紫苑を離隊させる!?」

狙撃騒ぎから一夜明けて、土方から発せられた言葉に幹部達は戸惑いを露わにした。
真っ先に反応したのは藤堂であったが、皆同じような面持ちだった。

「総司と一緒に大坂で静養させ、紫苑はそのまま留まる事になる」
「あいつはそれで納得してるのか?」
「納得するしないの問題じゃねぇ、そういう決定だ」

土方は顔色変えずにそう告げ、隣の近藤も苦渋に満ちた表情であるものの、
決定自体には賛同しているようで口を挟む事はない。

「だけど紫苑は……怪我だって、近藤さんを庇って負ったんだし……」

だがそれで納得できないのは藤堂達幹部の方だ。
言うなれば名誉の負傷だ、もっと労ってやるべきなのに、追い払うように離隊を突き付けるなどと。
怪我をした沖田はこの場にいないが、誰もが重苦しい空気で俯いた。

紫苑がどれだけの覚悟で新選組にいるのかを仲間達は嫌という程知っていた。
女としての平穏を捨て、人斬りと化し、それでも貫くのは仲間の為、そして土方の為。

その彼女が、怪我程度で離隊を受け入れられるだろうか。
彼女ならきっと、たとえ四肢がもげても土方の傍から離れたがらないだろう。
それほどまでに彼女は、此処を……新選組を愛していた。

そう、愛しているという言葉が彼女の言動を形容するには適切だった。
こんな掃きだめのような、ごろつきばかりで構成された、人を斬る事でしか生きていられない集団を。
悪い部分は悪いと言いながら、それでも皆を受け入れて、皆を思っていた。
土方が新選組の芯を支えている人間なら、紫苑はそれぞれの強すぎる個体を繋ぎ合わせて、
意識を高めて連帯感を持たせるような、浸透液に似た存在だった。

そんな彼女を、身を挺して局長を守ってくれた紫苑を、どうして。
不満の声を上げれば、目の前の鬼副長は溜息を吐きながら。

「此処にいてももう役には立たん。切腹させなかっただけマシだ」
「な、土方さん……そんな言い方……!」

これにはついに原田が声を荒げた。
土方が不器用な人間だとも承知している、一番心を痛めているのは彼だろうという事も。
だがその言葉だけは聞き捨てならなかった。
あんなに必死に生きていた彼女に対して、あんまりではないか。
これでは、肩すら駄目にして新選組を守ろうとした紫苑が浮かばれない。

「あいつは……ずっと土方さんだけを追いかけてきたんだ。他の誰でもなく、土方さんを!
せめて、優しい言葉ぐらいかけてやったっていいんじゃないのか?」
「かけた結果がこの有り様だ。あいつにはっきり言ってやらなかった、それが俺の落ち度だ」

目を見開いた原田以上に、土方は渋い顔で虚空を睨み付ける。

「新選組に入れたのがそもそもの間違いだった。浅はかだったのは、俺だ」

こんな事までするとは思っていなかったのだ。
それはひとえに、彼女の決意を見誤っていたから。

「あいつは、それこそ骨だけになっても刀を握る気だろう。
此処にいれば俺はあいつを最期まで利用する、新選組の駒として。
だからさっさと出てっちまった方がいい」

女にそんな事させるなんて可笑しいだろう、と呆れたように吐き出した言葉は自分に向けているようだった。
少しだけ悲しそうに眉を潜めた彼は、おそらく。

「……知ってたのか、紫苑の気持ちに」
「普通はわかる」
「そうか……そうだよな」

にじみ出る後悔を読み取って、原田はゆるゆると拳の力を弱めた。
紫苑の真っ直ぐな目でいつも見つめられていた土方は、もうずっと前から察していたのだろう。

だが彼は、何よりも新選組の為ならば鬼になれる人間だ。
一度は追い出した彼女が意地で京都に来てしまった事で、彼は考えた末に彼女を新選組に組み込んでしまった。
そこで彼女の自分に対する恋情の類は全て知らない振りをして、男として組長のような事もさせた。
時には彼女の気持ちを知りながらも利用して、ここまで来た。

そうして彼女が狙撃されて、ようやく我に返ったのだろう。
いくら腕がよくても彼女は女、女は刀など握るものではないと思い出したが故の決定なのだろう。

(土方さんは、紫苑の事どう思ってんだろうな……?)

土方の口調や表情から確かな事は読めない。
だけど原田は同じ男として何となくわかっていた。
本当に大事に思っている女なら、こんな危ない場所で傍に置いたりはしないと。
人殺しなんて以ての外、絶対にさせたくない事の一つだろう。

(だから言ったじゃねえか紫苑……これで本当に、幸せなのかよ……?)

眉を寄せて、別室で眠っている紫苑に投げかける。
だが答えはやはり、以前に聞いた時と同じなのだろう。

「総司だけじゃなく紫苑もか……寂しくなるなぁ」

ポツリと呟いた井上に、誰もが黙り込んでしまった。

紫苑にとっては辛いかもしれないが、今はいつ戦が起こってもおかしくない現状。
せめて彼女だけでも、いや皆が大切に思う紫苑だからこそ、此処から離れて普通に幸せになるべきだ。
重苦しく視線を落とす幹部達は、そんな事を考えているようだった。


――彼女の幸せ。


それは一体何なのだろう。
答えは出ている気がしたが、口に出す者はいなかった。






深緋 八






体が動かない。
いや、心が生きる事を拒否しているようだった。

太陽の光が部屋に差し込んできていても、目の前はずっと真っ暗だ。
何も考えられなくて、元々力の入らない四肢は布団に沈んだまま、天井だけがぼんやりと映り込んで。
零れていく涙は、もう何で泣いているのかわからない程、枯れてくれない。

自分はどうしてこんな所にいるのだろう。
体を投げ出して床に伏せって、どうして泣いているのだろう。
何を思って、何の為に、今まで生きてきたのだろう。

考えても考えても、これからの事なんて思い浮かばなかった。
これから……それは想い人から突き付けられた未来しか待っていない。

(だから……土方さんに知られたくなんて、なかったのに……!)

馬鹿なのは自分だと、紫苑は自身を恨んだ。
悟られないようにしていたつもりだった、彼の前では特に何でもない振りをしていたつもりだった。
だけど、あの女関係に長けている彼には丸わかりだったのだろう。
隠しきれなかった自分はさぞ滑稽に映っていたに違いない、恥ずかしくて消えてしまいたい。

「……っ!」

どうして自分は女だったのだろう。
女でなければ、こんな浅はかな恋慕ではなく純粋に慕っていられたかもしれないのに。
普通の隊士として傍にいて、たとえ怪我をしても彼が心を痛める事なんてなかったかもしれないのに。

ずっと容認してきたけど、紫苑が怪我をして我に返ったのだろう。
あの人は優しい人だから。

(だからって……!)

もう此処にはいられない、きっと二度と受け入れてもらえない。
恋心も剣の道も閉ざされて、仲間達とも引き離される。

そうして独りにされて幸せになんてなれる訳がない。
もう此処が、新選組が、自分にとっての居場所で、全てだった。
いつの間にか自分を構成する一部になっていた。

(幸せなんていらない……私は……っ)

新選組の隊士として存在していられるだけで、よかったのに。


強く目を閉じればまた涙が溢れた。
どれくらいの時が経ったのだろう、もしかしたら全く進んでいないかもしれない。

だけど何だか部屋の周囲が騒がしかったせいで、ふいに意識が現実に向いた。

「、な……!」

慌ただしい様子で仲間達が入って来て、紫苑の右隣にもう一つ布団を敷いた。
やがてぐったりとした人物が運ばれてきて、寝かされた。

「っ…そう…じ」

それは見間違う事もなく、苦しそうに眠る沖田だった。
何故彼が、それを誰かに聞きたかったのに声はほとんど音にならない。
少し前まで、土方と対面していた時は出ていた声が今は何故か出なかった。
そして仲間達が此方の様子をゆっくり看る事もなく、逃げるように去っていったのは気のせいだろうか。

沖田に手を伸ばそうとしても、右手は動かない。
反対の左手を必死に伸ばしたが、それは何も掴めずに虚空を薙いだ。

それでも布団から垣間見えた血のついた包帯が、彼が此処にいる理由を示していた。

(総司……何で羅刹の総司が、怪我を……っ)

羅刹ならどんな傷でも治ってしまうのに、普通の人間のように苦しんでいる。
一体何が起こったのか、元から混乱気味であった紫苑の視界は再び滲んだ。

しばらくして部屋にやって来た千鶴が、ようやく事情を説明してくれた。
彼は局長を狙った者を一人で討ち取りに行き、千鶴を庇って撃たれたのだという。
だがどうやらそれは普通の銃弾ではなかったようで、羅刹の身であっても瞬時に治らなかったらしい。

その為、紫苑と一緒に沖田も大坂の松本良順の元で療養するとの事。

「私も沖田さんと紫苑さんに、お供させていただきます」
「…………」

心配なんです、と言った千鶴の目は悲しそうに沖田を見下ろした。
女の勘だろうか、何となく彼女が同行を望んだ理由がわかった気がする。

千鶴に何か声をかけてやりたかったが、やはりそんな気力は残っていなかった。
だが紫苑の身上を理解しているのか、千鶴は気にした風もなく寂しく微笑んだ。

錆び付いたように動かしづらい首で隣を見遣れば、目を閉じた沖田がいる。
紫苑と同じように自身の望みとは違う形で、眠らされて。

(総司が大坂に行ったら、誰が近藤さん守るんだよ……)

そして紫苑は、土方を守れない。
恐らく自分達がいなくても仲間達が何とかしていくのだろう。
だがそういう問題ではないのだ、これは紫苑にとっても沖田にとっても、本懐と呼べるものだから。

例えばこのまま新選組を離れ、女としての普通の生活を送り、もし仮に伴侶を持ったとしても。
忘れる事なんてできない、幸せになんてなれない。

(だって、私は"知ってる"んだよ……土方さんの最期を)

確実に彼は死ぬのだ、銃弾によって。
もう夢でも幻覚でもない事は証明された、あれは必ず起こる未来の出来事。

(知っていて……止まるなんて、できない……っ)

先視の光景を思い出して、また目尻から透明な雫が流れる。
未来の事なのに想像するだけでこんなにも怖くて涙が溢れるのだ、
それを認めてしまう事なんてもっとできない。

紫苑さん……」

嗚咽交じりに突然泣き出した紫苑の傍に、困惑した表情の千鶴が寄り添う。
かける言葉が見つからなかったのだろう、悲しそうに目を伏せて、
ただ紫苑から止めどなく流れる涙を拭っていた。

「そんなにも、大切なんですね……」

新選組かとも土方の事かとも言わなかったが、
彼女は紫苑がただ新選組から離される事に泣いていると思っているのだろう。

だが本当は、少し違う。

(このままじゃ土方さんが死んじゃう……!)

遠くない未来で、天寿を全うした訳でもなく志半ばで散っていく命。
それが堪らなく嫌だった。

たとえ刀が握れなくても、満足に戦えなくても、女として想い合えなくても、
それでも好きな人が殺されるのを、黙って見ているなんてできない。

(土方、さん……っ)


――死んで欲しくない。だから、


私はどうなっても構わない。
たとえ彼に恨まれるような事になったとしても。




















真夜中にやって来た人影。

本来なら背筋が凍る程の恐怖を感じてもおかしくない人物が、
今の紫苑にはまさしく待ち望んでいた仏のようであった。

「……山南、さ…ん…?」
「お加減はどうですか?」

静まり返った屯所内で、彼はゆるりと首を傾げた。
彼なりに紫苑達の身を案じて、気になって来てしまったという所だろう。

紫苑は強すぎる程の双眸で山南を真っ直ぐ見つめた。
自分の方からどうにかして彼を訪ねようと思っていたのだから。

「山南さん……、一生の頼みが…あるんです……」


――まだ、私は……終われない。











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