黒と赤のジャケット、オリーブ色のズボン。
肌に馴染む隊服を着込んで、リチェルは格納庫の奥に収容されている漆黒の機体を見上げた。
久しぶりに再会した愛機が呼び起こすのは宇宙の闇。
何の躊躇いもなく飛んでいたあの星の海、今は感傷ばかりが心をざわめかせ。
(……乗れるかな、これに……)
"ファントム1"として正確に飛べるだろうか、この腕は神業と言われた力を発揮しうるだろうか。
バジュラを撃てるだろうか、仲間を守れるだろうか。
(今だって、病院に戻りたくて仕方ないのに……)
地上に降りたがっていては空など飛べやしない。
例えばアルトのように同化しなければ、空を味方になど付けられない。
空は嫌いではなかったはずだ、どんなに両親から強要された将来から逃げていても。
――空は、私の翼になってくれるだろうか。
リチェルが振り仰いだ先には、目も覚めるような深い青のバルキリーが乗り手を待ちわびていた。
34・彷徨う翼の妖精
聞き慣れた甲高い男の声が、立ち尽くしていたリチェルの意識を引き戻した。
「ああリチェルちゃんこんな所にいたのね!」
「ボ、ボビーさん……っ」
内股で走ってきたボビーは文字通り突進して抱きついた。
「見つかったのよぉ、オズマとキャシーが!ホントに心配かけるんだからぁ!」
「え……?」
ギュウギュウと締め付けられ苦しげに目を細めた先に2人の影を捉えた。
1人は軍の士官服を身につけた女性と、そして……
「オ……オズマ隊長…っ!!」
迷子が親を見つけるように、リチェルは崩れた顔を隠そうともせず走り出した。
唖然とするオズマに抱きついて、胸に頭を埋めるとそのまま泣きじゃくった。
「た、いちょう……っ、よかった…!」
「リチェル、お前っ……!」
あのリチェルが泣いている、信じられないといった表情で固まるオズマとキャシー。
状況が理解できず、とにかく震える肩に手を添えていると、
「驚いたでしょ」とでも言いたげなボビーが嬉しそうに微笑んでいた。
「隊長までいなくなったら、私……っ!」
「……ああ、心配かけたな」
いつの間にか感情が蘇っているリチェルの様子に戸惑いを隠せなかったが、
それを望んでいたオズマは素直に優しい言葉を投げかけた。
子供と形容するには大きすぎる妹は、もしかしたらランカよりも弱い気がした。
「ミハエルが……、ミシェルがぁ…っ!」
「ああ、話は聞いた。だがお前もミシェルも、よく生きていてくれた」
髪を優しくなで上げるオズマの表情はまさしく兄のものだった。
ずっとこんな風に想いを打ち明けて欲しかった、感情をさらけ出して欲しかった。
嬉しさと、リチェルが経験した気持ちを汲み複雑に絡み合った思いで抱きしめた。
よかったなと、そして辛かったなと。
「ランカも……いなくなっちゃって……っ!」
「……あいつは自分で道を選んだんだ」
ランカはブレラ・スターンと二齢幼体に成長したバジュラを連れて宇宙へ飛んだ。
敵と認識されているバジュラと一緒になってフロンティアから消えた事で裏切り者と囁かれているが、
オズマに宛てられた手紙には"失われていた記憶の真実を確かめに行く"と書いてあり、
自分の存在の意味を探しに行ったのだと推測できた。
ただ、それがわかっていても今のリチェルには不安定になってしまう充分な要素の一つだった。
自分の傍から近しい人間が2人も離れたのだ、混乱してもおかしくはないだろう。
(……そう、選択の時が来ている)
オズマはリチェルを長い時間をかけて落ち着かせた後、ジェフリーとの間で持ち出された話を思い出していた。
基盤が脅かされ覚悟を迫られている自分達の道。
オズマの決意に揺らぎはない。だが、
「リチェルは……残るかしら……?」
キャシーも同じ事を考えていたらしく、自室に戻っていったリチェルを思う。
感情が戻った事は人間としては自然だが、軍人にとって時としてそれは邪魔になる。
ましてや目覚めたばかりの彼女に果たして感情を律する力はあるのだろうかと。
「……あいつは無理かもしれないな」
いなかった間の事情はボビーやアルト達から聞いた。
「フロンティアに残されたものが大きすぎる」
「ミシェルだったのね……知らなかったわ」
アルトとルカ、そしてクラン以外は全く気付いていなかったのだ、オズマも例外ではなく驚きを隠せなかった。
「……飛ぶ事でもなくランカや仲間、ましてや俺でもなく……ミシェルの存在があいつの感情を蘇らせたか……」
「兄としては複雑?」
「………そうだな」
嬉しい反面寂しいと思う。
ランカと同じように、彼女にも巣立ちの時が来たという事だ。
「もう自分で考えられるんだ……残るも離れるも、あいつが決めればいい」
――自由でいればいい、もう誰も強要したりはしないから。
「……あいつの枷は、たぶん俺だった。俺の存在はあいつを笑わす事しかできない」
「そんな事は……」
「いや……あいつは俺に何があろうとも決して泣かなかった。
無理して笑おうとしていたのが証拠だ。兄貴失格だな、俺は……」
「オズマ……」
「……だから今以上に、あいつに兄らしい事をしてやりたいとも思う。
もしあいつがS.M.Sを選んだなら……その時は、全身全霊を賭けて愛してやりたい」
彼女の枷を解いた、ミハエルの代わりに。
「……貴方らしいわ」
言外に込められた贖罪を垣間見て、キャシーは微笑んだ。
諦めや嫉妬など通り越して、その真っ直ぐすぎる家族愛に。
その日、キャシーからの機密メールがリチェルの携帯端末にも届いた。
S.M.Sを解体し新統合軍に編入せよという突然の命令に対し、
S.M.Sはフロンティアを離れ独断行動を取るというジェフリー艦長らオズマやキャシーの意向だった。
2人によれば前大統領はレオン三島らに暗殺されたらしい。
だから何が正しいのかを判断する為にも離れる事を選択するという内容だ。
そしてその賛同者を募り、残るも降りるも自由で、どう選択したとしても一切の咎めはない。
リチェルとしてはレオンのやり方は気に入らないし、もう二度と新統合軍には入りたくなかった。
S.M.Sは家族のようなものだ、生きるも死ぬもS.M.Sしかないと決めていたし、オズマ隊長にも恩がある。
だけど喉に刺さったトゲのように、気になって仕方ない事は。
(フロンティアを離れたら……ミハエルと二度と会えなくなるかもしれない)
離反するとはそういう事だ。
空を飛ぶ事すら躊躇っている自分が果たしてその現実に耐えられるだろうか。
「ルカはもうあの話聞いた?」
「ええ」
ナナセが大怪我をして以来どこか少年らしさが抜け、
軍人のような目をするようになったルカに戸惑いながらも、リチェルは努めて明るく振る舞った。
だがやはり年下の少年の目には冷たさにも似た険しさを感じた。
「僕はS.M.Sには賛同できません、軍に入ります」
「そっか……」
「リチェルさんは、その様子ではまだ決めかねているようですね」
「……うん」
マクロス・クウォーターには家族がいる、だけどフロンティアには想い人がいる。
気持ちを揺らすリチェルとは反対にルカは正確に情勢を理解し、冷静にどちらかを捨てようとしている。
「僕は理解できません。バジュラと戦わなくてはいけない時に、こんな仲間内で分裂している暇なんてないのに」
「ルカ……」
「ランカさんが裏切ってしまった今、僕達に残された選択肢は少ない」
「っ……でも、ランカは……」
「バジュラのせいでどれだけの人が傷ついたと思ってるんですか。ミシェル先輩だって、ナナセさんだって……」
人によっては、ランカは裏切ったように見えるのだろうか。
道具とされながらも皆を導ける存在だったのにそれを拒否し、真実を求めて逃げ出したランカは、
リチェルにとっては今でも憎めるはずもない妹だ。
だけど彼もまた、バジュラに大切な人を傷つけられた。
フロンティアを脅かす生命体に対する気持ちは同じだ、だけど彼はその手段を軍に見いだしている。
「僕は戦います。バジュラを倒しフロンティアを守る為、そしてナナセさんを守る為」
こんなにもきっぱりと言い切れる彼が羨ましいと思った。
それに比べて自分は、どうしたらいいのかわからなくて。
「リチェルさんもミシェル先輩を守りたいんでしょう?」
「…………うん」
(私は……)
――ねえリチェルさん、頼むから俺の視界からいなくならないで――
――聞いてリチェルさん、俺は本当にリチェルさんが――
どうしたら、皆が笑っていられるんだろうか。
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短めですが切ります。
オズマが好きです。