あの夜、何があったと問いかけられた。
新選組に被害を出し、土佐藩士と思われる集団の撤退を援助したのは何者だったのか。
姿を見た事は確かだった、だが確証がない限り無闇な事は言えない。
立場上疑うべきなのだろうが、正直な所あまりしたくない。
あの日、彼女は屯所にいたはずだ。
仲間達にもそれとなく聞いたが目撃証言も得ている。
だから原田も紫苑も「闇夜だったからよく見えなかった」としか言えず、それ以上は口を噤むしかなかった。
「なあ……千鶴って、姉妹とかいるのか?」
「いえ、いませんけど……」
何の脈絡もなく呟いて「そうか……」とだけ返事をして黙り込んでしまった紫苑。
怪訝に思い首を傾げた千鶴を知ってか知らずか、紫苑は思惑するように遠い目をする。
(動揺して、捕まえられた人間も逃がしてしまった……)
仲間が犠牲になったのだ、それぐらいの事は果たすべきだったのに、
自身の脳裏に映し出された物と、千鶴似の女によって心が乱された。
掌を見下ろし、感触を思い出すように指を開閉させる。
誰かを斬って得た報酬は、紫苑にとっては重い気がした。
翡翠 一
「いや~左之、紫苑!お前達は本当によくやった!
まさか"報奨金で皆にご馳走したい"なんて言ってくれるとはな!」
「てめぇ、人の金だと思って……」
結局報酬を自分の懐に入れる気にはなれず、二人は示し合わせて皆に酒を振る舞う事にした。
大喜びしたのは永倉と藤堂で、酒が登場するのを今か今かと待ち構えている。
「左之さんに紫苑、ありがとよ!今日は勘定を気にせず好きなだけ飲ませてもらうからさ!」
「あー……払える範囲で飲んでくれよ、平助」
「みんながみんな、お酒が飲める訳じゃないんだけどな」
頭を掻いて苦笑する紫苑にも聞こえた横槍は沖田のものだ。
彼の体調は万全ではなく、酒も医者に止められている。
「そう言わねぇで、せっかく来たんだから美味い物たんと食っとけ」
「まあ、そうですね。どうせ払いは左之さんと紫苑持ちなんだし」
「…………」
土方の言葉に納得したように笑っていたが、その一挙一動を注視するように紫苑は沖田を見つめた。
だが、何だかんだ言って盛り上がり始める仲間達に自分だけが浮かない顔をしていてもいけないと、
酒を飲み喧騒に混ざろうと決めた。
一緒に付いてきた千鶴はくすくすとやり取りを面白そうに眺め、
斎藤は終始静かに座っているが宴を楽しみにしているようだった。
「旦さんたちのお相手をさせて頂きます、君菊どす。どうぞ楽しんでおくんなまし」
色気のある遊女が姿を見せ淑やかに微笑んだ。
島原らしく洗練された女の美しさを溢れさせる花魁は、女の紫苑から見ても綺麗だった。
これは男達が夢中になる訳だ、と紫苑は心の中で呟いた。
付き合いで数回は島原に来た事があるが、やはり彼女達は男が望む女を完璧にこなしていると思う。
一時の夢を与える遊女、それは人を斬る自分よりも遙かに出来た人間のように見えた。
(まあ……俺は女の時から女らしくなかったけど)
運ばれてきた酒に口を付けながら、木刀を振り回していた日々を思い出した。
後悔はしてないが、見せつけられると少し拗ねたくなるのは女の性だろう。
「やっぱ高い酒は違うなぁ!喉がきゅーっとするよ、きゅーっと!」
「平助おまえ、さっきから飯も食わずに飲んでばっかじゃねぇか。空きっ腹で飲むと酔いが回るのが早ぇぞ」
「いや、屯所じゃこんな高い酒飲めないし、飯で腹一杯にしちまうのが何かもったいなくて!」
「貧乏くせえ台詞だな。今日は気にしないで飲んでいけよ」
酒を煽る藤堂に永倉と原田は仲良く笑っている。
「にしても、どうして逃がしちまったんだ?八人くらいなら何とかできねぇ数じゃねえだろ」
豪華すぎる程の報奨金に、永倉が素朴な疑問を口にした。
制札を引き抜きに来た土佐藩士は全部で八名、だが捕らえられた者はごく数名だけだった。
「俺もそれが不思議だったんだ!敵を絶対に逃がさないよう包囲網を敷いてたんだろ?
一旦捕まえた奴もいたらしいじゃん?本当は何があったんだよ?」
「…………」
藤堂にも尋ねられ、紫苑は黙ったまま考え込んでいる原田を見つめた。
恐らく言おうか悩んでいるのだろう、一度だけ目が合った。
「千鶴……お前、あの晩何処かに出掛けなかったか?」
「え……?出掛けてませんけど……どうしてですか?」
「本当にあの夜は外出してねぇんだな?」
「……はい。一人で屯所の外に出た事はありませんから」
「おい、どうしたんだよ?」
永倉に問われ、原田は再び視線を俯かせる。
「……いや、実は……立て札を引っこ抜こうとした土佐藩士を取り囲んだ時、
お前によく似た顔の女に邪魔されたせいで、包囲網が崩れちまったんだ」
「そんな……っ」
「ねえ、それってさ。前に平助と巡察の時に会った娘かもしれないよね」
驚きに目を見開いた千鶴に、沖田はそんな事を言った。
そういえば以前、自分に似た女の子がいたと紫苑に嬉しそうに話していた気がする。
「確か南雲薫って言ったっけ。あの子、本当に君に似てたよね」
「でも、それだけでは……」
「俺はそうでもないと思ったけどなぁ」
「……まあ、この世には似た顔をした人間が三人はいるっていうしな。
その子の仕業だって決めつけるのは早計かもしれないぜ」
「…………」
部屋は静まり返ってしまった。
邪魔をしたのは"南雲薫"という人物だったのか、それとも千鶴が嘘を言っているのか。
答えの出ない疑惑に皆が口を閉じてしまうと、場を取りなすように永倉が叫んだ。
「ええと……まあ、そんな時もある!とりあえず今日は左之と紫苑の奢りだ!朝まで飲もうぜ!」
「さ、賛成!今日は限界に挑戦してやるぜ!」
藤堂もそれに倣ったおかげで、とりあえずその問題は保留となり宴を楽しむ事になった。
酒に乗じて再び笑いが湧き起こる。
それを聞き流しながら、宴席に集中しきれない紫苑はやはり沖田の顔色を盗み見ていた。
千鶴の件が保留になったとしても、紫苑には気がかりな要素がまだ存在していた。
「何?さっきから人の顔じろじろ見て」
「……何でもない」
食事を口に運んでいる様子は元気そうだが、何処か覇気がないようにも見える。
(やっぱり重い病なんだろうか……一向に良くなる気配もないし……)
会話に皮肉を交える今の彼からは想像もできないほどだが、確かに血を吐く姿を見た。
本人は大丈夫だと言い張るが、この頃の彼は咳き込んでばかりだ。
ただの幻覚であればいいのに、それを目の当たりにするたびに紫苑の不安は余計に掻き立てられる。
(この先……総司が死ぬ?そんな、まさか……)
「紫苑、いい加減に陰気臭い顔やめてくれる?」
「……んな顔してねぇだろ」
「ほら、左之さん達に参加してきなよ。君も女のくせによく馬鹿騒ぎに混じってたよね」
「俺は男だ!それに、あまり三人と一緒にするな」
「おい紫苑、紫苑!左之さんと新八っつぁんが早飲み対決するってよ!」
「え、本当!?」
面白い物が見られるぞと上機嫌で誘ってきた藤堂に、反射的に顔を上げてしまった。
それをしっかり見られてしまい、沖田は意地悪い目を向けてくる。
「ほら、同じ乗りじゃないか」
「うるさいな!」
どうせ心も男みたいな女だよ、と紫苑は半ば自棄になって席を離れた。
無駄に心配している自分を反故にするように沖田はいつも通りで、何だか腹が立つ。
(きっと、あいつは殺そうとしても死なない……!)
一人悶々としているのが馬鹿みたいだ。
「おう、紫苑も早飲みやるか?」
「俺はいい。見てるだけ」
永倉に嬉しそうに言われたが、そこまで女を捨ててはいないと紫苑は首を振る。
女の象徴である遊女や、男装していても女らしい千鶴の前では特にそう思った。
ちらりと視線を彷徨わせれば、君菊を傍に侍らせている土方がいる。
「新選組の土方はんって鬼のような方と思うてましたけど、なんや役者みたいなええ男どすなぁ」
「よく言われる」
(くそ……近づくな!色目遣うな!)
声に出せない訴えを呑み込むように紫苑は酒を煽り、深い息を吐き出した。
昔から皆に付き合っているうちに随分と強くなってしまったなと思う。
酒に弱ければ可愛らしげもあるだろうが、それこそ"女らしさ"の欠片もない自身の飲み方に愕然とする。
(っ……ええい、男になると決めたんだ!女々しくなってどうする!)
我に返って頭を強く振り、意を決したように藤堂の肩を思い切り叩いた。
「賭けようぜ、左之さんと新八っつぁんのどっちが勝つか!」
「お、いいぜ!じゃあ俺は新八っつぁんに」
「何だよ平助、俺が負けるってのか!?」
「なら俺が左之さんに賭ける。それだけ豪語するんだから、負けたりしないよな?」
「う……紫苑が怖ぇよ」
「そりゃ俺も負けたくねぇもん」
「お前が言い出したんだろ?」
何処か不機嫌な紫苑に押され気味の男達だったが、宴の場は更に大きな騒ぎに包まれた。
だいぶ酔いが回ってきたなと、紫苑は独りごちた。
原田や永倉のような一気飲みはしていないが、付き合って結構瓶を空にしてしまったようだ。
少し風に当たろうかと辺りを見渡すと、いつの間にか土方がいない事に気付いた。
(あれ……何処行ったんだ?)
土方は酒に弱い、初期の段階で彼は既に酔っていた兆しを見せていた。
気にはなっていたが君菊が傍にいたので自分が寄る訳にもいかず、馬鹿騒ぎをしていたのだが。
(外の空気でも吸いに行ったのか?)
新選組副長が酔いつぶれる、なんて事はないと思うが万が一という事もある。
とりあえず探しに行こうと紫苑は立ち上がるが。
「何処行く気?」
「あ?手水だよ」
退出しようとする紫苑を目ざとく見つけた沖田が声をかけた。
適当な言い訳で繕ったものの、彼はまた意地悪い笑みをしてみせた。
「過保護なのはどっちなんだろうね」
「……余計なお世話だ」
こうやって土方関連の事を考えてたりすると決まって沖田はそれを突っ込んでくる。
他の皆は気付いてないようだが、彼には悟られている気がする、紫苑の想いを。
できれば知られたくない、邪な理由があると気付かれて新選組を追い出されるのは嫌だ。
だが相手は沖田だ、下手に言い訳しても余計深みにはまるだけなのだろう。
苦虫を噛みつぶした顔で部屋から逃げ出すと、紫苑は大きく溜息をついた。
(呑気に俺の事言及してる場合じゃないだろ、総司……)
「何だ、お前も出てきたのか」
「っ……そんな所にいたんですか、土方さん」
気がつけばそこに土方がいて、思わず顔を上げた。
窓辺に腰掛けて、酔いを醒ますように外気に触れている。
「一人で抜け出すの禁止ですよ?もうすぐ左之さんがいつものあれ、やりますよ!」
「好きにやってろ。ったく、騒がしくてゆっくりもできねぇ」
「すみませんね、騒がしい性格で」
紫苑は悪いとも思ってない謝罪をすると、土方と同じように外の景色を見下ろした。
花街らしく、そこかしこから話し声や楽の音が聞こえる。
そして背後には最高潮に盛り上がっている男達の声がする。
「……懐かしいな」
「そうですね」
昔はこうやってよく酒の席を設けていた。
武士になる事を夢見ていた頃、先の事など考えずに飲み明かして。
笑い声の絶えない、幸せな時間だった。
だが時が過ぎ、新選組という組織と規律が身を縛るようになった。
土方は副長として羽目を外す事はほとんどなくなったし、皆も立場上頻繁に外出できなくなった。
「……変わってしまいましたよね、色々と」
今が不満な訳ではない、ただあの頃は純粋に楽しかった。
紫苑はまだ女であり、人を殺したこともなく、嫌な映像を見てもいなかった。
そして、沖田の"咳"すらなかった。
「だって石田散薬持って行商してた歳さんが、今や鬼副長ですからね。よくもそんなに鬼になれたものですよ」
「うるせぇよ。お前こそ何故か"男"になっちまって、一番変わっただろ」
「……そうかもしれないです」
素直に認めると土方の静かな笑みの声が聞こえた。
「……俺もたまに思うがな……長い夢を見てるようだと」
夢ならば覚めなければいいと、紫苑は思う。
どうか、このままで時が止まってしまえばいいと。
そうすれば土方が銃弾に倒れる事もないだろうし、沖田の病が進む事もない。
どれも紫苑の推測にすぎないが、時が止まればそんな心配さえもいらない。
何だか怖いのだ。
情勢は目まぐるしく動いて、新選組がそれに呑み込まれやしないかと。
自分達ではどうしようもない荒波に流されそうで。
変わりたくないのに、変わらせられそうで。
「これ以上、変わらなければいいんですけれど……」
「ま、そうなっても新選組は誠を貫くだけだ、それが武士ってもんだろ」
「……はい」
酒も入っているからなのか、土方が隠しもせず微笑を浮かべているものだから、
不安に駆られていた気持ちが少しだけ和らいだ。
少しだけ見惚れてしまったが、見なかった事にして紫苑は外を向いた。
「何やってんだよ紫苑、左之さんの腹踊り終わっちまうぜ!」
顔を出した藤堂に、今が酒の席だった事を思い出した。
気を取り直して楽しい顔をしようと紫苑は目を輝かせるようにして答えた。
「ちょ、行く行く!俺にも落書きさせてよ!」
それじゃもう少し騒いでくるかと歩き出した紫苑だったが、ふいに頭に手が乗せられた。
その手の主を見上げると、鬼副長は苦笑を漏らしていた。
「お前は、変わらねぇな」
「…………」
(さっきは一番変わったって言ったじゃないか……)
今の言葉の方が本音だったのだろう、紫苑は思わず目を逸らした。
動揺を隠すように、何でもないといった表情でそこから離れると、足早に宴席へと戻った。
顔が熱い、それもこれも全て酒のせいに違いないと言い聞かせながら。
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おしなべて花の盛になりにけり 山の端ごとにかかる白雲 西行
2章突入。
意外と長くなってしまいました。
はじめちゃんが喋らない、でもいますよ。