紫苑と同室になった千鶴はよく気が利く人物だった。
どうやら主に幹部達の周りで雑用をこなす役目らしいのだが、
男で通している紫苑にもよくしてくれてすぐにうち解け合った。
「紫苑さんは試衛館の頃に皆さんと一緒だったんですよね?」
「ああ。でも俺だけ置いて行かれたんだ、あんだけ一緒だったのにさー」
憎らしげに畳を叩くと千鶴は柔らかく苦笑する。
その滑らかな動作はかつての紫苑のよう、いやそれ以上だった。
「でも紫苑さん、他の隊士さん達の間でもかなり有名ですよ」
はっと、食い入るように千鶴を観察していた視線を戻した。
「その……私も、何て綺麗な男の人なんだろうって思いましたから」
「そんなんじゃないって、俺は華奢なだけだから」
仲間達と完全に溶け込むなんて事はできないと痛感している紫苑は苦笑で答えた。
それを敏感に察知したのか、千鶴は僅かに目を揺らして次の言葉を待っている。
下手な世辞を言わないあたり、やはり気遣いができる人間だと思った。
「ま、仲間みたいなもんだからさ、仲良くしような。何かあったら相談に乗るし」
「はい、ありがとうございます」
土方からは「あいつは隊士という訳ではない」とだけ言われ、詳しく尋ねようにも雰囲気がそれを許さず、
"深く関わるな"と目線で黙らされてしまった。
そのおかげであまり詳しく話し込みはしなかったが、日常を過ごすには特に問題はなかった。
ある夜、隣の千鶴――紫苑は"千鶴"という名前すら教えられなかったが――は眠れないのか何度も寝返りを打ち、
そして思い立ったように起き上がると着替えて部屋を出て行ってしまった。
「……雪村?」
ただ風にあたりに行くだけなら着替える必要はない。
薄目で覗き見た千鶴の顔は真剣味を帯びていて、気になった紫苑も床を抜け出した。
紫紺 四
「何してるの紫苑」
「あれ、総司こそ何してんだよ」
闇夜に包まれた廊下でふいに声をかけられる。
元々機嫌が良くなかったのか、沖田は眉間に皺を寄せていた。
「僕が先に聞いてるんだけど」
「俺は、雪村が何処に行ったのかって探しに来たんだよ」
「ああ、あの子ならさっき見かけたよ、もう部屋に戻ってるんじゃないかな。だから君も、帰りなよ」
「…………」
相変わらず冗談交じりの口調だが、鋭い目線が容赦なく突き刺さる。
脈絡もなく敵意に似たものを向けられ、さらに有無を言わせない態度が紫苑の表情を険しくさせた。
「総司は何してるんだよ」
「僕は散歩。君達みたいに出歩く人も少なくないしね」
「……俺は別に、やましい事しようとしてた訳じゃねぇよ?」
「それはわからないよ?人は変わるんだ」
「何だよ、突然……」
紫苑を不審に思うような発言、彼は自分を信用していないのだろうか。
詰め寄って異論を唱えようとしたが、その前に沖田が急に距離を縮めて見下ろしてくる。
思わず背筋が寒くなる程の冷たさで。
「言っておくけど、君は新選組の真実を知らない。それを教えてもらえない君の信用度はそんなものさ」
「……っ!」
真実、それは何なのだろう。
彼がこんなにも拒絶の顔で射抜いてくるのと何か関係があるのだろうか。
「それを知っても君は、此処にいられる?」
意地悪く笑った沖田は紫苑の背中を押した。
立ち去れと、中途半端な人間はいらないと、言っているように。
「覚悟がないなら荷物まとめて帰ってくれないかな」
「ふざけんな……覚悟ならあるんだよ!」
「そう?ならいいけど。だけど真実を知ったら、もう戻れないからね」
静かな足音が去っていくのを背後で聞きながら、紫苑は拳を握り締めた。
あれは警告だ、"真実"を知った自分のその後の行動についての。
裏切りを許さず、もし下手な事をすれば容赦なく斬るという意思が殺気として伝わってきて、
彼なりの確認だったとしても紫苑は腹立たしさと悔しさを覚えた。
仲間であったはずの人からの厳しい言葉だからではなく、この決意を軽んじられた事に。
「俺は……遊びで"男"やってんじゃねえよ……!」
―――強くなりたい
誰にも侮られない力を、誰かを守れる力を。
―――役に、立ちたい
自分が自分でいられるだけの、力を。
「!今の声は……!?」
ふいに覚えのある悲鳴が聞こえた気がして紫苑は廊下を蹴った。
声は次第に言い争いのように大きくなり、激しい物音もする。
どうやらそれは八木邸の奥まった位置にある山南の部屋からのようで、勢いのまま障子を開け放つと。
「っ……総司?……山南、さん……?」
意識のない千鶴と刀を手にした総司、そして血を流しながら倒れ込む白髪の男がそこにいた。
やがて集まってきた幹部達に連れられて、広間で紫苑は全てを聞かされた。
変若水の事やその副作用、山南の容体について等を説明されて紫苑は黙り込むしかなかった。
"幕命だ"と一言で言えばそうなのかもしれないが、少なからず狼狽する事となった。
「何で教えてくれなかったんですか」
土方が夜通し仕事をする後ろで紫苑は恨めしそうに背中を凝視した。
結果的には全て把握したが、こういう事態がなければ内密にされていたのだと考えると、
仕方ないと思いつつも拗ねたくもなる。
「言っただろ、特別扱いはしねえって。知ってるのは一部の幹部連中だけだ」
「……ま、そうなんですけどね。土方さんがベラベラと機密喋る訳ないですしね」
(これが、総司の言っていた真実……)
倒れた山南の姿が何度も脳裏をよぎる。
「失望したなら離隊していいぞ」
平然と告げたのは振り向く事もせず筆を動かしている土方。
「そりゃ多少は驚きましたけど、俺はそれが新選組の方針ならば黙って受け入れますよ」
「そうか、それは残念だ」
「……隙あらば俺をやめさせようとしますよね、土方さん」
そもそも隊を抜けるのは切腹ものじゃないか。
しかも紫苑が不機嫌なのはそんな理由からではない。
はあ、と土方の後ろで重い溜息をついた。
「……山南さん、そんなに思い詰めてたんですね」
「…………」
入隊してきた紫苑に、山南は同情にも似た目をした事を今でも覚えている。
「あれだけ言っても貴女は来てしまったのですね」と呆れながらも、笑っていた。
怪我の事で幹部達からは「そっとしといてやれ」と言われていたが、山南は紫苑には変わりなく優しかったのだ。
だから、彼が苦しんでいる事に気づけなかった。
狂ってしまうかもしれない薬を飲んででも腕を治したかった。
ひいてはもう一度剣を握り、剣客として立ちたかったという事だ。
「……それと、雪村の事だが」
「はい?」
考え込んでいた紫苑にもたらされたのはもう一つの真実。
もはや隠しておいても無駄だと思ったのか、土方は千鶴の事情も打ち明けた。
「ですよねー。やっぱり女の子ですよねぇ」
一目でわかりましたよ、そう言うと土方から舌打ちが聞こえた。
女の仕草を努めて出さないようにしている紫苑であるから余計にわかる、彼女は女だ。
あの笑顔も、動作も、女性らしい包み込むような柔らかさも。
「監察方の任務には、あいつも含まれるから覚えておけ」
「……初めから俺に監視させる為に同室にしたんですか?」
「今までは幹部共が交代で監視していたが、お前が部屋にいればそれで事足りるだろう。
一年見て怪しい点はなかったが、まだ完全に信用できる存在でもない」
「はい」
紫苑もそうだと沖田には釘を刺されていたが、素直に返事をした。
「……同じ女として共有してやれる事もあるだろう」
(そういう所が鬼になりきれないんだよな、土方さんは)
気苦労の絶えない人だ。
冷酷であろうとするならば最後まで冷酷であればいいのに、と紫苑は思う。
「だが不審な動きを見せれば斬る対象だ、そのつもりでいろ」
「……わかりました」
少なくとも土方の信用をなくす事のないようにしよう、紫苑は内心で頷いた。
生きながら死人となった彼は、隠されるように奥の部屋に籠もっていた。
この屯所から移転するまで息を潜めて暮らさなければならないなんて、
本人が望んだ事といえど辛いに違いないだろう。
「山南さん、これ土方さんからの屯所移転の詳細です」
「ありがとう、藤沢君」
山南や他"新撰組"の隊士達は既に死んだ事になっているから、
引っ越し当日も一般の隊士達の目に入らないように移動しなければならない。
だがそうした所で何かが解決する訳でもなく、彼はもう表の世界には出られないのだ。
それを思うと紫苑の顔色は必然的に重苦しくなる。
「どうかしました?何か用でも?」
「……もう少し、此処にいてもいいですか?」
突拍子もない頼みだったが、山南は皮肉を言う事もなく了承してくれた。
「どうしたんですか?君はいつでも私より土方君の傍にいたがっていたのに」
「それは山南さんも近くにいたからですよ。今は会おうとしなければ会えないじゃないですか。しかも隠れるように」
変若水を飲んで"新撰組"となった山南は、こんな小さな部屋に押し込められ文字通り太陽すら拝めない。
それが仕方のない処置だとは百も承知だが、死んだものとして事が進んでいくのは紫苑としても心苦しい。
彼はいつものように静かに存在し、時折正論を交えながらも緩く微笑んでいるから余計に。
「……心配してくれているのですか?大丈夫ですよ、これは私が望んだ事ですから」
「でも……」
「人を捨ててでも剣を握りたかった、というだけの事です。それが叶うなら人としての生活など、取るに足りません」
「…………」
初めて目の当たりにした、白髪の異形の姿。
実際紫苑は彼らが暴走した瞬間を見た事がないから、あれが化け物だと言われても実感など湧かない。
それにどう見たって目の前の山南は今までと変わらないのだから。
紫苑が苦渋に満ちた表情を浮かべていると、山南はくすりと笑った。
「同じですよ、貴女と。こうして新選組に来てしまった君なら、わかるでしょう?」
「…………はい」
剣の為に女を捨てた紫苑と、人間を捨てた山南は似ていた。
だから彼は紫苑に優しかったのだろう。
女を捨て男であろうとする紫苑を哀れに思いつつも、放っておけなくて。
(わかってる……だからこそ、歯痒い)
いつか狂ってしまうかもしれない、そんな爆弾を抱えた彼の選択は、彼にとっては間違いではないのだろう。
怪我を負い憂鬱に囚われていた時よりも、今の方がすっきりした表情をしているのだから。
「……また来ます」
このまま考えていてもしょうがない、紫苑は顔を上げると笑みを作ってみせた。
障子に手をかけ、どうしてもこれだけは伝えたいと真剣な目で山南を振り返る。
「俺は、山南さんは人間だと思う。化け物なんかじゃない」
たとえ女を捨てたのだとしても、紫苑は紛れもない女だと彼は言っていた、それと同じだ。
たとえ人を捨てたのだとしても、彼は変わらずに山南敬助であるのだから。
嫌味の一つでも言われるだろうかと思っていたが、
意外にも彼は「ありがとう」とだけ笑って答えてくれた。
「皆は嫌がるけど、俺は山南さんの小言が聞けないのは嫌だから」
だから変わらずに生きていて欲しい、そう願いながら紫苑は部屋を後にした。
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序盤なので土方さんとの会話率が高い。
物語を進ませたいのに進まない。