―――『ファントム1、発進します』

闇の海に消えていく漆黒のバルキリー。
一筋の刃のように切り裂いては新たな星を生み出す。

"星の亡霊"と言われているけど、彼女はそんな禍々しいものじゃない。

ある時は舞姫のように華麗に武器を操り、ある時は芸術作品のように弧を描く。
雑な動作など一切ない完璧な戦術。
それでいて生き物のように自由に海を泳ぐ様が、アルトの視線を釘付けにする。

ずっと先を行く、その背中に憧れを感じた。

ああなりたい、あんな風に飛び回りたい。
自分の求めていたものが今まさに彼女という媒体で姿を現しているようで。
空を手に入れた彼女は誰よりも澄んだものに見えた。


……綺麗だと思った。






9・濃紺の風音






「アルトー、明日の放課後って暇ある?」

アルトの前に立ちはだかったリチェルは開口一番にそう告げた。
勤務表に休みと記載されていたのは知っているが、モノは順序というものだ。

「へ?あー、はい、非番ですけど……何すか?」
「ちょっと付き合ってほしい所があるんだ」

きょとんとした顔のアルトに、自分も非番なんだと笑ってみせるリチェル

上官の真意を読めないまま翌日、アルトは勤務のあるミハエルとルカに別れを告げて待ち合わせ場所に向かった。
ミハエルにはリチェルと約束があるという話は何となくできなかった。
別に何かあるという訳でもないが、ややこしい事になるのだけは御免だった。

以前彼女が高校に来た時にも思ったが、S.M.Sの隊服を着ていない彼女は少し違和感がある。
無骨なオリーブ色のズボンなどではなく、流行り(らしい)の白のスカートを穿いていると、
フロンティアの何処にでもいそうな年頃の女性に見えて奇妙な気分になる。

柔らかそうな髪も風に揺れて、余計にフワフワと真綿のような姿が印象的だった。
戦闘時とはまるで正反対なのだとアルトは改めて思い知らされた。

「それで……行きたい所でもあるんですか?」
「うん、付いてきてー」

私服姿のリチェルの後を歩いてしばらく経つと、とある飲食店の前で立ち止まった。
その店構えはアルトにとっては見慣れ、かつ親しみやすいものだったので思わず声が漏れた。

「ここは……」
「最近オープンしたんだって。ラム達が話してたから一度来てみたかったの」

地球に存在した日本を模したというカフェレストランだった。
話を聞いていた時から気になっていたんだと、リチェルは嬉しそうにはしゃいで店に入っていく。

門をくぐると途端に世界が変わった。
畳に座って食事をしたり、砂利が敷かれた庭園が臨めたり、日本文化を知らないリチェルにとっては驚きの空間だった。
もちろんランカがバイトをしている娘々も異国な存在だったが、あれは伝説の歌姫によって既にメジャーな産業になっている。

異世界に迷い込んでしまった気分のリチェルとは対照的に、アルトは容姿や家柄故にこの雰囲気がよく似合う。
そのせいか、腰を下ろす一つの動作にも不思議と物腰が滑らかに感じた。

「ね、アルトにぴったりのお店でしょ?さあ、何でも好きなもの食べていいよー」

アルトは何故?という意味を込めて顔を上げたのでリチェルはにっこりと微笑んだ。

「EX-ギア飛ばせてくれたお礼」
「……俺何もしてないですよ。結局ミハエルが全部仕切ったし」
「最初に誘ってくれたのはアルトだから」
「けど……」
「上官命令にするよ?」

断る事はできなさそうな状況に、アルトは渋々料理を選んだ。
だが自分にとってはどれも馴染んだものばかりで、しばらく経つとそんな事は忘れていた事に気付いた。
彼女と食事するのが嫌な訳ではない、突然だから戸惑っていただけなのだと自身に向かってそう結論付けた。

「……こういう所、ミハエルと行くんですか?」
「ここはまだ来た事ないけど、あまり行かないよ?基本的に訓練が最優先の日々だもん」

学生であるアルト達も忙しいが、フルタイムでS.M.Sに在籍しているリチェルはもっと忙しい。

日勤に夜勤、任務以外はひたすら体力作りまたは戦闘訓練、さらに機体のメンテナンスにその他随時ブリーフィング。
それ以外は各バルキリー整備の一部指揮も任されている為、格納庫に籠もっては機体のテストを行ったり整備士達に指示を出す。

だから非番なんてのは本当に少なく、比例して2人で出かける時間などないに等しいとリチェルは笑う。

……もしくは互いに会う事を必要としていない、という可能性もあるのではとアルトは考えていた。
彼女達は世間一般の恋人という関係として成り立っているのだろうか、しかし深く聞く事は躊躇われた。

「アルトはどうなの?歌姫が2人も傍にいて両手に花状態じゃない」
「べ、別にあいつらとは何でも……っ」
「そうなのー?でも可愛いお友達がいて羨ましいなぁ」
「…………」

立ち入った話題を差し入れてくるかと思いきや、次にはふいっとそれを手放す。

リチェルは出会った2人の女達とはまた違ったタイプの人だった。
ランカのように無邪気に笑ってはいるけれど純真無垢とは違い、どこか儚さを混じらせる。
それに加えてどんな時でも脱力するような呑気な言葉を述べてくる彼女はタチの悪い姉のよう。

シェリルのようにプライドの塊のような性格でもない。
ただ戦闘時の彼女は恐ろしいほど精密で、美しく、全てを宇宙に賭けている気がした。

人当たりは良い、だけどあまり本心は読めそうにない。
いつだってこの笑顔に阻まれている気がして違和感だけが残る。


……そう、彼女はミハエルに似ていた。


「……どうして」
「ん?」
「………何でもないです」

そこから先は言えそうになかった。

小用で席を立ってしまったリチェルを見送り、アルトは頬杖をついて眉を潜めた。

(……変な人)

当然だ、彼女はわかりやすそうな顔をして人一倍わかりにくい。
核心に迫ろうとしてもいつもヒラリとかわされている気がする。

そもそも何故戦闘時とそれ以外で性格が変わるのかが謎だ。
彼女の人格形成およびそれに影響する記憶などが関係しているのだろうが、詳細は不明だ。
何故女の身で戦闘機乗りになろうと思ったのかも気になる。
そして、女好きで有名な男と表面上なりとも付き合っている事も。

ただ、気位の高いアルトであっても彼女の振る舞いは不快ではなかった。
どんなに謎だろうが変わっている性格であろうが、彼女が空へと注ぐ想いは確かだとわかっているから。

「あ、アルト君!」

突然名を呼んだのはクラスメイトの女子2人だった。
まさかこんな所で会うとは、気まずいアルトは勢いに圧倒される。

「ほんとだ!偶然だね」
「あ、ああ……」

ここにリチェルがいなくて本当によかったと、アルトは内心安堵していた。
彼女がいたらまた新しい噂話にされるだけだし、ミハエルの耳に入ったら余計な厄介事まで増えるだけ。

「ちょうどよかった、ちょっと聞きたい事があるんだけど……ミシェル君って、前に学校に来てた人と付き合ってるの?」
「……は?」
「ほらいたじゃない、ウチの学生じゃないと思うんだけど仲良さそうだったよね?」

以前に学校に来ていた人といえば、1人しか思い浮かばない。
シェリルの顔は誰でも知っている、ならば否が応にも人物は特定される。

「……俺があいつの女関係知ってる訳ねぇだろ」
「えーそうなの?」
「でもアルト君とも喋ってたじゃない~隠すなんて怪しいなぁ~」
「っ、別に隠してねぇよ」

女子達は探偵のように首を捻っては、ああでもないと論議を続ける。

「一昨日だったかな?ミシェル君が違う女の人と歩いてたからまた恋人変えたのかと思った」
「………」

その日は確か彼女はバルキリーに乗って宇宙を飛んでいたはずだ。

「どうなんだろー!?ねぇ何も聞いてない!?」
「知らねぇよ!…………でも、違うんじゃねぇの?その……一昨日の人ってのは」

ミハエルの為じゃない、リチェルの為だとアルトは滅多にしない助け船を出した。

「やっぱり違うんだよね!?ミシェル君ファンクラブ会員に報告しなきゃ!」
「ありがとーアルト姫!」
「姫って言うな!」

女子達がいなくなってようやく安堵の息をついたアルト。
こんな会話彼女には聞かせられない、だから早いうちに追い払って……

「!リチェルさん、聞いて……!」
「うん、聞いちゃったー」

ほけほけと笑うリチェルが既に立っていた。
だけど彼女は何も言う事はなく、終始楽しそうに再び席に座った。

言葉が見つからないアルトにリチェルはまだテーブルに残っている食事を勧めるが、箸が進むわけもない。
痺れを切らしたのはアルトの方だった。

「……いいんですか」
「何がー?」
「付き合ってるんですよね、ミハエルと……」
「そうだけど、別にミハエルが女遊び激しいなんて毎度の事でしょ?」
「………」
「いいの、その分私は私で好きにしてるし」

呆気にとられてしまった。
だから容認するというのか、もしくは端から気にしていないのか。
それを判別するには彼女は感情がなさすぎる。
その上、自分には何かを言えるほどの経験もない。

「……どうして、ミハエルと付き合ってるんですか?」
「何でだろうね、流れかな?」
「流れって……」
「付き合ってって言われたから、いいよーっていう感じ?」


……思えば、彼女が感情的になる所を見た事がない。











――例えて言うなら、彼は風だ。


「1つ聞いて良いですか」
「何ー?」

S.M.Sに戻る途中で立ち寄った展望桟橋。
すぐ目の前にある真空の闇を見つめているとアルトが珍しく口を開いた。
聞くなら今しかない、そんな気がしたからだ。

「……いつからパイロットになろうと思ったんですか?」

長年経験を積み重ねていないとあんな飛び方はできない。
まだ未熟だと言われるアルトには他のS.M.S隊員、とりわけミハエルとリチェルに追いつきたいと必死だった。

彼女は格別だった、才能や努力だけでは片付けられない、飛ぶ為に生まれてきたかのような存在に思えた。
背中を見つめていると、やはり感情の伺えない涼やかな目がこちらを振り返った。

「ずーっと前から。英才教育だもん、アルトの家みたいにウチはそういう家系だから」
「軍人の家系って事ですか……」
「うん。でも今は私だけ、私しか残ってないの」
「……それって……いえ、すいません……」
「いいよ、随分前の話だし」

リチェルは右手を空に掲げた。
親指と小指だけを左右に離し、まるでバルキリーが飛翔するかのように上昇させた。
恒星が散りばめられた海の中をゆるやかに泳いでは旋回する。

「……空を飛ぶ為だけに生まれた私しか、もういない」
「っ!」

自分の内心が悟られたのかとアルトはビクッと肩を強張らせたが、リチェルは依然片手を見上げていた。
亡くなったのだろうか、詳しい事はわからなかったが、
だから彼女はS.M.Sで皆と家族のように接するのかと妙に納得してしまった。

「アルトは歌舞伎の家だっけ、結構有名な」
「………まあ」
「辛いよね、生まれた時にもう未来を決められてるなんて」
「………」

詮索される事も同情される事も嫌いなアルトだったが、リチェルの言葉には不快感を抱かなかった。

何だか、同じだと言われているようで。


「空は好き?」
「え……?」

唐突な質問だった。

一望できる宇宙、そして人工的な青い空。
気がつけばアルトはいつも見上げている、風に乗るように両手を広げて。
少なくともリチェルにはそう見えた。

「だっていつも見てるから」
「……よくわからない」

アルトはふいっと顔を背けた。
濃紺の髪がふわりと宙を舞って、はらはらと世界を彩る。

「……でも、好きなのかも」

こういう時のアルトは口数が少ない。
きっとそれは信頼度と比例するのだろうが、リチェルには何だかそれが心地良かった。

「ただ……抜け出したかった……」
「……そっか」

ポツリと小さく言葉にされる想いは、いつだって彼の本心だ。
いつだって、彼は真っ直ぐだ。

「さて……帰ろっか。みんなが待ってる」
「…………そうですね」




―――純粋だと思った、何もかも。


空を愛して空と同化する、まるで風のように地に留まらない。


彼は私が逃げ出した先の、空の中にいる。











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風音=「かざおと」でも「かざね」でも好きなように読んで下さい。

アルトと交流を持たせたくて挟んだ小話ですがちょっと失敗。
互いに憧れているという事を描写したかった。
アルトにはどこまでも鈍感君でいてほしい。