鬼の襲撃によって、懸念していた通り新選組には被害が出ていた。

狙われた千鶴は無事であったが、彼女を守った島田が負傷。
そして死者が数人、だが奇妙な事に斬られたのは羅刹隊ばかりで、
それ以外の一般隊士は致命傷は負わされていなかった。

紫苑が外出している間に起こった事を、千鶴は全て話してくれた。
以前から聞いていた彼女の友人達が屯所にやって来て鬼だと名乗った事、
そして風間に連れて行かれる前にと千鶴を迎えに来た事。

もう隠せないと考えたのだろうか、非常に申し訳なさそうに自分もどうやら鬼であると千鶴は告げた。

「千鶴が鬼か……何か実感湧かないなぁ」

既に風間達の口から聞かされていたせいで大きな衝撃もなかった。
それに千鶴が鬼だと言われても、彼女は何ら自分達と変わらない。

この間の傷がもう跡形もなく治っている事には確かに驚いたが、便利だなぁぐらいにしか正直思わなかった。
さらに通常では考えられない程の身体能力を持っているらしいのだが、
風間達ならいざ知らず、千鶴のそれを目の当たりにした事がないのでわからない。
たとえ見る機会があったとしても、千鶴に対する見方は変わらないだろう。

「千鶴は千鶴だろ?そういう事だよ」

化け物と罵られる事が恐かったのだろうか、俯いて不安そうにしてた千鶴に紫苑は笑ってみせた。
どうして風間が千鶴を狙うのか、それがわかって逆にすっきりしたくらいだ。

「鬼だろうが何だろうが、女を無理矢理自分のものにしようとする奴は許せねぇよ」

だから守ってみせる、そう言えば千鶴は嬉しそうに微笑んだ。


今回の騒動は何とか落ち着いたかのように思えたが、実際はそれで終わらなかった。

騒動を起こしたとして西本願寺側から出て行けと言われてしまったのだ。
元々新選組とは敵対する薩長寄りの寺であった為に、何かと嫌がらせまがいの事もしてきた訳だから、
耐えかねた寺側がこれを機に追い出しにかかったらしい。

移転先の屯所の手配や資金まで負担してくれるというのだから、新選組としては悪くはない話だ。
むしろそれを言い出すのを待っていたかのように頷いた土方に、さすがの紫苑も「鬼……」と呟いてしまったのだが、
最初から折り合いはよくなかったから互いの妥協点だったのかもしれない。

そうして、新選組は再び西本願寺から屯所を移転させる事となった。

慶応三年、六月の事だった。






翡翠 十一






新しい不動堂村の屯所は、以前とは比べ物にならない程に大規模なものだった。
広大な敷地に多数の部屋と様々な設備が建てられていて、大名屋敷と見間違えてしまいそうだった。
間借りという形ではなく初めて新選組だけの建物だ。

さらに新選組は幕臣に取り立てられる事になり、近藤達の喜びも人一倍であった。
正式に将軍に仕える直参になるという事は、武士になる長年の悲願が達成された事になる。

元百姓で道場の跡取りであった局長が出世する、それに関しては紫苑も嬉しくない訳ではない。
だが完全に佐幕派になってしまった新選組には戸惑いを隠せない人間も多数いる。
何にも縛られず自由に暴れ回りたいような、気性の荒い連中が多い集団なせいで上と下とで温度差があるのだ。

親しい仲間と共にありたい派の紫苑は、心酔する程幕府を敬っている訳ではない。
むしろあまり好きではないのだ、そんな事は声を大にして言えないが。

個人的な喜びは感じてはいないから、様々な声や環境の変化で気分は複雑だった。
加えて、御陵衛士として新選組の隊士達が離隊して人数が減った後の、大きな屯所。
狭い部屋で大所帯でわいわい騒ぐのが好きな紫苑にとっては、何だかつまらない気がするのだ。

「おー、おかえり千鶴」
「ただいま戻りました」

じわじわと熱を持ち始める縁側に座り込んで庭を眺めていると、荷物を抱えて帰ってきた足音に視線が流れる。
買い出しに行っていた千鶴の両手を何気なしに見ると、いくつか食材が混ざっているようだ。

「あれ、もう足りなくなってたか?」
「いえ、これは沖田さんにお粥を作ろうと思って余分に買ってきたんです」

変わらず相部屋である二人の部屋に千鶴は他の荷物を下ろす。
それを横目で見ながら「そっか……」という興味なさそうな言葉を返す紫苑

紫苑さんは、今日は非番ですか?」
「そう。でもさっきまで体動かしてたから疲れた」
「ふふ、無理しないで下さいね」

いつもよりぼんやりしている紫苑に何か言うでもなく、千鶴はふわりと微笑んだ。

「じゃあ、私はこれから沖田さんのお世話に行ってきます」
「おー、行ってらっしゃい」
「……はい」

千鶴の返事が少しだけ悲しそうなのは、紫苑がここしばらく沖田に会ってない事を知っているから。

喧嘩する程仲の良かった紫苑であるのに、沖田の部屋にぱたりと寄りつかなくなった。
それでも頻繁に千鶴に沖田の容態を尋ねてはいつも寂しそうに生返事をする。

労咳だと紫苑は知らないはずだが、もし察知していたとしても、
病がうつるからという理由で会おうとしないのではないのだとは、千鶴でもわかる。

沖田が床に伏せっている日が増えていくのに合わせて、紫苑が今日のようにぼんやりと遠くを見つめている日も増えた。
全力でぶつかり合っていた二人だ、弱っている相手など見ていられないのだろうと千鶴は思う。

会った所でどうにかなる訳でもない、苦しくなるだけだ。
遊び相手がいなくなって拗ねている子供のような横顔からそんな気持ちが伝わってくるから、
千鶴は誘う事もなく静かに返事をして廊下を歩く。

だが今日は、ふいに足音が聞こえた。

「……俺も行く。いいかな?」

久しぶりに紫苑が立ち上がって追いかけてきたのだ。
その表情は深刻なものであったが、千鶴にとっては嬉しい言葉だった。

「はい、もちろんです」

微笑む千鶴を見返して、強いなぁと紫苑は思った。
彼女は恐らく病の事を知っている、なのに気丈に振る舞い甲斐甲斐しく看病に行っている。
辛いだろうに、それに負けない彼女は此処で座り込んでいる自分とは違う。

そう、紫苑は避けていたのだ。
日に日に弱っていく彼の様子など見たくはない、
咳き込んでいる彼を目の当たりにすると、脳内で垣間見た光景が本物になってしまいそうだから。

喀血しながら倒れる瞬間を見る勇気など紫苑にはなかった。
どうか夢や幻であればいいと思っていたものが現実になるのは嫌だ。
それでも今日は、彼に会ってみようという気になった。
少ない仲間達にだだっ広い屯所、そこにぽつんと座っている事の方が嫌だった。

逃げであっても弱さであっても、誰かの傍にいたかったと言えば彼に笑われるだろうか。
志を同じくして、この言いようのない不安を共有できそうな仲間の傍に。

「あれ、紫苑が来るなんて珍しい事もあるもんだね」
「……うるさいなぁ」
「君はもう、此処には寄りつかないと思ってたよ」
「…………」

千鶴には普通の反応だったのに、背後の姿を見つけての開口一番の言葉が相変わらずで泣けてくる。
そんな皮肉すらも弱く掠れた声なのが痛々しくて、紫苑は眉を潜めた。
腹は立ったがそれは沖田に対してではなく、どうしようもできない現実と病魔にだ。

「何?僕を笑いに来た?」
「……そう見えるか?」

この二人は互いを認め合っているはずなのに、会えば険悪な空気にしかならない。
今にも喧嘩が勃発しそうな雰囲気に千鶴は取りなすように間に入り、てきぱきと身辺の整理を始めた。

紫苑は「様子はどう?」などと気軽に声をかける事も、枕元で献身的に世話する事もできず、
ただ無言で縁側に腰掛けて、毎日沖田が眺めているであろう庭を見つめていた。

(病だってわかっても……どうもできないじゃないか)

隊士達の間で沖田が重い病ではないかと疑われる随分前から知っていたというのに。
ただ進行していくのを指を咥えて見ているしかできなかった。

「沖田さん、今からお粥作ってきますね」
「……食欲ない」
「でもお薬飲まないといけないし、食べて下さいね。大根も入れますから待っていて下さい」

此処から離れても大丈夫だろうかと思ったのだろう、
千鶴は心配そうな顔で紫苑と沖田を見比べながらとたとたと廊下を歩いていった。

彼女は沖田の扱いが随分上手くなったようだ。
彼が我が儘を言うのはいつもの事だが、今はもう笑いながら有無を言わせない態度で押し切れる。
彼が敬愛する局長のように、彼女に対しても弱くなっている事を彼女は知っているだろうか。

途端に訪れた息苦しい程の沈黙の中でそんな事を考えていると、
布団から上半身を起き上がらせていた沖田から再び攻撃が来る。

「今日はだんまり?いつも煩いくらいに噛み付いてくるのにさ」
「……そんなに噛み付いてねぇだろ」
「まあ、今は僕もやり返す気もないからいいけど」
「…………」

背中に投げかけられる、沖田の必死の強がり。
振り返る事もせずぶっきらぼうに答えるだけ。

「僕がいない間に、随分忙しそうだね」
「……ああ……一君も、平助もいないから」

一番組の組長がいないのだ、どれだけ穴埋めに必死になっているんだと思っているのか。
彼が抜けた穴は大きい、だからこそ彼の凄さを再確認してしまって余計に苦しいのだ。

稽古で一度も勝った事がなかった。
あんなに強かった沖田が小さく見えて、きっと今なら簡単に勝ててしまえるだろう。

(そんな事……あっていい訳がないのに!)

紫苑の剣は沖田に似ている。
彼に言うつもりはないが、それは彼に憧れて密かにその技を盗んでいるからだ。
試衛館時代から圧倒的な強さを誇った沖田の剣に、少しでも近づいて強くなりたいと願って修行してきた。
いわば目標なのだ、自分より上にいてもらわなければ困るのだ。
だから彼は何があっても紫苑より強くなければならないのに、何故ずっと床に伏せているというのか。

「ねえ、紫苑
「……何だよ」

ふと、沖田の声色が変わった。
嫌味を言う時のような鋭さがなくなり、ぽつりと寂しそうに零されるもの。
一体何を言う気なのかと思わず普通に聞き返してしまった、だけど。

「……僕が動けなくなったら、僕の代わりに近藤さんを守ってくれる?」
「っ!!」

突然告げられた言葉に紫苑は反射的に立ち上がって部屋に入り、沖田の胸倉を掴んでいた。

「ふざけんな!何自分より弱い奴に近藤さん任せてんだよ!」

投げやりに微笑んでいた沖田は唖然とした表情に変わっていた。
それは激昂する紫苑の目尻から、涙が溢れていたから。

「誰が総司の代わりになってやるかよ!総司が近藤さん守るんだろ!?だったら最後までやり通せよ!」
「……っ」
「俺は……、俺は俺でやる事があるんだから、頼まれても困るんだよ!」

ぼたぼたと熱い雫が沖田の胸に落ちる。
ずっと堪えていたものが止まらない、怒りで震える拳は一歩間違えれば殴ってしまいそうだった。

最も大切にしている人を他人に任せるなんて、そんな事あっていい訳がない。

悲しそうに笑いながら言った言葉は冗談であっても言っていいものではない。
何故諦めようとしているのか、切実な言葉であればある程、紫苑にとっては許せない。

「んなもんなのかよ、総司にとっての近藤さんは!自分の大事な人は、自分で守れ!!」

ついには胸に縋り付いて俯いてしまった紫苑
表情はわからなかったが、漏れる嗚咽と拳の震えでどんな状態かは容易に想像がつく。

「……うん……ごめん」

それを呆然と見下ろしながら沖田は自然と謝っていた。
強がっていたのは自分だけではなかった、それを言ってはいけない言葉で抉ってしまった。

紫苑がその姿見を変えてでも土方を追いかけて来たのと同じように、
沖田も近藤の為に剣の道以外は全て捨ててきた、むしろいらなかった。

自分達は同じ存在なのだ。
だから自身の"守るべき人"を捨てるという事は、死んでもあってはならないのに。

軽々しく口にしてしまった自分を、沖田は珍しく後悔した。
諦めるなんて事は決してあってはならないのに。

「……ねえ、紫苑
「っ……、何だよ」

とりわけ優しい声で呟けば、つっけんどんな涙声が返ってくる。
それが可笑しくてつい笑ってしまった。

「どうしようもならなくなったら……僕はきっと変若水を飲む」
「な……っ!」

がばっと音を立てるように驚愕の目が此方を向いた。
そんなつもりで言ったんじゃない、という顔色をしている紫苑を制して沖田は続ける。

「そりゃ僕だってあんな物にはできればなりたくない。
だけど……人じゃなくなっても、血を啜って狂い死にする最後でも……僕は剣を握りたい」

諦めたくないのだ、自分だって。
沖田は自身に言い聞かせるように言葉を続ける。

「こんな所にいたくない。近藤さんの傍にいたい。
それを、君ならわかってくれるよね?女を捨てて男になった紫苑なら」
「……!」
「だからもしそうなっても、君だけは怒らないで」
「…………っ」

言葉は返ってこなかった。
だが再び顔を俯かせて泣き出してしまった事が彼女の返事だった。

紫苑が今考えている事は手に取るようにわかる、だからこそ自分達は似たもの同士なのだ。
普段はこんな泣き顔を沖田には絶対に見せない、
そんな彼女の本当の気持ちが何故だか沖田の気分を落ち着かせていた。

「別に紫苑に言われたからじゃない。前からずっと考えていた事さ」

泣いてくれた彼女の為にも、強くあろうと思った。
彼女にはそんな事絶対に言ってやらないが。

「僕は戦いたい」
「、……総司は、馬鹿だ……っ」
「お互い様でしょ、君だって馬鹿なくせに」
「っ……そうだよ、悪いか!」
「……別に、悪くないんじゃない?」

くすりと笑えば紫苑が顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃになっているのが可笑しくて吹き出せば、再び紫苑が怒り出す。

飛んできた拳を何とか捕まえて見下ろしてやれば、負けず嫌いの拳が何度も沖田の顔を狙った。
それは粥を作って戻ってきた千鶴に止められるまで続いていた。











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総司夢になってる気がする…。