――痛い、痛くてこの身が溶けてしまいそう。

それだけに支配されそうな世界を、小さな炎のように自身の心が制していた。
変えられた事への満たされた喜びが、今の私を保っている。

先視の力を持った私が、近藤さんが銃に撃たれる未来を変えさせた。
それはずっとのし掛かっていた、押し潰されそうだった義務感の重みを軽くさせた。

ああ、遠くで誰かの声がする。

暗闇の牢獄に閉じ込められて動けない私を、
このまま深い海の底に沈んでしまいそうな私を引き上げるような、必死な音。
苦しくて、息ができない感覚が私の邪魔をして、返事はできない。

「おい大丈夫か!?」
「気をしっかり持て!」

あれは、私の家族のような仲間達の声だろう。
私を私として生きさせてくれた、大切でかけがえのない人達。

志が違えば道が分かれてしまう、そんな不安定な塊だと皆は理解している。
時には斬らなければならない関係だともわかっている。

だけど、大切な人を大切だと言って何が悪いのだろうか。
斬りたくないと思う気持ちは抱いてはいけないのだろうか。
それでも守りたいのだ、信頼したいのだ。たとえ心がすれ違ったとしても。

彼らとずっと肩を並べていたくて、ずっと一緒にいたくて。
時の流れが激しい世から逃げるように、ぬるま湯みたいな居場所を繋ぎ止めようとしている。

そんな私はきっと、いつまで経っても皆と同じになれない女なのだ。

紫苑!!」

痛みの蝕む思考にはっきりと聞こえた、あの人の声。
耳にするだけで胸が高鳴ってしまう唯一の人が、一気に私の意識を揺り起こした。

あの人を目にするといつも強く思うのは、傍にいたいという事。
傍にいて、あの人が見える位置で、あの人を傷付けるもの全てを私が防ぎたい。
心を守りたい、そう感じさせるこの気持ちは、紛れもない恋情だ。

どうしてこんなに好きになってしまったのだろう。
きっと雛鳥の刷り込みように、最初に見出してくれた人であったからなのだろう。
仮に別の人が試衛館に誘ってくれたのなら、私はその人を好きになったのだろうか、それはわからないけど。

だけどあの人は、そっけない振りをして実は私の事をしっかり見ていてくれるから。
自分が気にかけてるって知られないようにして、私を心配してくれるから。
嬉しいと思ったのと同時に、不安になったんだ。

私だけじゃなくて、他の人にもそうやって接しているから。
素直に心を示せばいいのに、出そうとしない貴方は不器用で。
その性格故に他者から誤解される事もあって、損ばかりしていて。

どうして、と思った。
貴方の優しさが人に伝わらないのは悲しかった。
そんな貴方に平穏はあるのだろうか、なかったとしたら私が寂しい。

だから、私が貴方の心さえも守りたいと思ったのだ。

(ねえ、土方さん……私、まだ生きてるよ)

だからそんな声で私を呼ばないで。

私は私のやりたい事をやっただけなんだから。
貴方は貴方のその強すぎる意思のままで道を突き進んでくれればそれでいいんだから。
私が影から貴方を守るから、私の事は気にしてくれなくていい。
そんな風に、貴方が傷ついたような目をしなくていいから。

「……、…」

ねえ土方さん、私生きてるから、大丈夫ですよ?

そう言いたい言葉は音にならなかった。
だけど上手く笑えたみたいで、彼は目を見開いていた。

「お前、まさか……っ!」

ああ、未来を変えた事、気付かれたかもしれない。
これは怪我が治ったら怒られるなぁ、そう思った。
もう剣が握れないかもしれないけれど、でも生きているみたいだから大丈夫。

まだ残ったこの身で、貴方を守れるから。

「これでは血が止まりません、焼きますよ」
「……ああ」

皆の姿が遠ざかっていく暗闇の奥で、そんな言葉が聞こえた。
どうして土方さんがそんな悔しそうにしているんだろうか、
そう思っていた矢先、右肩から全身の手足の先まで熱くて激しい痛みが突き立てられた。

「っ、あああああああああああ!!!!」

視界がちかちかと爆ぜた。
今までぼんやりとしていた世界が一気に私を突き刺して、思わず狂ったように叫んでいた。
それを遮られるように口内に何かが詰め込まれて、獣のように噛みちぎる勢いで歯を食いしばって。

ついに私は、その意識さえも深い闇に引き渡した。






深緋 六






始めに新選組に駆け込んできたのは局長を乗せた馬だった。
護衛達に取り囲まれた、ただならぬ雰囲気に奉行所は騒然となった。

近藤は開口一番、慌てた表情で背後を振り返る。

「島田君と紫苑は!?」
「ま、まだ姿は見えません!」

必死の形相に、何とか付いて来た護衛の一人はそう答えた。
どうした何があったと駆け寄ってくる土方達に事情を説明した近藤は、
奥に引っ込ませようとする手を振り払いながら門前に立ち尽くす。
二人が戻ってくるまではここから動かないと、怒りにも似た目で。

しばらくして戻って来た島田の両腕には、
おびただしい血を流してぐったりとしている紫苑が抱えられていた。

それが数刻前の事。
銃創を焼いて塞ぎ、痛みに耐えきれなかった紫苑は気絶したまま眠っている。

紫苑が小柄な体型で幸いだったと島田は言う。
そうでなければ、例えば一人前の男であったなら抱えて戻ってくるのは難しかっただろう。
処置が遅れればそれだけ命が危険に晒される。

「いや、よく連れて帰ってきてくれた」
「いえ、俺は何も……今回の事は全て藤沢君の機転のおかげですから。ですが……」

島田は戸惑いながら詳しい状況を伝え、その間ずっと土方は眉をしかめていた。
互いに、紫苑の行動に対する不審な点を感じずにはいられなかった。

紫苑は必要以上に、何かに迫られているように緊張した様子でいた事。
あの森の街道をしきりに気にして、
さらに狙撃されるかもしれないとはっきり口にしていた事も。

藤沢君の口ぶりは、まるで……」
「狙撃されるとわかっているようだった、か?」
「は、はい……」
「どういう事だよ、土方さん?」

そんなはずはないのに、そうとしか考えられない程、紫苑の行動は一貫していた。
こんな事は非現実的だと島田は思っていたが、土方に言い当てられて思わず俯く。

そして二人の論点が理解できなかったのだろう、
報告を静かに聞いていた原田がついに疑問の声を出した。
騒ぎを聞きつけた羅刹隊の山南や沖田、藤堂を含めた幹部達も説明を求めるように視線を注いだ。

だが土方はすぐには答えなかった。
答えられない、というよりも彼自身がその答えを受け入れている最中のようだった。
苦虫を噛みつぶしたかのように表情を歪ませて、眠る紫苑を見つめながら。

「……副長、俺は紫苑の様子がおかしくなるのを何度か目撃しました。
御陵衛士との戦いの折りには、突然"平助"と叫んで飛び出して行きました。
紫苑の不可解な行動と今回の事、何か関係があるのですか?」
「そういえば少し前、僕にも変な事を言いましたよ。僕が倒れる姿を見たって」
「…………」

斎藤と沖田の言葉にしばらく考えあぐねていた土方は、
これ以上もない程に深くて重い溜息をついて口を開いた。

「……あいつは、先に起こる事が一瞬だが見えるらしい」
「はあ?」
「……それは、先読み、予知、という類ですか」
「そうみたいだな。俺もあまり信じちゃいなかったが……これではっきりとわかった」
「そんな事が本当にできるのかよ……」
「俺もよくわからねぇが、断片的に視界に入ってくるらしい」

冷静に返すのは斎藤くらいで、他は沖田や原田のように素っ頓狂な声を上げるか唖然とするばかり。
無理もないと土方は思う、自分も紫苑に信じると言ったものの本当の所は全てを理解できていなかった。
ここまでの行動を起こすという事も。

紫苑は近藤さんが狙撃される事をあらかじめ把握していて、未然にそれを防いだんだろう。
でなければ、何故あんなにも必死に参加すると言い出したのか説明がつかない」
「……何だよ、んな事俺達には一言も話さなかったじゃねえか……」
「言えねぇだろうな。何かと無理がありすぎる」
「…………」

相談して欲しかった、そんな声色をした永倉は考える。
もし相談されたとしても、きっと自分は怖い夢でも見たんだと笑い飛ばしてしまっただろうと。
皆も同じ気持ちであったらしく誰も何も言えなくなり、ついにその場は静まり返ってしまった。

こんな夢物語のような事があるのか。
半信半疑な気持ちで、だが副長が言うならそうなのだろう。
今でも信じがたい事実だと、口には出さなかったがそんな空気がありありと流れていた。

「あいつ、ずっと様子がおかしかった。それって、色んな"先"を見て知ってたからって事か?」
紫苑さん……ずっと一人で抱えて、悩んでいたんでしょうか……」

絞り出された藤堂の言葉に、瞳を潤ませた千鶴がポツリと呟く。

時々、消えてしまいそうな横顔で縁側から空を見上げていた紫苑
そして羅刹になった藤堂に、まるで自分の事のように後悔していた紫苑

ずっと、何かを変えようと必死になっていたのだろうか。

「もしそうだとして……紫苑が怪我してたら意味ねぇじゃねえか……っ」

怒りにも似た感情が湧き上がった。
どうして打ち明けてくれなかったのかと、それ以上に気付いてやれなかった自分に。

「あいつ、笑ってた……こんな大怪我して、何で笑ってられるんだよ!」

痛みと、血を流した事で意識を混濁させていた紫苑は、
自分達の呼びかけに一瞬だけ目を覚まして、嬉しそうに微笑んでみせたのだ。

ただただ、恐怖を感じた。

藤堂の悲痛な叫びは、誰もが沈黙する部屋に重苦しく響いた。
様々な思考が幹部達を駆け巡っていた。
紫苑の容体の事、先視の事、それから今までの彼女の行動の不自然さなどを。

そんな中、ふいに沖田が場違いな程に笑い出した。

「そっか、紫苑は知ってたのか……だからあんなに……」

あんなにも沖田を気にして、時には泣きそうな顔で睨んできた。
何度も喧嘩腰に挑発してきては此方の腕を確かめて、だけどしばらく経つとそれすら避けるようになった。
そして羅刹になった後、彼女は自分のせいでもないのにボロボロと泣いて。

きっと彼女は、病の事も変若水を飲む事も知っていたのだろうと沖田は思う。
それを防ぎたいのにできなくて、だからこその涙だったのだろう。


――「俺に何かあったら、土方さんを頼む」――


あの時、決意に満ちた強い目で紫苑はそう言った。
冗談だと笑ったけど、それは命を落とす可能性も考えての発言だったのだろう。

自分の大事な人は自分で守れと言った彼女が、今回の護衛にどれだけの覚悟を持っていたのだろうか。
想い人を他人に託してまで、どんな思いで彼女は未来を変えようとしていたのか。

「馬鹿だね、本当に」

それで自分の本懐を遂げられなかったら意味がないというのに。
沖田は苦しそうに眉を潜めて眠る紫苑にそれだけ吐き捨てると部屋から出て行った。

それを皮切りに、土方がお前等ももう休めと言えば、皆は戸惑いながらもバラバラと散っていった。
それぞれにこの事実を整理する為に、そして此処にいても何もできない事を察していた。

残ったのは近藤と土方、そして眠る紫苑
だがどちらも口を開こうとはしなかった。

土方は腕を組み、目を閉じたまま。
そして紫苑が運び込まれてから終始無言のままだった近藤は、
応急処置が終わった後からずっと紫苑のすぐ傍で座り込んでいる。

あの街道で紫苑が咄嗟に馬を走らせなければ、恐らく自分に銃弾が埋まっていただろう。
だが自分よりもか弱い女性に守られて生き延びている事が、近藤にとっては耐え難い事だった。

「山を越えたとしても、彼女の肩は……」
「刀は持てねぇだろうな」
「……そうか」

今夜が峠だと山崎は言った。
それで一命を取り留めたとしても、右肩の骨が砕かれている以上もう十分には動かないだろう。

剣で生きる為、彼女は女を捨てた。
だがその剣さえも、もう握れない。

何と悲しい結果だろうか、近藤は悔しさで顔を歪ませながら紫苑の頬をそっと撫でる。

静かに眠っていれば確かに女に見えるが、
顔面にまでいくつか残っている小さな傷痕はおよそ女には似つかわしくない。
華奢な体に惨たらしく刻まれた肩の傷ははっきりと残るだろう、そして満足に動かない。

乱雑に切り上げられた髪を見下ろして、土方も顔を歪ませる。

「どうして、こんな事に……紫苑が傷付くぐらいなら、俺が撃たれればよかったのだ」
「局長が命を落としでもすれば新選組は終わりだ。こいつは、"新選組"を守ろうとしたんだろうよ」
「女性に守られる武士など、聞いた事がない……!」
「……そうだな」

武士の恥だと、近藤は吐き捨てて拳を床に叩き付けた。

「新選組に入れなければ、こんな事にはならなかったのだろうか……」
「……入れたのは俺だ、近藤さんが気に病むことじゃない」
「トシ、どうすればいい?紫苑に、何がしてやれるんだろうか……?」
「…………」

俯いてそう呟いた近藤に言葉は返さなかった。
だがやれる事は多くない。逆に言えば、してやるべき事は一つしかなかった。

土方の心はもう既に決まっていた。











Back Top Next



鬱展開。