自分の呼吸音以外は何もない、全てを呑み込む真の闇。

スタンバイ状態のエンジンは乗り手の指示を待ちながら漂い、
コクピットに座っているはずのリチェルはそのキャノピーを開け放して真空に身を晒す。
力がかからなければ機体と離れる事はない、"星の亡霊"は文字通り漂流していた。

シートから少しだけ体を浮かせ、包まれるような無重力に身を任せた。
ヘルメット越しの宇宙を見上げ、時折チカチカと輝く星々を見つけては手を伸ばす。

いつだったか、ミハエルがあの良すぎる視力で星を数えていた事があった。
自分は彼ほど光は捉えられないが、自分を照らすスポットライトのような星の炎は自分が生きている事を実感させてくれる。


――「飛べ、空はお前の物だ」――

――「空を愛しなさい」――


穢れさえも逃げ出すような無の漆黒は何よりも恐ろしくて、そして綺麗だった。
此処を疾走する事が自分に課せられた運命なのに、今まで宇宙と正面から対峙した事なんてなかった。
こんな風に、自身の行動の意味を問いかけた事もなかった。

だからだろうか、余計に美しさが目に飛び込んでくる。

(これを、教えようとしていたのかもしれない……)

どこまで行っても孤高で孤独な海、呑み込まれそうな引力を持ち魂を縛り付ける。
闇は何もないから恐怖を感じる、だけど無垢にも思えて惹かれてしまう。

スロットルを押し込んで限界まで加速して、この海を流星のごとく駆け抜ければ言い知れない快楽が身を震わせる。
償いで飛んでいても、両親に強いられていても、その感覚は間違いなく感じていた。

(父さんのような黒い闇……綺麗すぎて怖いのに、)

魅せられている自分がいる。
目の前に立ち塞がる父はどこまでも深く残酷だが……近づいてみたい、と思った。

決して相容れない拒絶にも似た色は、ただ静かに自分を見守っていて。
人類の遙か故郷の大地が母に例えられるなら、この宇宙は父だ。
いつも先を行き、自分を突き放して冷たく見下ろして、だけど離れた所から自分が立ち上がるのを待っている気がした。

空を飛ぶ事が義務だと思っていた、だから目の前に父がいる事にも気付かず、ずっと目を閉じたままで。

きっと誰かに包まれているままだったら、一生わからなかったのかもしれない。
傷つけて傷ついて、独りになって立ち上がろうとしたから、宇宙を見つけた。

(ミハエル……私、貴方と離れた事で……結果的に自分を見つけられたのかも知れない)

喜べる事ではないけど、それでも次に貴方に会ったら感謝の言葉を伝えたい。
ミハエルに支えられ、ミハエルを好きになったおかげで"父"と向き合う気になったのだから。
彼は怒るだろうか、だけど見て欲しい。これが自分なのだから。


――もう少しは強くなってみせるから、自分を見て欲しい。


『聞こえるかファントム1。引き上げるぞ』
「、……了解」

兄の声にリチェルは本来の任務を思い出すと、慌ててキャノピーを閉じて通信に応えた。

黒いVF-25Sのすぐ近くに存在する、壊滅した船から間もなく数機が現れる。
第117次大規模調査船団、そこはランカが産まれ幼少を生きてきた場所。
残骸の中で調べ物をしている間、周囲の哨戒任務を与えられていたリチェルはエンジンを噴かすとオズマ機の後ろに付いた。

「収穫はありました?」
『ああ。ランカが奴らに利用される理由もな』

リチェルが一部役目を忘れていた事はバレていないようだ。
それについては安心だったが、オズマの険しい声に必然的に緊張が走る。

フロンティア船団を取り巻く真実に、近づいている気がした。






37・闇色の父は宇宙






「――以上が一連の事件の全容だ。次の作戦が最後になる事を期待する」

解散の声でブリーフィングに集まっていた隊員達が次々と持ち場へ移動する。

レオン三島の反逆、そしてランカを利用するグレイスの陰謀が明らかになり、S.M.Sの倒すべき敵が定められた。
バジュラ本星を目指すフロンティア船団を追いかけ、両名の企みを止めなければならない。
その為にはおそらく戦闘が行われるだろうとオズマは言った。

廊下を早足で駆けていると仲間達がリチェルに声をかけていく。
「頑張ろうぜ」や「行くぜリチェル!」と言いながら過ぎ去っていく男達に、リチェルは「うん」とふんわり笑う。


リチェルちゃん……」

途中で不安そうな顔をしているボビーと出会った。
彼……いや彼女は以前から、誰よりも女らしくリチェルの身を案じていた。

「もう、大丈夫です。私は、ちゃんと自分で乗りますから」
「……必ず帰ってくるのよ?」
「もちろんです。家族3人で、戻ってきます」

世間一般の母親とはボビーのような人の事を言うのだろうと、リチェルは漠然と感じた。
余計な心配させてはいけない、そう思わせる顔をするから。


足を速めて格納庫への扉を抜けると、そこには漆黒のVF-25Sが佇んでいる。
整備班の人達にも活を入れられながら機首の下まで行くと、待っていたのか険しい表情のカナリアがいた。

彼女は無言で立っていたが、何故そこにいるのかは一目瞭然だった。

「……ありがと、カナリア」
「何も言っていないぞ」
「でもわかるから…………、ごめんね」

(みんな、私を甘やかすんだから……)

優しい優しい家族達だ。
作戦中にも関わらず、ただのパイロットであるリチェルをこんなにも心配してくれる。
リチェルは愛されていたのだ、だから今まで無理しながらも本当に笑っていられた。

だが何故、感謝の言葉の後に謝罪を呟いたのか、カナリアは思わず首を傾げた。
それに苦笑したリチェルは作戦開始までまだ少し時間があるのを確認して小さく口を開いた。

「……夢で父さんに、"何の為に空を飛ぶのか"って聞かれた」

話を聞いて欲しいという顔にカナリアは続きを待った。

彼女はずっと考えていたのだろう、その答えを。
ミハエルと離れて、フロンティアからも離反しても此処にいる意味を。
ずっと自分の中で避けてきた"過去"に、ようやく向き合う事ができたのだろう。

「飛ぶ為に生まれたから、それが私の運命だからって何も考えずに飛んできた。
でもそれも逃げている事と一緒だったんじゃないかって思う」
「……それで、わかったのか?」

無理矢理組み込まれた新統合軍を抜け出した時から、恐らくリチェルの気持ちは変わっていた。
家の名を捨ててもいいと思ったのは……確かに償いだけじゃない理由があった。

「今もそう……守りたいから、私の家族を……」

だから離反する時には家族……すなわちS.M.Sを選んだ。
パイロットとして先陣を斬るという事は、母艦を守るという事だ。
ここには、守りたいものがありすぎる。
リチェルにとって帰る場所であり、自由に羽ばたける土台なのだから。

だから新統合軍では駄目なのだ、あそこではS.M.Sは守れないし、何よりリチェルの翼はない。

「……S.M.Sを守れば、フロンティアも……ミハエルも間接的にでも守れる、そう思ったから……」
「わかっている。誰も責めちゃいない」
「うん……」

"置いて行く気かよ!"とアルトが叫んだ言葉が胸に刺さっていた。
長い間考え続けて朧気に浮かんだ回答は、もしかしたらアルトにとっては有り得ないものかもしれない。

「……でもね、それが全てじゃないの」

リチェルが顔を歪めて俯くと、肩に温かい手を感じた。
カナリアは少しだけ笑っていて、どんな答えでも受け入れるという目をしていた。

(きっと皆も……アルトやミハエルも私を薄情だと思うかもしれない)

「私が、こんなにも飛び続けようとする理由……」

まだはっきりとは答えが出ていないが、それでもわかった事がある。

「……本当はきっと……私は自分の為に飛びたいんだと思う」


誰かの為だって言いながら、結局は自分の為にこの道を選んでいた。
今此処にいる人生でなければ、自分は満足していなかったに違いない。


「酷いよね。みんな私を心配してくれているのに、私は自分の満足の為に飛ぼうとしてる」
「そんな事はない。誰しも自分の欲求で生きている」
「でも今だって……ランカを助ける事だけ考えなきゃいけないのに、私は自分の答えを探したいって思ってる」
リチェル

いけない事だと首を振るリチェルの頭をゆっくりと撫でた。
落ち着かせるように何度も温度を与え、揺れる瞳を覗き込んだ。

「己の意思とは持っていなければ不自然な、当たり前のものなんだ。
誰もそれでお前を恨んだりしない。むしろ一人前になったと喜ぶ奴ばかりだろう」
「な、何で……?」
「人間として"自分"を持てるようになった事に、な」
「…………」
「誰が、ではなく……リチェルは、どうしたい?」


――答えがもうすぐ見つかる気がする。
ここに行き着くまでに随分遠回りして、取り返しの付かない過ちも犯してしまったけど。

その時こそ、私は両親の意思を継げる事ができる気がする。


「空は怖い。闇も怖い。でも……私は、飛びたい」
「ああ、それがお前の意思だ」











――蒼い空はミハエルのようだと思った。

そして全ての彩色を吸い上げてしまうような漆黒の宙は、父親のようだった。


様々な人が駆け抜けていった。
失った人もたくさんいる、死なせてしまった人もいる。
今は此処にいないアルトやルカも、自分の選択の為に別の道を歩んでいる。

だけど気付いた……自分は決して、独りなんかじゃなかったと。

どんな自分でも、例えどんな過去を持っていても、仲間達はリチェルを受け入れてくれた。
笑っていても、泣いていても、変わらずにいてくれた。


――愛されていたんだ、私は。


オズマ隊長やランカだけでなく、S.M.Sにいる人達からも。
それが愛だとわからず、気付けなかっただけで。
両親からも、もしかしたら愛されていたのかもしれない。

そしてミハエル。
彼からもらったものがたとえ本物じゃなくてもいい、それでも愛されていた。
偽物だったとしても、それに救われていたのだから。


――だから、もう怖くなんかない。











「チェック終了。スタンバイ」
『カナリアと話してたようだったが、行けるか?』

オズマからの通信回線が開き、此方を見定めるような目がモニターに映る。
こんな慌ただしくて騒然としている格納庫の中で見ていたのだろう。
モーター音が唸りを上げていくのを聞きながらリチェルは心配性な兄に簡潔に頷いた。

「大丈夫です」
『……ランカを取り戻すぞ』
「はい」

兄と軍人がない交ぜになったようなオズマは、厳しい口調で命令ともつかない言葉を吐いた。

『あいつの能力は狙われる。だから、元を断たなければ終わらない』
「はい、わかってます」
『……飛べるか?』

遠回しにしてはいるが、結局は最後の台詞が言いたかったのだろう。

(……ありがとう、お兄ちゃん)

「はい。誰の為でもなく、私は自分の為に飛びます」

もちろんランカの為でもありますけど、そう付け加えるとオズマのフッと笑う声が聞こえた。

『それでいい』

モニターに映るリチェルの顔は、どこか緩んでいた。
コックピットに中にいるにも関わらず、操縦桿を握り締めているにも関わらず。


「"ファントム1"、リチェルアルヴァ中尉。出撃します」



飛び出す先は宇宙―――厳格にも見守ってくれるだろう、父の世界。











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ヒロインの呟きを聞くのは、オズマとボビー以外なら誰でも良かったんです。なのでカナリアです(笑)
ずっとモヤモヤと悩んでいた事が言葉になり始めました。
まぁほとんど答えは出てるんですけどね。

最終戦直前、意外と終わりが近いです。