月光のような明るい髪、獰猛に燃える赤い目。
体が縫い止められるような感覚を断ち切るように、異質な気配で佇む男を睨み付ける。
刀に手をかけながらも、やはり恐怖が紫苑を支配する。
どうしても見せつけられる力の差、刀を抜いていないのに猛獣を前にした犬の気分になる。
本能が語りかける、目の前に存在する者は普通の人間ではないと。
そして朧気ながらも理解していた、彼らは"鬼"だと。
「これは忠告だ。ただの人間を鬼に作り変えるのはやめておけ」
千鶴の威嚇の声を聞きつけて庭へ走ると、以前にも対峙した男が悠々と屯所内にいた。
風間は変若水の存在を把握し、さらには警告の言葉を口にした。
変若水、それは人間とは思えない程の力と回復力を手に入れられる薬。
松本良順が"羅刹"と呼ぶ存在に変容し、風間達の言葉を借りるなら"鬼"のようになれるものである。
だがその代わりに理性を失い血に狂ってしまう、人道的には許されない代物。
新選組の行為を咎めるように吐き捨てられ、紫苑は冷や汗を流しながらも男の真意を考えあぐねていた。
敵対する立場ではあるが、口ぶりからは彼が本気で新選組を疎んでいるように思えない。
過激な攘夷派とは違い、ただ此方がやる事を笑っているような少し離れた距離感を感じる。
同じように駆けつけた土方達が睨みをきかせる間も、風間は嘲笑を浮かべたまま。
「千鶴、綱道はこちら側にいる」
(あの男は……千鶴を引き込みたいのか?)
特に何もせずに立ち去ってしまった風間を、紫苑は呆然と見つめた。
強引極まりないが、傷つける訳でもなく諭そうとする姿はそういう事なのだろう。
千鶴は狙われる理由がわからないようで困惑するように俯いていた。
「大丈夫か、千鶴」
「はい……ありがとうございます、紫苑さん」
「あの風間とかいう男、何がしたいんだ?端から見れば本当に千鶴に求愛してるだけに見えるんだけど」
「ええ!?」
「そうだな、男が女を狙う理由なんざ決まってる。一目惚れでもしたんだろ」
「原田さんまで……っ」
突然の話題に千鶴は慌てて赤面する。
至って真面目な疑問だったが、土方には冷たく舌打ちをされた。
「馬鹿な事言ってねぇで仕事に戻れ」
「はいはい、すんません」
冗談っぽく笑ってその場は解散となったが、紫苑の表情は晴れそうになかった。
(あの風間が本気になったら、勝てない気がする……)
今はまだ様子見の状態なようだが、またいつ牙を剥いてくるかわからない。
だが彼女がいる以上、彼らは再び新選組に接触してくるのだろう。
そして、これからも頻繁に相手しなければならないのだろう。
嫌な予感を感じ、紫苑は重苦しい息を吐いた。
"鬼"のような存在が求める千鶴は一体何者なんだろうか、そんな事を考えながら。
紫紺 九
「よし、十番組全員揃ったな」
西本願寺の境内で原田の号令が聞こえる。
同じ隊服を身に纏い整列する姿を見つけ、自然と足がそこへ向かう。
一際気合いが入っているように見える永倉は、両手を腰にあて大きな声を上げた。
「俺らも行くか!」
「いってらっしゃい~」
「うおっ!……な、何だよ紫苑!」
およそ新選組には似つかわしくない声が突然降ってきて、永倉は思わず飛び上がった。
廊下の木の手摺りに脱力したように身を預ける紫苑が背後にいたのだ。
「吃驚するじゃねぇか!真っ昼間っから幽霊でも出たかと思っただろ!」
「別にー」
出発の準備をする隊士達を恨めしそうに見下ろす紫苑。
さもつまらないと主張するように間延びした声を発する。
「楽しそうだな、新八っつぁん」
「おうよ!俺は体動かしてねぇと死んじまうからな」
何も考えていなさそうな永倉は素直に筋肉を見せつけてくる。
それを冷ややかに「ふーん」と返していると、原田が苦笑を零した。
「巡察に行きてぇのか、紫苑」
「…………」
行きたい、そう軽々しく答えるには憚られた。
何故なら巡察は散歩ではない、状況によっては斬り合いになり死者が出る。
「……やっぱり俺、経験が足りないと思うんだ」
だが新選組に在籍する以上、その必要があると紫苑は考えている。
実戦をこなしていないから、あんなにも風間達に対して強張ってしまうのだろうと。
それでも原田は諭すように優しく笑う。
「あまりそんなもの、ない方がいいさ」
「でも俺は……」
こんな所で平穏に生きている場合じゃない。
いつ"あの場面"になるかわからないのだから。
「土方さんに頼んでみりゃいいじゃねぇか」
「これでももう何度も試したんだよ、新八っつぁん」
不平不満は十分に漏らした。
千鶴は稀に巡察に同行する事を許可されているというのに、紫苑はそれもなく異動もない。
土方の采配であるから素直に従うが、煮え切らないものも確かにある。
「……忘れてたけど土方さんから伝言。"長州藩の動きに気をつけろ"だと」
「わかった。まぁ今は幕府が動揺しきってる時だからな」
まず十四代将軍・徳川家茂の訃報が流れた。
そして不穏な動きを見せる長州藩に幕府側は大軍で攻め入ったものの、
はるかに数の少ない軍に全く歯が立たなかったという失態を犯した。
情勢が荒れている時に乗じて何か仕掛けてくるかも知れない、それは十分に考えられる事だった。
「悪いな紫苑、行ってくる」
「ああ、気をつけて」
原田と永倉は頷くと、隊士達を引き連れて行った。
整然と並ぶ浅葱色の背中が市中に消えていくのを、紫苑は歯痒い気持ちで見つめていた。
だがそれからまもなく、再び鬼副長に挑戦する機会がやってきた。
「土方さん、俺も参加させて下さい!」
三条大橋に立てられた幕府の制札が何者かに引き抜かれたらしい。
立て直してもまた捨てられる始末で、悪戯にしては度が過ぎている。
"長州藩が朝敵"という内容の札であるから犯人はそれに関連した者かもしれない、
幕府はそう判断して新選組に制札の警護を命じた。
紫苑は今度ばかりは同行したいと、飛びかかる勢いで土方に懇願した。
だが相も変わらず表情も動かさないで一喝される。
「小姓が何言ってんだ」
「ぐっ……!そうですけど、だから頼んでるんじゃないですか」
紫苑の焦りは頂点に達していた。
もしまた剣を交える事になったとしても今のままでは彼らに勝てそうもない。
再び"鬼"と対峙してそれを嫌でも実感したから、どうにかして今の現状を変えたいのだ。
「小姓と監察の仕事もきちんとこなしますから、出させて下さい」
「個人の希望で編成を変えるつもりはねぇ」
「……百も承知です」
強くなりたい、強くならなければならない。
「思い知ったんです……自分の未熟さを。
あの"鬼"達の前では何もできなかった、だから経験が欲しいんです」
「あいつらは元々お前の手に負える相手じゃねぇよ」
「わかってます!でも何もできずに斬られて終わりにはなりたくないんです」
"あの場面"を迎えるまで、せめて自分の身を守れるぐらいの力は欲しい。
こんな所で小姓の仕事をしながら、こそこそと内情調査をしていたって強くなんかならない。
稽古も大事だが自分は場数をこなしていない、だから巡察という実戦の場に出たい。
「進んで人が斬りたい訳じゃない。だけど、いざという時に斬れなければ意味がないんです。
だからお願いします土方さん!」
畳に擦り付ける勢いで頭を下げ、それ以上上手く言葉にできない感情を背中に念じる。
だが筆を動かす手が止まる事はなく、沈黙の時間が過ぎていくばかり。
また今回も無駄だったかと目を伏せようとした瞬間、
土方はちらりと紫苑を振り返り、そして大きく深い溜息をついた。
「……悔しいが今回はそのつもりだ」
「え!?本当ですか!?」
返ってきた相槌は低く、その決定が不本意なんだと容易に理解できた。
「どうやらお前は、監察ってよりは剣で立ち回ってる方が性に合ってるようだからな」
「そ、そうですか?」
「手が早いんだよ、てめぇは。監察としての意味がねぇ」
「あー……何かすいません」
謝りつつも、自分の向き不向きを冷静に判断してくれている事が嬉しかった。
「そんなに出たきゃ出してやるが、そこから先は知らねぇぞ」
「わかってます。自分の身は自分で守りますから」
「一日目は山崎が入る。お前は二日目で原田の隊と行動しろ」
「はい!」
笑みが抑えられなくてにやにやしていると、察知されたのか激しく睨まれた。
「はしゃぐんじゃねぇぞ。左之助の指示に従え」
「わかってますって」
そして、また溜息が聞こえた。
「全く……じっとしてられねぇ奴だとはわかってたが、本当にお前は面倒ばかりかけさせるな」
「……すいません」
疲れたように頭を抱えた土方は「勝手にしろ」と言わんばかりの背中だった。
紫苑はせめて心配をかけないようにしようと、気を引き締めて立ち上がるのだった。
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短め。
個人的に非常に難産な回でした。