紫苑、部屋に来い」

相も変わらず突然の呼び出しに、何かやらかしただろうかと首を傾げた。
早足で行くのも癪だったので、ぼてぼてと態とらしく音を立てて副長の部屋に入るが。

そこの主は仕事に集中して一瞥さえも寄越さず、用件が始まる訳でもない。

「あのー土方さん。それで、用は?」

背中をじっとりと見つめるが返事はない。
思い当たるのは巡察時に派手に立ち回った事とか、生意気な隊士を締め上げた事とか、
どうせそれらに対する小言なんだろうけど土方は一向に口を開かない。

なんなんだ一体と溜息をついた所で、ようやく正面の体が僅かに動いた。

「茶を持ってこい」
「はい?なら最初から言って下さいよー勿体ぶらないで」
「二杯だ」
「はあ……ってか俺、もう土方さんの小姓じゃないんですけど」

それなりに忙しくしているのに、と文句を言いながらもよいしょと腰を上げる。
不満は口にするが嫌な訳ではない、律儀に注文通り茶を二つ用意すると部屋に戻った。

しかしこんなに飲むのだろうか、疑問に思いながらも紫苑は大雑把にどんと卓に置いた。

「はい、お待ちどおさまー」
「それはお前のだ、飲んでいけ」
「…………」

何故、と突っ込みたくなった。
だが今しがた自分が淹れてきた茶を訝しむような目で見つめて、はたと気付く。
よく考えなくても不器用な副長の事だ、この変な命令は気遣いの意味なのだろうかと。
茶が飲みたいなら自分で飲む、なのにわざわざ副長室まで呼び出して「飲め」と言う。
これでも飲んで少しは休憩しろ、そういう事なのかもしれない。
それ以外の理由は土方が自ら説明しなければ残念ながら思いつかない、だがその気はないらしい。

確かに紫苑は今、隊士がいる場所では態度を崩さないようにしている。
組長代理になったのだ、上に立つ人間として気を抜いた振る舞いをする訳にはいかない。
土方の期待を裏切らないように、それもあって気を張っていると自身でも認める程であったが、
まさかそれを当の土方に気遣われるとは思わなくて紫苑は吹き出した。

「わかりにくすぎだよ土方さんー。しかも雑!」
「何の事だ、飲んだらさっさと出て行け」
「嫌ですよ。此処でのんびりするの好きなんですからー」

ごろごろしようと土方の背後に回れば、さぼってんじゃねぇと言われる始末。
はいはい何て言いながら自身が煎れた茶をすすれば熱い液体が腹を温めた。

(あー……やっぱりいいなぁ、この部屋)

彼も自分が紫苑に無理をさせているのだとわかっているのだろう。
だから言葉では何も言わないし、そういう態度すら一切見せない。
ただ茶を飲んで行け、だがそれだけでも十分すぎる程に嬉しい言葉だった。
命じたのなら最後まで冷酷であればいいのに、彼はそれでも抜け道を用意するのだ。

ここなら誰もいないし、誰も邪魔しない。
土方も此方を振り返ろうとはせず、気を張らなくていい空間が完成されている。
他の隊士には地獄のような副長室かもしれないが、
紫苑にとっては何よりも自分が自分としていられる場所だ。

安心できると言ってもいいだろう。
土方に対する個人的な感情云々や過去の事は例外としても、
紫苑の事情も不安も無茶も全て把握しているだろう彼の前で取り繕う物など何もない。

そんな彼だけのいる空間は静かで、少しだけピンと張り詰めていて、落ち着くのだ。

紫苑はふぅと息を吐くと、ぼんやりと周囲を見渡した。
何も考えずにただ静寂と茶の温かさだけが身を包む、それだけで救われた気がするのは何故だろう。
小休止、それは紫苑にとっては意外と必要なものだったのかもしれない。

(何でもお見通し、か……恐いなぁ鬼副長は)

いつか紫苑の感情の奥の奥まで読み取られてしまいそう。
だがそれは困ると改めて自分を律する事を決心していると、土方が唐突に口を開いた。

「飲んだら、お前に役目をくれてやる」
「……それは通常の隊務とは違うって事ですか?」
「ああ、密書を届けてもらう」
「最初からそのつもりだったんですか?なら、お茶なんかいらないじゃないですか……」

そういう事だったのか、ぬか喜びしてしまったと紫苑はがっくりと肩を落とした。
脱力したような情けない声が聞こえたからか土方はふっと笑った。

「俺を誰だと思ってんだ、お前は」
「……でもさっきは飲んだら出てけって言いましたよね?」
「長居されると鬱陶しいからな。命令聞いて、さっさと行けって意味だ」
「…………」

やっぱり抜け目ないなこの人、紫苑は心底そう思った。
本音なのか建前なのかは判別できないが、まぁすらすらと言葉が出てくるものだ。

結局本当の所はわからないが、それでも休憩になったから良しとしよう。
気遣ってくれた、そう思っていた方が幸せだろうからと紫苑はふわりと笑った。

その平和なやり取りの間、彼は最後まで紫苑の方を一度も見なかった。
それが何だか答えを教えてくれているような気がしたから。






翡翠 十






まさか、本当に、そんな逸る気持ちを抑えて紫苑は闇夜を突き進む。
期待と不安で油断してしまいそうになる、だが気配を振りまく訳にはいかないと必死で己を律する。

外にいる間諜に密書を渡すだけの隊務だと土方は言ったが、その相手の名前を聞いて紫苑は驚愕した。
詳しい事は教えてもらえず、それ以上は相手に聞くしかない。

紫苑が想像するままならば、この先に嬉しい事実が待っている。
自身を蝕む、この空虚感を吹き飛ばしてくれるような人がいる。

皆から隠れるように屯所から出た外はもう夜、灯りがなければ周りはほとんど見えない。
土方は簡単に言ってくれるが、こういう隠密の隊務はそれはそれは神経を使う。
紫苑は月明かりを頼りに、漆黒に溶け込むように京の裏道ばかりを歩いた。

人の気配がない事を確認して、指定された場所で息を潜める。
するとそれを終始見ていたかのように都合よく人影が現れた。
夜を吸い込んだような深い藍色の瞳が至近距離で見えて、紫苑は飛びつくように破顔する。

「は……っ」

一君、と思わず名前を呼んでしまいそうになり紫苑は慌てて口を噤む。
現れた人物はやはり御陵衛士となったはずの斎藤だった。

「……お前」

予想外の人物だったからだろう、斎藤は驚いた上に僅かに瞠目して、周囲には聞こえない声量で呟いた。

「あんた、こんな夜更けに何をしている」
「会いに行けって、言われたんだ」
「…………」

斎藤はそれでわかっただろう。
土方に命じられたのだと暗に伝えれば溜息が洩れる。

「あんたが来たのか……」
「って事は、本当に?」

新選組と御陵衛士の接触は一切禁止であるにも関わらず、土方と斎藤は繋がっている。
そして密書が彼に渡される、という事は。

(一君が御陵衛士になったのは……!)

やはりと期待を膨らませた目で見つめれば、静かな肯定が返って来た。

「……ああ、そういう事だ」
「そっか……そうなのか……よかった……」
「あの人も随分人が良いな、特にあんたに関しては」
「うん……俺もそう思う」

土方が紫苑を寄越したおかげで隠さずに告げられた真実。
彼は新選組が嫌で離隊したのではない、恐らく御陵衛士に同志として参加して動向を探る任務なのだ。

そう、彼はまだこちら側なんだと、紫苑は安堵と喜びで笑みを深くさせた。
何で嘘付いてたんだとは聞かない、彼は隊務ならば仲間にもそれを決して明かしたりはしない。
だから怒りなど湧くはずがない、純粋に安心感に満たされて荒んでいた自分の心が幾分か和らいでいくようだった。

あの副長は、それを教える為に紫苑に役目を与えたのだろう。
山崎や島田などもっと適任はいたはずなのにそれをしなかった、わざと紫苑に斎藤の事を教えたのだ。
それは副長室で飲まされた茶よりも、何よりも紫苑の気持ちを救ってくれるものだった。

「……ごめん、あの時は色々喚いて……」
「構わん、あれぐらいは予想していた」

むしろ感情のままに斎藤をなじってしまった自分が恥ずかしい。
平静な顔でそう言ってくれるが、たとえ斎藤であっても内心ではやはり傷ついていたのかもしれないと思う。

「でも平助は……違うんだよな?」
「……ああ」

斎藤は潜入でも、藤堂はそうではない。
離隊時の藤堂の言葉に偽りは感じなかった、彼は自分の意思で本当に伊東に付いていったのだ。

その事実はやはり変わらなくて、そっかと寂しい口調で紫苑は返した。
それは仕方のない事なのだ、何度も言い聞かせたから。
彼だけでも十分嬉しいのだ、贅沢な事は言えない。

感傷に浸って本来の目的を忘れてしまう前にと、紫苑は命令書を懐から取り出した。
それを斎藤はさっと広げ、暗闇の中で目を通し始める。

「読めるのか?」
「ああ、慣らしているからな」

人目のつかない場所で密かに情報を交わすような、そういう仕事が多い彼は夜目が鍛えられているらしい。
へえ、と感心しながら紫苑が覗き込んでみてもよく見えない。
ましてや内容を正確に読み取る事などできそうもなくて、少し悔しくなった。

「……了解した」

全て頭に入れたのだろう、閉じられた命令書は再び紫苑に戻され、それを丁寧にしまった。

これで用事は済んだ、ならば誰かに見つかる前に早々に立ち去らなければならない。
名残惜しいがこれが別れとなる訳でもないし、喜ばしい収穫があったのだ。
隊務が終わればいつか新選組に帰ってくるのだろう、僅かでも会って話ができてよかった。

そう踵を返そうとしたが、ふいに紫苑の頬に手が触れた。

「っ……?」
「あまり無理はするな。己を保たねば自分が闇に引き込まれるぞ」

目の下の隈を無遠慮になぞられながらの言葉に、紫苑はハッとした。
そんなに酷い顔をしているだろうかと思ったが、彼にはわかるのかもしれない。
命令とはいえ紫苑がもう何人も手に掛けているという事を。

「……ああ、わかってる」

これは警告だ、正真正銘人斬りとなってしまった紫苑への。
他でもない斎藤からの発言であったからこそ、それが全身に重くのしかかる。

肝に銘じるよと頷き、紫苑はその場から離れた。















密書を渡す、正確には密命を伝える役目を終え、再び夜に紛れながら静かな京の町を渡る。
今頃屯所では夕食もとっくに済ませて就寝している頃だろう。

紫苑の事は恐らく使いに出したとでも土方が言っているに違いない。
元小姓として今でもこき使われている事は幹部達も、紫苑の組隊士達もよく知っているから、不思議には思わないだろう。
むしろ不憫に思われているかもしれない。

そういえば腹が減った、屯所に戻ったらこっそりと遅い夜食でも食べよう。
なんて頭の片隅で考えていると、ふいに違和感を覚えた。

何やら屯所の方角が騒がしい。
気のせいかとも思ったが、こんな夜に煩くするような集団はこの先には新選組くらいしかない。
何かあったのだと、忍ばせていた歩みを急がせる。

その矢先、遠くにぼんやりと人影が見えて紫苑は身構えた。
闇の中を気配も殺さずに歩く三つの影は、屯所から出てきたようにも見える。
そして近づいてきた気配に、全身に走る言いようのない恐怖感、この感覚には覚えがあった。

「風間……っ!」
「……ほう、あの時の女か。貴様はあの場にいなかったようだな」
「っ、まさか新選組に!?」

ぐっと刀の柄に手を掛けた先で、赤い眼がニヤリと細められる。
何故彼がこんな所にいるのか。
嫌な予感に相手を睨み付ければ、隣にいた男が不思議そうに首を傾げた。

「お知り合いですか?」
「ふん、男だと偽って犬共に交じる変な女だ」

風間以外の二人と対峙するのはこれで二度目だ、風間と同じく鬼と名乗り圧倒的な力を見せる男達。
目の当たりにして改めて思い知る、彼らは本当に普通の人間とは違う。

風間とは対照的に比較的落ち着いた振る舞いで訝しんでいる天霧九寿、
そして反対に終始楽しそうな笑みで不躾に此方を見定めている不知火匡。
二人とも、まともに戦ったら勝てないと本能が告げてくる。

「新選組の屯所に用事でも?」
「我が妻を引き取りに行っただけだ。興が削がれたがな」
「妻……千鶴の事ですか」

何故お前に言ってやらなければならない、そんな表情をしながらも風間は素直に教えてくれた。

彼は前にも千鶴を連れて行こうとしていた、一体彼女が何だというのだ。
千鶴がこの場にいないという事は幸い新選組がそれを阻止したのだろう、ふて腐れたような顔が物語っている。

彼らは本当によくわからない存在だった。
新選組を見下しているが本気で潰そうとはしてこない、唐突にやって来る時はいつも千鶴に関する事ばかり。
そして紫苑を見逃した事が不思議で仕方なかったし、今も殺意を感じない。

だがいくら失敗したのだとしても、堂々と自分達の領域に入ってこられるのは嬉しくない。
彼らの事だ、新選組の被害が全くないというはずはない、恐らく死人や怪我人も出ているだろう。
歯痒い思いをしながら非難の目を向けると、風間は嘲笑うように息を吐いた。

「どうして千鶴ばかり狙うんですか……あいつが何だってんだよ」
「知らねえのか?あいつも俺達と同じ鬼なんだぜ」
「、え……?」
「純血のな、だから俺があれを妻にして何が悪い」

千鶴が、鬼?

不知火が楽しそうに告げた言葉が俄には信じられなくて、紫苑は固まってしまった。
彼らが言うのだから嘘ではないだろうが、予想もしなかった理由に思わず呆気にとられてしまった。

「ふん、お前もあれも、まがい物を作り出す愚かな連中の何がいいのかわからん」

此方が刀を抜こうとしていたのを知っていたのかどうでもいいのか。
元々やる気がなかったのだろう、風間はぶつぶつと吐き捨てながら紫苑の横を通り過ぎる。
新選組に何かあったら刺し違えても仇をとってやる、
それぐらいの気迫でいたのに何だか肩透かしを食らった気分だった。

正面の男達を見つめれば、彼らも風間の後に続く。
一纏めにした長髪をはらはらと靡かせながら、不知火は急に方向を変えて紫苑の間合いに入ってくる。

「へえ、風間に会ってよく殺されなかったなーお前。ふーん、確かに女っぽい顔してんな」
「、触るな!」
「おーおー、怖いねぇ」

何度も会っているような口ぶりの風間に殺されていない紫苑が物珍しいらしい。
すっと近づいて顎に触れられそうになり、野生の獣のように手を払いのけて牙を剥けば男がけらけらと笑った。

最後に一人残った天霧は丁寧な物腰で、至って真剣な表情で紫苑を見下ろす。

「貴女のような女性が何故あのような連中と一緒にいるのかは知りませんが、
彼らの非道なやり方は明白です。身を引くことをお勧めします」  
「……っ」

あんたに何がわかるんだ、そう言ってやりたかったができなかった。

わかっている、そうかもしれないが、それでも大切な仲間で、あそこが紫苑の居場所なのだ。
自覚しているがそれを部外者に言われるのは気にくわない、どちらかと言えば悔しい上に腹立たしい。
目だけで睨み付ければ男はやれやれと溜息をつき、紫苑の前から去っていった。

紫苑は刀から手を離し、深く長い息を吐いた。

虚勢を張っていたが、彼らを前にして平気な訳がない。
戦うほどの価値もないと見られているのかもしれないが、正直やり過ごせてよかったと思っている。

動揺していた鼓動を静めさせ、何度も深呼吸して落ち着けると紫苑は屯所へ走った。
何を言われても自分はもう新選組の隊士だ、それ以外には道はない。
女だろうとも、やっている事が非道でも、それでも信じているから。

包み込まれるような漆黒の闇に足を取られそうになりながらも、一心不乱に先を目指す。
帰るべき場所はもうそこにしかなかった。











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2章、まだ少し続きます。
いかん、土方さんが優しすぎる気がする…もっと厳しくしたいのに。