戦は、新選組にとっては完全なる負け戦だった。

最新の銃器に全く歯が立たない刀、バタバタといとも簡単に死んでいく隊士達。
刀の打ち合いにもなれはしない現状に、次第に焦り絶望すらも垣間見えた。

応援を呼ぼうとした淀城の軍にも裏切られ、八方塞がりになった新選組が撤退を余儀なくされた途中、
紫苑は土方達と合流を果たす事となった。

新選組は大坂城まで退き体制を立て直そうとしたが、総大将である徳川慶喜が一足先に江戸に撤退した事を聞かされた。
本来君主の為に戦うものであるのに、君主がいない戦など聞いた事がない。

置き去りにされた、捨てられたと愕然とする一同。
近藤は「何かお考えがあるのだろう」と擁護し、「慶喜公が戻られる時の為に、此処は何としても守らねば」とも言い、
籠城までする気だったが隊士達の士気はもはや下がりきってしまっていた。

誰もがわかりきっていた、どう頑張っても新政府軍には勝てないと。
戦力が違いすぎる、戦った所で無残な結果になるのは目に見えていた。
たとえ死ぬ覚悟を決めていたとしても、誰だって死ぬとわかっている戦場になんて進んで行きたくはない。

そんな雰囲気を感じ取り、圧倒的な力の差にも薄々気づいていた近藤は、
「俺達が腹を切る場所は此処じゃねぇ」と言う土方の説得もあり、
大坂で死を選ぶ事よりも、再戦の機を窺う為に江戸へ渡る事を決断した。







梔子 一






船で海を渡り、辿り着いた先は品川の幕府御用宿の釜屋。
そこに新選組の新しい屯所が設置された。

「慶喜公は我らを見捨てられたのではない!この江戸の地で、再戦の機会を窺っておられるのだ!」

拳を握り締めて、近藤が強い口調で説く。
動揺が広がる隊士達を鼓舞するように。

「薩長の軍勢をこのままにはしておくべきではない!我らは最後まで戦わなければならない!」
「「「おおお!!!」」」

局長が叫べば、皆もそれにつられて息を吹き返すように拳を掲げる。
不安が漂っていた集団は、少しずつではあるがまとまりを取り戻し始めた。

このままで大丈夫なのかと心配する隊士もいれば、局長に付いて行くと気合いを見せる隊士もいる。
それでも全体の暗い雰囲気が多少は和らいだ所を見ると、やはり局長という存在は偉大だと思わざるを得ない。

「組長が戻ってきて本当によかったです!」
「もう万全なのですか!?」
「大した事なかったからな、戦に出られなくて悪かったよ。大袈裟なんだよ皆」

自分の組の隊士達に囲まれて、紫苑は右腕をぐるぐると回す。

本来羅刹となったら羅刹隊に属するのが妥当であったが、紫苑は新選組の元々いた隊に復帰した。
怪我で戦線を離脱する事は一般隊士にも知らされていたが、離隊の事実は伏せられていたままだったので、
回復したという名目で隊に戻る事は容易かった。
もっとも、戦えない程の傷を負っていたはずの紫苑がこんな短期で戻ってくるのはやはり不自然に思えたので、
過保護な幹部達が無理矢理休養させた、なんて言い訳を大きな声で言って回っていたりする。

羅刹化した紫苑が普通の日常生活を送る事に不安要素がなかった訳じゃない。
だが紫苑はそれを強く望み、何より戦で激減した人員を少しでも補填させたいという土方との、
双方の思惑が一致した為に許容された判断だった。

「組長がいれば怖いものなしですよ!」
「……そうだな」

だが紫苑は復帰したものの、そんな隊士達の盛り上がりにいまいち乗り気になれず、
ましてや局長によって気合いを取り戻して雄叫びを上げる集団にもとてもじゃないが参加できそうにない。

適当な相槌でその場をやり過ごし、次第に屯所からも離れ人気のない場所まで歩いていく。
とにかく一人になりたかった。
いや、正確にはあの場にいてはいけないような気がしたから。

だがそれは羅刹になってしまったから、ではない。
変若水を飲んだ時に判明してしまった事実、それは。

(……俺は、人じゃなくて……鬼)

純血でもない、幾重にも人間の血が混じり合った存在。
純粋な自身の力だけでは治癒能力もほとんどないような弱まった鬼であっても、鬼は鬼だ。
僅かながらも先視の力を受け継いでいる程には、紫苑には"鬼"が作用していたのだろう。

という事は身体能力も、それに由縁するのではないだろうか。


――この力は、鬼の血によるものだった。


剣術が好きで、お転婆と言われながらも竹刀を振り回していた。
馬鹿にする男達を負かしたくて自力で腕を磨いて、いつしか余裕で勝てるようになった。
努力すれば強くなれる、それが楽しくてもっとのめり込んでいった。

そう、今こうして生き残っていられるのは、自身の努力が生み出した実力のおかげだと思っていたのに。
女でも戦える、それを証明するように生きていたのに。

(鬼だったから……女でも力があったんだ)

試衛館に呼ばれたのも、新選組に入れたのも、実力があったから。
入隊時に「女にしておくのはもったいないほど腕が立つ」と言われた程に。
だけど、それは本当に"実力"だったのだろうか。

(俺は、鬼だったから強かった、ただそれだけだったんだ……!)

自分が積み上げてきた誇りと自負が、いや"自分"そのものが崩れていく。

紫苑はすぐ傍にあった大木の幹を拳で殴り付けた。
羅刹化した鬼の力は、女であってもその幹に大穴を開け、紫苑の拳に生まれた傷は瞬時に消える。
そのどちらにも紫苑は悔しさを感じて、再び拳を握り締める。

(っ……鬼じゃなかったら刀なんかロクに扱えなかった!皆に出会う事すらできなかったんだ!)

人並みの力だったら試衛館になんて誘われなかっただろう。
あの人は、自分を見出してはくれなかっただろう。

(俺は皆と仲間だと思ってたのに……この俺の力は、俺の物じゃない!)

同じ努力をして、同じ志を持って、互いに高め合うように一緒にいた仲間達。
その中で、自分だけがズルをして存在しているかのような、罪悪感。それから疎外感。

鬼なのだから強くて当たり前だ、そんな女が平気な顔をして皆と肩を並べるなんておこがましい。
皆と平等だと思っていた土台そのものが違うのだから。

そんな自分は、果たして本当に"仲間"なのだろうか。
そう思ったら誰とも一緒にいられなくなった。
きらきらと純粋な尊敬の眼差しを向けてくる隊士達とも、紫苑をしきりに気にしてくれる幹部達とも。
全ての事情を知っている彼らは、羅刹になった紫苑にやはり悲しそうな表情を見せた。
もちろん鬼だったと知っても、彼らは何一つ紫苑に対する態度を変えなかった。
ただ、この選択をせざるを得なかった現実を悔しんでくれた。

偏見を持たれなかった事は素直に嬉しかった。
だけどそれでも、自分は尊敬される存在でもないし、心配される資格もない。

(鬼でなかったら……自分はただの非力な女……それだけだ)

紫苑が此処にいるのは、紫苑が先視という特殊な能力を持つ鬼の一族であったから。
初めからそれを知っていればまた違っていたかもしれないが、知らず育った自身の誇りの全てが否定された気分だ。

自身で切り開いて進んでいると思った人生の全ては、偶然だった。

試衛館と新選組と、そして近藤や土方に出会わない人生は一体どんな人生なんだろう。
それを想像すると恐ろしくて身が震える。
きっと何もない平穏な一生になったのだろうが、そんな誰とも出会えない生涯なんて嫌だ。
もう、仲間という温かな喜びを知ってしまっている今はなおさら強く感じる。

(どんな顔をして皆と会えばいいかわからない……)

皆の顔を思い出して紫苑は自身の両肩を抱き寄せた。
急激に寒気を覚えて身を縮み込ませようとした時、ふいに背後で足音が聞こえる。

紫苑!此処にいたのか!」

予想もしない声がして振り返れば、眩しい程の笑顔で手を挙げる近藤がいた。

「……近藤さん」
「いやぁ探したぞ、話そうと思ってもすぐいなくなってしまったからな」

話す、とは一体何の事をだろう。
それを思わず警戒してしまって咄嗟に何の返事もできなかったが、近藤は構わず柔らかい物腰で口を開く。

「体は、大丈夫なのか?」

一度改めて礼を言わねばなるまいと思っていたんだ、と彼は何よりも紫苑の体調を気遣うように言う。
羅刹になってしまった紫苑に対して、哀れみや悲しみの眼差しではなくただ純粋に、父親が娘を心配するような。
そんな目をされて戸惑いを感じた。

「俺を庇って怪我までさせて悪かった……だけど、ありがとう」

そうして彼は真摯な瞳のまま、頭を下げた。
さすがに局長にそこまでされて驚かないはずはない。

そもそも、あれは紫苑がしたくてした事だ、局長が気にする必要は何もない。

紫苑が気付いてくれなければ、俺はあのまま狙撃されていたかもしれない。
そうなったら志半ばで死んでいたかもしれないし、局長であるのに戦にも出られなかっただろう」
「いえ、そんな……近藤さんが気にする事はないです。
狙撃に気付いたのが俺だっただけで、隊士として当たり前のことをしただけですから」

こんなに真正面から告げられるとどうしていいかわからなくなる。
気恥ずかしいような、申し訳ないような、そんな気にさせられる。

「そうだったとしても、助けられたのは確かだ。紫苑がいてくれて助かった」
「近藤さん……」

局長として堂々としていてくれればいいのに、彼はそうやって礼を口にする。
いてくれて助かった、それは今の紫苑を最も救ってくれる言葉に違いなかった。

鬼である自分の力が役に立った、人を助けられた。
それだけでなく感謝までされて、紫苑に価値を与えてくれた。
もうそれだけで、よかった。

「……ありがとうございます、近藤さん」

そんな言葉をくれて、紫苑こそが近藤に感謝したくなった。
こんな自分を認めてくれて、嬉しかった。

「いや、はは……紫苑に謝りに行こうとしたらトシに言われたんだ。
『あいつはあいつの信念があって近藤さんを庇って、変若水も飲んだ。謝罪じゃなくて礼を言ってやれ』とな」
「…………」
「確かに、紫苑がしてくれた事を謝罪したら、俺は紫苑の勇気も否定する事になるからな」

あれ以来、土方とまともな会話をしていない。
紫苑の気持ちに気づかれている手前、無闇に傍にいるのは憚られるから。

だが、彼は何一つとして変わらなかった。
淡々と紫苑に必要な命令だけが与えられる、それだけだ。
唯一変わったとすれば、言葉の端々に冷たさを感じるようになったぐらい。
彼も誤解されるような気遣いはやめたのだろう、それは仕方ないことなのだと諦めてはいるが。

(やっぱりずるいよ土方さんは……)

それでもこうやって間接的に大事にされている気がするから。
鬼副長ならば、最後まで冷酷でいてくれればいいのに。

(何とも思ってないなら、気を使ってくれなくてもいいのに)

いや、よそう。
それを言っても振られた女がただ拗ねているだけだ。
八つ当たりなんてするべきではない。

いつの間にか土方の事を考えている頭を振り切って、紫苑は笑ってみせる。

「どっちでも嬉しいですよ。俺は新選組の為になれればそれで」
「……本当に、体は大丈夫なのか?」

念押しするように近藤は顔色を窺ってくる。
羅刹にさせてしまった罪悪感からなのか、
それとも、薄笑いばかり浮かべている紫苑を不審に思ったか。

「本当ですよ。今はまだ、何とも」
「そ、そうか……何かあったら、無理せずに言うんだぞ?」
「……はい」

羅刹としての目立った症状はない。
しいて言うなら、藤堂が以前に言っていたように日の光が眩しい事と、体が怠いくらい。
こうして太陽を浴びるように立っているだけで眩暈のようなものを覚える。
自然の摂理から外れたその罰を今は何だか受けていたい気分で、あえて突き刺さる光を享受している。

いつか、この光が毒になる日がくる。
自分の生きる目的さえも失って、血を欲するだけの存在に成り下がるかもしれない。

(それでも、此処にいられる事が嬉しい)

たとえ鬼であったとしても、それだけは確かな感情。
狂わない限り、もう新選組から追い出される事はない。
羅刹となり人の平穏を捨て、女としての想いも潰えた今、紫苑には戦う力しか残っていない。
それは逆に言えば、本当の意味で純粋な戦士となり得たのではないだろうか。

紛い物の中途半端な鬼、そして偽りの武士と形容される物であるかもしれないが、
もう余計な事を考える必要はないのだ。

(戦ってみせるよ、最後まで……どんな形であっても、俺は戦うだけの存在になったのだから)

仲間達と同じ位置に立てない存在だけど、仲間の為に、新選組の為に生きたいという気持ちは変わらない。
戦えるなら何でもいい、それが紫苑の喜びであり存在意義であるから。

そう思うと、自身に課せられた罰さえ甘く感じられて、紫苑は微笑みながら目を閉じる。
この体を蝕む光だけが紫苑の背中を押してくれる。

「……痛い、眩しい」
「?何か言ったか?」
「いいえ……何でもありませんよ」


だから必死に生きて、生き抜いて、そして死のう。

土方さんの盾になるその時まで。











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世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし   在原業平


梔子=くちなし

難産でした…。
ようやく薄桜鬼っぽくなるでしょうか。