―――「この事知ったら、ミハエルは何て言うだろうね……?」

柔らかい髪にそっと触れて、返答のない言葉を囁く。
金の太陽のようなその光を決して見失わないように、忘れてしまわないように。

「怒るかな?それとも、理解してくれる?」

振り回して何度も怒らせた、だけどいつも諦めて甘やかしてくれた。
くすりと苦笑しながら頬を緩めて、窓の外を見遣る。
高く高く作られた空は、目も覚めるような深い蒼色。

「ミハエル……空が、蒼いね」

貴方には、あの色が似合う。
鮮やかで全てを包み込むような、リチェルが唯一存在していられる場所。

「貴方は、私の空なのかもしれない」

だから、どうか生きていて。
たとえ私を好きでなくとも、振り向いてくれない人なのだとしても。

温かいままでいて―――






35・夢に浸潤するエーテル






「私は此処に残る」

青い少女は眠ったままの幼馴染みを見下ろしながら告げる。
迷いの晴れないリチェルには、そのはっきりとした声色はただ不安を煽らせた。
皆が次々に答えを出す事によって、何だかバラバラになっていく気がしたのだ。

「っ……S.M.Sと行かないって事?」
「ああ、もう返事も出した」
「………」

(それはミハエルがいるから?それとも他の理由もあるの?)

クランが何を考えているかわからなかったが、これは個人の自由だ。
恐らく悩んで出した結論がこれだったのだろう、ならばリチェルは頷くしかできない。

「ミシェルは私が面倒を見る……だから、リチェルは行けばいい」
「え……?」
「行きたいんだろ本当は?ランカの事だって、真実を見極めたいんじゃないのか?」
「……そう、だけど……」
「それに私は所詮ゼントラーディ、戦うだけの種族だ。私には軍が似合う」
「クラン……」

2つに束ねた青い髪が強く拳を握り締めて、こちらを振り返る。

「ここは私が守る。だから好きなように飛べ、リチェル!」

きっと彼女は地上に未練のあるリチェルの背中を押そうとしているのだろう。
全力で自身と向き合い、そして全力で周りをも支えようとする。
揺るがないなとリチェルは苦笑を零した。

(クランが傍にいるのだから、私がいなくてもいいのかもしれない……)

意識が戻ったら想いを告げる気ではいた、だけどそれは聞き届けられるものではない。
寂しい事だけどこれが現実、でも後悔はしないと決めた。

だからS.M.Sの事もランカの事も、後悔はしたくない。

「ありがとうクラン……まだ決断できないけど、もしそうなったらミハエルの事、お願いね」
「ああ、任された!だからリチェル、必ず生きて帰ってこいよ!
目を覚ました時にお前がいなかったら、ミシェルが泣く」
「……どうかなぁ、私じゃあるまいし」

翡翠の瞳が見えなくなっただけで泣いてしまうリチェルとは違う。
冗談交じりに笑ってみせると、クランは少し怒ったように声を荒げた。

「ミシェルはリチェルが好きだぞ!」
「……え、どういう事?」
「やはり気付いていなかったのか」
「え、だって…………え?」

好きだとは付き合っている時から言われていた、だからそれは知っている。
でもそれは本気の感情なんかじゃないし、何よりミハエルは。


――「ごめんな、クラン……俺が、愛して……っ」――


ミハエルの想いは前から知っていた、あの言葉はクランに向けたもののはずだ。
なのに何故彼女は突然そんな事を言うのだろうか。

「最近のあいつはリチェルばかり見てた、わかりやすいくらいに」
「でも、ミハエルは……」
「知ってたか?この所めっきり女遊びがなくなってたんだぞ」
「……そんな」
リチェルと仲の良いアルトに嫉妬して、何かあるとすぐ突っかかってた」
「っ……だけど……!」

わからない、別れを切り出した時だって彼は"本命"と聞いて動揺していた。
クランと言い争いをしてる時だって、彼はクランに想いを伝えたがってた。

確かにあの時までは、彼はクランを好きだったはずだ。

「まだ信じられないみたいだな。なら、ちゃんと生きて帰ってきてミシェルに聞くといい」
「…………」

何が本当かわからない。

(ねぇミハエル……貴方は本当は誰が好きなの?)

切迫した目で見下ろしても胸中の呟きに答える人はいなかった。


――「俺が、愛して……っ」――


あの続きは、何て言おうとしていたの?
















―――これは夢だ。

いつものように暗く、闇のような日々の。
時折悪夢に現れては胸を抉る、あの声。

『軍人の子が軍人にならなくて、なんになる?』
『貴女はお父様の言う事さえ聞いてればいいのよ』

自分のせいで死んでしまった父と母の声がする。
暗闇の中で膝を抱える、幼い頃の自分がいる。

笑顔さえ知らない、引っ込み思案で相手の言葉に頷くだけの人形のような少女。
笑顔で塗り固めた壁の向こうにいた本当の私。

『空を飛ばないお前に価値はない』

貴方の言う通りにはなりたくなかった。
もっと自由に、好きなように選ばせて欲しかった。

『あんたが死ねばよかったのよ!!』


私を見て欲しかった、少しでいい……私を誉めて欲しかった。

ただ、ただそれだけだった。殺すつもりなんてなかった。


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!!2人とも飛ぶ事ばかり!私を軍人にする事ばかり!
私はただ、私を見て欲しかっただけなのに!!愛して欲しかっただけなのに!!」

いくら叫んでも私の声は暗闇に消えて、父と母は顔色すら変えずに同じ言葉を繰り返す。
氷のように冷たい目で、私を人形のように操って。

『まだわからないのかお前は、この空の雄大な世界を』
『貴女はお父様の意思を継がなくてはいけない、貴女には空を統べる資格がある』

「だから私なの!?パイロットにする為だけに私を引き取って!
私は私の意思で空を飛びたかった!!私は2人の人形じゃない!!」

『飛べ、空はお前の物だ』
『空を愛しなさい、あれの素晴らしさをお父様は教えようとしていたのよ』

「愛!?私すら愛してくれなかったのに!!」

だけど今日の夢はいつもと違った。
顔を上げると、無感情ながらも静かに見下ろしてくる2人がいた。

『……わからなかったのか?』
『不器用だったけど、これが私達の愛し方だった』

「!!!!」

目の前に広がるのは炎と、黒煙を上げて崩れていくバルキリー。
そして重なる涙と、笑いながら首を吊った母。

あの2人は……私と同じで、とても不器用なんだとしたら?
私をパイロットに仕立て上げる事でしか愛し方を知らない人なんだとしたら。

「……お父さん……お母さん……っ」

今となってはもう本当の事はわからない。
だけど、もっと愛せばよかったのだろうか。空を、両親を。
そうしたら、何かが変わっていたのかもしれない。

こんな、後悔しか残らない空にならなかったのかもしれない。


――「リチェル……貴女も自由に生きて、そして幸せになって」――

「っ!……だ、れ……?」

ふいに頭に響いた、子供をあやすように名を優しく囁いた女性の声は見知らぬもの。
だけど、この声を自分は確かに覚えている。
遠い記憶の奥から聞こえて、温かい海の中にいるような包まれる感覚。

あれは、あの声は……!

「っ!!」

小さな光を遮るように、厳格な父が立ちはだかる。
最後まで向き合えなかった人は、今は静かに泣き続けるリチェルを見据えて。

空を見る時と同じ目で、リチェルを真っ直ぐ射抜いた。

「お前はこの先、償いだけで空を飛び続けるのか?」―――


「……っ!!」

ハッと目を覚ますと、そこはS.M.Sの自室のベッドだった。
ドッドッドと心臓は絶えず躍り続け、全身を冷や汗が流れていく。

「っ……、ゆめ……」

痛いところを突いてきた父の言葉はリチェルを動揺させるには充分で。
いつも父はリチェルを否定ばかりしていた、だけど今回のは酷く心が揺れた。

何の為に空を飛ぶのか、そう聞かれている気がした。

「私は、どうして飛んでるの……?父さんも母さんも殺して、ミハエルもいないのに。
それでも私は、どうして此処にいるの……?」


――「格好良いよ、リチェルさんがバルキリーに乗ってる所。流星みたいですげぇ綺麗」――


「…………ミハエル……私、何ができるかな……」


地に這い蹲っていたって私にできる事はない。
空を飛べば仲間がいる、家族がいる。

ミハエルの傍にいたって……何も変わらない、なら。


私が飛んで、何か変わるなら。






出航の時間が迫っている。
作戦が開始されればS.M.Sはフロンティアを離脱し、独立行動を取る。

オズマは最後の最後まで待っていたが、青のバルキリーと並ぶ漆黒に乗り込む人物はいなかった。

「やはり降りたか……」

それが彼女の選択なら仕方ない、だけど危険な目にも合わせなくて済む。
安心と物悲しさが混ぜ合わされたような複雑な気分でオズマは慌ただしい格納庫を静観する。

だがふいに呼ばれた声に、オズマは隊長としての責務を忘れた。

「オズマ隊長!」
「……リチェル!」

黒のパイロットスーツに身を包んだリチェルがそこにいた。
前よりも痩せて少し弱々しくなったように見える出で立ちで。

「……乗ります」

ふんわりと笑顔を作ったのに反して、目尻からは透明な雫が流れ出す。

「ミハエルがね、私がバルキリーに乗ってる所、格好いいって言ってくれたから……!」

あの言葉さえあれば飛んでいられる。
両親を殺して、望まれた軍から抜け出してきた時もミハエルはそう言って許してくれたから。

ミハエルなら許してくれる。むしろ飛べと言うんじゃないだろうか、そんな気がしたから。

「私、バルキリーに乗りたいの!」
「……死にに行くんじゃねぇぞ、わかってるな」
「うん、わかってる……飛びたいの……自由に飛びたいの!」

険しい顔をしているオズマに両肩を支えられながら、ボロボロと子供のように心をさらけ出す。

「ここが私の家だから、家族は私が守るから……っ!もう誰も死なせたくない!!」
「アルトやルカとは、敵になるかもしれないぞ?」
「……いい……生きていてくれたら、それでいい……」

泣き崩れそうだったリチェルは気付けば目の前の人に抱き締められていて、
見上げるとオズマも泣きそうに顔を歪めていた。

「……よく、戻ってきてくれた!」

それが感情の事も言っているのだろうとわかって、リチェルはさらに涙を零した。

「お兄、ちゃん……っ」
「っ……お前も、一丁前に女の顔しやがって」

初めて"隊長"以外で呼んだ、家族として受け入れてくれた。
嬉しいはずなのに、オズマは切なかった。

「馬鹿だな、こういう時は惚れた男を選ぶものだぞ」

また家族を選ばせてしまった、それが申し訳なく感じてさらに腕の力を強める。

「すまんな……必ず、お前はフロンティアに生きて返す」

それだけが、彼女にしてやれる事だった。



出航時に一瞬だけ覗いた窓から見えたのは、フロンティアに残ったクラン。
見送りに来たのだろう、小さなリチェルと目が合うとクランは右手を掲げる。
S.M.Sを頼むと言われている気がして、様々な思いを抱えながらリチェルは敬礼を返した。

そしてまもなく、クウォーターは新統合軍からの機体に追撃される事となった。

リチェルさんも……!何でだよ!!』
「アルト……」

通信越しに責められて、リチェルは操縦桿を素早く動かしながらアルト機を見つめた。
きっと生真面目なアルトは、こういう裏切りは許せないのだろう。

怒りに任せてオズマ機を追うアルトにミサイルを発射させながらリチェルは思う。
想い人のいるフロンティアを選ばなかった自分は、やはり間違っているのかもしれないと。

『置いて行く気かよ!』


そうだね、本当だったら貴方みたいに残るべきだったんだね。


「……ミハエルを、お願い」


許してくれないのなら、それでいい。

それでも私は、いつまでも空を追いかけてしまうだろうけど。











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フロンティア離反。
色々悩みましたがS.M.S側につきました。

抽象的表現が多くて申し訳ありません。