんだよ」
「聞いてリチェルさん、俺は本当にリチェルさんが好きなんだって……」
「貴方はね、優しいから誰にだって好きだって言えるんだよ。でも……愛してるのは、ただ一人だけでしょ?」
「……っ!」
「本当に好きな人の所に行った方がいい。言わないままだったら……後悔するよ?」

狼狽を見せたミハエルの態度は肯定を意味していた。
やはり彼にはクランに対する想いが確かに存在している。

ミハエルは何度も口を開閉させ、何かを言おうとしていたが結局やめた。
いくら見下ろしても逸らそうとしないリチェルの瞳に、長い沈黙の後フッと笑い声を洩らした。
追求する事を諦めたのか、事実を突きつけられたから決意したのかはわからなかったが。

「……リチェルさん、俺の事一度も愛称で呼ばなかったよね?」
「…………」


――"ミシェル"、そう言ってしまう事で何かが弾けてしまいそうだった。

ミハエルと呼び続ける事で壁を作り続けていた。
本当は"ミシェル"と呼んでみたかった、皆と同じように親しみを込めて。

だけど自分は無自覚な頃から察していたのだろう、それ以上の感情を。
呼んでしまったら、私はきっと耐えられなくなってたから。


「今まで俺の馬鹿な遊びに付き合ってくれて、ありがとう」

そうしてミハエルはリチェルから離れ、あっさりと部屋を出て行った。
最後まで完璧な笑顔のまま、余裕すら見せながら。






―――そして私は、依り代を失った。


ねえ、ミハエル……それが答えだよ。
本当に私が好きなんだとしたら、どうして必死に繋ぎ止めようとしないの?

ほら、貴方はいつもそうやって嘘をつく。










「何やってるの、アルト?」
リチェルさん……」

マクロス・クウォーターを出て少し先にある展望桟橋。
プラネタリウムのように漆黒の空が広がる公園でアルトを見つけた。

あてもなくフラフラと彷徨って思わず発見した人物に、 リチェルは柔らかく笑みを浮かべて隣に座り込んだ。
その肩に少しだけ体重を預けると、アルトは驚いたように息を詰めた。

シェリルとランカがアルトを好きなのは知ってる。
アルトも無意識下で2人が好きなことも知ってる。

「ごめん、わかってる。わかってるけど、少しでいいからこうさせて……」

少しでいい、縋らせてほしい。
もうこの先、誰にも縋ろうなんてしないから、今だけは許してほしい。

「………どうして、空は私だけを愛してくれないのかな?」
「…………」
「あたたかいのに……あの青色は私を温めてる訳じゃないの」

それが"空"の事を言っているのではないと、アルトは朧気ながら気付いた。
譫言のように笑いながら呟くリチェルの声をただ聞いていた。
かける言葉が見つからないのだ。

「そこにあるのに、絶対に届かない」


――私の空は青色だ。鮮やかで海のように深い青。
私の色では染められなかった、私ではあの青天に行くことができなかった。


「……空が欲しい。空を飛びたい。空で死にたい」


だけど私が手にできるのは、漆黒の海ばかり。


「だから私は飛ぶ……結局、私にはそれしかできない」


繋ぎ止めてくれなかった、それが全てだった。


「いつだって欲しかったのは、あの青色」

人工であったとしても澄んだ青い空、そして目の前に広がる真なる宇宙がリチェルの全て。

「…………愛して欲しかった、誰かに……」



この闇色を引き裂く、あの青いパーソナルカラー。


彼に、愛されたかった。











Back Top Next



あの澄んだ空を見るたびに、貴方を思い出す。