―――これでよかったんだ。
偶然見つけてしまったそれ、見たくなんてなかったもの。
制服姿の金の髪の男、そして彼とはかなりの身長差がある青い髪の女の子。
しがみついてるようにも見えるが、腕を絡めて海を眺める2つの背中を視界に入れてしまい、
リチェルは笑顔を作ろうとしたけどできなくて、唇を震わせながら俯いて、呟いた。
ねえクラン、ミハエルはクランが好きなんだよ。
クランは、ミハエルが好きなんだよね?
彼女はミハエルをどう思っているんだろう。
幼馴染みに何かと世話を焼く彼女、きっと大切な存在に違いない。
自分が彼に抱いている感情と同じであるとするなら、彼らは両想いだ。
ずっと避けていたその答えを明確にするのは怖かった、
気付いてしまったら、自分はただの邪魔者でしかない事も認めなくてはいけなくて。
手放せなかった自分は、悪者以外の何者でもなかったんだと。
父親と母親を引き裂いてしまった時のように。
逃げる場所なんてなかった、自分の全てをさらけ出して頼れる人もいない。
兄のような存在の人には心配かけたくない、そもそもどう打ち明けたらいいのかもわからない。
行き交う人波に流されるように着いたのは美星学園。
そうだランカのコンサートを聴きに来たんだと思い出して、呆然とランカの歌声に耳を傾けていた。
明るく前向きな恋の歌、だけどどこか寂しそうな響きを感じさせるメロディは今のリチェルには辛かった。
本物の恋人じゃなかったけど、でも時折の休日には2人で出かけたり買い物をしたり、映画を見たりした。
どうでもいい事を話したり、流行りの物を目にしてはああでもないと2人で呟いて、
気持ちが不安定の時は機敏に察して相手をしてくれて、嬉しい時は一番に近くにそれが言える位置にいた。
……こんなコンサートも、もう1人で行かなくてはいけないんだ。
楽しいとかワクワクするとか、高揚する気持ちをすぐ誰かに伝える事ができないんだ。
独りは嫌だ、あの頃みたいで。
誰からも見向きもされず、見捨てられて中傷されて。
だから彼が傍にいてくれて、嬉しかったのに。
もう、隣にはいない―――
30・トライアングラー
初めて彼女が拒否の言葉を紡いだ。
その日以降も自分達の立場は何も変わらなかった。
懇意にしていたという事実だけが綺麗に消え去り、それ以外は笑顔すらも絶やさずにいつも通りで。
「あ、お帰りー3人とも」
彼女はあの日の余韻を少しも残さず、朗らかに笑いかける。
元々S.M.S内では付き合っている事は広く知られてはいなかったから、
大方は今のように当たり障りのない会話で成立していた。
だからこの風景はさして珍しくはなく、日常自体に支障はでていない。
いや、彼女は決して自分から寄ってくる事はなかった。
「……お疲れです」
「お疲れ様ですリチェルさん!今日はあがりですか?」
「勤務は終わったよ。でももう少し体を動かそうと思って」
アルトとルカが言葉を交わすのをただ見ているしかできなかった。
黙ったままの自分に気付いた彼女は本当に不思議そうに首を傾げている。
「あれ、ミハエルはご機嫌斜め?」
「そうなんですよー、朝からずっとこの調子で」
「………」
彼女はいつだって笑っている。
じっと観察していれば彼女の心の震えを察知する事ができた、そうやって彼女の奥に封じた感情を揺さぶってきた。
だけど今となっては、どこが境界線なのかもわからない。
――彼女が何を思い、自分を受け入れ続けていたのか……一番わかっていなかったのは、俺だ。
初めは本当に興味本位だった。
相手は誰でもよかった、後腐れがなければそれで。
いつでものらりくらりと笑っているだけの彼女に試しにキスをしてみた、
だけど彼女は照れもせず怒りもせずただ首を傾げてふにゃりと笑ってみせたのだ。
そしてその事を誰かに告げる事もなく、他の人間……特にクランなどから言及される事もなかった。
好都合だった、そして落としてみたいとも思った。
どこか心の中で自分に惚れて欲しいと思いつつも、いつまでもそのままでいて欲しかった。
中々落ちないから口説き甲斐がある、そういうものだった。
だがまさか、こんな風に終わるとは思ってもいなかった。
こんな事になるつもりはなかった。
ただアルトに言われた事に無性に腹が立った。
彼女がアルトに惹かれているのは目に見えてわかる、
過去の事がある彼女にとってはアルトの存在は眩しいだろう、憧れずにはいられないのだろう。
だから気に入らなくて、彼女の立場を確かめたくていつものように口説いてみせただけだ。
そうして笑った彼女から暗に伝えられたのは、クランの事。
いつから知っていたのか、もしかして始めから知っていたのだろうか。
本心を悟られるような事はしていないはずだ、何故気付かれているのか。
恋人として傍にいる間で少しは築かれていた信頼が一気に崩れていくような感覚。
楽しい事も少しはあった、でもそれすら欺瞞のようで。
彼女の心がわからない、わかっていると思っていたはずなのに今は全く探れない。
思えば彼女から自分に寄ってくる事は決してなかった。
よほど不安定な時は察して抱いたが、それ以外は彼女から恋人らしい仕草は見られなかった。
彼女は、どうして笑っていたのだろうか?
彼女はどんな時も誰に対してもヘラヘラと笑って、
社交的なフリをして実際は誰にも心を開かないようにして当たり障りなく過ごしていた。
それは少し前の自分を見ているようで、自分まで息苦しくなっていく気がしたから笑顔を崩そうと思った。
彼女と自分は似ている、だから共有できると思ったのだ。
「それで、行きたい所はこれで終わりか?」
「いやまだ一件ある、最後まで付き合ってもらうからな!」
「……はあ」
抱えきれない紙袋やら箱を持ちながらミハエルは溜息をついた。
「何でも言う事聞く約束だったろ!?」
「そりゃそうだけど、これじゃただの荷物持ちじゃないか……」
薬に詳しいクランの友人を紹介してもらう為の条件ではあったが、
色気も何もあったもんじゃないとミハエルは独りごちた。
まあ、身長差やその他諸々の要因から色気を出されても困ると言えば困るが。
「つべこべ言うな!私では持ちきれないんだ!」
「そうだよなあ、不器用な遺伝子だからなあ」
「うるさい!黙って歩け!」
少し休憩させてくれと、重い荷物を置いて肩を回しながら人工の海を眺める。
隣ではマイクローン化して随分小さくなってしまった幼馴染みが未だにブツブツと呟いていた。
「そんなんじゃ男できないぞ?」
「な……私だって恋愛の一つや二つできるさ!」
「してるのか、恋愛?」
「……い、いつかできるっ!今はそれどころじゃないんだ!」
明らかに嘘だとわかる慌てぶり。
フッと笑みを零して悪戯心のままにクランを見下ろした。
「だけどその前に身長伸ばさない事には、デートすらロクにできないんじゃないか?
腕も組めないし手も繋げないだろ。仮にしたとしても、どう見たって子供のお守りだな」
「なんだと!?腕ぐらい組める!」
躍起になってクランはミハエルの腕を取ると必死にしがみついてみせた。
だが水面に映る自分達を覗き見て、やっぱりとミハエルは顔を引き攣らせた。
「……なあクラン、無理があるだろ」
「う、うるさい!ミシェルがでかすぎるんだ!」
「しばらく恋愛とやらはできないな、その見た目と身長が成長しない限りはな」
「ぅ……っ!……お前こそ、ロクに恋愛できないくせに……」
絞り出された言葉にミハエルはピクリと反応して、ふいに笑みを潜めて空を見上げた。
自分の読みが当たった、そう見越してクランは少し興奮しながら眼鏡の奥を覗き込んだ。
「これは幼馴染みとしての忠告だぞ!」
「……そうだな、クラン」
だけどその曖昧な返事の本当の意味を、リチェルも、クランすらも知らない。
大勢の観客の海の中で1人の女性を見つけた。
誰もが興奮してステージに声援を送る一方で彼女だけは静かに、だけど不安そうにランカを見守っていた。
自分が少し前まで傍にいてやった、上官であり年上である人。
いつもの笑顔は鳴りをひそめて消え入りそうに佇んでいる。
アルト達とのアクロバット飛行も終わり、
視力の良いミハエルは特等席である屋上からその姿を捉えると思わず駆け出した。
「リチェルさ……っ」
ガシャンとフェンスに当たり、そして我に返る。
――会ってどうなるというのだ。
逃げる彼女を追いかけて手を伸ばし、引き寄せて抱きしめて、キスをして愛を囁いて。
それでどうなるという?
彼女は知っていたのだ、自分の本心を。
知っていて今まで何も言わずただ笑いながら受け入れていた。
彼女が自分から何かをしたのは数えるほどしかない。
求めたのはいつも自分から、彼女は何も求めなかった。
彼女の自分に対する本心をついぞ聞いた事がなかった。
そんな彼女が、俺が今さら愛の言葉を並べて振り向くだろうか。
(……振り向かせてどうする気なんだ、俺は……?)
クランには想いを告げる気はない、だからまた彼女を依り代にするのか?
「誰かいたのか?」
「……いや。で、どうだった、シェリルは」
動揺を隠しながらアルトに質問をぶつけると、
彼は悪態をつきながら「シェリルはいつも通りだ」と答えたのだ。
「鈍いのもいい加減に罪だぜ!そろそろ答え出せよな!」
いつも通りな訳がない、彼女の一体何を見たというのだこの男は。
様々な思惑が彼に注がれているというのに彼は気付こうともしない。
リチェルですらアルトに惹かれているというのに、そんな事は露も知らないのだろう。
「いくらお前でもさすがに気付いてんだろ!ランカちゃんはお前に向けて、お前の為だけに歌っているんだ」
「そんな事……っ!」
「シェリルもだ。今あの子はとても辛い状況にある。
でも、それがわかったとき、あの子は真っ先にお前の事を気にして……!」
その先はミハエルの口からは言えなかった。
だがその態度に腹を立てたアルトは胸倉を掴んで、そして突き飛ばした。
「……優柔不断なのはどっちだよ!」
「何……?」
「本命が誰だか知らねぇけどな、結局お前は何がしたいんだよ!」
恋愛沙汰に疎いアルトにだってリチェルのミハエルへの想いは痛い程伝わったというのに。
別れたという話を聞いて、彼女がどんな気持ちで別れを切り出したかと思うと、吼えずにはいられなかった。
「あの人は知ってたんだよ、知っててお前と一緒にいたんだよ!」
「……聞いたのか、あの人に」
「んな事はどうでもいいだろ!三股四股で、面倒くさくなったらホイと捨てて!それで傷ついてないとでも思ってんのか!」
レンズに太陽光が反射して表情は読み取れない。
だけど言い返してくる様子がないという事は、少しは響いているようだった。
「何でズルズル引き延ばすような事したんだ!少しでもあの人の気持ち考えた事あるのかよ!」
「……わからないさ、今となっては何も……」
「はっ、そんなやつに女の事で説教されたくねぇな!」
ミハエルの脳裏に浮かんだのはシェリルとランカ。
シェリルはアルトの為に病気を隠し続け、ランカもアルトの為に歌を歌い続ける。
そんな2人を見てると、この中途半端な気持ちはいけないのだとはわかる。
だけど、
「……俺は、臆病なんでね」
仮に彼女が応えてくれたとして、彼女を背負う度胸が自分にあるというのか?
いつ死ぬともわからないのに?
愛なんて壊れやすいものだと、自分が一番よく知っているくせに?
「付き合うのは割り切った相手だけさ。本気になるのも、させるのも、おっかなくてな……」
「何言ってんだお前………自分含めて、人の感情を人が操作できるとでも思ってんのか?」
余裕じみた台詞に唖然としてしまったのはアルトの方だった。
心底呆れた、と言わんばかりの表情で目の前の男に呟く。
「お前の最近の態度、割り切ってるようには見えなかったけどな」
「………っ」
突きつけられた現実にミハエルは目を見開いた。
それと同時にタイミングよく現れたシェリルのおかげで会話は途切れ、
隠れていたクランを連れて逃げるようにその場から離れた。
だがミハエルが思わず呟いた言葉をきっかけに、またしてもクランから言及の声が上がる。
「みんな……誰かを好きでいたいんだな……」
「……お前はどうなんだ、ミシェル」
立ち去ろうとしたミハエルの袖を握り締め、怒りを秘めた目で見上げた。
「お前とリチェルが付き合っていたなんて知らなかった」
「…………もう終わった事さ」
「何で別れたとか私にはわからないが……本当にそう思ってるのか?」
何故だか怒られているような状況にミハエルは戸惑った。
どうしてこんな話題になったのかも、よくわからなかった。
「自分で気付いてないのか?」
「な……クラン?」
「何年お前の幼馴染みやってきたと思ってるんだ!お前の気持ちぐらいお見通しだ!」
「………っ」
違う、と言いたかった。
クランの考えている事は合っているようで間違っている。
息を詰まらせ何か言葉を発しなくては、そう思っているのに音にならなかった。
「だから、そろそろ……答え出してやれ」
一点の曇りもなく、逸らされる事のない強い目をミハエルは見ていられなかった。
それは幼馴染みが自分に対して"そのような感情"を持っていないのだと証明しているようで。
クランはミハエルが好きだ、だけどミハエルが秘める感情と同等のものではない。
気付きたくもない真実、いや何度も気付かされて嫌になるほどわかりきっていた。
だから答えを、そう言われても答えを出しようがない。
元々成就させる気などさらさらなかったのだし、その上望みすらないのだというのに。
(……どっちも好き……ってのは、ダメなんだろうな……)
袖を引かれる感覚を未だ感じながら、ミハエルは投げやりに笑みを零した。
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ついにきましたトライアングラー、タイトルそのままです。
本編とは違った人を中心にしたトライアングルですが。
そして、とうとう次回です。
加筆修正2010/01/11
※クランに恋愛感情はありません。家族としてミハエルを想ってます。
注釈入れるの遅すぎて申し訳ありません。