山崎から受け取った何度目かの指示書、そこにはついに討ち入りの日時とその時の紫苑の動きが書かれていた。
長州藩士を捕縛する事が決定されたのだ。
彼らがたとえ伊東甲子太郎と関係がなくとも、捕まえなければならない対象だと判断したのだろう。
(これで、終われる……この生温さから抜けられる)
紫苑への命令は要約すると引き止め役だ。
新選組が来るまでこの庵の主である苑秋を遠ざける事と、男達が事前に察知して逃走するのを防ぐ事。
策の成功を左右するかなり重要な役目だと、紫苑は大きく深呼吸をしながら指示書を蝋燭の火で燃やした。
そして決行の夜。
苑秋には寝る前の挨拶を済ませた。
騒ぎが起きるまでは彼女が部屋から出てくる事はないから、大丈夫だろう。
紫苑は男達の監視に専念する為に、いつもの位置で息を潜めた。
もし彼らが逃げようとするのなら出て行って退路を塞がなければならない。
(武器は小刀しかないけど……不意打ちぐらいなら)
やらなければならない、紫苑は緊張でにじむ汗を拭いながら離れを見つめた。
男達は夜はほとんど出歩く事はなく、連日話し合いを重ねてそのまま就寝する。
だから新選組の到着を冷静に待てばいい……そう思っていたのだが。
「!」
突然に離れの戸が開いて男が顔を出した。
だが此方に気付いたという訳ではなく、根詰めた論議に疲れたのかその場で伸びをしてみせた。
「少し外の空気吸ってくる。今のままでは何も決まらねぇ」
(まずい、今外に出られては……!)
予想外の行動に紫苑は一気に焦りを覚えた。
庵の外では新選組が襲撃の機会を窺っているだろう。
まだ突撃できない段階で気付かれでもしたら全てが水の泡だ。
そうなってしまった場合、僅かな時間の引き止めはできるが全員をまともに相手するのは自分だけでは無理だ。
確実な任務遂行を狙うなら、どうしても気付かれてはいけないのに。
(どうする……どうやって引き止める!?考えろ、考えろ!)
不測の事態に紫苑は必死で頭を回転させた。
そしてこれしかないと息を呑んで、わざとらしく足下の木の枝を踏みつけた。
「!?誰だ!」
パキッという音に反応した男は身構えて周囲を睨み付ける。
「そこにいるのは誰だ、出てこい!」
「おい、どうした!?」
中にいた男達も騒ぎを聞きつけて一斉に慌てだした。
そしていくつもの視線を浴びながら、紫苑は怯えきった様子で立ち上がり。
「あ……ぁ、あの……!」
心に傷を負った女は、涙目で謝罪を乞うた。
翡翠 五
「何者だお前は」
外に出ようとしていた男に乱暴に引きずられ、離れの中に押し込まれた。
そこには合わせて五人の男がいて、全員が紫苑に注目している。
「わ、私……苑秋様に近寄ってはいけないと言われていたのに……何があるか、気になって……っ」
男に囲まれるのは怖いのだと語るように縮こまって言葉を絞り出す。
彼らは無闇に騒ぎ立てるまではしなかったが、完全に敵意に満ちた目で紫苑を見下ろしている。
(よし……何とか全員の注意を引いてる)
これは新選組が突入してくるまでの時間稼ぎだ。
こうやって見つけられた以上、一人で無事にくぐり抜けられるとは思っていない。
(だから、男達が自分に飽きる前に早く……!)
「そうか……尼になりに来たという女はお前か」
「そ、そう、です……貴方達は、一体……っ」
「答える必要はない」
そう冷たく言い放つと顎を掴まれた。
触れられた事への恐怖を演じて身を引こうとしたが、見かけによらない力で押さえられる。
「お前、この辺りの人間ではないな」
「す、すみません……もう、近づきませんから……っ」
何度も謝りながら涙を零しても動揺すら誘えない。
そればかりでなく、突然に後ろ手に腕を拘束され、喉元に刀を突きつけられた。
「何処の間者だ」
「、え……?ち、違います!怪しい者ではありません……!」
相手が間者だと疑うのは当然、それは紫苑も百も承知だ。
だが"何も知らない女"は疑われている事も知らず、言葉にされてようやくその事実に気付く。
「このまま斬られるか、吐いて生き長らえるか」
「わ、私は本当に何も……っぁ!」
冷たい刀が構わず横に引かれ、描かれた赤い線から血が垂れる。
がくがくと足を震わせ、本当に何でもないと訴えても男達はこの状況をやめようとしない。
「言わぬだろうとは予想している。だからたとえお前が間者でなくとも怪しい者は斬る。
新しい世の為だ、禁じられた場所に入り込んだお前の運がなかったと思え」
「い、嫌……っ!」
(くっ、もう無理か……抵抗するか!?)
時間稼ぎはするがただで死んでやる気などない。
背中の男に不意打ちを食らわせ、その隙に刀を奪えば何とか立ち回れる。
せめて相討ちになればいい。
新選組がやって来るのが先か、自分の命が尽きるのが先か。
わからないが、自分の意地にかけて男達に一泡吹かせてやりたいのだ。
「待て」
動きだそうと身構えた瞬間、取り巻きの一人の男が静止の声を上げた。
何故だと刀を突きつけた男と紫苑がそちらを向くと、発言者はゆっくりと嫌な笑みを作った。
その見覚えのある目に、紫苑は本当に悪寒を覚えた。
「……すぐ殺す事もないだろう。何も言わぬなら、体に聞いてやればいい」
「っ!!」
――そうして、いつも女は男の獲物にされる。
男達は賛同するように一様に目の色を変えて、紫苑を舐め回すように見始める。
だから腑抜けと言われるのだと、声にならない悪態を付きながら紫苑は暴れようとしたが男達が取り囲む。
「な……や、め……っ!」
「嫌ならさっさと吐け。誰に命じられた?」
「……っ!」
ふざけるな、負けたくない、殺したい、殺してやりたい。
間者だと教えてしまう事になるから、この膨れあがる殺意だけは押し留めなければならない。
そう感情を制御している間に簡単に床に引き倒され、着物の合わせから無遠慮な手が差し込まれる。
「やめ……ぃ、いやあああ!」
――あの時と同じに、体が蝕まれていく。
「みんな、何してはるの!?」
突然聞こえた女の声は天の助けのようだった。
騒がしさに起きてきたのだろう、苑秋は男達の中心で倒れている紫苑を見つけ、青ざめた様子で悲鳴を上げた。
「紗矢はん!!」
ばつが悪そうに手を離した男達を掻き分けて、紫苑を抱き上げる。
泣き腫らした目で見上げると、苑秋は悲しそうに顔を歪ませた。
「どうして……どうしてこないな事に!」
「……勝手に入ってきたのはその女だ」
「そやかて……彼女は殿方が苦手やねんえ!?」
苑秋の憤怒する様子を見る限り、彼女は男達の味方ではないようだ。
そして紫苑を見下ろして本当に申し訳なさそうに眉を寄せた。
「堪忍え……紗矢はんが怖がると思て黙っとったんやけど、こないな事になるなんて……」
苑秋が男達の存在を隠したのは紫苑が人間不信だったから。
本当に厚意からの言葉だったのかと、ぼんやりとそれだけを思った。
放心状態の紫苑を立ち上がらせ、抱き締めながら謝罪を繰り返す苑秋を遮るように、
苛立ちをにじませた男が冷たく言い放つ。
「苑秋尼、そいつが本当にただの尼だと思うのか?」
「当たり前どっしゃろ、紗矢はんは辛い目に遭うて此処まで来たんどす」
「隠れ蓑になってもらった事は感謝してるが、貴女はあまり人を信じすぎない方がいい」
「、どういう事……?」
正しい事をしているのは自分達の方だと言いたげに男は紫苑を指さす。
「そんな手してる奴が尼になどなるか」
「これは、彼女はずっと剣を習っとったせいやし」
指摘されたのは掌の跡と厚み。
黙り込んで何も言わない紫苑の代わりに苑秋が答えた。
「剣を?それで何で尼になろうと思ったかは知らねぇが、だから女は弱いんだよ」
「やめて、彼女は傷ついてるんやで!?」
これだけ男達に言われても疑おうともせず、それだけでなく庇おうともする。
苑秋の背中に守られながら、紫苑は僅かに胸の痛みを感じた。
「その女を渡してもらおうか。間者の可能性がある者を放ってなどおけん」
「彼女が間者な訳や―――!」
苑秋の言葉を遮るように、数人の足音がばたばたと近づいてくる。
来た、そう紫苑が感じると同時に離れの戸が開け放たれ、見慣れた浅葱色の隊服が目に入った。
「会津中将殿御預、新選組!詮議の為、お前達を捕縛する。刃向かえば斬る!」
「な……新選組だと!?」
「壬生の、狼めが!」
最初に突入してきたのは斎藤だった。
その後から永倉と原田、そして藤堂が武器を手にして男達に襲いかかる。
極秘の任務な為、幹部四人と山崎だけの襲撃だったが、完全に気を取られていた長州藩士は対応に遅れた。
その隙を逃がさず斎藤の居合いが目の前にいた男の腕を切り落とした。
絶叫が木霊する中、男達が殺気に満ちた目で剣を取り出す。
「紫苑!」
「っ!」
藤堂が紫苑に投げて寄越したのは自分が愛用している刀だった。
綺麗に受け取るとすかさず飛び出して、斎藤に気を取られている男の肩を薙ぎ払った。
「ぎゃああああ!!!」
「……死なねぇよ、んな傷じゃ」
斬られた場所を押さえてのたうち回るのは、紫苑を襲うと最初に発言した男。
本当は殺してやりたい、だが情報を得る為には生かさなければならない。
蔑んだ目で見下ろしながら、紫苑は血が伝う刀を振り払った。
風間に腑抜けだと言われていたのもあながち間違いではないようで、彼らの戦力は大した事なかった。
一瞬にして新選組がその場を収め、紫苑も男達の手足を縛るのを手伝った。
「……紗矢、はん……?」
「…………」
その光景を部屋の隅で目の当たりにしていただろう苑秋が、か細い声で紫苑の名を呼ぶ。
いつかは嘘が露呈するとはわかっていた、だけど今は振り向けなかった。
「紫苑、その尼僧は」
「……この人は、関係ない」
「そうか」
「紗矢はん……どう、して……?」
俯き加減で斎藤と言葉を交わしていても、苑秋の言葉は続く。
殺人の光景はきっと初めてだったのだろう、震える涙声がそれを物語っている。
そのまま何も言わずに撤退する事もできた。
だけどそれはやってはいけないのだと、紫苑は下を向いたまま口を開いた。
「……俺は……新選組隊士、藤沢紫苑。
この尼僧庵にて怪しい男が匿われているという情報を聞き、女として潜入した」
「新、選…組……」
「すみません、苑秋様。あの男達が言っていた通りに俺は間者だった……ずっと騙していました」
「そん、な……全部、嘘?」
「貴女に話した半分は本当ですよ。ただ、俺は斬った奴の為に尼になったりしない。
女を捨て……男として人斬りの道を選んだ」
気持ちを落ち着かせてようやく振り返ると、信じられないといった目が紫苑を凝視していた。
あの優しかった苑秋の、開ききった目が胸に痛い。
純粋な人に可哀想な事をしてしまったと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「どうして、こないな事を……!」
「俺は修羅の道を生きると決めた。たとえ人を裏切ろうとも、斬ろうとも……貫きたいものがあるから」
真実を知って変わりつつある苑秋の眼差しに紫苑は泣きそうな顔で微笑んだ。
もう無償の温かさをくれた人は、いない。
この手を取れば、もしかしたら静かな一生が待っていたかも知れないのに。
「それを果たすまでは死ねません。全て終わった時には、罪を償いますから」
だけど自分が選んだのはこの人斬りの道。
貴女を騙して悪かった、だけど後悔はしていない。
「……ごめんなさい」
ありがとうは、とても言えそうになかった。
逃げるように離れから飛び出して仲間達の後を追った。
別々で屯所に帰らなければならないから既に引き上げているだろうが、気持ちが急いている。
何故だか熱い目頭を押さえながら草むらを駆けていると。
「おい女」
突然に低い声がして紫苑は再び動揺した。
この討ち入りを本当に見ていただけなのだろう、暗闇の奥から特に興味もなさそうな風間が現れる。
「貴様、何故そこまでする?
仮にも女のお前にあそこまでさせる奴等が、大した奴だと思えんが」
女に危険な潜入を任せる事を言っているのだろうか。
確かに今回はかなり危なかったし、心も痛んだ。
――だけど、それでも後悔しないのは。
どんな目に遭っても、自分が彼らを信じていられるのは。
「……私が、女だからですよ。だからいくらでも狂う事ができる」
にやりと笑ってみせると、珍しく風間が絶句していた。
気が変わらないうちに早く立ち去ろうと、横を通り過ぎようとしたが。
「おい女」
またしても風間が紫苑を呼び止める。
しかも何故かさっきよりも有無を言わせないような強い口調だった。
「名は」
「、……え?」
「男の名なんぞ答えたら殺すぞ」
「…………」
どうして名前を聞かれるのか意味がわからない。
だが怒っているようでもない風間は(それでも眉間に皺を寄せていたが)、この時だけは不思議と怖くなかった。
本当の所はよくわからないが、もしかしたらそこまで悪い人間ではないのかもしれない。
(答えないと怖そうだし……)
「…………紗矢」
「ふん、大して面白味もない名だ」
(はあ!?そっちが聞いてきたくせに!)
今度は紫苑が言葉を失う番であったが、文句を言う隙もなく風間は闇に消えた。
何なんだよ一体という悪態は、ついに誰の耳にも届かなかった。
「あーやっぱこの格好は落ち着きますわー。女物はきついんですよ」
「何言ってやがんだ」
土方の使いの名目で長期外出していた紫苑は、襲撃部隊とは別で何食わぬ顔で戻ってきた。
今回の捕り物騒動を平隊士達は知らず、屯所に帰ってきた紫苑にも普通に声をかけてきた。
手土産を持って副長の部屋まで行くと、土方もどうとでもないという顔で出迎えた。
「当初の目的は捕まらなかったが、結果的には良い収穫だった」
「はい。ちゃんと任務こなしてきましたよ」
伊東との密会相手は結局わからず仕舞いだが、
野放しにしておけない長州藩士の画策を未然に防ぐ事ができただろう。
「よくやった」
「……はい」
振り返る事もなく発せられた言葉に、紫苑は肩を揺らした。
――それは、ずっと言って欲しかった言葉。
ぶっきらぼうでも、形式的な労いでもよかった。
この一言さえあればどんな事でも耐えられる。
誰かを裏切っても、誰かを殺しても笑ってしまえる。
(狂ってる……狂ってしまってるんですよ、苑秋様)
あれだけの事があった後でも、自分の心は喜びに満ちているのだから。
「さて……今日は非番にしてくれるんですよね?部屋でのんびりするかな」
「報告書は出せよ」
「わかってますって」
さすがに疲れました、と冗談交じりに立ち上がると。
「とりあえずその首のままでフラフラ出歩くんじゃねぇ。部屋でじっとしてろ」
「、あ……そういえばそうだった」
指摘されるまで首に付けられた傷を忘れていた。
さっきまでは、引き攣るように時折痛んだはずなのに。
確かに使いに出ただけの人間が首元に傷を作ってきたら不自然だよなぁと、
ぼんやりしながらさすっていると土方が「それと、」と言葉を続けた。
「んな空元気でいなくともよくなったら来い。お前の小姓の仕事がたまってやがんだからな」
「っ……はい」
何でわかったのか、彼は終始此方を見ないままだったのに。
もの凄く遠回しに気遣われているんだと気付いた紫苑は思わず言葉を詰まらせた。
(土方さんがそんな人だから、俺は……)
これ以上色々なものが漏れ出す前にと、紫苑は障子に手をかけた。
自然に顔に表われてしまった微笑はそのままで、明るさだけを前面に出すようにして。
「……平気ですよ、俺は。髪だって結局剃らなかったし、男達も捕まえて嬉しい事だらけ」
「そういう事を言ってんじゃねぇ」
「わかってますよ。でもありがとうございます……俺を、使ってくれて」
そう言い残して、答えを待たずに部屋を出た。
辛くてもいい、今は平静を装う事に努めているけど、それでもいい。
新選組の一員として危険な役目を与えられるのが何よりも嬉しいのだから。
ピリ、と走る首筋の痛み、それすらも今の紫苑には誇りの象徴だった。
廊下を歩きながら何気なく傷痕に触れていると、どたどたと荒い足音が近づいてきた。
「紫苑!」
「平助か……」
藤堂は慌てた様子で紫苑の顔を覗き込んだ。
何だよ、ときょとんと首を傾げると藤堂は言いにくそうに目を伏せた。
「お前……、その……大丈夫なのか」
(ああそうか……平助は知ってるんだったな)
今回起きた事は把握してないまでも、過去を知っている藤堂は人一倍気にしていたのかも知れない。
紫苑は首を触りながら、ふわりと笑った。
「大丈夫だって。俺、弱くねぇって。しっかり斬ってきたし」
「だけど……」
「平助。俺はそうやって心配してもらえる程、綺麗な心なんか持ってない」
今回も、自分は私怨で男を斬ったのだから。
自分はもう汚れている、彼に心配されるような純粋な女じゃない。
「でも……ありがと、平助」
それだけ言うと紫苑は手をひらひらさせて横を通り過ぎた。
想像していたよりずっと元気そうな口調に思わず顔を上げて、そして藤堂はまた顔色を曇らせた。
浮かべた薄笑いが儚くて、消えてしまいそうな気がしたから。
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もう本当にすいません。京言葉が不自然すぎる。
長かった潜入編がようやく終わりました。
やっと薄桜鬼に戻ります。