暗闇に浮かぶ、人工物で閉鎖された空間。
それはフロンティア自体も同じだったが、もっと規模の小さな箱庭のよう。
マクロス・クウォーターがリチェルの居場所であり、家族の住む"家"でもあった。
そこから見渡せる外の世界を、リチェルは作業の合間を縫ってはいつも見つめていた。
黒い海を臨める場所へ自然と足が進み、漠然と時間を費やして心に渦巻くものを反芻する。
――何の為に空を飛ぶのかと、夢の中での父親の言葉はそう聞こえた。
両親に償う為なら新統合軍に行けばよかった。
ミハエルの為ならフロンティアに残ればよかったのに、
リチェルはそれをしなかった。
――ランカの為?オズマ隊長の為?
確かにそうだけど、それが全てではなかった。
もっと何か、別のものに突き動かされた気がしてならない。
気がつけば自分はS.M.Sに戻ってきて、再びバルキリーに乗っていた。
目を覚まさない人を置いてでも、償いを放り出してでも、空に怯えながらも、
「……それでも私は、飛んでる……」
何故この道を選んだのか、自分でもわからなかった。
――「お前はこの先、償いだけで空を飛び続けるのか?」――
夢の幻覚にしては両親の姿ははっきりと映し出されていたし、声も直接耳に入ったかのように頭に響いた。
だからあれは夢であって、そうではなかったのかもしれないと思うようになった。
父が嫌がってばかりいたリチェルを真っ直ぐに見据える事など過去にもほとんどなかった。
だけどあの問いには"償いだけで空を飛ぶな"という意味も含まれている気がして、
あんなに厳しかった父の本音を少しだけ垣間見たようで、心が揺れる。
父は一体、自分にどうさせたかったのだろうと。
「何の為に飛び続けるか……答えは、この先にあるのかな……?」
全ての彩色を吸い上げてしまうような漆黒の宙は、どこか父親に似ている。
逃げ出して越えられなかった宇宙、それがリチェルの目の前に広がっていた。
36・再生を待つ蛹
またしても近づいてくる足音にリチェルは苦笑を漏らした。
それがカナリアのものだとわかると再び背中を向け、足を揺らす動作で愛嬌だけを見せた。
「随分、メンバーが減っちゃったね」
格納庫の隅にあるコンテナに腰掛け、動き回る整備班の作業を眺めながら誰にともなく呟く。
それはカナリアに聞こえる声量だったが、独り言にも近かった。
アルトやルカの他、S.M.Sを離れた人間は少なくない。
仲間がクウォーターから減れば家族も減る、仕方ないと思いつつもやはり寂しくて。
だけどリチェルは笑顔を絶やさなかった。
「……戻ってから色んな人が私に会いに来るんだ」
検査入院という名目でずっと病院にいたリチェルを気遣うように、隊員達が入れ代わりで声を掛けてくる。
きっと皆はミハエルの怪我と関連してリチェルの事情も知ったのだろう、
いつものように振る舞いながらもどこか真剣な目で見つめてくる。
「整備班の人達だって交代でやって来ては頭撫でていくだけだし、
さっきまでオペレーター3人組が来てて、取り留めのない話ばかりしていった」
「リチェル……」
皆リチェルを心配しているのだ、声には出さなかったがカナリアの言いたい事は伝わっているようで。
「私、平気だよ?ちゃんとバルキリーにも乗るし」
「…………」
泣くようになったと聞いているのに、それでもリチェルは笑っている。
泣きたいのならいくらでも胸を貸してやれるのに彼女はそうしない。
事情も知らず後から聞かされた身では、泣けと言ってやるのはおこがましい行為だとカナリアは思う。
「……帰れる、必ず。いや、帰らなくてはいけないんだ」
「そっか、カナリアの旦那さんも子供もフロンティアにいるんだもんね。そうだね……帰れる、かな?」
リチェルが振り仰いだ先には、乗り手のいないバルキリー達が所在なく並べられていた。
しばらく傍にいたカナリアだったがやがて仕事に戻っていき、
今日はもう来客者がいなさそうだと判断したリチェルはストンとコンテナから降り、
青がパーソナルカラーの機体に確かな足取りで近づいた。
梯子を登り、シートに座り込んでキャノピーを閉じると外界の音は瞬時に掻き消える。
世界から隔絶されたかのような静寂に包まれ、シートに置かれたままのヘルメットを抱いた。
「……ミハエル」
気がつけば何度も此処に座り込んでいる自分がいる。
答えなどある訳がないのに、リチェルは火のともらない計器類を眺めながら微笑んだ。
「不思議なんだけど……S.M.Sのみんなと一緒にいると自然に笑えるんだ。
無理してないんだよ、本当に……何だか、すごく幸せな気持ちにさせてくれる」
固いヘルメットに頬を乗せ、囁く。
「だけど……笑えるのに、涙が出てくるんだ……どうしてかな?」
彼らの優しさが有り難くて、その感情のままに笑顔が生まれる。
だけどこの双眸からはどうしてか熱い涙がゆっくりと流れて青いヘルメットに染みを作る。
「ねえ、ミハエル……ここに貴方がいないだけで、寂しくて仕方がない……っ」
嬉しいのに、どうしてこの場にミハエルがいないのかと悲しくて。
今まで自分を埋めていてくれた存在がないだけで、自分はこんなにも不安定だ。
「大丈夫だって言ってよ……泣いたら、拭ってくれるんでしょ……?」
――飛び出しておいてこんな事を言うなんて、我が儘だね。
透明な涙は一向に止まってくれない、だけど泣いたら皆はきっと心配するだろうから。
音が漏れるはずもないコクピットの中で声を押し殺し、リチェルは必死で自分を律した。
だが数日間あまり睡眠がとれていない事も相まってか次第に意識は混濁していき、
そのままリチェルはミハエルの痕跡に縋り付くように瞼を閉じた。
数時間が経ち、見当たらないリチェルを探していたオズマは艦内を歩き回っていた。
しばらくはアテもなくうろついていたが、整備班からの報告を頼りにようやくVF-25Gの中で丸くなっている妹に辿り着いた。
目尻に光る雫を目に止めたオズマは大いに呆れた。
起こさないように注意しながら体を抱き上げバルキリーから降ろすと、そのままリチェルの部屋まで運んだ。
シーツを首まで被せて寝かせ、湿気で張り付いた前髪を払っていると、
途中からやり取りを見守っていたボビーが出入り口の壁にしな垂れながら熱い溜息をつく。
「オンナになっていたのね、リチェルちゃんも……」
「まだガキだ、こんな奴は」
人目を避けるように自分だけの陣地を作り、そこで一人で泣きながら寝入ってしまうなんて子供そのものだ。
本来なら隊長として叱りつける義務があるのだが、生憎リチェルは今日の夜の勤務に入っていない。
他にも言及できる材料ならいくらでもあったが、オズマは今だけは勝手な行動にも、軍人らしくない振る舞いにも目を瞑ろうと思った。
「こいつは……俺とランカの為にクウォーターに付いてきたんだ」
「本当はミシェルの傍にいたかったのに、って事?」
「ミシェルの機体の中で寝ていたのが何よりの証拠だ」
「それだけじゃないんじゃない?男が思ってるより、オンナは案外強いものよ?」
「…………」
納得できていない、そんな声が背中から聞こえてきそうだとボビーは感じたが、それでもキラキラさせた目で微笑んだ。
「綺麗になったわねリチェルちゃん。大丈夫、リチェルちゃんは強いわ」
「ごゆっくり」とだけ言い残してボビーが部屋から立ち去る。
兄として多少は罪悪感を覚えているオズマは、リチェルのあどけなく見える寝顔を見下ろしながらベッドサイドに腰掛けた。
毎日ああやって隠れて泣いていたのだろうかと目尻を指で拭ってやっていると、ふとリチェルの双眸が開かれる。
「……オズマ、隊長?」
「ああ」
視線を彷徨わせ、此処が何処なのかを把握しようとしている顔付き。
お前の部屋だと教えてやると、やがて記憶が繋がったのか申し訳なさそうに目を伏せる。
「すみません……」
「…………」
あんな所で寝るなとも、泣くなら自分の前で泣けとも、オズマには言えそうになかった。
感情を溢れさせる事になったミハエルと一緒にいたくとも、それでもS.M.Sに付いてきたリチェルの気持ちを汲んでやる事しかできない。
リチェルがただオズマとランカの為だけに付いてきた訳ではないとボビーは言っていたが、
決断の理由の何割かを占めているのは確かで、謝るのは自分の方だと思った。
「……今日は寝てろ。しばらくは此処にいてやるから」
「、え……?」
「何だ、文句でもあるのか?昔はランカもよくこうやって寝かし付けた」
「……そんなに子供じゃないですって」
いいから寝ろと、渋るリチェルを半ば無理矢理押さえ付けポンポンと肩を叩く。
初めは恥ずかしそうに抵抗の目をオズマに向けていたが、両親にもされた事のない感覚にいつしか眠気がリチェルを襲う。
(あやすって、こういう事を言うのかな……)
温かい、愛情だと思った。
「オズマ、隊長……」
「ん?」
「……夢で、お母さんの声が聞こえたんです。本当のお母さんの……」
ふわふわと柔らかい意識の中で緩く微笑んだリチェル。
まだS.M.Sに所属する前、行き場をなくしたリチェルを取り巻いていたのは、
"英雄と呼ばれた男の娘は本当の子供ではない"という噂だった。
それを把握していたが気にもしていなかったオズマが直接リチェルに問いただした事はなく、
同時にリチェルも両親の事は禁句のように口にしなかった。
だから"本当の母親"と表現した事に少なからず動揺した。
噂が本当だった事ではない、リチェル自ら胸の内をさらけ出した事にだ。
「覚えてないと思ってたのに、あの声は確かにお母さんだった気がするんです。何だか、すごく安心できた……」
「…………そうか」
「私の、本当の父親がパイロットだったらしいです」
少しだけ目を見張ったオズマの様子が、その事実は知らなかったと語っていた。
「どういう経緯があって今の両親に引き取られたかはわからないですけど、
本当のお母さんには、私は大切にされてた気がする……」
その言葉は、本当の母親以外誰からも大切にされなかったのだと聞こえた。
過去に厳しい教育を受けていた事も知っていたが、はっきりと明言されるとオズマは顔を歪めずにはいられなかった。
愛情を与えられず、笑顔さえ作れなかった子供。
だからリチェルはあんなに愛を求めて、笑ってばかりいたのだ。
「あんなに優しい声のお母さんが好きになった人って、どんな人だったんでしょうか……?
もしかしたら、今もこの宇宙の何処かを飛んでるのかな……」
「会いたいのか?」
「……いいえ。気になりますけど、会う必要はないです」
リチェルはくすりと笑い、苦い表情をしていたオズマの隊服の袖をキュッと握った。
「だって今の私には家族がいます。大事な妹と、お兄ちゃんと……S.M.Sのみんなが」
オズマを覗うような大人びた顔を見てハッとした。
彼女はもう、ただの子供ではないのだと。
時折不安定に揺れて涙を零したり不安を口にしたりするが、それでも彼女は軍人でいようとし、
そして"家族"を糧にしながらも一人で立ち上がろうとしているのだろうと。
ボビーの言う通り、強い瞳を秘めた女の顔をしていた。
「……ああ。みんな、お前を大事にしている。無理しなくても、笑っていなくても……リチェルを愛してる」
「、……よかった……」
今はまだ心は弱っているけれど、明日には少し強くなっているだろう。
過去と向き合いながら、自分の心と向き合いながら、彼女は独り立ちしようとしている。
突然リチェルが家族の話をしたのは、オズマへの感謝も伝えたかったからなのだと今更ながらに気付いた。
(俺が気遣われてどうするんだ……)
兄としてできる事はあまりない、それはオズマには少し寂しい事実だった。
泣いてくれれば、もっと子供でいてくれれば、今までの分もいくらでも甘やかしてやれたのに。
喋りたい事を喋って満足したのか、リチェルの視界は急激に溶けていく。
重みを増していく唇で、途切れ途切れに言葉を紡ぎ出した。
「……ランカ……帰ってきます、よね……?」
「当たり前だ」
少し前まではリチェルが遠慮して、今はランカがいない。
肉親と離別した妹達に家族を作ってやる為にも、自分達は3人でいなければいけないのだ。
「ランカが帰ってきて……フロンティアにも戻れたら……そしたら……」
「ああ、何処にだって連れて行ってやる。それで、もしお前が望むなら……一緒に住んでもいい」
――だから今度こそ、家族として過ごそう。
「…………おにい、ちゃん……」
それからリチェルはまた静かに微睡みの世界へと旅立った。
かすかな寝言ははっきりとは聞き取れなかったが、誰かの名だった気がした。
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蛹=さなぎ
個人的に完成度低め。
書き直すかも知れません。