寒々しく刺すような冬の季節がようやく明け、新たな緑が生まれ始める頃。

新選組は他幕府軍と混成され、甲陽鎮撫隊と名を改めて甲府へと進軍した。
名が変わったといっても新選組自体がなくなったという事でもなく、
何かが大きく変化した訳でもないので、新選組はそのままの心持ちで道中を突き進む。

八王子を経由して隊は物々しい雰囲気で前進する。
途中の日野で、不足する隊士を募集する意図もあって近藤は故郷に錦を飾った。
京での活動が此方まで伝わっているらしく、憧憬の眼差しで集まった者達に誇らしげな顔で笑っている。
局長だけ本隊と離れて日野に滞在するのを見てだろう、原田は紫苑を気遣って声をかけた。

「お前も里帰りしておかなくていいのか?此処から近いだろ?」
「いいんだ。行ったって墓しかないし、報告できるような良い事なんてもっとないからな」

気にしないで欲しいなと思いながらなるべく明るく答えたが、やはり原田は「そうか」と寂しそうな顔をした。
悪い事を聞いたという表情をさせてしまって、逆に紫苑が申し訳ない気持ちになる。

(こんなになって……母さんも父さんも、どう思ってるかな……)

父親は恐らく悲しんでいるだろう、あの人は女らしく幸せになる事を望んでいたから。
母親は……もしかしたらこうなる事を知っていたかもしれないけど、親不孝者である事には間違いない。

今はまだ、彼らに何も報告できない。
慎ましい生活なんてできようもないし、先視の定めに抗いきれてもいない。だからごめんと、心で二人に詫びる。

もう墓参りできるかどうかもわからない。
そしてきっと……本当の意味で報告ができるのは、死ぬ時なのだろう。

(だからせめて、死ぬ時は笑って死のう)

両親に胸を張って、自分は幸せだったと言えるように。

そんな考えを巡らしていると、ふいに頭を撫でられる。
がしがしと、乱暴だけど優しい原田の掌だった。

「?」
「頑張ってるよ、お前はさ。だから胸張ったっていいんだぞ」
「……うん……ありがとう」

見透かされていた気恥ずかしさもあったが、掌とその言葉が温かくて思わず泣きたくなった。
沈みかけていた気分を掬い上げてくれた原田に、紫苑は俯きながら何とか言葉を紡いだ。

顔を上げて、そうしてしっかりとした足取りで周囲を見渡す。
街道沿いに立ち並ぶ木々は若くて瑞々しい葉を付け、蕾から淡い花が生まれているものもある。
物寂しかったであろう風景が少しずつその色彩を増やしている。

色とりどりの花が咲いているのを見ると何となく嬉しくなるのは女としての性だろうか。
内心でこっそりと気持ちを落ち着かせながら、紫苑は景色に目を奪われているとは思えないような真剣な眼差しで土を踏みしめる。

時折日の光に眩暈を覚え、険しい表情を隊士に見られて心配される事もあったが、
すぐ近くに副長の目もあった手前、平静を装って列を遅れるような事態は避けた。

今回、羅刹隊は待機を命じられた為に山南や藤堂達は江戸に残っている。
それについては山南がかなり不服そうにしていたが、羅刹を公の場に出すべきではないという判断で渋々了承した形だ。
彼の苛立ちは理解できる、何故なら彼らは戦う為に生きていて、それなのに戦えないなんて自身の"生"を否定されているようなものだ。
それでも一度死んだとされている人物が外を歩いていたら一般隊士や他部隊の人間が混乱すると言われてしまえば、何も言い返せず。

なので紫苑は唯一、羅刹隊に所属していない羅刹として山南達の無念を背負うようにして此処にいる。

どれだけ不利な戦であっても、戦って生き抜かなければならないと、強く思っていた。






梔子 六






その晩、体を鎮めて無理矢理睡眠をとっていた紫苑の耳に、夜営から離れる人の足音が聞こえた。
気配を殺しているので通常だったら聞こえない程の小さな音であったが、羅刹の冴えた聴覚はそれを辛うじて拾った。
何処へ行くのだろう、そんな単純な疑問と好奇心から、目が覚めてしまった紫苑は立ち上がって後を追う。
昼間とは違って軽い体で暗闇の中を歩くと、木々が少しだけ開けている広い場所で人影が立ち尽くしていた。

「――なんだ、一君か」
「、紫苑か……どうした、眠れないのか?」

素早く気配を察知した斎藤が剣に手をかけながら振り返るので、紫苑は声を出して安心させる。
警戒を解いた彼は溜息をついて、冷たいとも感じられる静かな目を此方に向けた。

「それはこっちの台詞だよ。一君こそ、眠れない?」
「…………」

斎藤は何も答える事なく、先ほどと同じように天を仰いだ。

今夜は月が出ていないからか星がよく見える。
人里から離れている事もあり、降り注ぐような光点が無数に散りばめられている夜空。
綺麗だと思った。まるで自分が浄化されていくかのような感覚に襲われる。
血で染まっているこの身が、生を捻じ曲げて生き延びている自分が、許されているようで。

しんと静まり返った空気、会話は途切れてしまったけど不思議と嫌な静寂ではなかった。
隣に並ぶ彼は、一体何を思ってこの光景を一人見上げているのだろう。

「ねえ、一君……私達、これからどうなるんだろうね?」

自然と言葉遣いが本来のものになっていた。
どうしてか斎藤の前だと、"男と偽る"という嘘すら付けなくなる気がする。
ふと視線をずらした先、彼の穏やかな瞳はまるでこの夜空のような色をしていた。

「……わからん。だが俺は、局長や副長に従うだけだ」
「それは、私もそうだけど……」

昼間、永倉や原田のいない時に、斎藤は土方に率直な質問を投げかけた。
「今回の戦、勝てるとお思いですか」と。

すると土方は言いにくそうに苦笑しながら、難しいだろうなと答えた。
人員や武器においても薩長との差は歴然で、どうやったって新型の武器には歯が立たないだろうと。

"負けるってわかりきってんのに死ぬ気で戦ってくれなんて……さすがに言えねえよ、俺でも"

負け戦にならないように努力するとは言いつつも、あの鬼副長がそう零したのだ。
相当に不利な状況、よほどのどんでん返しがない限りきっと勝てないのだろう。

そうして、益々薩長との戦力差が広がっていく。
自分達は一体いつ勝てるのだろう。
もし辛うじて勝てたとして、それで薩長――新政府を覆す事なんてできるのだろうか。

(……きっと、できないんだろうな)

自分達はもしかしたらもう、滅ぼされるだけの運命なのではないだろうか。

「怖いのか?」
「……死ぬのが怖いんじゃないよ。……新選組が壊れていくのが、怖い」

紫苑の身震いを戦死への恐怖だと思ったのだろう、だがそれは少し違う。
例えば自分が死んだとしても、それで新選組が――仲間達で作り上げた志の塊が守れるのなら何も怖くはないのだ。
その上さらに土方が守れるのなら、間違いなく笑って死んでいける。

恐ろしいのは、この居場所が消滅するという事。
敗北して、仲間が全員殺されて、自分達が掲げていた誇りすら賊の戯言として蹂躙されたとしたら。
考えるだけで目の前が真っ暗になるようだ。

「……同じ、だな。俺も、信じているものを見失うのは恐ろしい」
「一君でも、怖い事あるんだ?」
「俺が信じているものは、これだ」

彼がまさか自身の弱さを見せてくれるとは思わなかった。
意外だという顔をすると、鈍色の刀がすっと紫苑の前に取り出される。
この暗闇でもその輝きは衰える事なく、星の淡い光を反射している。

以前、御陵衛士と共に離隊する時に彼は言っていた。
時代の移り変わりと共に変わるものもあれば、変わらないものもある。
そして、その変わらないものをこそ信じていると。

それは、一体何だったのだろうか。

「刀……?」
「ああ……これだけが、俺が勝ち続けてきた証だ。
斬り合いでは誰にも負けぬはずの、血生臭い剣技だけが」

使い込まれて他人よりも僅かに細くなった刀身が、きんと張り詰めたように音を立てる。

勝つ、それは生き残るという事。
人を斬る事、戦う事が自身の生きてきた証だと彼は言っているのだろう。

斎藤は昔から、命令には絶対に逆らわなかった。
胸中では気に入らない事だってあったかもしれないが、それでもいつも表情すら変えずに頷いていた。

局長と副長の判断に従う、と。
何故彼はそうまでして迷わずにいられるのだろうか。
何を、目指しているのだろう。

「……一君は、どうして戦うの?」
「生きる為だ」
「…………」

その言葉は随分と即物的に聞こえたが、恐らくそのままの意味だけではないはずだ。

生き抜いて、そうしてどうしたいのかを訊ねるのは何となく憚られてできなかった。
その先の目的がある訳じゃないのかもしれないと、そんな気がした。
何だか彼は、戦を生き抜いて平和を勝ち取ったとしても、その後の世を生きていく気がないように思えたから。

だからといって、それは何も考えず命令あるまま戦っているという意味ではないのだろう。
もちろん人を斬る為だけに生きているような、狂気じみた理由でも。

だけど、刀を捨てて生きる彼が想像できない。
戦に生きて戦に消えてしまいそうだ。

どうしてそんな風に思うのかわからないが、彼から時々感じる儚さがそうさせるのかもしれない。

「……うん……でも、確かに……そうかもしれないね」

"生きる"……その意味を噛みしめるごとに、それは不思議と紫苑の胸に響いた。

色々な事を考えて深く沈み込んで、囚われそうになっていた絶望の闇が取り払われるようだった。
此処まで来てしまったならもう考えたって無駄なのかもしれない、そう思わされた。

とにかく今は、生き残らなければ自分達に明日はないのだから。
戦いだけの人生であったとしても、むざむざ殺られてしまうのは嫌だから。

その簡潔な言葉であるからこそ究極の理由であり、けれども確実な目標に妙に納得してしまった。

「斬り合いとは勝てなければ死ぬ、ただそれだけの単純にして明快なものだ」
「そうだね……どんな理由があったって、人殺しには変わりなくて、やらなければやられるから、やらずにはいられなくて……
剣術なんて、どんなに正しい理由で繕ったって結局は人殺しの為の術なだけ……」

それを悟ったのは京まで行って新選組に無理矢理入隊して、命令で人殺しを始めてから。
お転婆娘が趣味で木刀を振り回していた頃には気付きもしなかった。
いや、それだけで留めていれば実際"芸事"の一つのままでいられた。

何も知らず呑気にはしゃいでいた自分を思い返すと笑えてしまった。
世界も自身の心も平和だったな、と確かに思う。

「だが昔の俺は、左利きのせいで不調法者だと言われた。そんな事を言った連中で、俺に勝った者はただの一人もいないのにだ。
だからずっと考えていた、強さとは一体何だと」
「……うん」

彼はきっと、強さの意味を探していたのだろう。
ただ左利きであるというだけで自分を否定され、それでも自身の強さを貫く為に。

そもそも人殺しの術に不作法も何もない。
型にはめて、それで弱くなってしまうのでは意味がない。

「……脱藩して京に逃げてきてから、初めて話の通じる相手に巡り合ったと思った。それが、今の新選組だ」

彼と初めて会ったのは試衛館の頃で、あの時はまだ脱藩までしていなかったはずだが、皆と気が合っていたのを覚えている。
ひたすらに剣技を磨いて、強くなる事をひたすらに真面目に追い求めているような人だった。
斎藤は相手が紫苑――女であっても馬鹿にする事もなく、何度も相手になって真摯に打ち合ってくれた。

「俺はようやく己の剣を生かす道を見出した。
勝つ為に、目の前の相手を殺して己が生き残る為に刀を振るう……それは、俺の思い描く武士の姿とよく似ていた」
「……そうだね」

そうか、彼は武士を目指していたのかと、紫苑の中で答えを見つけた。
だから戦から離れた彼を想像できなかったのかもしれない。

彼が信じているのは己の意思を貫くに足る強さ、すなわち刀を振るい勝利する事。
そうして生き抜く事が武士であると考えているのだろう。

斎藤一という人物は、純粋で崇高な心を持っているのだと思った。
とても真っ直ぐで、それこそこの星空のように一点の曇りもなく澄んでいる。

「しかし、時代は変わった。もう刀や槍の時代ではない。
武士が刀を持つ意味も……俺が爪を研ぎ続ける意味も、なくなりつつある」

刀身を鞘に納めると同時、さわ、と周囲の木々が風に流れて微かな音を鳴らす。

去年の今頃も、ちょうど桜が芽吹き淡い花びらを揺らしていた。
あの時から斎藤も紫苑も気持ちは変わっていないはずなのに、違うのは敗北……すなわち死の気配が強いという事。
逃れられない闇から必死で背を向けるように、短命の桜に己の姿を映す。

来年もまた桜が見られるのだろうか。
見たいと思う、だけどもしかしたら無理かもしれない。

生きる意味が失われそうだと、斎藤はそれを恐れている。
時代がもう刀を、武士を必要としていない。
つまりは自分という存在が不要になろうとしているのだと。

彼の苦しみはよくわかる、紫苑も同じような事を思う時があるから。
だけど、それは少し悲しいなとも思った。

「もう刀はいらない、か……でもさ……強さって、剣だけじゃない場合もあるんじゃない?」
「……どういう意味だ?」
「もちろん刀で人を斬るのも強さだけど、そういう物理的じゃないものだって強さって言うでしょう?」

曖昧な言葉に斎藤は怪訝そうな顔で首を傾げた。
自分でも上手く説明できなくて、どうしたものかと紫苑は頭を捻る。

「えっと……そう、例えば千鶴!……千鶴は刀を持って戦わないけど、強いと思うんだ」

今は沖田と一緒に行動している千鶴を思い出す。
彼女は正式な隊士ではなく普通の女の子という感じだったが、いつも自分達の傍にいて時々ハッとさせるような事を言うのだ。
争い、血に飢えた羅刹、人の生き死に、そんな新選組の暗部に触れながらも真っ直ぐ前を見据えた瞳が印象的だった。

「何て言うんだろ……心が強い?信念っていうかさ、それこそ変わらない意思みたいなものがあって、それを貫いていたと思うんだよ」
「……ああ、そうだな。確かに彼女は、華奢な体でよく付いてきた」
「一君だって、刀はもちろん強いけど、それを抜きにしたって強いと私は思う」
「……刀ではない、俺が?」

夜色の双眸が少し驚いたように隣を振り返る。
深い海のようでいて温かくさえ感じるそれに、紫苑はふわりと微笑んだ。

「だって一君は左利きじゃないか。普通は真っ先に直されるし、左差しじゃないって馬鹿にされる事もあっただろうに。
それでも何があっても、誰に何を言われても、これが自分だと変わらなかったんでしょう?」
「確かにそうだが、それはただ単にその方が強かったからだ。合理的な手段を選んだだけだ」
「己の芯が曲がらない……それも強さって言うんだよ」
「己の、芯……」

だから何て言うのかな、と紫苑は言葉を模索しながら思いついた事を口に出す。

「……刀の時代がなくなったとしても、違う強さを見出す道はあると思う。
だから……生きる意味がなくなるなんて思わないで欲しい」
「…………」
「生きる意味なんて、誰かが決めるものじゃない。自分で見つけるものだよ、きっと」

そこまで言って、紫苑は急に恥ずかしくなった。
自分の剣の師匠と呼べるくらいの人なのに、何を教え説くような事を口走っているのだと。

「――って……何か偉そうな事言ってごめん」

知った風な口で彼の生き方を、生きる道を示そうとするなんておこがましい。
こんな事言うつもりじゃなくて、悲しそうにしている斎藤をただ元気付けたかっただけで。

「ごめん、私の言う事気にしないで?」
「……いや」

だが目を閉じた彼は、滅多に崩さない表情をゆっくりと緩ませる。

「――魂、という事だな」
「え……?」
「鳥羽伏見の戦いで、新八は死ぬ事を覚悟して切り込み隊に志願した。
近藤さんは負け戦を経験してもなお、忠義を尽くそうとしている。
土方さんも負けるのを覚悟で幕府の為に戦おうとしている。
近藤さんや土方さんは元々武家の生まれではないが……彼らの魂は、誰よりも武士だ」

それはその通りだと紫苑も頷いた。
もう武士なんていう存在が少なくなっているだろう今でも、新選組で戦う人達は何よりも武士らしい。

「武士というのは、生き様を言うのだろうな」
「……うん」
「もし本当に……この俺の刀が必要でなくなる時代が来たとして、その時に俺が生き残っていたら。
新たな強さを見つける……そういう生き方もあるのかもしれないな」
「うん……そうだよ」
「そして、あんたも……強いな」
「、え……?」

少しだけ前を見てくれた気がしてホッとしていると、ふいに斎藤は紫苑の髪に触れた。
以前よりも伸びた髪、それでも普通の女よりかは遥かに短い散切り頭の毛先にさらりと指を通し、口角を上げながら。

「武士だという事だ。あんたは……皆の願いを、信じているのだな」
「……それ、どういう意味―――」

言葉の意味を訊こうとして、その続きは喉の奥に消えた。
二人とは別の足音が近づいてきた事で穏やかな空気は霧散し、瞬時にそちらに警戒の姿勢をとる。

「何者だ!?」
「――斎藤さん、ですか……!?」
「その声は……島田君か?」

顔が確認できる距離まで駆け寄ってきた島田の表情は深刻の色を映している。
彼がもたらした伝令、それによって事態は大きく変わろうとしていた。











甲府城は既に新政府軍に押さえられている。
その情報に皆が飛び起き、隊士達は騒然となった。

先に甲陽鎮撫隊が入城し、そこを拠点として新政府軍を迎え撃つ算段であったのにもかかわらず、
既に占拠されているという事は、もう戦う前から負けているようなものだ。

城攻めをするには非常に多くの労力を必要とする。
武装も兵力も相手の何倍も上回っていないと困難とされているのに、人手不足の混成部隊ではとてもじゃないが勝ち目はない。
元々だって、勝てる見込みが僅かであったというのに。

突然の事態に皆が起こされる事になったが、その話を聞いて隊士達の半数以上が脱走してしまった。
近藤が日野や道すがらで、金と酒で勧誘して集めてきた烏合の衆であるから尻尾を巻いてしまうのも不思議ではないと、
紫苑はこそこそ夜のうちに逃げていく兵達の背中を眺めていた。
沈みかけた船には誰だって乗りたくはないだろうから、彼らにはそれが賢明な判断だろう。
もっとも、此方としてはそんな生半可な人間達と共闘したくはないが。

絶望的な雰囲気の中、近藤はこの状況でも徹底抗戦をすると宣言した。
軍資金と武器をもらってしまった手前、おめおめと江戸に逃げ帰れないと。

「この人数で相手するって、正気なのかよ……っ」

それには永倉や原田が何より反対した。
戦うという選択で一番被害が大きくなるのが彼らの隊士達であるからだ。
撤退の進言、だが近藤は首を縦には振らない。

「これ以上恥をさらして生きてなどいられん!もう負けられないのだ」

苦虫を噛み潰したような表情で唸った彼は焦っているようだった。
どうにかして汚名返上したいと必死な表情で、永倉の言葉すら届かない。

「近藤さんだって鳥羽伏見の戦の惨状を見ただろ!あの戦で、何人の部下が死んでったと思ってるんだ……っ」
「わかっている……っ!だが、あの時は後れを取ったが、
今回はこちらも銃器が揃っている。今度は鳥羽伏見のようにはならん!」
「んな事言ったって、隊士は大方脱走しちまって……しかも城攻めだろ?無謀に決まってる……」

敗戦を確かに味わった彼の吐き出す言葉は、どこか自分に言い聞かせているようにも思えた。
敵の脅威を、最新武装を前にどうにもできないという現実を知っていながら、それでも今回は押し返せるかもしれないと。
わかっているけど認めたくないような、苦しさを感じた。

永倉もそれを感じたのか、もう何を言っても無駄だと諦めたのか、頭を抱えるようにしてドカッと椅子に座りなおす。
どうするんだと、鬱々とした不満を吐き捨てながら。

(本当に……そんな事言ったって、どうしたらいいんだよ……)

城攻めをするには圧倒的に全てが足りないというのに。
希望的観測だけで兵達を動かすのはかなり無謀だと紫苑でさえ思った。
だが局長は頑なで、永倉も激昂までしないものの納得できていないのはありありと見て取れる。
意見が分かれている、こんな事本当はよくないのにと紫苑は危機感を覚えて眉根を寄せる。

横暴な命令では部下は付いてこない、部下達の意見を聞いてこそだと思うのだが。
だが新選組には元々厳しい法度が存在していて、あれも横暴だと随分囁かれていたから、
そもそもが横暴な隊だという事で……と、何だか混乱してきたが。

だが今の状態が嫌なのだとははっきりと言える。
少なくとも、今までは幹部達が隊の方針で言い争ったりはしなかった。

「……俺が江戸へ行って援軍を呼んでくる」
「援軍……?」

重苦しい沈黙を破ったのは、今まで険しい表情で押し黙っていた土方だった。

「この後合流予定の部隊が江戸で待機している。援軍さえ到着すれば城攻めもできる。もう少しだけ、辛坊しちゃくれねえか」
「……わかったよ。あんたにそこまで言われちゃ、仕方ねえな……」

(やっぱり、土方さんなんだ……)

近藤の意志を汲み取り、かつ永倉が譲歩せざるを得ないような案を出してくるのは、やはり鬼副長の彼だ。

横顔を盗み見て頼もしいと思う一方、無性に不安に駆られた。
こういう時、頼みの綱だとして皆をまとめるのはいつも彼で、だからこそその責任感に囚われたりしないのだろうかと。
苦渋の選択を何度も迫られる彼は、そんな風に全員を背負っていたらいつか本当に潰れてしまう気がする。

どうにかしたい、どんな些細な事でもいい、この人の重圧を少しでも取り除きたかった。
だから、自然と口が開いていた。

「土方さん。それ、俺では役不足ですか?」
「何だと……?」
「俺が援軍をもらいに行くのでは、駄目ですか?」
紫苑……!?」

急に何を言い出すのかという驚いた顔が紫苑を向く。

思うのだ、今この新選組には微妙な空気が漂っている。
腹心である副長がいなくなってはいけない気がするのだ。

彼は今、大事な緩衝材であるように思うから。

「それ、元々合流する予定なんですよね?
それなら、副長が行かないと動いてくれないようなものじゃないはずですよね?」
「それはそうだが……」

何も全て彼が決めて、動かなければならないなんて事はない。
少しは責任を分けてくれたっていいのにと思う。
だけどこの人はそうしないんだろうなともわかってはいるけど。

それでも紫苑にできる事があって、副長が残った方が得が多いならその方がいいはずだ。

「お前にもそれなりに役目がある。抜けたら隊に穴が開くだろ」
「ただの助勤と副長、どっちが戦場にいる方がいいと思いますか?」
「…………」
「副長は局長と一緒にいなければ駄目なんです。その方が隊士達の士気も上がると思うんです」

まさか論破されると思っていなかったのだろう、土方はあんぐりとした表情で紫苑を見つめていた。
それが正論だと、彼も言葉に窮しているようだ。

「重役は本隊にいるものですよ。それに、いざという時近藤さんの身を守らなければいけないのですから」
「だが江戸まではかなりの距離がある。女の足で休みなしで戻るのは厳しいぞ」
「今更ですよ。さり気なく羅刹ですけど何より俺、鬼ですよ?」
「…………」
「土方さんの負け、だな」

やり取りを見ていた原田が、ついそう漏らす。
悔しそうに眉間に皺を寄せたが、紫苑はニッと勝ち誇ったように笑っている。
こういう時の紫苑は男らしい口調であるにも関わらず、何故だか女に言い負かされている気分だった。

「お前、まさか……」
「はい?」
「……いや」

急に何かを言いかけられて、紫苑こそ首を傾げた。
だが土方は探るような目でじっと見つめた後、深い溜息だけで言葉を濁す。

「わかった……なら、山崎と一緒に行け」
「――はい」

何を言おうとしていたかは聞けなかったが、意見が認められて紫苑は強い決意で言葉を返した。
土方がどんな感情であったとしても、信用されている気がするのはやはり嬉しかった。

そうして会議は何とか終了し、紫苑が出発する頃には朝日が森に光を満たしていて。
強すぎる刺激に紫苑はふらつきそうになるが、平静を装って地面に足の裏を押し付ける。

「気を付けて行けよ」
「わかってますよー。土方さんこそ、流れ弾に当たって死んだりしないで下さいよ?」
「馬鹿言ってんじゃねえ」

後ろを振り返れば呆れた様子の土方が立っている。
よかった気付かれなかったみたいだと、紫苑は冗談を飛ばしながら安堵する。
自分としては羅刹の体を酷使しても構わないが、もし知ったら彼は気にするだろうから。
情とかそういうものではなく、彼は優しい人だから。

(本当に……どうか、無事でいて)

冗談で言いはしたが、土方の先視の未来が此処であったらと思うと不安になる。
肝心な所で離れていたら守れない、紫苑のいない所で死なれたら意味がない。

だが自ら進んでこの役を買って出たのは、彼の為になりたかったから。
新選組の事を思えばこうした方がいいと考えたからだ。
だからこんな事で後ろ髪を引かれる思いでいたって今更で、仕方ない。それでも怖い。
考え出すと止まらなくなってくる恐怖を振り払い、きっと大丈夫だと必死で言い聞かせる。


――離れたくない。本当は、片時も。


これが恋慕なのか義務感なのかは、もう自分でもよくわからなかった。
紫苑の第一の願いであるのは確かなのに、それだけを優先できない自分がもどかしい。
ただそれだけで行動していられたらもっと楽だったのかもしれないなと紫苑は自嘲する。

「それでは、副長」
「ああ、頼んだぞ」
「行くぞ、藤沢君」
「……はい、急ぎましょう」

此処まで来てしまったら進むしかないのだ。

だから隊の為に、何よりも土方の元に早く戻る為に。
山崎と二人、一心不乱に駆け出した。











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この話だけ激しく斎藤夢。それだけで埋まってしまった(苦笑)
彼とは絡みが少なめだったので、たまにはいいじゃないですかね。
一君との話を主人公らしく解釈させました。

とりあえず近藤さんと新八を喧嘩させないように……
一回負け戦経験してるから、流石にアニメのような傲慢な態度にはならないはず、多分。