慶応三年、四月。
複数の幹部が離隊した新選組では、隊士の再編成が行われた。
新しく隊士を募集して人数を増やし、以前から在籍する一部の隊士は責任ある地位へ引き上げられた。
その流れで紫苑も副長付小姓兼監察の立場から、組長代理へと変えられた。
名目は代理ではあるが、それは実質組長になるという事で、組とそれに属する隊士を持ち率いていく、
原田や永倉達と同じように実戦部隊への配置だった。
いきなり組長への異動で動揺した部分もあったが、藤堂や斎藤に伊東派も抜け、
沖田が体調不良で動けないとなれば、動ける人間は残り少ない。
だからこそ紫苑が指名されたのだろうし、土方が「お前は手が早い」と言っていただけあって、
紫苑の適正に合わせた処置なのだろう。
もちろん表向き小姓から組長代理へ昇格するのは異例中の異例であったが、大きな混乱にはならなかった。
それは紫苑が日頃から仕事の合間に稽古に勤しみ、隊士達にその実力を見せつけていたからだが、
それも土方は予想していたのかもしれない。
隊士を率いて巡察に出るのも既に何度もこなすようになった。
男にしては小柄で華奢な紫苑の後ろに厳つい体格が並ぶ光景は奇妙だったが、
組として日を重ねていくごとに組長を軽視する人間は誰もいなくなった。
再編成された紫苑の組は紫苑の経験が考慮されたのか新入りが比較的多い事も要因だろう。
皆は小さくてもよく動く紫苑に敬意を持ち始めていた。
そんないつもの巡察、近頃は新選組に喧嘩を吹っかけてくるような輩はあまりいないと聞いていたが。
「新選組めっ!同胞の恨み!」
「っ!」
人気のない脇道で待ち伏せていたのだろう、数人の浪士に取り囲まれた。
紫苑はすぐさま鞘から刀を引き抜いて応戦の形をとる。
「呼子を鳴らせ!固まりすぎるなよ!」
「は、はいっ!」
刀をかち合わせる背後で、仲間を呼ぶ笛の音が周囲に鳴り響く。
斬り合いになった時、大事なのは犠牲者を出さない事、長期戦を避け迅速に場を収める事。
突然の襲撃に少なからず動揺し、勢いのまま刀を握っている状態の隊士達も中にはいる。
そんな彼ら達の士気をいかに上げて戦わせるかが必要になってくる。
紫苑は隊の陣形を気にしながら、飛びかかってきた浪士に刀を突き出した。
組長として先頭に立っているからという理由もあるだろうが、
この集団で比較的小柄な自分が一番御しやすいと思われたのだろう、誰よりも紫苑の周りに浪士達が集まっている。
「く……舐めんなよ!」
迫る刀を受け流しながら確実に相手を斬り捨てていく。
襲撃をしてくるぐらいだから腕に自信はあったのだろうが、紫苑の方が上手だった。
様々な男達とやりあってきたのだ、体の大きい相手への対処は心得ている。
何よりも腕の立つ仲間達にどれだけ鍛えられていると思っているのだ。
弱いと高を括られた事に苛立ちを覚えながら紫苑は雄叫びを上げる。
そして、いくつもの血飛沫が舞った。
立ち上がれる浪士は一人もいなくなり、赤い海の中央で刀の血糊を払った。
「……皆、怪我はないか?」
「はい、全員無事です!」
「よし。生きている者は縛って連行するぞ」
軽く安堵の息を吐き、静かになった場で紫苑は次の行動を始める。
ひたすら冷静に浪士に縄をかけていく姿を見て、呼吸を荒くさせた隊士が感心したように言葉を漏らした。
「やっぱ、凄いな組長は……」
「、……ああ」
だてに幹部達と同郷ではなく、副長とも臆せず話せる人だ。
本当に甘く見ていると恐ろしい、そんな事を心底感じていた。
「おい紫苑、何があった!大丈夫か!?」
「ああごめん左之さん。不逞浪士に囲まれたけど、もう終わっちまった」
「そうか、無事ならいいが……何処のどいつだよ」
別に動いていた原田の隊が呼子を聞いて駆け付けてきたが、応援の必要もなく片付けてしまった。
大きな被害はなくてよかったと原田は緊張を解き、そしてある光景に釘付けになった。
「しかしお前……本当に精悍な顔付きになってきたな」
殺し合いをした後の現場の凄惨さは見慣れているが、
その中心でてきぱきと事を進めている紫苑の姿は酷いものだった。
返り血をべっとりと浴びた隊服は本当に浅葱色だったのかと疑いたくなる程に変色してしまい、
さらに顔や手などにも飛び散っているという無惨な事になっているのに、顔色一つ変えずそこにいる。
「そうか?ありがとよ」
「……手放しで喜ぶ事じゃねぇぞ」
しかも誉めてないのにニヤリと笑ってみせたのだ。
全くもって、こんなおっかない女だとは思わなかった。
まさかこんなに前線が性に合っているとは。
(だがそれも仕方ない、か……)
紫苑が無理をしているのだとは原田にもわかっていた。
希望していたとはいえ急に配置変えになり、責任ある位置に付かされたのだ。
加えて気心知れた仲間も減ってしまって、常に気を張っているようだった。
必死なのだろう、原田はそう思った。
紫苑は大切な仲間達の、そして自身に空いてしまった穴を埋めようとしていた。
翡翠 九
人を殺す事にも随分と慣れたものだ。
襲ってきた奴らの出所を調べる為になるべくなら生かして捕えるのが望ましいのだが、
状況によってはそんな手加減ができない時だってある。
だがそれで殺してしまったとしても悔やんだ事はない、やらなければ自分が死ぬのだ。
生易しい事は言っていられない、そういう世界に自分は身を置いている。
人を殺すのに特別な事は何もない。
日頃の稽古と同じように、それこそ試衛館時代から鍛えてきたように手に持つ得物を振るうだけでいい。
基本は一緒だ、後は真剣か木刀か、斬るか斬らないかの問題だけだ。
相手の剣筋を読んで刀を受け流したり避けて、隙を見つけて刀を振りかぶる。
相手がこう動いてきたらどう対処するか、意表を付いてきた時にはいかに冷静にこちらの間合いに持っていくか。
きっと、そのやり取りの間は自分は何も考えてはいない。
いかに相手を打ち負かすか、それだけだ。
できれば殺したくはないと思っていても、その瞬間には頭からすっかり抜けている。
つまりは、人を殺す事を厭わない自分がいたという事だ。
「残念だが、荒っぽいお前には斬る仕事の方が向いてるんだろうよ」と鬼の副長に宣言された通りに、
自分には人斬りが思いの外似合っていたという事実に内心驚いてもいる。
人は簡単に死ぬ、その命を奪う術を自分は身につけている。
刀を振れば生身に鈍色が埋まり、肉と骨が裂けて血がはじけ飛ぶ。
改めて認識させられた、自分が今まで学んできた事は全て人殺しの術だったのだと。
後悔している訳でも、やめたいと思っている訳でもないが、何故だか自嘲の笑みが浮かぶのだ。
こんな道を望んで選んだ自分はきっと最初から汚れていたのかもしれない、そう思えて仕方ない。
だが今はそんな事を振り返って、感傷に浸っていられる暇などない。
藤堂も斎藤も沖田もいないのだ。
彼らの代わりになれるとは到底思ってはいないが、少しは足しになる事を望まれての配置変えなのは明白だ。
だから僅かでもそれに答えなければならないのだ。
誰にも女っぽいと馬鹿にされないような、隊士達に敬われるようにならなければ。
(だからもっと強く……強くならないと……!)
「おー、やってんなぁ紫苑!」
「……新八っつぁん」
新入り達をしごき倒し失神者が出るぐらいの稽古を終えた後も、紫苑は体を酷使させずにはいられなかった。
剣を握っている時は何も考えなくて済むし、少しでも強くなれるならいくらでも無理をする。
そう一人残って木刀を振り回している時に聞こえたのは威勢のいい声。
「相手が欲しいなら付き合ってやるぜ」
「じゃあ頼むよ」
永倉も体を動かす為に来たのだろう、すぐさま打ち合いは始められた。
だが、さすがに激しい稽古後に彼を相手するのは少々辛い。
次第に足元が覚束なくなっている所を見抜かれて、攻められる。
「うぉらっ!」
「っぅ……!」
下段から剣を弾かせてから斬り下ろすのは彼の得意技だ。
木刀が持って行かれそうになる前に横に飛び退ったが、踏みとどまれなかった。
足元が崩れて腰が地面につく前に、片手で支えてもう一度立ち上がる。
素早く動かないと永倉はその瞬間を逃さない。
頭上にはもう既に木刀が迫ってきていて、紫苑は全身の力を込めて木刀で受け止めた。
「ほら、もう息上がってんのか!」
「上がってなんか……ねえ!」
「うおっ!……ちょ!」
ぎりぎりと音がするぐらいの腕力を抑えているせいで両腕が悲鳴を上げ始めている。
極力したくない力比べからどうにかして逃げようと刀身をずらして体の横に受け流す。
紫苑の動きを予想していた永倉からの切り返しを逆に利用して、間合いへ滑り込んで木刀と突き出した。
それは想定外だったのだろう、慌てて体をくねらせて串刺しを免れた。
「お前の突きは総司と同じぐらい怖いんだ、よ!」
「俺だって新八っつぁんの馬鹿力に困ってんだよ!」
檄を飛ばし合いながら、紫苑は漠然と荒さを感じていた。
いつもの永倉も比較的力業だが、それに輪を掛けて力だけで押してくる戦い方。
闇雲に、という言葉が似合うがそれでも此方が苦労するくらいの実力を持っているから困る。
「っ、まだ……終わんねぇ!」
「くそ……っ!」
互いにかなり息が上がって、腕も痺れきっているのにどちらもやめようとしない。
いつの間にか、これはもうただの稽古ではなくなっていた。
何度倒れても立ち上がっては打ち込んで、そうやって自身が抱えているものを吐き出しているようだった。
永倉の目も真剣味を帯びていて、互いに違うものを相手にしているかのように。
木刀から何となく伝わるのは彼の苦しみや苛立ち、そんな気がするのだ。
普段は明るく振る舞って冗談も言うが、どうしようもない不安や葛藤と戦っているのだろう。
これは、自身を蝕む闇を振り払うかのような行為だった。
どうもできない現状を拭いたくて、やるせない気持ちを吹き飛ばしたくて、
紫苑と永倉は無心に腕を上げ続ける。
会話すらなくなって、互いの荒い呼吸しか聞こえなくなっても、戦う事だけはやめなかった。
競り合っては離れ、構えを直しまた飛び出す機会を窺っていたその時、
訪れた限界によって同時に二人の体が地面に崩れた。
「む、り……もう動かねぇ…っ」
「は……っお、れも……!」
ころりと転がってしまった木刀の隣で大の字になって寝そべる二人。
視界一杯に広がる空はもう赤らんでいて、夕日を浴びながら必死に呼吸を繰り返す。
果てしない光景が何だか目に染みて、少しずつ息が整ってきてもぼんやりと眺めた。
そして長い時間をかけて起き上がると、どちらからともなく縁側に重い腰を並んで下ろした。
だがやはり体が怠くて、永倉が気の抜けた声を発しながら廊下に寝転がったので紫苑もそれに倣った。
余計な会話はない、いや必要なかった。
あの打ち合いの中で、互いの感情は大体読み取ってしまったから。
「平助と斎藤……元気にしてっかな」
「……うん」
苦しい、そんな言葉が自分達には渦巻いている。
揺るがないと思っていたものが揺るがされている、そんな途方もない不安も相俟って。
それでも自分達は進むしかないのだ、新選組として機能していなければならないのだ。
「……俺は、何で此処にいるんだろうな」
「、新八っつぁん?」
「伊東派だの離隊だの変若水だのって……俺は、新選組で何がしたいんだろうな」
「…………」
確かにここ最近で新選組は随分様変わりしてしまった。
変若水や思想の問題で少しずつ隊内で亀裂が入り、今回のような離隊騒動が起きた。
信頼していた仲間達までいなくなって、世の中はどんどん変わっていって。
取り残されてしまう感覚がするのは永倉だけではない、紫苑も時折そんな不安に駆られる。
組織化される事を嫌う永倉には今の状況はきついだろう。
だが、そこまで彼が思い詰めているとは思わなかった。
新選組に在籍する意味まで、失いかけているとは。
「新八っつぁんは、今の新選組が不満?」
「不満っつーか……俺は近藤さんが好きだったから付いて来たんだ」
「じゃあ、今は好きじゃねぇって事?」
「……昔は、ああじゃなかった」
彼の途方もない苦しみを垣間見た。
そこまで考えさせるほど、今回の藤堂達の離隊は堪えたのだろう。
そして、仲間を切り捨てるような判断を下した局長や副長に不信感を抱いてしまったのかもしれない。
紫苑は胸が鷲掴みにされるような痛みを覚えた。
これで彼まで失ってしまうかもしれないと思うと無意識に自身の手先が震えた。
「……近藤さんは変わってねぇよ。
一君が言ってた……色々なものが変わっても、変わらないものもあるって」
絞り出した言葉は上擦っていて、恐らく彼にも不自然に聞こえただろう。
だが、紫苑は本当にそう思うのだから仕方ない。
「俺は近藤さんの夢が叶ってよかったと思ってるよ。
そりゃ大所帯の局長だからね、立場も変われば多少は言動とかも変わるだろうけど、それは必然だろ?
でも俺は……俺の好きな近藤さんが喜んでくれるなら、それでいい」
いくら偉い立場になったとしても根底は変わっていないはずだ、それは時折見せる表情などでわかる。
そのたびに、ああこの人が局長でよかったと思うのだ。
「あの人は、馬鹿が付くほど真っ直ぐで、お人好しで……だから突っ走っちまう事もあるんだよ。
でもそれが、俺が憧れて尊敬する近藤さんなんだ」
「…………」
「それにちゃんと、近藤さんには土方さんがいる。あの人達が新選組を悪いようにはしないし、
俺達の事も駒みたいに捨てたりしない。俺は、そう信じてる……っ」
「……紫苑」
「だから……今は人手も足りないし、平助も一君も総司もいないけど、それでも―――」
「紫苑」
気が付けば永倉は起き上がっていて、紫苑の頭をぽんぽんと優しく叩いていた。
自分が何を喋っていたのか考えなければ思い出せない程、周りが見えなくなるぐらい譫言のように呟いていたらしい。
焦点を合わせれば彼は随分真面目な顔で、だけどあやすように苦笑している。
「悪かった、不安にさせちまって」
「……そんな、事ない……俺の方こそ、ごめん」
「いや……今はお前、無理してるってのにな」
吹き出した恐怖は震えとなって全身を襲っている。
それを悟った兄貴分に慰められているみたいで、気恥ずかしくなって紫苑もぐいと上半身を起こす。
困らせてしまったと沈んだ表情でいると、その重い空気を吹き飛ばすように永倉はからからと笑った。
「そんな深刻そうな顔すんなって、別に抜けたいと思ってる訳じゃねぇんだ。
ただ……まぁ俺も色々と思い詰めてんのかもな。はは、柄にもねぇ」
「新八っつぁん……」
「ありがとよ、付き合ってくれて。少しは気が晴れたし、お前が新選組を大事にしてるのもわかった」
体が動かなくなるぐらい打ち合って、互いの胸の内を明かし合って。
それでも互いの悩みが消え去ったとは思えない、さらに増えてしまったかのような重圧が紫苑に押し寄せる。
「新八っつぁん……もしやめたくなったら、ちゃんと言ってくれ。もう何も言わずに出て行かれるのは辛い」
みっともなく感情的になるのではなくて、相手の門出を祝えるぐらいになりたい。
そんな事は到底無理だろうとは思うが、せめて納得してから送り出したい。
「だから、やめねぇって。俺が此処を少しも気に入ってないと思ってるのか?
紫苑も左之もいるし、俺が見てねぇと危なっかしい奴等ばかりだからなぁ」
「……それ、左之さんが聞いたら怒るよ」
「へっ、いいんだよ。ほら、もう立てるだろ?そろそろ飯の時間だ、動きまくったせいで腹が限界」
「……ああ、そうだな」
腹減ったと言いながら廊下をすたすたと歩いていく永倉を追った。
彼の背中は大きくて、性格もどちらかというと大雑把で、でも兄貴分のように頼れる存在。
その彼が、人知れず悩んでいるのだと知った。
(恐い……いつか皆がいなくなってしまう気がする)
だけどもう、自分達は引き返せないのだ。
亀裂が、軋みが、次第に大きくなっていくのを止められない。
お願いだから行かないで欲しい――そんな懇願はきっと、意思を固めてしまった人には届かない。
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この頃はもう何番組という隊はなく、沖田永倉原田達は副長助勤となってます。
史実通りに言えば、主人公は副長助勤になったという事ですが、
薄桜鬼設定に合わせて"組長代理"と、少しぼかし表現をしました。
永倉話を入れてみた。
もう鬱展開になってる気がする…