時々、この闇と静寂が怖い時がある。

布団に体温が移り、その温かさに身を委ねて眠りにつくまでの間。
その日にあった出来事が蘇って思考の中を駆け巡るのはよくあるが、
忘れていたい不安なんかも一緒になって込み上がってきたりする事もある。
そうなると決まって良くない想像ばかり膨らんでしまって、結局は睡魔など消えてしまう。

いつもならそれを振り払いながら眠気の訪れを待っているのだが。
今夜は隣の人物も同じような状態に陥っているようだった。

「千鶴、起きてる?」
「はい……紫苑さんも、眠れないんですか?」

目が冴えたみたいだと答えると、千鶴からも肯定だという苦笑が聞こえる。
もぞもぞ布団の中で寝返ると千鶴の顔が薄闇に映えた。
以前は衝立で仕切られていたが、女同士だとわかってからは取り払われている。

「考え事?今日は溜息が多かった気がするけど」
「……もっと頑張ろうと思って」
「何かあったのか?今日は確か一番組と巡察に行ったんだよな?」
「はい……」

千鶴は自分に似た顔の薫に会ったと言う。
だけど一人で突っ走ってしまい、また迷惑をかけてしまったと零した。

「沖田さんに、役に立たないと言われてしまいました」

それはわかっているんですけど、と悲しそうに笑いながら。
若干軽い口調ではあったが、寝られない程には思い悩んでいるのだろう。

紫苑は呆れたように溜息をついた。

「言い方が悪いんだよ総司は……素直になれないってやつ?」
「……紫苑さんは、わかってていつも言い合いしているんですか?」
「鋭いなぁ。まぁ総司とはあれが普通っていうか、うん、そうだな……」

千鶴は思った、この二人は"喧嘩するほど仲が良い"関係なのだと。
本気で喧嘩している訳ではなく、いわゆるじゃれ合いに似ているのだろう。
そう言ったら紫苑が血相を変えそうだったので口には出さなかったが。

「でも紫苑さんの言う通り、沖田さんは"頼るべき時は頼ればいい"とも言って下さいました。
それは嬉しいんですけど、やっぱり……皆の足を引っ張りたくはないんです」

(こんなに素直な子なんだから苛めてやるなよ、総司……)

千鶴は俺とは違って本当に女なんだから、と思わないでもなかったが、
それでも前に進もうと踏ん張る彼女を見ていると、なるほど強いなぁと感じた。

ただ嘆くだけの、守られるだけの女ではない。
だから紫苑が余計な事を言わなくても、きっと彼女は自分で"自分らしい道"を見つけるだろう。

「まぁ、総司の言葉はあんまり気にしなくてもいいさ。
どっちかって言うと、"もっと頼って欲しい"って意味の方が強いと思うから」
「そうでしょうか……」
「ああ。本当に疎ましく思ってる相手には絶対そんな事言わねぇよ、あいつは」
「はい……ありがとうございます」
「……おし、もう寝るか」

千鶴は多少は気が楽になったのだろう、紫苑に倣って素直に布団を首まで引っかけた。
色々と思う事もあるだろうが寝なければ明日に支障が出るのは必須で、それは互いに避けたくて今度こそ目を瞑る。

だが沖田の事を話題に出してしまったせいで、脳裏に浮かぶのはそればかり。

「……総司、咳してたか?」
「っえ……?」

千鶴は一瞬どきりと胸を跳ねさせたが、沖田の病気の事は紫苑は知らないはずだ。
突然の真剣味を帯びた声に、努めて平静を装って言葉を返す。

「……そうですね。まだ本調子じゃないみたいで……」
「そうか……」

妙に落ち着き払った様子から、もしかしたら勘付いているのかもしれないと千鶴は思った。

この頃の彼女は物思いに耽る事が多い。
頻繁に沖田と手合わせしたり喧嘩をしてきた相手だからこそ、余計に心配に違いない。
だが沖田に口止めされている以上、千鶴からは何も言えない。
言ったとしてもそれは悪い知らせ、どうしたって彼女を悩ませるだけだ。

それでも彼を心配して眠れずにいる彼女を放っておく事などできない。
どうしていいかわからなくなった千鶴は天井を見つめ、それきり何も言わなくなってしまった紫苑の呼吸音を聞いていた。

「……あの、紫苑さ―――」

かける言葉など決まっていなかったが、とにかく声を発してしまった千鶴。
だが、ふいに近づいてくる不審な足音によって続きは掻き消えた。

隣を見遣れば早くも紫苑が布団から起き上がり、険しい目で障子の向こうを睨んでいる。
闇夜に透けて見えた影は、不幸にも二人の部屋の前で立ち止まった。

「だ、誰……?」
「千鶴、下がってろ」

身構える千鶴と紫苑の前で乱暴に障子を開け放った男は、白髪に赤い眼をしていた。

「っ、新撰組……羅刹か!」

漆黒に浮かび上がる血色の双眸が、獲物を見つけて朧気に光った。






翡翠 七






「血……血を寄越せ」
「、狂ってるか……っ」

現れたのは新選組の隊士であったが、その容姿を見る限り羅刹隊の人間だろう。
実際に紫苑が正気を失った者を目の当たりにするのは初めてであったが、嫌が応にも実感させられる。

壊れている、そんな言葉が似合うように男は体をふらつかせ、此方を捕らえると突然に高笑いを始めた。

「ひひひひ!血を寄越せえっ!」
「くっ……!」

激しい狂気を溢れさせて飛び込んできた男を、既に抜き払っていた刀で受け止める。
がきん、と金属がかち合う嫌な音を聞きながら紫苑は渾身の力で男を抑えているが、その差は歴然だった。

剣筋は速く、そしてもの凄く重かった。

「っ、尋常じゃねぇぞ……この力っ!」

押し返そうにも体がずるずると後ろへ動いてしまう。
これでは力押しで負けてしまう、そう懸念したが男は我を忘れているからか力を弱め、もう一度振りかぶってきた。

いくら速くても無駄の多い大振りな動きに、紫苑は素早く飛び退ってそのまま脇腹を斬り付ける。
男は悲鳴こそ上げなかったものの、傷口からはボタボタと血が落ちていき、通常なら痛みで動きは鈍るはずだったが。

「な……っ!」
「ひゃはははは!」
「、っぁあ!!」

紫苑の目の前で、ぱっくり開いていた傷が瞬時に塞がったのだ。
思わず驚愕に固まってしまった紫苑に男は吼えながら刀を振り上げた。

部屋の隅まではじき飛ばされ、男ではなく自分の二の腕に走った熱を押さえるとぬるりと手が滑る。
すんでの所で刀を盾にしたおかげで腕を切断される事は免れたが、斬られた箇所が焼け付くように痛い。

紫苑さん!っきゃああ!!」
「っ、千鶴……!」

今の隙に逃げればよかったのに、千鶴は何を思ったのか倒れた紫苑に駆け寄ってきたのだ。
男がそれを見逃すはずはなく、笑いながら斬り下ろされた刀が千鶴の右肩を掠めていった。

「あはははは!!血ぃ!血だぁっ!」

男は獣のように這い蹲って、畳に零れた血をすすっている。

「馬鹿……何で逃げねぇんだよ」
「置いて、など……っ」

一人では逃げられないと、震える声で千鶴は紫苑の隣で首を振る。
そんな涙目で恐怖に怯えているのに、律儀な奴だと紫苑は思った。

だから、今は自分が守ってやらなければ。

「足りない……これだけじゃ、足りない……」
「はは……、次はこっちか」

零れ落ちた血を夢中で舐めていた男は、譫言を呟きながら紫苑達に視界に捉えた。
二人から流れるものに焦点を定めれば男はまた飛び掛かってくるだろう。

傷口を押さえながら立ち上がった紫苑の袖を弱々しい力が引っ張った。
やめてと千鶴は言っているが、傷はそんなに深い訳ではないから大丈夫だと、その手を制した。
此処で自分が立たなければ誰が相手をするというのだ。

「ひゃはははは!その血を寄越せ!」
「ぅ……っ、お前……そんなんでいいのかよ!」

再び狭い部屋で斬り合いが始まる。
自我が完全に失われている以上殺すしかない、それはわかっているが、
彼だって望んでこうなったのではないだろうかと思うと悔しくなる。

「血ぃ!血がぁっ!」
「ぐ……、ぁ……っ!」
「だ、誰か……助けてくださいっ!」

力と速さは通常の人間よりも遙かに勝っていたが、幸いにも狂っているおかげで剣筋は滅茶苦茶だった。
闇雲に刀を振り上げてくるものだから多少は回避できたし、受け流す事も辛うじて可能だった。

だが変若水を飲んで能力を増している男と、強がっていても正真正銘の女とでは、どちらが有利かは明白で。
避けきれない凶器が体中を掠めていき、いくつもできた傷から赤い液体がにじんでいく。

それを同じ赤い眼で捉えてさらに壊れた笑い声を上げる男。
背後で叫ぶ千鶴の声を聞きながら、紫苑は歯を食い縛る。
少しの油断で刀まで折られてしまいそうな圧倒的な力に、余計な雑念は捨てなければならないと。

「く、そぉぉ――っ!!」
「おい、生きてるか!?」

紫苑が雄叫びを上げたのと、新たな声が聞こえたのは同時だった。

廊下から現れた長髪の人物が男の背中を斬り付ける。
豪快な血飛沫が飛んだのが紫苑の側からも見て取れたが、動きを止めたものの男は未だ此方を見下ろして笑っている。
傷が塞がってしまう羅刹相手にこれだけでは致命傷にならないのだと理解した紫苑は、咄嗟に心臓めがけて刀を突き刺した。

「ぎゃあああああっ!!」

それがとどめの一撃となって男は絶命した。
ずるりと武器を引き抜くとその身は血だまりに沈み込み、それきり一切動かなくなった。

「千鶴、大丈夫か!?」
「はいっ!」

どたどたと駆け込んできた藤堂達に、千鶴が慌てたように言葉を返す。
それを聞き届けた紫苑はようやく刀を下ろし、安堵したせいか力が抜けた。

「、紫苑!……よく、持ちこたえたな」

畳に倒れ込みそうになった体を受け止めたのは、先程一番に飛び込んできた土方だった。
抱き止められた事と、傷だらけになりながら尋常ではない男とやり合って生き延びられた事が嬉しくて、
紫苑はそのままへらへら笑って見せた。

「はは……っ、遅い、ですよ……いくら、なんでも…、俺一人じゃきついって……」

軽口を叩くつもりだったのに思っていたよりも随分息が上がっていたらしい。
気付けば何だか体中痛いし、見上げた紫紺の瞳は不機嫌に歪んでいるし。

「でもっ、かすり傷ですよ、こんなん……ちょっと多いけど」
「もういいから黙ってろ」

羅刹相手だから確かに紫苑だけでは厳しい戦いであったが、
だからといって"弱い"と判断されてお払い箱にされても困る。

すかさず平気だと主張したが土方にぴしゃりと一喝され、紫苑はひとまず口を噤んだ。
意外と喋るのも辛かったので荒い呼吸を整える事に専念していると、されるがまま視線で傷を検分された。

「……深手はないようだな」
「全く、無茶ばかりする奴だなぁ」
「本当だよ、すぐ助けを呼べばよかったのに」

土方に片腕で抱えられるまま、原田や藤堂の荒い手つきで髪をかき回される。
正直痛かったので目だけで不服を訴えたが軽くあしらわれてしまった。
ぼんやりした視界で見渡せば沖田や斎藤、近藤までいたので、
何だみんな来てくれたんだ、と紫苑だけは呑気な事を考えていた。

「どうしてこいつが此処に……」
「申し訳ありません。私の監督不行届です」

羅刹隊の人間は管理されている為、本来ならば羅刹がこんな所に来るはずがない。
それが何故来てしまったのかと血の海で倒れている男を見下ろしていると、
"表向きは死んだ事になっている"人物がもう一人、静かに現れた。

恐らくは血が欲しいあまりに山南の目を盗んで抜け出したのだろうが、
一歩間違えれば羅刹の存在を全隊士に知らせてしまう所だった。

藤沢君、雪村君、大丈夫ですか?」
「……何とか」
「だ、大丈夫です……」

山南はまず強がって笑う紫苑の様子を窺い、次に千鶴に視線を移した。
紫苑とは違い傷は一つだけであったが、それでも寝間着が血で染まっている。

「大丈夫じゃないでしょう。こんなに血、が―――っ」
「……山南さん?」

不自然に言葉を途切れさせたかと思えば、漏れ聞こえたのは苦しんでいるような呻き声。
千鶴が不審に顔を上げると、山南は手についた血を呆然と見つめていた。

「ぐ、ぅあああ!」
「ど、どうしたんですか……?」
「千鶴、離れろ!」

明らかに様子のおかしい山南の間を縫って、原田が咄嗟に千鶴を引き離す。
そして部屋の中央で獣のように咆哮を上げた山南の髪は突如黒から白へと変色し、見上げた目は赤く光っていた。

「!」
「血を……血が欲しい……血が……っ」

彼は羅刹となっていた。
先刻殺した男のように狂いきってはいなかったが、それでも理性を失いふらふらと千鶴に手を伸ばす。

「くそ……山南さんまで血の匂いにあてられやがったか!」
「山南、さん……」

赤く汚れた手を嬉しそうに舐めている山南は、もはやいつもの穏やかな彼ではなかった。
たとえ羅刹になっても一見普通の人間と変わらなかったのに、
紫苑が初めて目の当たりにした山南の変容は衝撃的だった。

"人ではなくなる"と言っていた意味が、朧気ながらに理解できてしまった。

「貴女の血……もっと、貴女の血を……」
「っ、こうなったら仕方ねぇ!」
「一度にかかるぞ!」
「……いや、待て!」

身構えた藤堂や原田達に、土方が制止の声を上げる。
どういう訳かと動きを止めると、山南が再び頭を抱えて苦しみだしたのだ。

「ぅ、ぐああああ!!」

どういう理由かはわからない、ただ先程とは少し様子が違う。
その証拠に一段と大きな叫びを上げた後、山南は力なく膝を折って。
静かになってしばらく経つと、やがて髪色は次第に元の闇色に染まっていった。

「わ、私は一体……?」
「山南さん……良かった」

どうやら正気を取り戻したという事なのだろう、放心状態で辺りを見渡している。

紫苑を支えていた片腕はその間ずっと痛いぐらいに緊張していたのだが、
安心して思わず身動ぎすると土方の力はようやく緩んだ。

「そうか、私も彼のように……」

事切れた隊士を見つめ、山南は自分の気が触れていた事を自覚する。
とにかく元に戻ってくれてよかった、と皆が胸を撫で下ろしたのも束の間。

あれだけ騒げば誰でも起き出してくるだろうが、次から次へと問題が起きる。

「一体何ですかこの騒ぎは!誰か説明してちょうだい!」

よりにもよって伊東が聞きつけてしまったようで、甲高い声で騒いでいる。
そしてさらに都合が悪い事に彼は山南を見つけてしまった。

「さ……ささ、山南さん!?あ、あなた死んだはずじゃ……!何で!?」
「まあ落ち着いて伊東さん、明日話します。今夜はもう遅いですから」

幽霊でも見たと言わんばかりに青ざめる伊東の肩を、すかさず近藤が掴んだ。
このまま感情のままに暴れられても困ると判断しての事だろう。

「これが落ち着いていられるもんですか!」

背中を押され無理矢理に部屋から遠ざけられても伊東は叫んでいたが、
そこは局長らしく悠長な調子で聞き流して、だんだんと声は小さくなっていった。

「バレましたよ、斬っちゃいます?」
「…………」

沖田が面白そうな顔をして問いかける。
土方ももしかしたら本心ではそれが得策だと思っているかも知れないが、今は何も言わなかった。

羅刹という秘密が露呈してしまった以上これは大事になる、それを考えると皆の気は重くなる。
その筆頭である土方は溜息だけを落として、傷を負った千鶴と紫苑に視線を戻す。

「お前達は、今夜は俺の部屋を使え。手当ては山崎にしてもらえ」
「……私なら大丈夫です。手当てなら自分でできますから、紫苑さんを先にお願いします」
「あ、俺もかすり傷ばかりだし、自分で―――」

そんな大袈裟な傷でもないし、千鶴が遠慮するなら紫苑もそうしようと思った。
もう自力で立てる程には体力が回復しているからと、
土方に預けっぱなしだった体を離してその場に立とうとして……できなかった。

(あれ……?)

紫苑は軽く見積もっていたが実際は軽傷が数ヶ所、そして軽傷ではなさそうなのが一つ二つ。
気付かなかったが結構血を失っていたらしいその体は、再び土方の腕の中に収まる事になった。

「……馬鹿、血を流しすぎだ」

呆れたと言わんばかりの言葉を薄れていく意識の中で聞いた。
彼がたまに放つそういう声色も、紫苑は好きなのだから始末に負えないのだ。











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一夜分なのに長くなりました。
ゲームとアニメ混ぜてますが状況説明だけの回は書き辛い。難産。

主人公怪我したのに運ぶタイミングがない(笑)
斎藤はまたしても台詞なし、沖田は一言だけ…