「よ、お疲れ新八っつぁん」
「ああ、眠いったらねぇぜ」
大きく欠伸をしながら境内の階段に座り込む。
新選組が制札の警護を行った一日目は何も起こらず、永倉にとってはさぞ物足りない時間だったようだ。
「長州の連中と刃を交えるんならいざ知らず、札の警護じゃやる気もおきねぇしな」
「でも、これも立派な隊務ですよ」
「いやあ、わかってるんだけどよ。さすがに今日こそは何か起こるかもな」
くすりと笑いながら千鶴が答えると、永倉は疲れたように頭を掻いた。
「今夜が当たりなら残念だったな、新八っつぁん。俺達が犯人取っ捕まえてくるから」
「随分やる気じゃねぇか紫苑」
気怠い雰囲気の中、紫苑だけが張り切ったように立っている。
普段監察として外出する時は着ていない浅葱色の隊服に袖を通し、
鉢金を額に巻くという、何処から見ても新選組の隊士という風情だった。
これが着られるのは紫苑にとっては誇らしい事で、嬉しさを隠しきれずに笑みが漏れる。
「まあな」
「しかしお前、よく土方さんが許可したよな」
札の警護という大した事ない隊務かもしれないが、仮にも女の紫苑を巡察に出すとは。
原田が感心したような口調で呟いた。
「過保護なんだって、あの人」
「だけどな、試衛館の時も一番目にかけてた人だから何かと心配なんだろうよ」
「それは嬉しいけど、俺そんなに弱くない。必要とあらば俺は斬るよ」
決意を込めた強い眼差しで腰の刀を指で示した。
これが決して楽しい隊務でない事は、左側に感じる重みが語っている。
「鬼になる覚悟がなければ、京まで来たりしない」
「馬鹿、そんなに気負うな。人斬りはお前だけじゃねぇんだ」
「…………うん」
優しく頭をかき混ぜられて紫苑は思わず大人しくなった。
女はもれなく慈しむべきと考えている原田は、昔からこうやって紫苑にも柔らかい眼差しをする。
兄などいないが、まるでそのように接せられると弱い。
何だか此方が空回りをしているような気がしてならないのだ。
「気をつけてくださいね紫苑さん、原田さんも……」
「おう、わかってるって」
原田が軽く答え、紫苑は顔色が晴れない千鶴を見た。
彼女の気持ちはわかる、自分も協力したいのにできない歯がゆさを感じている事だろう。
だが彼女はこんな事をしなくても十分に新選組に貢献できていると紫苑は思う。
皆は口にはしないが、様々な事に気を配って動き回っている姿に皆はほだされている。
女性らしい、柔らかな笑みにも。
「……千鶴、帰ってきたら茶でも淹れてくれるか?」
「、……はい、もちろん!」
紫苑が緩く微笑むと、満面の笑顔が返ってきた。
素直に可愛いと思う、そして少しだけ悔しいとも感じた。
――そのままで此処にいられる千鶴が、羨ましくて。
変わる必要があった紫苑にとって、彼女の存在は眩しすぎた。
「さてと、そろそろ時間だな。行ってくるとするか」
「おお、行ってこい」
永倉が原田を追い払うように手をひらひらさせていると。
「幕軍が長州藩ただ一藩に敗れたこのご時世、不良浪士を斬って捨てたところで何が変わるとも思いませんが」
警護の隊を引き止めたのは伊東甲子太郎の声。
突然現れて告げられた言葉に眉根を寄せたのは原田と永倉だった。
「伊東さん、新選組の仕事に文句でもあるんですか?」
「いえいえ、立て札の警護とはいえ大切な職務ですからね。ま、せいぜい頑張ってください」
気合いを入れていた此方側に水を差すだけ差して、伊東はさっさと行ってしまう。
その後ろ姿を睨み付け、残された者達は不快感を露わにした。
「相変わらず嫌味な野郎だぜ。幕府に雇われてる身だってのに公然と尊王論をぶってやがる」
「仲間を集めて、こそこそしてる姿もよく見かけるな。裏で何やってるかわかりゃしねぇ」
「やっぱ気に入らねぇあの男。土方さんの用事で行くと、いつも俺をじろじろ見てきやがるし」
苦虫を噛みつぶしたかのように紫苑は顔を歪めて吐き捨てる。
まとわりつくような視線を思い出して、わざとらしく身を震わせた。
「気をつけろよ紫苑。千鶴もだが、あいつには気を許さない方がいい」
「わかってる」
思わぬ妨害を振り切るように紫苑は足を進めた。
浅葱色の隊服を揺らしながら列を成し、市中に出る。
それが紫苑の、初めての巡察だった。
紫紺 十
夜が深さを増し、川を流れる水音だけが静かに辺りを包み込む。
雲間から現れる月のおかげで、ある程度視界は開けている。
「……月が明るいな。今夜あたりは来るかもしれねぇな」
組長である原田が呟いた。
確かに三条大橋のすぐ傍に立てられている制札は、此処からでもよく見えた。
犯人がやって来て、制札を抜き取る動作が見られたらすぐにでも取り囲めるようにと、
原田達は橋から少し離れた物影に息を潜めていた。
今のところは周囲に誰もいないが、原田の言葉を聞いた隊士達は一層気を引き締めて身構えている。
紫苑も集中力を高めながらいつ飛び出してもいいようにと刀の柄に手をかけると、かちゃりと小さな音が鳴った。
打刀と脇差、これは紫苑が試衛館を出て京へ上ると宣言した時に、
近藤の養父である近藤周斎に二本とも拵えてもらった物である。
近藤や土方がいなくなった後の留守を守る紫苑の稽古を見てくれたのが彼であり、
唯一の女弟子の決意を受け止め、「気は進まないが」と言いながらも餞別に刀を与えてくれた。
――「決めたのなら最後まで意思を貫き通せ。人を斬る重みを背負って生きよ」――
ぶっきらぼうな言葉に喉を熱くさせた事を、紫苑はふと思い出した。
心の中であの時と同じように返事をして再び月夜に視線を巡らせると。
「…………!」
原田達がいる場所とは反対の位置から、刀を携えた男達がやって来る。
普通の通行人とは明らかに違う気配をまとい、彼らは周囲を気にしながら橋を渡った。
そしてその内の数人が制札に手をかけ、乱暴に引き抜いた。
(来た……あいつらが犯人か)
紫苑が組長を仰ぎ見ると、原田は頷いて背後の隊士達へも目配せた。
「よし、行くぞ!」
隊士達が雄叫びを上げながら突進していく。
号令を受け、他の場所で待機していた隊士も合流し男達を包囲する。
男達は突如襲ってきた者が浅葱色の隊服を着た新選組だとわかると、すぐに応戦体勢をとった。
「くそ、新選組か!?」
一人が悪態を付いたその隙に、原田は槍を振り回して右肩を貫く。
武器が持てなくなった男は傷口を押さえながらその場に蹲る。
「捕縛しろ!」
「はい!」
その役目を任されていた紫苑は男を引き摺り、縄でその両手首を縛る。
時折激昂して襲いかかってくる者にも刀で応えながら、的確に致命傷ではない怪我を負わせていく。
「はっ!」
「ぐあぁ……っ!!」
戦闘不能にさせるのなら手首を斬るのが手っ取り早い。
それをわかっている紫苑は身軽に体を動かして刀で孤を描いた。
肉を裂き骨すらも断ち切る感触が腕を通って脳に伝わる。
溢れた鮮血がぼたぼたと地面を赤く染めていくが、怯むことなく着々と捕縛人を集めていく。
「そっちへ行ったぞ!」
「……っ!」
ふいに原田の声が聞こえて振り返ると、男が此方へ襲いかかってきていた。
だが紫苑は慌てる事も動揺する事もなく、静かに柄に手をかけ、抜いた。
振りかぶってきた男の剣筋を見切った刹那、紫苑の刀が男を両断する。
「ぎゃあああああ!!」
「……紫苑……っ」
心配していた予感とは真逆の、男の断末魔の叫びが響いた。
原田が思わず声に出してしまう程、紫苑の剣には迷いがなかった。
闇に一筋の光が見えたかと思うと、躊躇いなくそれは男の肩から腹に切り払われた。
人を殺したにしては無表情で、知らない人間を見ているようで原田は不安がよぎった。
(あいつ……人が斬れるような奴じゃなかったのに)
血飛沫が中性的な顔にも飛び散り、紫苑は肉の塊となった男を冷静な目で見下ろしていた。
それでもある程度は緊張していた胸を落ち着かせながら息を吐いた瞬間。
突如、胸が痛む程に紫苑の全身は脈打った。
「……っ!!」
―――視界が一瞬のうちに暗転し、無理矢理に脳裏に割り込んできた人影。
暗闇に佇んでいたのは、此処にはいない総司の姿。
刀を手に持ち笑っているが、ぼうっと浮かび上がるぐらいに顔が青白くて。
何度も咳き込んで、口から赤い液体を吐き出しながら、総司は男に重なるように倒れ込んで―――
「!!…はぁっ……はあ…っ!」
「おい、大丈夫か!?」
金縛りから解かれたように崩れ落ちる紫苑に原田は駆け寄る。
何処か怪我でもしたかと原田は思ったが、胸を握り締めて荒く呼吸を繰り返すばかり。
「な、何でもない……っ」
(なに、今のは……?)
過去に一度だけ見えた事のある光景と同じように現れたもの。
それは土方ではなく沖田であったが、目の当たりにしただけで激しく動揺する程の弱りきった姿。
現れた闇に引き込まれそうになるが、今はそんな状況ではない。
残った男達を捕らえようと刀を握り直すが、横から現れた影が傍にいた隊士を背中から斬りつけた。
「く……っ!」
倒れた仲間の仇とばかりに紫苑は力を振り絞ったが、顔を布で隠した人間は身軽にその筋を避け、
捕縛人の縄を斬って撤退を援護するように立ち塞がる。
「待ちやがれ!」
余裕をにじませてゆっくりと向けた背中に原田は槍を投げ付けた。
それは体を貫く事はなかったが、顔を覆っていた布だけが宙に浮いた。
「っ……千鶴?」
振り返った横顔が、千鶴に似ていた。
華奢に思えた後ろ姿はやはり女のもので、紅が引かれた唇は僅かに笑みを形取り、そして男達と共に闇に消えた。
「左之さん……見たか?」
「あ、ああ……」
千鶴と瓜二つの顔。
原田と同じように見ていた紫苑は呆然と立ち尽くす。
まさかそんなはずはない。だが、だったらあれは一体何だったんだ。
様々な疑問を抱えながらも口にはできず、沈黙したまま十番組は屯所へと歩き出した。
気になる事ばかりの結末に原田は渋面のまま、紫苑は先程垣間見た光景を嫌が応にも思い出して。
(総司……この所寝込んでるのって、病のせい……?)
あれは喀血だった。
返り血でも怪我によるものでもないはずだ。
もし、あの場面を信じるのならば、総司は遠くない未来で病に倒れる事になる。
何度も咳き込んでいる姿が見えた、あれは既にかなり進行してしまい手遅れのように思えた。
(あれも……これから起こる、事……?)
どうかただの幻覚であって欲しいと願っても、この恐怖だけは拭い去れなかった。
――もろともにあはれと思へ山桜
花よりほかに知る人もなし――
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ようやく序章だった1章が終わりました。
次から起承転結の"承"になるように頑張ります。
アニメ版とは左之さん達の配置が違います。
制札の前で堂々と守ってたら犯人は気付いて逃げてしまうのではないか、と疑問に思ったので変えてみました。
あと周斎先生はオリジナルです。