目を開けると、そこには見慣れぬ天井が広がっていた。
はて、自分は何でこんな所で寝てるんだとぼんやりする頭で考えていると、
ぱたぱたと聞こえる軽い足取りがこの部屋の前で止まった。

紫苑さん……よかった、気が付いたんですね」
「……千鶴」

思い出した。
昨夜血に狂った羅刹に襲われて、何とか応戦したものの怪我で意識を失ったのだ。

「手当て、してくれたのか?」
「……はい」
「そっか、ありがと。千鶴は大丈夫なのか?」
「はい、私は平気です」
「だけど、腕吊ってるじゃないか……」
「み、見た目だけで、そんなに酷くはないんです」

そうなのか?と思ったが千鶴がそれ以上突っ込まれたくなさそうにしているので言わない事にした。
元気に動いてるようだから、まぁこちらが思うより大丈夫なのかもしれない。

「……ごめんな、怪我させて」
「そ、そんな事ないです!助けてくださってありがとうございました……紫苑さんの方が酷い怪我です」
「それこそ平気だって。俺は大して役にも立ってないしな……いてて」

結局とどめを差したのは土方さんなんだし、と紫苑は笑いながら起き上がる。
自分こそ大袈裟に包帯が巻かれているだけだろうと思っていたのだが、
引き攣れるような痛みが走って千鶴が慌てて背中を支えてくれる。

「無理しないでください、傷が開いてしまいます」
「何とか大丈夫。それで、昨日からどうなった?」
「…………」

気になるのはそこだった。

羅刹の存在と山南の事を伊東派に知られてしまった。
人道的なものでもないし、秘密にされていた伊東があのまま終わる訳もない。
何らかの説明だかがなされただろうとは想像がつくが、千鶴の顔は晴れない。
それだけでなく暗く沈んでいく。

「……それが――」
「、え……?」

言いにくそうに俯いていた千鶴からようやくもたらされた言葉に、
紫苑は怪我の事など忘れて飛び出していた。






翡翠 八






紫苑にとって、わざわざ京まで上ってきたのには二つの理由がある。

一つは土方に降りかかる未来を起こさせないようにする為、
そしてもう一つは自分をただの紫苑として扱ってくれた仲間達と共にある為。
だから新選組として存在する以上、自分の信頼する仲間達が皆揃っている事が大前提なのだ。

新選組が道場の延長でも仲良し集団でもない、隊務の為には人を斬る事を厭わぬ非情な組織であるとは重々承知だ。
紫苑もそこに参加した以上遊びで生活しているつもりもない。

それでも、皆が同じ気持ちで同じ志で前を見ているのだと、どこかそんな甘い考えがあったのだろう。
皆がそれぞれに違う理由で志願し、何の為に"新選組"にいるのかという解釈も違うのだから、
よく考えなくても不可能なのに、勝手に安心して思い上がっていた。

だからまさか、大事な仲間達がその意思の違いでバラバラになるとは思いも寄らなかった。
紫苑は誰一人欠ける事もなく、ずっとこれからも一緒にいられると、信じて疑っていなかったのだ。


「一君、平助……!」

どたどたと廊下を歩き回り、ようやく見つけた境内の奥で。
二人は紫苑を待っていたと言わんばかりに立っていた。

紫苑、もう動いて平気なのか」
「んな事はどうでもいいんだよ!」

藤堂は気まずいのだろう、一瞬逃げるように目を背けたが、
いたって冷静なままの斎藤の変わらぬ口調に紫苑は追い迫った。

「御陵衛士に付いていくって本当かよ!?」
「ああ。ここでお前とも袂を分かつ事になる」
「っ、伊東派の連中が離隊するってのはまだわかるけど、それで何で二人まで行くんだよ!」

伊東甲子太郎は昨夜の一件で全てを知ってしまった。
千鶴から聞いた話によれば、その話し合いは深夜まで行われ、最終的に伊東が新選組を離脱する事で収まったらしい。
元々伊東派は幕府に頼らない尊王攘夷、新選組は幕府の組織であるから必然的に佐幕攘夷。
最終目標は一緒かも知れないが、幕府の扱いについてはまるで違うのだから、どうしたって馬が合わないのだ。

"友好的な分離"らしいが、言うなれば羅刹の事を他に漏らさない代わりに離隊し、
御陵衛士なる組織を結成させる事を認めるという取引だ。
だが伊東派の事はいい、紫苑にとってそこは重要ではない。

問題は藤堂と斎藤が新選組ではなく、その御陵衛士を選んだという事だ。
自分達とは決別する、それは仲の良かった者達にも衝撃で、
境内までの道筋の先々で出会った彼らは皆顔色を曇らせていた。

「己の意思と組織の方針が違えば離れるのは当然だ」
「新選組に……俺達に、もう用はないって事か?」
「ああ」
「っ、何で……そんな簡単に言うんだよ!」

(何もそんな言い方しなくたっていいじゃないか)

彼は言葉を選ぶなんて事しないが、あんなに土方に傾倒していたのにどうしてそんな一言で切り捨てられるというのか。
武士の鑑のような斎藤の目は、自分が情に流される未熟な女だと言われているようで痛くて、逸らしてしまった。

自分達は一緒にやってきた仲ではないか、などと仲良し発言を堂々とするつもりはないが、
多少なりともあった仲間意識を全くなかったもののように言われると辛い。
斎藤の残酷とも思える無表情の目に唇を噛み締めていると、藤堂が間に入るようにして気まずそうに笑った。

「……紫苑、俺は元々北辰一刀流だからな……伊東さんは、俺が誘ったようなものだし」
「だから義理立てして出てくってのかよ!?」
「それもあるけど……俺の考えは、伊東さんに近いんだよ……」

それは攘夷に対する幕府の位置づけ。
伊東は前から幕府を軽視する発言が多く、どちらかというと薩長の倒幕派に通ずるものがある。
だから薩長の密会疑惑が浮上し、尼僧庵に潜入までして調べたのだが、藤堂はそちら側だと言う。

その思想の違いを見せつけられてしまったら、もう何も言えないのだ。
新選組に留まる、それはすなわち自分の意思を曲げる事になるのだから。

「この国の為には何が必要なのかって事を見てみたい、新選組の枠から出た所で」
「…………」

伊東もそうだが彼も国全体のこれからを考えている。
それは、単純な理由で出てきた紫苑にとっては考えた事もないものだった。

幕府の行動が気になる事はあるが、それでも新選組に絶対の信頼を寄せて、
ただひたすら近藤と土方に付き従い、間違っているとも思わない。
薄っぺらい存在だと思い知らされる、浅はかな自分が恥ずかしい。

「……一君はどうして行くのかは、たぶん教えてくれねぇんだよな?」
「そうだな、紫苑には関係ない事だ」
「…………っ」

今までの彼らとの思い出が崩れていくような衝撃が頭を巡る。
試衛館で出会った事や、女の自分にも甲斐甲斐しく剣の稽古を見てくれた事。
皆でよく酒を飲んでは騒いで、同じ景色を見てしみじみと季節を感じたり。

そんな、何だかんだ言って楽しかった日々がずっと続いていくものだとばかり思っていた。

「怒るなよ紫苑……俺だって悩んで決めた結果なんだ」
「……悩んでる素振りすら見せなかったじゃないか」

怒ってはいない、ただ急すぎて頭が付いていかないだけだ。
どうして彼らと別れなければならないのかと、どうしてこれで終わりなのだろうかと。

わかっている、この自分の感情がただの我が儘なのだと。
自分勝手に彼らを繋ぎ止めたいだけだという事も。

彼らが決めた事なのだ、他人がどうこう言えるものでもない、だけど……悔しくて。

「なあ紫苑……お前はさ、俺達の為に京に来たかもしれねぇけどさ、
志が違えば、いくら仲が良くても別の道に行くしかねえんだよ。ずっと一緒にいられる訳じゃねぇんだよ」
「……っ」
「ごめん……せっかく此処まで来たのに、傍にいてやれなくて」

藤堂が言っている事は正論だ。
自分達は命を賭けて刀を振っているのだから。

藤堂はなるべく優しく言い聞かせてくれるが紫苑は顔を上げようとはしなかった。
できないのだ、目が合えば感情的に言葉を発してしまいそうになるから。

「それに、死に別れる訳じゃないんだから、さ」
「だけど御陵衛士との交流は一切禁止されるらしいじゃないか……そんなもん、二度と会えなくなるって事じゃねぇか」
「……俺だって本当は……」
「わかってる……何かを貫く為には何かを捨てなければならないって。
だけど、はいそうですかって、すぐに受け入れられるものでもねぇんだよ……」

甘い考えだ、女々しいぐらいに。
新選組の為ならいくらでも同志を斬ってきたのに、いざ大事な人間になるとこんなにも駄々をこねて。

立ち尽くして拳を握り締めていると、斎藤が近づいてくる音がした。

紫苑、桜が咲いている」
「、え……?」
「何度目だろうな、こうして京で見る桜も」

導かれるように見上げると、桜の樹が一面に花を咲かせていた。
余すことなく命を燃やすその薄紅色は、少しずつ役目を終えたものから空に舞っている。

(気付かなかった……いつの間にか満開になってたんだな)

色々と隊務や考え事が多かったせいで、去年や一昨年のように桜を愛でる暇がなかった。
寒い冬が終わって暖かくなってくると色とりどりに花を咲かせるこの季節が紫苑は好きだった。

桜を見ると皆の表情が何だか穏やかになるものだから、満開になったと同時に誘って酒を酌み交わす。
京だけでなく江戸でもそんな馬鹿騒ぎを目当てに花見はいつも恒例行事だった。

斎藤も例外ではなく、騒ぎはしなかったが散りかけの花びらに目を細めては酒に口を付け。
物思いに耽って、それでも楽しそうに微笑んでいた。

(もう……花見できないじゃないか)

変わってしまっていく。時代が、心が。

「時が移ろう中で、様々なものが変わっていく。世の動きも、思想も、そしてこの新選組も」
「…………」
「それでも、何もかもが変わってしまう訳じゃない」

紫苑が思っていた事と同じ言葉を発した斎藤に一瞬絶望にも似た悲しみが押し寄せたが、
それを訂正するように彼は僅かに口元を緩ませた。

「時代の移り変わりと共に変わるものもあれば、変わらないものもある。
そして俺は変わらないものをこそ信じている。全て、捨てていく訳ではない」

斎藤が見つめる先にある桜、それも含まれているようだった。

桜は命が短い。蕾を付ければすぐに花開き、そしてすぐに散っていく。
だが僅かな命でも人々の心を深く刻み込まれ、儚い美しさに感動を残して消える。
だけど次の年にはまた花を咲かせるのだ。

桜は変わらない。
時に流されても、それでも一瞬の命を燃やす。
もう花見ができないけど、酒が酌み交わせないけど、それでも桜を愛する心は変わらない。
根底の信念は変わらない、そんな事を言われた気がした。

(狡いよ……男ってのは、そうやって勝手に完結するんだから)

一人で歩いて一人で決めて、そして別離を選ぶ。
そうして、また自分だけが取り残されるのだ。

「何、で……いつも、皆は俺を置いて行くんだよ……っ」


――いつまで経っても、自分だけが"武士"になれない。


「いい加減にしろ、紫苑
「!、土方さん……」

ふいに聞こえた声に振り返れば厳しい表情の副長が立っていた。
咎めるような目は紫苑に向けられていて、ようやく自分が二人を困らせていた事に気付いた。

「あ……ごめん、平助、一君……」
「いや、いいんだ……紫苑は一段と仲間意識が強いから、許してくれねぇかもって思ってたから……」

情けない、仲間意識があるのは誰だって同じなのに、自分だけ聞き分けなく喚いていたなんて。
挙げ句の果てに悩んで悩んで決断したであろう藤堂にまでこんな顔をさせてしまった。
斎藤も何も言わなかったが手を焼いていたに違いない。

「正式な決定が不服か?」
「……いえ」
「来い」

冷たく土方に呼ばれ、紫苑は名残惜しく二人を見比べながらとぼとぼと後ろを歩いた。
確かに、これはもう決められた事なのだ、自分にとやかく言う資格はない。
不満の声を上げるなら、すなわちそれは新選組に背く事になる。

慌てて否定したが、自分が失態を冒したのには変わりない。
前を歩く土方にはさぞ無様な姿で映った事だろう。


さっきまで紫苑が寝ていた副長室にまで連れて行かれると、対面する形で座らされる。
不機嫌に腕を組む土方の前で身を小さくさせて正座する、確実に説教の形だった。

顔が見れなくて俯いたままの紫苑に、盛大な溜息が落とされる。

「だからお前は男になりきれねぇんだ」
「、俺は男です!」

かなり弱気だったのに反射的に言い返せば鼻で笑われた。

紫苑にもわかっている、これは男らしからぬ感情だと。
仲の良かった永倉だって納得できない様子で苛々していたが、それでも本人達に当たり散らしてはいなかった。
土方に呆れられるのも無理はない。

「俺達は武士だ。信じるものがあり、それを最後まで貫く、な。
お前は俺達と馬鹿騒ぎがしたくて新選組に入ったかもしれねぇが、互いにそういう覚悟は持ってんだ」
「…………」
「だからもしあいつらの道が新選組の道を阻むなら、俺は躊躇いなくあいつらを斬る命を下す。
それも承知の上で生活してんだ。……斬れるか、お前に?」

畳み掛けるように言葉を並べられ、思わず拗ねるように黙り込む。
馬鹿騒ぎがしたい訳じゃない、お願いだからそれだけはわかって欲しいのに、
今の自分ではそう思われても仕方ないと紫苑は気を落とす。

斬れるなんて、断言できる訳がない。
それをできないとわかってて投げ掛けられた難題。
紫苑が何かを言う前に土方は簡単に言い放つ。

「だから無理だと言ったんだ。わかったならさっさと荷物まとめて江戸へ帰れ」
「……嫌です。離隊は切腹じゃないですか」
「今ならどうとでもなる」

だから、そう簡単に切り捨てないで欲しい。
何の為に此処まで来たんだと思っているのだ、この鬼副長は。

(一体誰の為だと……っ)

頼まれてもいないし迷惑だろうけど、それでも自分にだって信念はある。
紫苑は沸々と湧き上がってきた腹立たしさで膝上の袴を握り締めた。

「俺は一君も平助も斬りたくない……当たり前ですよ、ずっと一緒にいたんですから。
……だけど土方さんだってそう思ってるはずだ」

彼らと別れるのは嫌だ、彼らを斬るのも嫌だ。
でも、だからといって江戸になんて帰る訳がない、新選組を抜ける訳がない。

此処に唯一の人がいるのだから、他のどんな大事なものだって捨てる気でいるのに。

「斬りたくない、でも土方さんが命じるのなら……斬る。それが俺の、答えです……っ!」

どちらかを選べと迫られたら、きっと自分はそれを選ぶ。決まってしまっているのだ。
それだけもう信じきってしまっているのに。

半ば自棄になりながら張り上げた声は随分情けない音になっていた。
顔を上げてはっきりと言えたのに喉の奥は詰まって、言葉ではないものが溢れてしまいそうで。

「俺だけ逃げるなんてしない……土方さんが辛い思いするなら俺だって辛い思いをする!
土方さん一人に背負わせねぇから!」


――貴方は、本当は優しい人だから。


辛いのは自分だけではない。
その感情を吐き出せない人だっている、だから何があっても此処にいる。

「……何熱くなってんだ、一人で」
「っ、知りませんよ!勝手にそうなっちゃったんですから……っ」

突然の激昂に驚いているのだろう、呆気にとられたようにそれだけを呟いた土方に、
こんな顔は見られたくなくて紫苑は視線を逸らす。

「泣くな、馬鹿」
「…………っ」

決壊してしまった涙腺からぼろぼろと溢れていく液体を必死で拭う。
やっぱり泣いてしまった、泣きたくなんてなかったのに。
自分が悔しくて、眉をしかめながら無理矢理瞼を擦った。

紫苑の涙が治まってきた頃、ずっと黙っていた土方が口を開いた。
どうやら落ち着くのを待っていたらしい、そして口調は厳しいものではなかった。

紫苑、腕出せ」
「……はい?」
「力むから傷が開いてるだろ、いいから見せてみろ」

土方の視線を辿って自身の腕を見下ろせば、服が僅かに赤くにじんでいる。
そのまま素直に、だけどおずおずと腕を差し出すと遠慮なしに袖を捲られた。

痛みは感じていなかったが、確かに包帯が血で染まっている。
心当たりがありすぎて、いつ頃から傷が開いていたのか見当も付かない。

「そこまで酷くはなさそうだな」
「……大丈夫ですよ、俺昔から怪我の治り早いし」
「昨日の今日で治ったりするか、馬鹿」
「また馬鹿って言った!」
「うるせえ。包帯換えてやるから終わったら寝ろ、こんな怪我人が隊士に見つかったら何て説明する気だ」
「すんません……」

(出てけとは、もう言わないのか……?)

少しはわかってくれたのだろう、雰囲気で何となく察知できた。

千鶴が置いておいてくれた包帯の予備を手にすると、土方はかなり乱暴に血のついたものを取り払う。
痛いですと思わず唸れば文句言うなとたしなめられ、それでも巻く時は先程よりも指の力は弱めだった。

綺麗な包帯が巻かれると土方はすぐさま部屋を出て行ってしまった。
恐らく、落ち着いて考えろという意味合いもあって連れて来られたのだろう。
忙しそうな背中を見送り、一人になった空間で紫苑はぼんやりと目線を漂わせる。

(平助……一君……っ)

別れるだけではなく、殺し合う覚悟までしなければならないなんて。
土方には大見得を切ったものの、果たしてその日が来たら実際に刀を握れるだろうか。

もしもの話ではあるとわかっていても、そんな日が来なければいい、永遠に来ないで欲しい。
だから欲張るなと、生きてさえいてくれればそれでいいのだと、自分に言い聞かせた。

それでも、喪失感は拭えない。

「、……何、で……っ!」


ぱたりと、また涙が流れた。











Back Top Next



ついに御陵衛士の回。