慶応元年、日射しが強くなってきたある日。

新選組は徳川十四代将軍・徳川家茂の警護を命じられた。
将軍が上洛するにあたり、二条城の守備を任されるという事は非常に名誉な事だと、局長以下隊士達は興奮気味だった。

剣術を極める事は好きだがそこまで幕府に思い入れのない紫苑は、
「へぇー」と興味なさそうにしながら土方の小姓役に徹していた。
ちなみに千鶴も参加を許されていたが、彼女は主に隊士間の伝達役として小間使いにされている。

「今頃近藤さん、将軍様にお目通り叶って感激してそうですね」

太陽が沈み、薄暗くなっていく周囲を見渡しながら紫苑は思わず呟いた。
隊士達も気合い十分で見回りを行っているし、局長にとってはこの謁見は涙ものだろう。
今まで暴れ者だらけの浪人集団として扱われてきたのだから、
幕府が多少なりとも新選組を認め、将軍の警護にあたれるこの現状はもの凄い出世だ。

「……そうだな。あの人はその為に武士になりたかったんだからな」

遠くを眺めながら土方は答えた。
皆を広間に集めて熱弁していた時の近藤の顔が甦り、紫苑はくすりと笑う。
人斬りと恐れられる集団の中で、局長が一番子供っぽくて純粋だと思う。

「俺も、近藤さんにはもっと偉くなってもらいたい」
「急に何言ってる」
「これでも感謝してるんですよ、近藤さんには」

女だからという理由でどの道場からも門前払いをされていた所を土方が誘い、
近藤はあの凛々しい笑顔で迷う事なく紫苑に手を差し伸べた。

"一緒に武士の道を極めよう!"と。
性別の隔たりさえなく、笑ってしまうぐらい簡単に招き入れてくれた。

「だから頑張って新選組を大きくして下さいね、鬼副長?」
「うるせぇ、お前に言われなくてもそのつもりだ」

チッ、と忌々しげに吐き捨てた表情が何だか可笑しかった。

(……そして、貴方は俺が守る)

試衛館を教えてくれた土方も、仲間に入れてくれた近藤にも同じように恩義がある。
同じように大切に思ってるし、どちらも欠かせない存在だ。
だが、女としての想いが強くなってしまったのは一人だけだった。

常に道場にいる訳でもなく、時折現れてはしかめっ面をする人は、
"紗矢"を邪険に扱うくせにちゃんと気に掛けてくれた、おそらくそんな所に惹かれたのだろう。
自覚したのは彼らに置いて行かれた時だが、気がついたら自分は一人だけを追いかけていた。

(女を捨てるって決めても、やっぱり自分は"女"なんだよなぁ)

男として生活していても、新選組にいる本当の理由は"女としての想い"が存在しているからだ。
矛盾している、中途半端な人間だと紫苑自身も感じているが、どう頑張っても自分は女以外にはなり得ない。

(だから女として見られなくていい、盾になれるのなら他に何もいらない)

それだけが人斬りになった自分が望む事だと、紫苑は自嘲の笑みを漏らす。

「なに笑ってやがる」
「何でもありませんよ」

そろそろ真面目に任務をこなさないと怒られそうだと、紫苑は逃げるように離れた。

二条城の周囲は新選組の浅葱色が守りを固めている。
長州や薩摩が何か仕掛けてくるだろうかと思っていたが、それはなく。

このまま何事もなく終わるだろう、そう誰もが感じていた矢先。

「……風が変わったな」
「え……?」

土方が唐突に呟いた。
それとほぼ同時に監察方の山崎烝が土方の傍に駆け寄った。

「副長、不審な男三名が城に侵入、雪村を狙っています」
「将軍じゃなく雪村だと?どういうつもりだ」

土方が怪訝な表情になるのも尤もだった。
彼女は変若水を作り出した雪村綱道の娘、ただそれだけであるはずなのに。

「山崎、隙を見て雪村を屯所まで連れて行け」
「了解しました」

そうして部隊を動かしながら背後に控えていた紫苑を振り返る。

「お前も山崎と動け。連れ帰るだけでいい」
「わかりました」
「行くぞ藤沢君」
「はい」

月夜に緊張が走った瞬間だった。






紫紺 八






山崎の後を追って城壁を抜けていくと、千鶴を取り囲むように男達がいた。
彼らはいつも見る不逞浪士とは明らかに風貌も違い、異彩を放っていた。

(こいつら、強い……!)

力量の違いを本能で感じ取った。
中でも明るい髪色の男の眼は赤く、ゾッと背筋が凍るような感覚が襲った。

どうやら新選組と面識があるようで、斎藤と原田は嬉しくない再会だと睨み合い、
千鶴を背に隠した土方が刀を引き抜きながら加勢する。

「将軍の首でも取りに来たかと思えば、こんなガキ一人に何の用だ?」
「将軍も貴様らも今はどうでもいい。これは我ら鬼の問題だ」
「鬼だと?」

(鬼……?)

その単語が気になったが、紫苑は与えられた役目を果たそうと千鶴の腕をとった。

「千鶴、今の内に逃げるぞ」
「っ、紫苑さん、山崎さん?」
「副長の命だ。君は、このまま俺が屯所まで連れて行く」
「避難しろってこと、ですか……?」
「狙ってるのは千鶴みたいだからな」

だが押し黙った千鶴は逡巡した後、強い目で言い放った。

「……私は、この場に残ります」
「君が残って何ができる?」
「自分でも、残るのが賢い選択でないことはわかります。私がいても役に立つどころか邪魔なのも……」

気持ちはわからないではない、守られているだけなのは嫌なのだろう。
だが山崎も紫苑も態度は変わらない。

「自分を貫くのは悪い事ではないが、それは俺も同じこと。
命令を遂行する……それが俺にとって、自分を貫くという事だ」
「ごめん、千鶴」

掴んでいた腕を引こうとしたが、ふいに殺気を感じて紫苑は千鶴の前に立った。
不知火と名乗る男が持つ銃が今にも発砲されそうなほど気が満ちていた。

「く……っ」
「お前の相手はこの俺だろ、不知火!」

原田が間に入ってくれたものの、常人とは違う殺気がこんなにも恐ろしい。
刀を構えながら紫苑は冷や汗が全身を流れていくのを感じた。

「山崎さん!」
「ああ。行くぞ雪村君」
「で、でも……っ」

未だ抵抗を続ける千鶴を山崎は半ば無理矢理に引っ張った。
そうはさせまいと男が動こうとするのを察知し、紫苑は退路に立ち塞がる。

男――風間千景の挑発的だった態度が一変し、苛立つように紫苑を射抜いた。

「貴様……死にたいようだな」
「っ……!!」

鋭く光る赤い眼に紫苑の本能は震え上がった。

(う、動かない……!)

この男にだけは逆らってはいけない、そんな警鐘が頭に響く。

紫苑、前に出すぎるんじゃねぇ!」

土方が紫苑を庇うように風間に斬りかかった。
二本の刀がかち合い、金属の嫌な音を立てる。

「……武士気取りの田舎者が。よくよく我々を邪魔するのが好きと見える」
「それはこちらの台詞だ、と言ったはずだ」

力を込めた土方の一撃だったのに風間は余裕に笑っている。
それは男の腕力が遙かに強い事を物語っていた。

「てめえらは、なんだってあんなガキに用がある!」
「千鶴はお前達には過ぎたもの。だから我らが連れ帰る、それだけだ」
「どういう意味だ……!?」

斬り合いが続く。
風間は剣先を器用に避けながら、何を思ったのか自身の刀を納めた。

「……何のつもりだ」
「今日は挨拶をしに来ただけだからな」

三人は身軽な動作で城壁に登り、此方を見下ろす。

「いずれまた、近いうちに迎えに行く。そう伝えろ」

そして男達の姿は闇に消えた。

不機嫌に息を吐く土方達の傍で、紫苑は構えたままの刀を呆然と見つめていた。

(何だよ、鬼って……?)

手も足もでなかった、そんな自分が一番悔しかった。


















「一君、稽古つけてくれよ!」
「……ああ」

真剣味を帯びて木刀を向けてくる紫苑に、斎藤は頷く他なかった。

二条城警護の後、紫苑は今まで以上に熱心に稽古に取り組んだ。
手当たり次第に稽古をしても満足できない紫苑は、焦燥感をにじませていた。

「まだ軽い。その程度の力なら簡単に跳ね返せてしまうぞ」
「わかってる……っ!」

紫苑の剣の特徴は速さと、相手を一薙ぎできる決して軽くない力だ。
正面同士の力比べになるとどうしても非力になりがちだが、
その重みを利用するように身を滑らせて素早く刀を突き出す事を得意としている。

紫苑は強い、それこそ幹部達と肩を並べられる程。
だが鬼と名乗った三人の前で自分はただの女、それ以下だった。

(こんな腕じゃ、誰も守れやしない……!)

「はっ!」
「っ……!」

強引に斬り上げてきた木刀を、斎藤はやめさせるように払い飛ばした。

紫苑、気が急いている。それでは身にならん」
「はあっ……でもやらないと、強くなれねぇ…っ!」
「……紫苑
「ああ……わかったよっ」

咎めるような目をされ、降参だとばかりに紫苑はその場に座り込んだ。
荒い呼吸と吹き出る汗の量で、随分と長い間体を酷使していた事に気がついた。

「あいつらは強い、間違いなく。俺達がまともにやり合っても勝てるかわからない」
「……一君が駄目なら、俺なんかもっと駄目じゃねぇか」
「強くなりたいのはわかるが、もっと己の剣を見直すべきだと言っている」

疲れを見せない顔を拭いながら、斎藤は紫苑に歩み寄った。

「あんたの筋は総司に似ている。ならば総司に稽古をつけてもらうのが一番効率的だと思うが」

我流と言っても、しばらく試衛館に身を寄せていたおかげで一部は天然理心流に影響されている。
だから腕を上げるのならば同じ流派の人間がいい、斎藤はそう提案するが紫苑の顔色は晴れない。

「けどあいつ、風邪が全然治らないらしくて」
「……そうだな」
「変な病じゃなければいいけど……」

あまり表に出てこなくなった沖田を思い出し、二人は思わず黙り込んだ。


そんな時、探していた人物を見つけ出したかのような顔をする土方が現れた。

紫苑、ちょっと来い」
「あ、はい!」

素早く着替えを済ませ、副長の部屋まで駆けた。
何か至急の用事でもあるのだろうか、そう思っていたが。

「くそ、鬼副長!何もまとめて使いに出さなくてもいいじゃねぇか……!」

言い付けられたのは複数の場所への使いやら、買い出しだった。
しかも大量の用件を終わらるまで屯所に帰ってくるなとも言われてしまい、
買った荷物を両手に抱えながら紫苑は人通りがあるにも関わらず愚痴をこぼしていた。

「重いし!まぁこれも稽古だと思えばいいけどさ……」


だがそれが必要な外出だったと気付いたのは、全てを片付けて帰営した時だった。


「ありがとうございます、土方さん」
「ああ?」

隊士全員での屯所掃除を命じられ、副長付きの小姓として慌ただしく行ったり来たりする間も、
相変わらず筆をしたためている土方は振り返りはしなかったがしっかり悪態をつく。

屯所中の布団を運び出しながら紫苑はしおらしく笑った。

「健康診断の時に、外の仕事を言いつけてくれて」

近藤に呼ばれた蘭方医・松本良順が屯所にやってきて隊士全員を診察していたらしいのだ。
体を見せる訳にはいかない紫苑は隠れていればよかったのだが、そうすると周りの人間が不審に思うだろう。
そういう配慮で土方は健康診断の間だけ紫苑を外に出したのだ。

「そうする以外にねぇだろ。いくら男装しててもお前は女なんだからな」
「……また女って言いましたね土方さん」

診察の後にひょっこり戻ってきた紫苑に、仲間達は「お前も診てもらえばよかったのに」と口々に言った。
どうしても外せない命令を作ってくれた土方に感謝した瞬間だった。

「後でお前も診てもらっとけ」
「……はい」

ぶっきらぼうな言葉に紫苑はこっそりと頬を緩ませた。
だが、ある気がかりを思い出してすぐに表情を硬くさせる。

「そういえば……総司も診てもらったんですよね」
「ああ、半分はあいつを診せる目的もあったからな」
「……結果はどうだったんでしょうか」

恐る恐る聞くと土方は筆を止めて暫く考え込み、重苦しい溜息をついた。

「風邪にしちゃ長すぎるからな……どうだろうな」
「…………」

心配しているのは紫苑だけではない、皆が沖田の体調を心配している。
廊下の雑巾がけをしながら、よぎった不安を振り払う。

(喧嘩もできないってのは、案外つまらないもんだなぁ)

言い合いのない日々は寂しい、ふとそんな事を思った。











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少し変化をつけてみました。
ちー様にビビる主人公。

そして、はじめちゃんの言葉遣いがわからない。