フロンティア内のバジュラとの戦闘が終わってから数日、街には痛々しい爪痕が残った。
水や食料が不足し、アイランド1も損傷が激しくてもう船はもたないかもしれないという噂が立っていた。
ミハエルの病状はとりあえずは安定し、V型感染症への対策も目処が立ち、
そして腹膜炎などの危険もほぼなくなってきた頃、リチェルはようやく病室の中へと通された。
もっともリチェルも検査入院しているから抜け出してきているのだが。
目的の青年の昏睡状態は続いたまま、意識は戻らない。
「……ミハエル」
始めは触れるのも怖かったが、何度も通い詰めているうちにそっと体を撫でる事もできるようになった。
いつもきっちりとセットされていた金髪はおろされていて、どこか幼さを感じさせる。
「ねぇミハエル…………ミシェル……」
何度呼びかけても答える事はない。
どんな時だって呼べば振り向いてくれた翡翠の瞳はもう久しく見ていない。
「ミシェルって……呼んでるよ?だから、返事してよ」
怖かった、自分の感情を自覚する事が。
本当は心の奥底では気付いてた、だけど気付かないフリをして一緒にいた。
そうしないと破裂しそうだった、経験した事のない感情は無性に怖ろしかった。
「起きてよ……私、ミシェルに言ってない事たくさんある……」
いつも受け身だった。
恋心を悟られて捨てられたくなくて、ずっと素っ気ない演技ばかりしていた。
本当はミハエルをずっと待っていたはずなのに。
「好きだとも言ってない、傍にいてとも言ってない……」
振られたとしても、傍にいられなくなったとしても、勇気を出して言えばよかった。
想いすら伝えられなくなる前に。
世界から彼という存在が消えてなくなるよりはいい。
「……だから起きてよ……」
――私の気持ち、聞いてくれる?
どんな反応をしても構わないから……少しでいい、私を知って。
また溢れた大粒の涙が、ベッドの白いシーツに広がっていく。
33・地を這って、天に問うて
頻繁に病室を訪れるのはクランが一番多く、次にアルトとルカだろう。
今日も怒られる覚悟で(最近はもう諦められているが)、行くのは電子音しか響かない無情の病室。
時間の感覚すらない無機質な部屋の窓から広がる空をじっと見つめていると。
「あ、アルト……」
「……ども。また此処にいたんですか」
溜息混じりに呟かれて、リチェルは申し訳なさそうに「ごめん」と返した。
シュンと縮こまる姿を見たのは初めてで、喜怒哀楽が随分豊かになったなというのがアルトの感想だった。
良いのか悪いのかはわからないが、想い人の怪我でリチェルの感情の壁が壊れた。
壁の向こうにあったのは暗い顔や涙ばかり、見ているこちらが引き裂かれそうになるほどの悲しみの波は、
不謹慎ではあるが笑顔ばかりだった頃よりずっと自然な気がした。
「オズマ隊長は、まだ……?」
「……行方不明のままです。今もたぶん捜索隊が出てると思います」
眠るミハエルをしばらく見下ろした後、アルトは反対側の椅子に座り込む。
流れるような動作はやっぱり綺麗だなぁと思いながら、慣れ親しんだS.M.Sの隊服を見つめた。
「……もう長い間その隊服着てない気がする」
「もうすぐ退院なんですよね?」
「そうだけど……戻りたく、ない」
クランの采配のおかげで、リチェルはV型感染症の検査の為にそのまま入院となっていた。
実際にミハエルが浴びていたバジュラの体液に触れた訳だから嘘ではないのだが、
S.M.Sの皆はリチェルが戻ってこない理由に気づき始めていた。
気持ちを察して、早く戻って来いなどと強制する人は誰もいないが、
今までずっと一緒にいたのだ、心配にならない訳がない。
「みんな、リチェルさんも大丈夫なのかって……」
「……うん。わかってる……わかってるけど、足が此処から動かない……」
空を飛ぶよりも、今は地に縋り付いていたい。
リチェルは一度微笑んでみせたものの、悲痛に顔を歪ませた。
「飛んでる間にもし急変でもしたら……自分が死んでしまったら……
私がいない間に2度と会えなくなってしまうかもって思うと、此処を離れられない」
大怪我をして意識もなく、こんな管だらけで寝かされている姿など本当は見ていたくはない。
だけどミハエルと引き離されるのはもっと嫌だった。
(空が恐い……だって今、あの先には私の好きな青色はない)
「……私、自分1人の力だけで飛んでた訳じゃなかったんだね。
みんながいたから飛べた。支えてくれる人がいたから……命を賭けられた」
温かく迎えてくれる仲間達がいる、そして見守ってくれている家族のような人達がいる。
いつも自分の内面を読み解いて、甘えさせてくれる人がいた。
「過去を償う為に飛んでるつもりだった……でも今は、たぶん違うんだ」
軍人でいるつもりだったのに、ただの"リチェル"という存在に成り下がっている。
目の前にある死がこんなにも恐い、夜さえ眠れないほど現実が恐ろしくて。
何度眠らずに朝を迎えた事だろう、何度夢にうなされて飛び上がっただろう。
ただ1人が、いないだけで。
「私こんなに弱かったんだって、ずっと忘れてた……」
何も持っていなかった自分が、両手では抱えきれない程の宝物を手に入れて。
きっと、欲張りになっていた。
決して手に入れられない宝石が見えなくなっただけで自分は狂いそうになる。
―――空が恐いなんて、初めて知った。
『もう……歌え、ませんっ!』
何気なく見たテレビに映っていたのは新しく大統領になったレオン三島。
死者への追悼の言葉を述べているその横で、辛そうな顔の少女が俯き加減で立っていて。
捧げる歌をと、だけど彼女は首を横に振り、歌う事を拒否した。
「ランカ……」
追悼での事も、アイランド3での事も、船団やそこに住む人々の為には必要だったのかもしれない。
ランカの歌でバジュラをおびき寄せてまとめて殲滅させた話は聞いてはいたが、何だかスッキリしなかった。
あんなに純粋だった彼女の歌が戦争の道具にされている。
辛いのだろう、今にも泣き出してしまいそうなランカの赤い瞳。
リチェルだって歌が利用されるのは嫌で仕方がない。
だけどバジュラを憎む気持ちもあった、今までどれだけの仲間達が犠牲になっているというのか。
だから余計に複雑だ、悶々とした気分でリチェルが自分のベッドに潜り込んでいると。
気配を感じた先には、ランカの護衛であるはずの男が何の前触れもなく立っていた。
「あなた……ブレラ・スターン……!」
「屋上、彼女がいる」
「え、ちょっと……っ」
短すぎる単語だけ告げたブレラを慌てて追いかけたが既に姿はなかった。
彼の示す通り屋上までかけあがると、
そこには先程までレオン三島と一緒にテレビに映っていたランカがいた。
「ランカ……っ」
「ごめんねリチェルちゃん、こんな時間に呼び出したりしちゃって……」
ブレラは彼女に頼まれでもしたのだろう、今はフイッと外を向いている。
リチェルとしては彼女に会えて嬉しくない訳がない、構わないと答えると互いにくすりと笑った。
「何かあった?」
「ううん、ちょっとリチェルちゃんの顔が見たくなっただけ。体はどう?」
「私は大丈夫だよ?でも……」
「ミシェル君はまだ目を覚まさないんだってね……それと、お兄ちゃんも……」
「………うん」
荒廃した街、崩れていく平和、消えていく人達。
夜の闇がだんだんと深くなっていく外界から、乾いてザラザラした風が2人をくすぐっていく。
「変わっちゃった……変わらないと思ってたのに……」
環境も人も、バジュラの襲撃から全てが動き出した。
リチェルも変わった、変わらないとしていたものがはち切れるように飛び出した。
それは良い作用だったのかもしれない、だけど同時に恐怖も噴き出してはリチェルを震えさせる。
そしてランカの歌も、自身が望まなくても、望まれた通りに変貌していく。
仕方ないと割り切って歌ってきたものの、あの夕方の追悼式が限界だったのだろう。
だからランカは此処にいる、無理して笑いながら、だけど本当は寂しくて悲しくて。
「ねぇランカ、お願いがあるの」
――貴女の声が聞きたい、貴女の本当の心が。
「……歌って?何でもいい、ランカが歌いたいと思う曲でいいから」
「………」
今は酷な頼みだったかもしれない、だけど彼女はリチェルの気持ちを正確に読み取って、
躊躇っていた顔は次第に優しい笑顔に変わった。
耳に響いたのは懐かしい、彼女が小さな時から口ずさんでいた歌。
道具でも手段でもない……ただの歌。
それがリチェルは好きだった、だから歌手になって欲しいと思っていたのに。
現実はこんなにもランカと、自分を蝕んで。
「………っ」
耐えきれない涙がリチェルから零れ、反対にランカは強い意思で空を見上げる。
「……私、お兄ちゃんもリチェルちゃんも大好き。……楽しかったね、3人で。
一緒に寝たり、一緒に遊園地行ったり、お買い物したり」
「……うん」
「またあの時みたいに、一緒にいられるよね?」
「………うん……っ」
確かな保証はない、だけど望んでいるものは2人とも同じだった。
「私ね、ずっとリチェルちゃんのこと……お姉ちゃんって呼びたかった」
「ランカ……」
「お姉ちゃんって呼んでいい?」
「っ…………うん、いいよ」
――ああ……形式ばかりこだわっていて、馬鹿だったのは自分だ。
家の名前など関係なく、私達は初めから家族だったのに。
「ありがとう、お姉ちゃん…………ごめんね……」
「………ランカ?」
最後に笑った彼女は随分大人びていて、リチェルは言い知れぬ不安を覚えた。
そして、ランカはフロンティアからいなくなった。
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ヒロイン、どんどん弱くなってます。