――獣の叫び声がする。

だがそれは断末魔の声。
闇に群がる者達の無惨な雄叫びが静寂を引き裂いた。

どす黒い血飛沫の雨を浴びて佇むのは一人の、別の獣。

慟哭を背に、炎のように浮かび上がる獣の目は血色。
生き血を吸い込んだその赤はギラギラと鈍く揺らめいて、残酷に引き絞られている。
その双眸を陰らすように流れる、淡く発光する白い髪。

「沖田さん!」

ぱたぱたと足音を立てて、獣の前に小柄な人物が立ち塞がった。
ゆらりと顔を上げる沖田の殺気をものともせず、男装姿の千鶴が咎めるように此方を一心に見上げる。

彼女は言う、自分を止めに来たと。
それを聞いて、何を言うかと嘲笑と苛立ちさえ感じた。

沖田にとってはこれが自分の道だった。
人を殺す為に生き長らえ獣と化した自分に残された、ただ一つの。

人殺しが、自身の全てであるというのに。
何故彼女はそれを否定するというのか。

「沖田さんが信じた道なら、真っ直ぐに歩き続けて欲しいんです」

羅刹となった事、人でなくなった事は自分が望み、選んだ道。
だからこうしているのに、彼女の言っている意味がわからなかった。

「僕は剣にしかなれない……人を殺す事しかできない」
「沖田さんが自分の事、人殺しの道具としか思えないなら……それは、それでいいと思うんです」

背後の肉塊となった死体を一瞥して、千鶴は少しだけ眉を寄せた。

「……大事な人が危険な目に遭いそうになって、いてもたってもいられなくなる気持ちはわかるつもりです」

実際は無事に帰って来られたのだとしても、一歩間違えれば死んでいた。
人間を捨ててまで守りたい人が、自分のいない間に狙われたのだ。
こんなに憎らしい事はない、だから殺した。

「代わりに紫苑さんが怪我をした事も、本当は気にしているんですよね?」
「…………」

大事な人は怪我をしなかった、だけどその代償に違う何かを失った。

意識を朦朧とさせ、治療の為とはいえ聞くに堪えない悲鳴を上げた紫苑
ずっと、紫苑――彼女は自身が傾倒する人を追いかけて、お転婆の延長のような快活さで竹刀を振り。
いつも言い合いをして喧嘩した、何度も本気で仕合いを交えては笑いながら睨み合った。

どんなに虐めても挑発しても、決して彼女はその心を揺るがせなかった。
自分と同じように、一心に土方さんの背中を見つめていた。

置き去りにされても女さえ捨てて、彼女は大事な人の傍に留まり続けている。
口調はすっかり乱暴な男のようになってしまったけど、中身は変わらない。
必死で食らい付いて、がむしゃらに生きている。

彼女は自分と似ている、だから衝突してしまうのだ。
同族であるが故に苛立ったり、からかったりしてしまうけど、嫌いだと思った事はない。
むしろ逆であるかもしれない、口には絶対出さないが。

なのに、此処に転がって死んでいる奴等は、そんな彼女のたった一つの道さえも閉ざしたのだ。
彼女は一番大事な人ではない人を守って、全てを失った。

仇を討つなんて大層な思考じゃない、ただ殺してやらなければ気がすまなかった。

だがそれを目の前の小娘に指摘されるとは予想していなかった。
適当な言葉も浮かばずに、その真摯な目から逃げた。

「僕が、そんな仲間思いに見える?」
「はい。それから、自分が許せなくなっているようにも見えます」
「…………」

自分が許せなかった。
大事な人を他人に守らせてしまったなんて、自分が獣になった意味がない。
この自分の力は、何の役にも立たなかった。

「でも、自分を見失わないでください……沖田さんの仕事は、感情に任せて剣を振るう事なんですか?」
「……ねえ千鶴ちゃん。あんまり生意気な事ばかり言ってると、今日こそ君を殺しちゃうかもしれないよ?」

殺気を見せると目の前の彼女は一瞬だけ怯んだが、
またすぐに強い目を此方に向けてきた。

「私は、絶対にどきません。どうしても行くつもりなら、私を殺してから行ってください!」

不思議だった、何故彼女はこうも必死なのだろうと。
人殺しなんてどうとでもないのに。
自分の事でもないのに、死も覚悟した顔で止めようとしてくる。

そんな疑問をぽつりと呟けば、放っておけないと彼女は答えた。
変な人間だと思った。

彼女に免じて気を静めようと息を吐いたのも束の間、ふいに感じた嫌な気配に緊張が走る。

振り返れば、千鶴と同じ顔をした人物――南雲薫が立っていた。
口角を吊り上げ、歪んだように笑っているその目が、全てを物語っているようだった。

「……近藤さんを撃ったのは君?」

沖田に変若水を飲ませた時のように、彼は千鶴を苦しめて楽しんでいる。
今こうやって仇討ちをしている事も、思い通りだとでも言いたげに笑いながら。

「そういえばちょうどあの日だったかな、御陵衛士の残党に会ったよ。
恨みを晴らしたそうだったから、街道に張り込めばいいとは教えてあげたかな」

だから自分ではないと、南雲は飄々と答える。

「本当は近藤を撃たせるつもりだったのに、少し計算は狂ったけど」

まさか紫苑が庇うとは思っていなかったのだろう。
番狂わせが起こり面白くないと、そんな顔をしながら彼は千鶴を見つめた。

「……だから、君がその近藤の代わりに、死になよ」
「っ!」

気付けば暗闇の向こうから、いくつもの銃口が千鶴を狙っていた。
無意識に体が動き、次の瞬間には燃えるような痛みが自身に突き刺さっていた。

「!……沖田さんっ!」

千鶴の泣きそうな声がすぐ傍で聞こえる。
大丈夫だと答えたかったけど、どうしても言葉は出てこなかった。

それでも、南雲だけはずっと睨み続けていた。

「間抜けだなぁ、でも沖田なら庇うと思ってたよ」

どこまでも楽しそうに、千鶴の苦しみを甘美と味わいながら南雲は闇に消えた。

そして沖田も、紫苑と同じように地に倒れた―――






深緋 七






ふと目が覚めるとそこは、見慣れた天井だった。
どうして自分はこんな所にいるのだろうか、まずそんな事を思った。

何だか長い夢を見ていたような気がする、それから体が鉛のように重い。
特に右肩は、毒矢でも刺さっているかのようにずっと痺れたまま。

思考は靄がかかったようにはっきりしなくて、今が朝か夜なのかもわからない。
いや、障子越しの外が白んでいるから、恐らくもうすぐ夜が明ける頃なのだろう。

(そうだ……俺、撃たれたんだ)

あの街道で敵を撤退させて安堵した直後、背後から肩を突き破られて気を失った。
狙う対象だった局長が逃げてしまい、その恨みもあって此方を撃ってきたのだろうと紫苑はぼんやり思った。

薄暗闇に慣れてきた視界を彷徨わせると、すぐ傍に人の塊がある事に気付いた。
それは座り込んだままじっと動かず、腕を組んでいた。
眉間を深く寄せながら、眠っているのかは判別がつかないが目を閉じている。

次第にそれが誰なのか思い当たって、紫苑は思わず口を開いていた。

「土方さ、ん……っ」

予想以上に口が渇いていて、途切れ途切れの掠れた声になってしまった。
身を正そうとしたが激痛を伴った体は言う事を聞いてくれず、再び布団へと沈んだ。

「いい、寝てろ」

だがそれでも静かに、冷たい口調で返事が返ってきた。

起きていたのか、そう思いながら紫苑は反射的に身を強張らせた。
その、いつもなら怯まない声色が今は怖かった。
怒っている、それは誰が聞いても明らかだったから。

ずっと此処にいたのだろうか、そんな事が聞きたかったのに雰囲気がそうさせない。
嫌な沈黙が続いたが、どうしてもこれだけは確かめたくて、どもりながら静寂を破る。

「……近藤さん、は……無事ですか……?」
「体は何ともねえよ」
「そうですか……よかった」

体は、という表現が気になったが、とにかく無事ではいるらしい。
安心した、やはり未来は変えられたのだ。
そう思うと気分は一気に落ち着いて、ぼんやりと今の状況を考える。

(腕……やっぱり動かないよなぁ……)

痛み以上に、思うように動かせない気がする。
だがこれは必要な代償だった。
この先どうやって新選組で生きていこうか、なんて事を考えると不安がよぎってしまうが、
それでも仕方ないと諦めるしかない。

終始不機嫌な表情で押し黙っている副長の怒りも、甘んじて受けるしかない。

「……紫苑
「はい」

一呼吸置いて、細められた目が紫苑を見下ろす。

「後ろ傷――隊規違反だ」
「、え……?」

だがそんな言葉は予想していなかった。
もっと、紫苑を心配しているのだとわかるような、激しい説教だと思っていたのに。
何を言われているのかもよくわからなかった。

「後ろ傷を受け、その相手を討ち取らなかった、それが全てだ」
「っ……!」

淡々と、鬼と呼ばれた副長の口から音だけが流れていく。
混乱する頭で呑み込みたくないそれらを呑み込んで、紫苑は目を見開かせるしかなかった。

新選組の局中法度には代表的な五箇条の他に、後ろ傷を受けて敵も逃がしてしまった場合、
武士としての覚悟なしと見なされて切腹しなければならない隊規もある。
どんな理由があったとしても必ず適応される。

それを彼が告げたという事は、つまり、

藤沢紫苑、士道不覚悟により切腹に処す」
「っ、そ、ん…な……――」
「……だがお前は偶発的にも局長を守った。
それを考慮して切腹は免除してやるが、新選組から除隊とする」


――そうか、そういう事か。


朧気ながらも気付いてしまった。
これを機会に、紫苑を抜けさせるつもりなのだろう。
ずっとそうしたがっていた土方の名目を作ってしまったのだ。

震えが止まらない、それは彼の決定が覆らない事を知っているから。
心のままに"離隊は嫌だ"と叫ぶ事はできない、してしまえば本当に自分は武士ではなくなるから。
だけど、このまま引き下がる訳にはいかない。

(何の為に、此処まで……!)

「ま、待って下さい……!」
「知っていたんだろう?近藤さんが撃たれる事を」
「……っ」
「もし見たとしても忘れろと、俺が言った事も覚えているな?」
「……、……は、い」
「俺の命令を無視して勝手な行動をとった、それに対しても処罰しようと思えばできる」

局長を助けたのにこの仕打ち、だが酷いとは思えなかった。
彼は紫苑の為を思って「忘れろ」と言った。
そして、たとえ死んでもいい、どうなってもいいから未来を変えたいと行動を起こしたのは自分。

決して、見返りを求めていた訳じゃない。

「離隊が嫌なら切腹だ。選べ、離隊か切腹かを」

顎まで震えて、歯が鳴ってしまいそうだった。
伸ばした手は布団を握り締めて、冷酷な目は見られそうになかった。

「言い訳は……させて、もらえないんですか……?」
「お前も曲がりなりにも武士だろう?ならば無様な真似はするな」
「っ……局長を守る……俺は、その士道を貫いただけです」
「その結果、後ろ傷を受けた。だから切腹は逃してやった」
「…………」

鬼副長を甘く見ていたと、紫苑は唇を噛み締めた。
局長を守って褒められこそすれ、切腹を言い渡されるとは想像もしていなかった。
悪い事をした訳じゃないからと、そんな風に思っていた。

だがここは新選組、どんな理由があっても隊規を破れば切腹が決行される場所。
実際に紫苑も、良かれと思った事が徒となって腹を切らされた者達は何度も見てきた。

そこまで強固な局中法度がなければ、新選組という集団は成り立たないのだ。
そして紫苑は、どうしたってこの副長は自分を新選組に置いてくれる、
そんな風に思っていたのかもしれない。

全ての考えが甘かったのだ。
局長の狙撃を先視していた時点で、もし副長に相談していたら何か変わったのだろうか。
それでも彼は、「忘れろ」と言い続けたのだろうか、それは今となってはもうわからない。

だけど彼が、紫苑が勝手に行動した事を咎めている理由はわかる。
命令無視は思わぬ事態、もっと言えば新選組の崩壊を招く事もあるのだから。

「土方さん……俺は、武士として生きてきました。
除隊がもう決定しているなら……、受けいれ、ます」

土方が今回の事を、本音の部分でどう思っているのかわからない。
失望か、それとも怒りか。
それでも、局長が負傷するくらいなら自分が怪我をした方がいいはずなのだ。
紫苑にとっては、何より大事な土方が傷付けられるのは我慢ならなかった。

(総司と、仲違いなんてして欲しくなかった)

新選組に、亀裂なんて入れさせたくなかったから。

(だから、仕方ないのかもしれない)

破裂しそうな胸の痛みは、拳を握る事なんかでは誤魔化せなかったけど。
頭が痛い、喉が熱くて泣いてしまいそうだった。だけど涙だけは何とか耐えた。


――この人の、傍にいられなくなる。


そんなのは、絶対に嫌だ。

「良い機会だ。全てを忘れて、女に戻れ」
「……土方さんって、いつもそれですよね」
「当たり前だろ。女なら夫婦になって子供を作れ、お前にはその方が幸せだ」

やっぱり酷い人だ、紫苑はそう思った。
こちらの気持ちも知らないで、平然と言ってくれるのだから。
対抗して平静を装おうとしても、もう投げやりな返事しかできなかった。

「武士に……女扱いするなんて、変ですね」
「武士扱いしろと言ったのはお前だ。だが、どう努力してもお前は女だと、最初からそう言ってるだろ」


――傍に、いたいのに。


どうしたら新選組に残れるのか必死で考えた。
だけど、抜け道が見つからない。退路を断たれた気さえする。

(どうしたら、この人の傍に……!)

いられなければ、守れない。
彼を守る為に生きているのに、そんな意味さえなくなってしまう。

「まずは大坂の松本先生の所で療養しろ、しばらくはお前を世話してもらうように頼んである。
それから、その腕でも受け入れてくれる嫁ぎ先も手配して――」
「――俺が……どこぞの男と平和に生きる事が幸せだと……本気で思ってるんですか?」

嫁ぎ先、その一言に紫苑の中の何かが沸騰した。
怒り、いやこれは悲しみに近い。それから嘲笑。

久しぶりに視線を合わせた紫苑の表情は、恐らく歪んだように笑っていただろう。

「それが俺の幸せだと、本当に思ってるんですか?」
「ああ、思っているさ。どの道、刀ももう使えねえだろ」
「……っ」

絶望、そんな言葉が似合いだった。
もう、どんな道も残されてはいなかった。
何の役にも立たないのだと、言い渡されたに等しい。

「お前の、俺に対する感情を知っていた。だがそのままにして放置していた」
「!!」
「その結果が、これだ」

カッと、今度は恥ずかしさで全身が熱を持ち、硬直した。

そうだ、彼は鬼副長と呼ばれる、新選組の頭脳とも言える人だ。
仲間である原田達が気付いた恋情を、その聡い彼が気付かないはずがなかったのだ。
ずっと知られていたのだ、紫苑の密かな想いを。

(知ってて、初めから……)

紫苑は痛みすら反動にして無理矢理半身を起こした。
そうしなければ自身が保てない気がしたから。

「知っていて……どうして俺を新選組に入れたんですか?
俺が人斬りになる事も、逆に殺されるような環境も容認してて、どうして今更……っ!」

ずっと武士の顔をして傍にいたのに、そうではない事を知られていたなんて。
本当に、恥ずかしさで消えてしまいたかった。

だけどそれ以上に怒りが湧いた。
今更そんな風に女や夫婦などと言うのなら、初めから新選組に入れてくれなければよかったのではないか。
隊士となる事を認めたのなら、もう女という事や想いも全て忘れてくれればよかった。

そんな、絶縁通告のように突き付けてくるなんて。

「お前が男として生きると言うなら利用価値があると思った、それだけだ。
お前が気持ちを露わにせず、それ以上も望まないのなら好都合だった」
「今だって何も望んでません!此処にいさせて欲しいだけです!
戦えなくても、小姓でも勘定方でも何でもやります!やれる事はあります!お願いです……お願いですから!」


――盾にだって、なれるから。


紗矢
「っ!」

ピクリと動きを止めてしまったのは、女としての本当の名を呼ばれたせい。
咄嗟に反応して土方の目を見つめてしまったが、やはりそこにあったのは無情な色だった。

「俺は、お前の気持ちには応えられない。そうやって、しなくていい怪我をするような思慮の浅い女はいらねえ」

はっきりと区切りながら、紫苑の心を抉っていく。

「お前のその勝手な感情は、迷惑だ」
「……っ!」

恥ずかしい思いまでして、あまつさえ恋情まで拒絶されて。
女としても、道は閉ざされた。

「悪いな、俺はお前を妹ぐらいにしか思っていなかった。
その上、今はいつの間にかお前を女としてではなく、一人の武士として見ていた」
「……、……」

(そんな謝罪の言葉は……いらない)

"武士"であるなら、その言葉には喜ぶべきなんだろう。
だが彼に指摘された通り、生憎紫苑はどこまでいっても根本的には女だ、
今の状況では紫苑を突き落とす音にしかならなかった。

「それはお前にとっては酷だろう。だから、さっさと誰かと夫婦になれ」

ついに見開いた目から涙が零れた。
意地と、武士としての最後の矜持で表情だけは崩さなかったが、
俯いた双眸から透明な熱がぼたぼたと落ちていくのは止められなかった。

恥、怒り、悲しみ、絶望、全てがぐしゃぐしゃに自身を攻め立てて、もう何も考えられなかった。
真っ暗な視界では何も、見えはしなかった。

「昔からのよしみだ。お前には、普通に幸せになってもらいてぇんだよ」


――私は、貴方がいるから修羅になれるのに。

わかってよ土方さん。貴方が私の想いに応えられない事ぐらい知っている。
だったら、私の好きにさせてよ。

男でいいから、傍にいさせてよ。


「腕は完全には動かせねえかもしれねぇが、俺が良い嫁ぎ先を探してやる。近藤さんもそのつもりだ」

どうして、好きな人に他の男を見繕ってもらわなければならないのだろう。
どうしてだろう、もうわからなかった。

どう生きればいいか、わからなかった。


「こんな事になるなら……あの時、お前を拾うんじゃなかった」


疲れたように、重い溜息を吐かれながら。


全てを、否定された。











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ゲームとアニメ混合。
千鶴と総司のくだりはかなり省略してあります。