「わかった。一度島原の店に調査を出そう」

山崎は紫苑の話を真剣に聞き、静かに頷いた。
加納が懇意にしているという女の話を聞けば何かわかるかもしれない。
さらに"当たり"であるなら、そこを張っていれば自ずと犯人が現れると山崎は言った。

「報告ご苦労だった」
「いえ、些細な事ですいません」
「いや、構わない。どんな小さな事象でも真実に繋がっている可能性はある」
「はい……ただの杞憂であるなら、いいんです」

調べて彼が無実であるならそれでいい、紫苑は祈るように部屋を出た。






紫紺 七






夜は既に深く、隊士達が就寝しているおかげで屯所内は静けさに覆われている。

(寒い……)

この僅かな震えは恐らく罪悪感だ。
今までも何度かこうやって隊規破りした隊士達を報告してきたが、今回ばかりは確証はない。
自分の推測だけであるし、加納に対して敏感になっているせいで自分自身が客観的に判断できているかも不安だ。

彼が犯人でなかったら自分はどうやって詫びればいいのだろう。
彼は念友を求めてきた以外は良い奴だったのに、信頼を裏切る行為ではないだろうか。
ただ偶然に偶然が重なっただけかもしれないのに。

(今夜は新月か……だから闇が深いのか)

紫苑は広い境内の廊下をふらふらと歩き、無意識に加納達のいる部屋辺りまで来ていた。
今は昼間のような活気はなく、静寂の中に時折盛大ないびきが聞こえる。

(辻斬りをするなら、こんな夜だよな……)

こっそりと覗いて確かめてみようか。
もし加納が寝ていたら今日だけは安心して眠れる。

紫苑が思案していると、ふいに庭先に気配を感じた。

「…………」

相手は此方に気付いたようで咄嗟に草木の影に隠れたが、紫苑にはそれが誰かわかってしまった。

「……加納?」
藤沢か……驚かすなよ」

名前を言い当てると、安堵の表情を浮かべる加納が灯籠の灯りでぼんやりと姿を現わす。
ちらちらと揺れる呑気な顔に、紫苑はさらに眉間の皺を深くさせた。

「こんな夜に何してんだよ、そんな所で」
「ああ、眠れなかったから体を動かしてたんだ」
「……大小差して、か?」
「…………」

ぴり、とした緊張が伝わってきた。
紫苑は険しい顔を崩さずに加納へと足を進める。
彼の腰に差されている二本はどう見たって木刀ではない。

藤沢だって刀差してるじゃないか」
「ああ、最近は物騒だからな。この辺りで辻斬り強盗が出てるらしいから」
「……そうなのか?」
「聞いてないか?新選組の誰かが犯人じゃないかって噂が立ってるらしくて、土方さんとか怒り狂ってるよ。
だからって小姓の俺まで境内の警護に回さなくてもいいのにさ、人使い荒いんだよあの鬼副長」

不満が溜まっているとでも言わんばかりの態度で加納に愚痴る。
初耳だ、と驚いている男を注視して紫苑はさらにおどけて笑った。

「で、お前は素振りでもしてたの?」
「あ、ああ。重い方が体が疲れると思って」
「確かに。なら相手になってくれよ、俺もそろそろ交代だしすぐ寝たい」
「……此処でか?」

加納は初めて狼狽の色を見せた。
紫苑は半ば強引に身を構え、逸らさずに正面を見据え続ける。

「じゃなかったら何処でやるんだよ」
「……俺は稽古であってもお前には刀を向けたくないし、無闇に抜きたくない」
「へえ、いい心がけだ。でも俺には関係ないな」

紫苑は自身の刀を抜き、鋭い先を加納に向けた。
加納はどうしたらいいかわからない、といった表情で立ち尽くすばかり。
挑発的な目で相手を睨んでいた紫苑は、やがて笑みを作る事をやめた。

「なあ加納、俺お前に聞きたい事があるんだ」
「……な、何だよ」


――どうか、あいつでなければいい、そう思っていた。


「その首元の返り血……何処で付けて来たんだ?」
「っ!」
「自分の傷じゃねぇよな、その位置は」
「…………」

着替えたり顔を洗ったりして処理したようだが、暗闇のせいで首までは綺麗に洗えなかったのだろう。
加納は乾いた笑い声を出して言い訳を考えているようだったが、
それすらもしなくなると、おもむろに刀を抜いた。

「……俺を裁きに来たのが、他の誰でもなく……藤沢だったとは」

目付きが、変わった。
さっきまでの冗談交じりの表情とは一変して、荒んだ殺気を含んだ色が紫苑を突き刺す。
互いに刀を向け、此方を斬ると決めたであろう加納の形相は尋常ではなかった。

「加納……お前だったのか」

灯りで薄暗く照らされた刀は、人の肉の脂と血を吸った後の禍々しい輝きを放っていた。
疑惑が確信に変わり、紫苑の胸には絶望感と怒りが渦巻いていた。
純粋な友人として信じたかったのに、無残にも打ち砕かれた事。
そして少なくともこんな目をするような男ではなかったのに、知らない間に変貌してしまっていた事が。

「どうして人を斬った。どうして金の為に無関係な人間を襲った」
「……金が欲しかった……どうしても欲しい女がいる」
「そんな金で身請けされて女は喜ぶのか?人を殺して金を奪えとでも言われたか?」
「違う、あいつはそんな事言わない。あいつは待つって言ってたけど俺が待てなかった。
すぐにでも自分のものにしたかった……愛してるんだ……」
「だからって私欲の為に人を斬ってはいけない、そんな事は子供でもわかるだろ」

ぶつぶつと譫言のように理由を並べ立てる加納は既に狂っていた。
紫苑は噴き上がる悲しさを抑え込むようにして終始冷静に言葉を被せていく。

「切腹しろ、加納。よもや生き長らえるとは思っていないだろう」
「……何でだよ藤沢……わかってくれよ」
「絶対に理解できない。俺は普通に女を好きになれと言ったが、人を殺せとは言ってない」
「……お前が……お前が悪いんだ藤沢!」

加納は急に泣きそうに顔を歪めて叫んだ。
少し消極的なその目は好意を寄せられていた頃のまっすぐなもので、紫苑は思わず息を詰めた。

「お前が……俺を受け入れなかったから!だから俺は女に走って、あいつに惚れたんだ!」
「……人を斬ったのは俺のせいだと言いたいのか?」
「お前さえ……お前さえ許してくれれば……俺はこんな事しなくてもよかったのに!」
「勝手な意見だな。そんなんで恋だ愛だの押しつけてくるなんて、笑わせる。 お前にそんな事言う資格なんてねぇよ」

紫苑は刀を強く握り締め、ゆっくりと構えた。

「誰かのせいで人を斬る事なんてない。人は自分の為に人を斬るんだよ、加納」

女であった頃の紫苑がそうだったように、理由がどうであれ紫苑は自分の意思で男達を殺した。
どんな人間であっても、どんな罪を犯した者であっても、その者の生涯を閉ざしたのは紛れもなく自分だ。

「最後に人を斬るかを決めたのはお前自身だろ。お前が、殺したんだ。
ましてや罪もない人間を殺す理由などどこにもない。だから、潔く腹を切れ」


――この体が、怒りのまま目の前の人間を殺してしまう前に。


顔を俯かせていた加納は恐ろしいくらい静かだった。
ふらふらと体を揺らめかせ、嗚咽を漏らしながら震えていた。

そして全てがぐちゃぐちゃになった表情で、かつての想い人を恨むように睨み付け。
刀を手に、泣き叫びながら踏み込んだ。

紫苑、お前が!俺を……!!」
「そんなんだからお前は自分に負けるんだよ!!」



――「なあ藤沢、今度酒でも飲みに行かねぇ?お前が非番の時でいいからさ!」――



闇夜に血飛沫が舞い、加納の体が地に沈んだ。
事切れた男の目からは熱い涙が流れ、そして血の海に波紋を作った。

「馬鹿だよ、加納……本当、馬鹿野郎だ……っ」

返り血を拭う事もせず、紫苑は苦渋の色をかつての友人に向けた。
泣きたいのはこっちだと、悔しさを吐き出して。

「どうすればよかったんだよ……!」


――どうしたら、彼は狂わなかったのだろう。


「どうもしねぇ、ただそいつ自身が身を滅ぼしただけの事だ」
「っ……土方さん」

振り向けばいつの間にか土方や山崎、騒ぎを聞きつけた隊士達がいた。
自分の心の叫びが聞かれてしまい、紫苑は慌てて体裁を繕った。

「み、見てたんですか」
「辻斬り強盗が出没したという知らせを受けて、待ち構えようとしたらお前達がいたんだよ」

土方は紫苑の前にまで歩み寄ると加納を見下ろして静かに口を開いた。

「加納惣三郎、士道不覚悟により藤沢紫苑が斬首に処す」
「…………」
藤沢、後で部屋に来い。次第を説明しろ」
「……はい」

仲が良かった二人、隊士達の見方によれば私闘のようにも思えるだろう。
だがそうではないと暗に伝えながら土方は去っていった。

紫苑は立ち尽くして動けなかった。
他の隊士が後片付けしてくれるのを呆然と見届け、着替えて来いよと誰かに言われてようやく歩き出す。

友人を殺した事を悔やんでいる訳ではない。
ただ、やるせないのだ。どうしようもなく虚しくて、酷く疲れた。

身を綺麗にした紫苑は命令通りに土方の部屋の障子を開けた。
目線を交わす事もなく仕事を続ける背中をぼうっと眺めながら時間が過ぎていく。
報告しないと、と思っているのに口が開かない。

「加納は自分に負けた。それをお前が止めただけだ」
「……わかってますよ」

土方は諭してくれているのだろう、紫苑は悪くないのだと。
わかってる、そう思いたいのに簡単に割り切れるものでもない。

「悪かったな」
「え……?」

だが投げかけられたのはそんな言葉だった。
様々な意味がその一言に込められていて、呆気にとられていた紫苑だったが、
やがて目頭が熱くなったのを自覚して視線を逸らした。

(どれだけ背負おうとするの、この人は……)

背負わなくていいものすら、目の前の人はその身に被ろうとしている。

「な……そんな土方さんが謝る事ないじゃないですか。
見習いですけど、必要があったから斬っただけですよ。土方さんのせいでもない」

これは命令であり義務であり、責任だったのだから。
紫苑は真剣な目で訴えかけるように背中を見据えていると、土方はくっと笑った。

「随分と殊勝だな。お前でもそんな態度ができるんだな」
「な……当たり前じゃないですか。俺を何だと思ってるんですか」

多少は気恥ずかしい紫苑は顔を見られていなくてよかったと思った。
冷静に言葉を返して主張するが、どうも小馬鹿にされている空気は消えない。

「もう寝ろ。さっさと寝て、忘れちまえ」

だか嫌なものでなかった。
ゆっくりと紫苑を落ち着かせていくような、穏やかな気配だった。

「……報告はしないでいいんですか?」
「さっきの会話で大体は把握したからいい」
「なら此処に来る必要なかったじゃないですかー。用がないなら下がりますよ?」
「ああ」

何だか振り回されている気がする。
もう、と悪態を付きながら紫苑は大股で部屋を出た。

だが少しだけ障子を開け顔を覗かせると、紫苑は緩く微笑んで見せた。

「……ありがとうございました、土方さん」

伏し目がちにそれだけを呟いて、闇夜を歩いた。




「……加納惣三郎を斬ったのは俺。あいつを、俺は狂わせたのかもしれない」

それでも罪を犯したのは彼自身だが、完全に無関係とは言えなかった。
血を洗い流した掌を見下ろし、紫苑は目を閉じた。

「……だから、忘れない」











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主人公の監察らしい行動を書きたくてできた話。
斬られた隊士達の名は実際に記録に残っている人ですが、多少はいじってあります。

次こそ薄桜鬼らしくありたい。