慶応四年四月。
劣勢を強いられている状況を打破する為、新選組は会津へ向かう事を決めた。
会津藩主・松平容保公の下でなら再起も図れるだろうという判断だ。
羅刹隊は表に出られないという特性上、単独でひっそりと宇都宮経由で会津へ先行した。
本隊は人員確保の為隊士を募り兵力を増やしながら、五兵衛新田の金子邸に身を寄せた。
そして数日後、新政府軍の進軍を聞きつけた後は、さらに下総流山の長岡屋に移動した。
「近藤さん、お茶菓子ありますけど食べますか?」
盆を片手に階段を上ると、意外だったのか机に向かっていた近藤が驚いて振り返る。
「紫苑!寝てなくて大丈夫なのか?君は休む為に本隊に付いていかなかったのだろう?」
「休んでいますよ。これはちょっとした気分転換です」
斎藤が率いる新選組本隊は、新兵の訓練で市川まで出ている。
紫苑は羅刹ではあるが本隊所属なので、羅刹隊と一緒に先発はしなかった。
だがそれでもやはり羅刹なので、近藤の警護を兼ねて待機という事になっている。
ちなみに沖田は近藤に付いていたいという理由で、
そして沖田の傍にいる千鶴は必然的に、紫苑と同じくこの屋敷で待機している。
長岡屋には他に土方、山崎と島田、あと数名の隊士しか残っていない。
つまりは、とても静かだという事。
適当な言い訳をする紫苑を、近藤はしばらく見つめて何かを悟ったらしい。
「さては、トシを避けているんだな」
「……流石、近藤さん」
はっきりと言い当てられるとは思わなくて、紫苑は困ったように笑う。
伊達に昔から土方や紫苑を知っている訳ではないらしい。
だが追い払う事はせず、受け入れてくれる様子の近藤は茶菓子を受け取って温かい表情で微笑む。
勧められた椅子に座って、どっしりと構えている近藤と向かい合わせにされると、
何だか全てを話さなければならないような気分になる。
「トシと、何かあったのか?近頃、君の事を話題にすると途端にトシが不機嫌になる」
「……まあ、色々と」
あれだけ衝突したのだ、無理もない。
永倉と原田が離隊した日に怒りを孕んだ目で見限られて以来、土方は紫苑を無視するようになった。
意地悪をするという意味ではない、紫苑を"紫苑"として捉えなくなったと言う方が正しいのかもしれない。
近くにいてもただの一般隊士と同列に扱い、必要事項の伝達ですら紫苑を見ているようで見ていない。
一対一ですれ違う時には、目すら合わせてもらえなくなった。
表面的にはわからないかもしれないが、ずっと近くにいた紫苑には違いがわかる。
紫苑に対する感情が、表情や目に一切浮かばない。
本当に、いないものとされているらしい。
(拒絶したのは、私だけど……)
彼の厚意を跳ね除けたのは自分だ。
こういう結果になると予想していたからか、思ったより傷付かなかったが、それでも溜息は出る。
今だって、諦めていてもやはり何度も同じ経験をするのは嫌で、
忙しく長岡屋を動き回る土方に会ってしまわないように、近藤の所に逃げてきた。
「どうしてそんな事になってしまうのだろうな……君とトシは想い合っていると思うのだが」
「それはないです。きっちり、言われてしまいましたから」
至極不思議だと言わんばかりの顔で近藤は首を傾げる。
想い合っているという言葉に少しだけ動揺したが、それは違うと自信を持って言える。
変な誤解を与えてしまわないように咄嗟に否定してから、何だか紫苑は笑えてしまった。
修復不可能にまでなってしまったこの状況で、近藤の言葉はあまりにも夢物語のようであったから。
「そうなのか?だが、大事に思っているのは確かだぞ。昔から君の事になるとトシは鬼の副長ではなくなる」
「……それは多分、家族というか、兄妹のような情ですよ。妹ぐらいにしか思われていないんです」
妹であるなら、それでも大したものであったのだろう。
喜ぶべき事だったのに、できなかった。
(でも、それも……なくなった)
紫苑はもう、妹ですらなれなくなった。
また一つ、溜息が零れた。
「ふむ、不思議だな……ならば自覚してないのだろうか」
「まさか。俺知ってますよ、土方さんが方々で浮名を流していた事。
そんな人が今更自分の気持ちがわからないとかないですよ」
花街で凄まじく人気があった事とか、昔――それこそ紫苑が試衛館に入る前の話を、
望んでもないのに当時の仲間達が面白おかしく喋ってくれたのだ。
どこぞの娘を孕ませただの、美人で評判の娘との縁談を武士になりたいから断っただの。
女らしく真っ当に生きている人達に比べると、刀を振り回す自分など初めからそのような対象ではなかっただろう。
(自分で言ってて何だか虚しくなってきた……)
「まぁ……そもそも俺は女じゃないですから」
「そんな事はない!君はちゃんと女性だぞ!」
「……あ、ありがとうございます」
立ち上がらんばかりの勢いで声を荒げた近藤に、自虐的に笑っていた紫苑は吃驚して言葉を失った。
真剣に否定されて、思わず素直に礼が零れる。
ぽかんとしている紫苑をよそに、近藤はしみじみと感慨深げに頷いている。
「昔を思い出すなぁ……君の木刀を振る姿を初めて見て、素質があるとすぐにわかった。
これは磨けばもっと美しくなると、その太刀筋を見てみたいと思った。女性だろうがそんな事は全く構わなかった」
「…………」
「いや、女性であるからこそ、我々ではできない新たな戦い方ができると思った。
その予想通りに君は、普通の男達とは違う剣豪になった」
古い考えに囚われない彼だったからこそ、紫苑は受け入れられた。
大きくて、大地のように包み込んでくれる人だから、ここまで付いてこられたのだ。
土方とは違った意味でだけど、とても大切な人。
「昔も今も、どんな格好をしていても君は綺麗なままだ。女性である事が、さらに君を輝かせている」
「……感謝しています。今此処でこうしていられるのも、近藤さんのおかげです」
たとえ鬼の力を持っていたとしても、紫苑を見出した土方に打診されても、
彼が宗家でなければ紫苑は武士になどなれなかっただろう。
そもそも彼が"彼"でなかったら土方も付いてこなかったはずだ。
「だが……俺のせいで、君を苦しませてしまった」
紫苑が今までの恩を伝えても、心に届いていないのか近藤は途端に表情を歪めた。
苦しんでいるとは少し違う、何かを諦めてしまっているように思えて紫苑は怖くなった。
これは思い出話などではない、もっと深くて暗い……まるで走馬灯のようで。
「俺を庇わなければ、君は羅刹になどならなかったのにな……俺は、駄目な将だ」
「な、何を言うんですか。近藤さんだからこそ今まで皆付いてきたんです!」
「だが永倉君も原田君も離れていった……もう、先行きは良くない」
「そんな事ないですよ!いつか、何とか……っ」
「……ずっと、何とかさせてきてしまったな……トシに」
「っ!」
(近藤さん、私と同じ事考えてる……)
ずっと、副長に人一倍重いものを背負わせてしまっている事。
だがそれは気付いて欲しくはなかった、誰よりも新選組の局長には。
戦に二度敗北して、塞ぎ込んでいる彼には。
「……紫苑、俺に何かあったら……トシを頼む。トシを、支えてやってくれ」
「――それはできません。俺は……土方さんを庇って、死ぬつもりですから」
「、な……」
それまで聞く耳持たずだった近藤が、流石に顔を上げた。
紫苑の思い描く未来は、近藤と土方が揃って健在である事。
どちらかが欠けてしまっては、それはもうきっと"新選組"ではない。
その未来が叶うなら、そこに紫苑はいなくてもいい。
「だから、生きてください。俺なんかじゃなくて、近藤さんがいてもらわないと駄目なんです」
――どうか"生きて"。もう一度希望を取り戻して。
その思いを込めて、不安を振り払って近藤を見つめる。
強い目に気圧されて放心している彼は、
どう答えるべきか悩んでいるようで、口を何度も開いては閉じている。
「……何を、言うんだ……紫苑……君は――」
その続きは言葉にならなかった。
バタバタと、静かな屋敷には似つかわしくない慌ただしい音が近づいてくる。
その只ならぬ気配に、今までの空気が吹き飛んだ。
「近藤さん、いるか!」
「どうした、トシ」
二階に上がってきた土方は、真っ先に視界に入った紫苑に思わず目を見開いた。
だがすぐに険しい表情で近藤を見る。
「すぐ逃げる準備をしてくれ、敵に囲まれている!」
「っ!」
世の流れは既に、新選組が立ち止まる事を許してはくれなかった。
梔子 十
少し前まで穏やかな時間が流れていたはずなのに、一瞬にして絶望的な危機に襲われている。
長岡屋を取り囲む敵兵は二、三百はいると島田が言った。
近くに川が流れ、街中にあるこの屋敷は戦いには不利な場所だった。
加えて本隊は市川にあり、呼び戻す時間もない。
残った兵力は本当に少なくて、どうやっても全員が無事に逃げられる状況ではない。
全員で戦って全員で散るか、誰かを囮にして残りが何とか逃げるか。
迫られる選択に、狭い二階に集まってきた一同が押し黙る。
最悪の事態に、皆が命の覚悟を唐突に突き付けられて、動揺が走る。
「もはやこれまでか……」
「諦めるのはまだ早い。ここは俺が何とかするから、その隙に全員逃げろ」
ポツリと呟いた近藤に、やはり動いたのは土方だった。
だが、"何とかする"とはつまり、自分が囮になるという事。
「待ってください!敵は銃を主体とした部隊です!」
「やってみなきゃわかんねぇだろ!」
島田が止めようとするが、諦めない土方は絶対に引かない。
だが彼は羅刹ですらない、生身ではひとたまりもない。
(土方さんが……囮に、なる……?)
紫苑の脳裏で、銃に撃たれて沈んだ彼の姿が蘇る。
あれは馬に乗っていたから恐らく今ではないのだろう、だけど。
「――トシ、お前が行く事はない。俺が相手の本陣に行こう」
「っ、何言ってんだ近藤さん!あんたじゃ、みすみす死にに行くようなもんだ!」
(そうだよ、何を言っているの近藤さん……それは、近藤さんを犠牲にするという事だ)
確かな口調で言う近藤と、焦って反対する土方のやり取りを、
紫苑はどこか遠くの事のような感覚で聞いていた。
(誰かが、死なないといけない……そうしないと、逃げられない)
だが近藤や土方の決意の言葉は、混乱していた頭を少しずつ冴えてさせてくれた。
彼等は死を覚悟してでも、他の者を助けようとしている。
動揺していた気持ちが、凪いでいく。
(私は、どうしたらいい?私には……何ができる?)
想い人である土方には死んで欲しくない。
大切で尊敬する近藤にも犠牲になって欲しくない。
――ならば、誰が死ねばいいの?
「もちろん新選組の近藤とは名乗らんよ。俺達は旗本で、
この辺りを警備している鎮圧部隊だと言えば、お前達が逃げる間の時間稼ぎくらいはできるだろう」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ!」
(ああ、そっか……簡単な事だった)
答えは、笑える程すぐそこに、自分の中にあった。
「――なら俺が行きます」「僕が行くよ」
声を出すのも、前に進み出るのも、奇しくも沖田と二人同時だった。
沖田が意外そうな顔で此方を見るので、紫苑は笑って肩を並べる。
「言うと思ったけど、俺も行くよ総司。
……俺達が敵を引き付けている間に、逃げて下さい」
沖田と全く同じ気持ちだった事を可笑しく思いながら、紫苑は強い目で二人を見つめた。
近藤と土方が驚愕の眼差しで振り返り、迫るように説き伏せてくる。
「な、何を言うか!お前達にそのような事をさせる訳にはいかん!」
「紫苑!お前、それがどういう意味かわかって言ってるのか!」
「わかってますよ。俺達が、殿(しんがり)を務めるって、言っているんです」
「……っ!!」
わざとゆっくり言うと土方は見た事もない顔で絶句する。
(そうだよね、土方さんは考えていたはずだよね……この選択を)
此方の戦力は本当に少数しかない、だが偶然にも羅刹が二人いる。
銃に対して生身の人間では囮にもなれないだろうが、羅刹ならある程度は戦える。
沖田か紫苑を囮にするのが一番被害が少ない、
その選択を聡明な副長なら考え付いていたはずなのに、彼はそれを選ばなかった。
それこそが彼の甘さであり優しさであり、紫苑の好きな土方の姿だった。
(だから、もういいんだ)
羅刹なんていつか滅ぶ存在なのに、切り捨てなかった。
そんなに大切にされているのなら、それだけでもう十分だろう。
「だ、駄目だ!許さんぞ!お前達を犠牲にして逃げろというのか!」
「大丈夫ですよ近藤さん、僕達は羅刹ですから」
「皆が助かる為に新選組の局長を差し出すなんて、それこそ馬鹿な話です」
動揺して止めようとする近藤の言葉でも、沖田と紫苑の決意は揺るがない。
それはそうだ、何故ならこれが最善の策であり、沖田にとっては本懐だ。
「僕はこの時の為に生きてきたようなものだから」
「もう決めたんです、俺も……たぶん総司も」
隣を見遣れば、同じ表情をする沖田も此方を見つめていた。
やはり自分達は似た者同士だったのだなぁと、何だか笑えてしまった。
沖田の後ろにいた千鶴が、悲痛な表情で震えている。
「お、沖田さん……紫苑さん!」
「千鶴ちゃん……ごめんね」
「っ!!」
沖田の一言で全てを悟ったのだろう、涙を溜めた双眸をゆっくり伏せた。
これで、思い残す事はきっとお互いになくなった。
「それじゃあ、ちゃんと逃げて下さいね」
頷き合い、踵を返して出陣する。
こんなにも堂々と、胸を張って歩いた事はかつてあっただろうか。
それほどの決意と使命感と、何かに満たされていた。
(仕方ないよね)
いつか訪れる、"土方が撃たれる日"の為に今を疎かになんてできない。
誰かを犠牲にして生き延びるのは、違うと思うから。
(結局みんな大切なんだから……しょうがないよね)
「ま、待て……っ!紫苑……!」
その中で唯一追いかけてきたのは、紫苑の最も大切な人。
ずっと、追いかけていた人。
その人に追いかけられるのは初めてかもしれないと思った。
久しぶりに、彼は紫苑を見てくれた。
だけどもう、彼に告げる事はない。
これ以上彼に、願いや想いという枷を背負わせたくはないから。
あるとすれば、生きて欲しい……ただそれだけ。
「……、紫苑!!」
切羽詰まった声に振り返る。
こんなに必死で、焦った顔を見せてくれる人が愛おしくて、自然と笑みが溢れた。
「――っ!」
――その決意に満ちた目で嬉しそうに微笑んだ紫苑は、強くて、そして美しかった。
(さよなら、土方さん……)
できれば最期まで傍にいたかった。
銃弾から貴方を守りたかった。
だけど、人にはやらなければならない時がある。
この方法しか思い付かないのだから、仕方ない。
たとえ土方さんが生き残っても、そこに近藤さんがいなかったらきっと意味がない。
近藤さんを守る事はたぶん、土方さんの心をも守る事だと思うから。
この選択が、天命に定められた道か、抗った道なのかはわからない。
どの道を行けば土方さんは銃弾に撃たれないで済むのだろう。
先視の力は、必要な時に現れてはくれないけど。
だけど、
――どうか、私の選ぶ未来が、あの瞬間に繋がっていませんように。
表へ出る寸前、沖田がいつもと変わらない調子で口を開いた。
「紫苑……君、死ぬ覚悟はある?」
「あるよ。総司こそ、千鶴はいいのか?」
生き残れるとは、よもや思っていない。
皆が逃げられる時間さえ稼げればいい、さらに言えば死ぬつもりで来た。
自分はこれ以上捨てるものはないが、沖田には千鶴がいる。
それを確認すれば、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「……仕方ない。わかってもらっていたよ、そこは」
「そっか」
こんな時もないとは限らないと、あらかじめ言っておいたらしい。
彼女には可哀想な事をしているし、本当なら紫苑だけでも場は持つだろう。
だが沖田が望んでいるから、それを誰かが止める事なんてできない。
「馬鹿だよね、紫苑」
「わかってるって」
「……本当に、馬鹿だ」
「……うん」
そうかもしれないと苦笑すれば、沖田が悲しい目をして笑い返す。
何が言いたいのかはわかっていたけど、紫苑もあえて答える事はしなかった。
何も言わなくても、きっとお互い理解できているから。
だからこそ、相手の存在がとても心強い。
その気持ちもまた共有しているから、肩を並べて一緒に死地へ行ける。
外への扉を開け放った先は、日の光が輝く世界。
その下で二人は大量の敵兵の前に立ちはだかる。
「何だ貴様らは!」
「君等こそ何なの?勝手に取り囲んで迷惑なんだけど」
新式の銃器を構える兵達に、沖田と紫苑は自身の分身とも言うべき刀を抜く。
不良集団らしく、相手を威嚇するように乱暴に振る舞い、周囲を睨み付ける。
「この屋敷に武装集団が詰めているとの知らせがあった!総大将は出頭せよとの通達だ!」
「なんでこの辺を警備してるだけなのに出頭しなきゃなんねーんだよ!」
様子を見る限り、敵兵はこちらが新選組だとは気付いていないようだった。
ならばその正当性を押し切りながら注意を引こうと、紫苑は吠える。
「抵抗すれば撃つぞ!」
「やってみろよ!」
「煽るねえ、君」
猛々しい紫苑とは逆に飄々としている沖田。
だけど騒ぎを大きくしなければ、裏口にいるだろう敵兵も引き付けられない。
「構わん、撃て!」
「っ!」
紫苑に狙いを定めた銃口が火を噴いた。
高らかな発砲音が空に響き渡ったが、正面で刀を構えている紫苑は傷一つ付いていなかった。
その代わり、先程までの艶やかな黒髪が真っ白に揺れて、引き絞られた黄金の瞳が敵兵を捕捉していた。
「な!?」
「……はは、出来るかもしれないって思ったけど、本当に出来たよ」
「っ……紫苑」
流石に驚いて振り返った沖田に、紫苑はニヤリと笑ってみせる。
簡単な事だ、飛んできた弾を刀で弾いただけだ。
それでもまともに受けると刀が折れてしまいそうだったので、
少し刀身を傾けながら紫苑に当たらない軌道まで逸らした。
銃弾の速度は速すぎて普通の人間の目では捉えられない。
だが紫苑は羅刹であり、鬼であり、先視の力がある。
以前、風間と戦っている土方の少し先の未来が重なって見えた事がある。
だから、もしかしたら相手の剣筋や弾の軌道が読めるのではないかと思っていた。
ぶっつけ本番ではあったが、いつ弾が紫苑に到達するのかが微かに視えた。
「た、弾を弾いただと!?化け物か!?」
「まあ……普通ではないかもな」
羅刹化により増幅させた鬼の力と、先視の能力があればこそだった。
人間離れした技に、敵はざわざわと動揺して殺意を膨らませる。
「まったく……あんまり驚かせないでくれる?」
「人が集まってきた方がいいだろ?」
「はあ、僕は派手にやるつもりはなかったんだけどね……しょうがないから一緒に戦ってあげるよ」
「それは有り難い。仕方ないから総司の背中、守ってやるよ」
それなりに心配してくれたのだろう、羅刹化した沖田が息を吐きながら紫苑の背後に立つ。
お互いに軽口を言い合って、背中が触れ合う。
「……君になら、預けられる」
「……ありがと」
総攻撃の前の、温かな体温だった。
――これが幸せってやつかもしれない。
誰かを守って死ねる命に、意味はあったと思えたから。
きっと、大切な人を守る為に生きていたんだろう。
「くそ……っ!やれ!!」
号令と同時に、銃声が次々と耳をつんざく。
だが敵兵が言い終わる前に動いていた二人は、発砲される直前にそれぞれ一人ずつ斬り捨てた。
「ぐああああ!!」
「ぎゃあああああ!!」
狙っていたはずの二人は消えていて、同時に味方の悲鳴が聞こえて新政府軍は混乱する。
その隙に近くにいた者の腕を切り落とし、鍔を返してさらに隣の男を薙ぐ。
振り返れば、沖田も殺した者の体で銃弾を防ぎながら何とか戦っていた。
労咳も治っていないだろうに、そう心配していたが杞憂だったようだ。
「な、何だ!?何が起こっている……!?」
「う、撃て!相手は刀だぞ!?」
態勢を持ち直そうと攻撃の手を緩めない新政府軍からの、止む事のない雨が降る。
だがその軌道が視える紫苑には何の意味もない。
身を捻り、刀で弾きながら、接近して敵を無力化させる。
赤い飛沫が宙に舞い、返り血が全身に飛び散ると、やはり紫苑の中の羅刹が疼く。
舐めたいと思った。もっと血の雨を降らせたいと思った。
だけどそんな本能を意志で抑え込んだ。
「ぅっ……!」
読み切れなかった弾がいくつか紫苑の肉体を貫いていく。
幸いな事に銀の弾でなく心臓にも命中しなかったので、血が溢れていた傷口はやがて塞がっていく。
痛みなど、元より感じない。
太陽の光を浴びている時点で、既にこの体は痛みに蝕まれていたのだから。
「こ、攻撃の隙を与えるな!続けて撃て!」
「させるか!」
すぐ死んでたまるものか。
「ば、化け物め!死ねえ!」
「お前も道連れだ!」
「ひっ、ぐがあああ!!」
紫苑の体のいたる所から血が吹き飛ぶが、構わず動いて斬った。
時折沖田と背中を寄せながら呼吸を合わせ、また飛びかかる。
(死んでも守らなきゃいけないんだよ!あの人達は!)
恐怖に慄きながらも銃ではなく刀を振り回してくる者もいたが、
彼らの実際の動きよりも先に幻影が振りかぶってくるので、その軌道を読んで斬る。
斬って、撃たれて、また斬り殺す。
どれだけ殺したかもう数えていない、だけどまだ敵が無数にいる。
だから、殺さなきゃいけない。
「っ!!ん、の……野郎!!」
「ぎゃああああ!!」
どうやら銀の弾も少し混ざっているらしい、腕をかすめた箇所の出血が止まらない。
服の内側からじわりと広がっていく違和感に、少しだけ焦りを覚えた。
(まずいな、長くはもたないかも)
焼けるように痛い、だけど痛いと思える内は自分は生きていると実感できる。
まだ戦える、まだ動ける。
自分の生きた証が此処に血として刻まれる、それが何故か嬉しかった。
「ほら……もっと来いよ!」
断末魔の叫びと銃声が入り混じり、まさしく地獄絵図だった。
だけど紫苑の心は、とても満たされていた。
体にまとわりつく赤くて温かい色が、この薄汚れた体を包み込んでくれるようだった。
(最期まで、足掻いてやる)
「うおおおお!!」
獣の雄叫びを上げながら、前方の獲物に噛み付こうとした瞬間。
「――二人とも!刀を納めて引きなさい!」
有り得ない声に、紫苑も沖田も金縛りにあったように動けなくなった。
呆然としながら恐る恐る振り返れば、長岡屋の門前。
二人が何よりも守りたかった新選組の局長、近藤勇がそこに立っていた。
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