「どうして止めてくれなかったんですか!!」

包囲網をくぐり抜け、残っていた敵兵も土方と紫苑で半ば自棄になりながら一掃させた。
不可能だと思われていた長岡屋からの脱出が叶い、少しだけ緊張を吐き出したのもつかの間、
局長を失ったという現実がじわじわと押し寄せる。

先に行かせていた島田達に追いつき、これからの事を考えようとした所で、
ずっと俯いていた沖田が土方を見つけた途端、息を吹き返したかのように激しい怒りを爆発させた。

「お、沖田さ――」
「無理矢理にでも連れ出してくれればよかったのに!」

引き止めようとする千鶴も振り切って、土方の胸倉を掴んでは憎々しい目で睨む。
だがそれは、周りの人間が思わず眉を寄せてしまうほどに悲しみが伝わってくる慟哭だった。

大した抵抗もせずされるがままになっている土方を紫苑は庇おうとしたが、
彼の行き場のない感情を思うとそれさえも止めてしまうのは酷な気がして、
最悪な事態になるまでは、と二人を見守っていた。

「副長がこんな所で何やってるんですか!
結局、土方さんは近藤さんを身代わりにして自分だけ逃げてきたって事でしょう!?」
「……止めたんだよ……だけどできなかったんだよ!お前だってできなかっただろう!?」
「っ!」

抑え気味ではあったが、それでも堪らずに張り上げた土方の声には悔しさが滲んでいて、
沖田は返す言葉を失い、息を詰まらせる。

誰の静止の声も、聞いてはくれなかった。
どれだけ説得しても彼の意志は変わらなかった、変えられなかった。
それは二人の共通の苦しみだった。

「……やろうと思えば、無理にでも連れ出す事はできた。
だが近藤さんの意志を踏みにじってそれをしたら、それこそ近藤さんは俺達の……新選組のお飾りになっちまう」
「…………っ」
「総司と、紫苑を捨てられない……それが近藤さんの、望みだった」

沖田は糸が切れたかのように腕を下ろし、俯いた。
前髪から微かに覗く表情が泣きそうに歪んで、壊れたように薄く笑う。

「……近藤さんがそういう人だって、知ってましたよ……だけど僕には、そんな事……関係ないのに……」

力なく項垂れた背中に、紫苑まで泣いてしまいそうになった。
きっと今の彼の気持ちが誰よりも理解できるのは、自分だとも思った。

「守りたかったのに……どうして……っ」
「…………」

此処でどれだけ土方をなじっても近藤は帰ってこない。
沖田もそれに気付いているから、怒りも何もかも無駄に思えて、ただ虚しくて仕方がない。

しばらく震えていた沖田は、やがて急に顔を上げると来た道を戻ろうとする。
先程までの虚ろな雰囲気は掻き消え、少し影の増した、だが何かを決意した目をしていた。

「何処へ行く」
「近藤さんを助け出すんですよ。組織とか、そういうのは僕には関係ない。
もう僕は、土方さんには付いていけない……誰も僕を止められませんよ」
「…………そうか」

止めるかと思ったが、土方は「好きにしろ」と言って、そうしなかった。

確かな足取りで草を踏み歩く沖田に、背中を見つめたままの土方。
千鶴は離れていく二人の顔を交互に見遣って、戸惑いの表情を見せた。
どうするべきかと僅かに逡巡し、だが彼女も意を決したようで、土方に歩み寄ると深々と頭を下げる。

「あ、あの……!」
「お前も、一緒に行くのか?」
「……はい。危険かもしれないですけど、沖田さんの傍にいたいんです。
今の沖田さんなら、なおさら傍にいなければならないと思うので」
「そうか……総司を支えてやってくれ。できる事なら、生き延びろ」
「はい……今まで、ありがとうございました」

律儀に挨拶をして、千鶴は沖田の元へと走って行った。
決して楽な道ではない、だけど軽やかに駆けた彼女もまた、想い人の為に生きるのだろうと紫苑は思った。
もしかしたらこれが今生の別れかもしれない、千鶴もそれをわかっていながら。

彼は近藤を助けに行くと言った。恐らく力づくに、命懸けでやるのだろう。
だが単身で敵陣に斬り込むなんて、ほとんど自殺行為だ。
それが彼の望みなのだから仕方ないのだが、本当にやるのかと、
自分も一緒に行った方がいいんじゃないかと、紫苑は思わず沖田を追いかけた。

「総司……」
「君は来なくていいよ、僕一人で行く。君は、君が傍にいたいと思う人の所にいなよ」
「…………」

こちらの考えがわかっているかのように、先に沖田に言われてしまった。

だが、一人でなんて無謀だ。
でももう、彼も止められない。

「……俺は、これが最後の会話になんてしたくないからな、それだけは覚えてて」

生きて欲しい、だけど無理かもしれない。もう会えないかもしれない。
だからせめてと、強がりの言葉を投げかける。

「はは、相変わらず意地っ張りだねえ、紫苑

油断すれば泣いてしまいそうな目に必死で力を込めていると沖田がくすりと笑った。
意地の悪い目とは違う、仕方ないなぁと言わんばかりの苦笑。

その柔らかだった表情を前髪で隠し、顔を逸らしながら彼はポツリと呟いた。

「……一緒に死のうとしてくれて……ありがとう」
「……っ」


――だから、最後の会話にしたくないって、言ったのに。


遠くなってしまった二つの背中に、紫苑は堪え切れない涙を一筋だけ零して、すぐに拭い去った。
いつかまた会えるだろうか、追われる身となってしまった戦の世界で、そんな事を願いながら。






浅葱 一






沖田達と別れてすぐに、土方は紫苑ともう一人隊士を連れて江戸へ戻った。
島田は江戸から近い今戸で待機、山崎は斎藤率いる本隊と共に会津へ向かう事となった。

一分一秒を争う事態な為、羅刹の紫苑も休みなしの移動であったが、
島田や山崎ではなく土方に「付いてこい」と言われたからには、無理を押してでも追いかけた。
時折土方が紫苑を窺うように振り返ったが、結局何も言う事はなかった。

全ては近藤の為、一刻も早く助命嘆願の書状を得なければ。
直接救出には沖田が単独で向かった。
組織として動いている土方には、それぐらいしかしてやれないという気持ちも働いているのだろう。
険しい表情をする彼の横顔には、いつになく焦りが滲んでいた。

(土方さん……)


――「俺は……何の為に、ここまでやって来たんだ」――


茜色の太陽に向かって叫んでいた言葉には、誰にも見せる事のなかった彼の本音――
もっと言えば内心の恐れや後悔などという弱さが垣間見えた。
それだけずっと彼が人知れず苦しんでいたという事だ。

紫苑の顔が歪むほど強く掴まれた両肩は彼の怒りや悔しさの心の表れに違いない。
だけどその後の、あの抱擁は一体どこからくる感情だったのだろう。

(抱き締められたんだよね、一応……)

あんな状況であった為に、紫苑も受け入れて泣いたりしていたが、
今になって思うとなんて事をしていたのだと恥ずかしくなった。

服越しではあるが初めて肌で感じた体温は思った以上に温かくて、離れてしまうと何だか物悲しく感じた。
もっとああしていたかった、と一瞬だけでも思ってしまった自分が恐ろしい。

(あれは状況が状況だったから、だよね)

勘違いしてはいけない。
きっとあれは、傷の舐め合いだった。
深い意味なんてないのだろう。

だけどそれを意識して思い出してしまうあたり、自分は女を捨てきれないらしい。

(欲張りになっている自分が、恐い……)

脆さを吐き出した延長のものだったのだろう。
彼はあの時の慟哭が嘘のように、あれ以来弱った表情を見せない。
むしろ局長を救出しなければならない使命感で、いつも以上に切羽詰まった眼差しをしている。


――もっと、心を開いてほしい。


何の権利もないのに彼の心を知った気になって、そんな事を願ってしまう自分に首を振る。
今は雑念に囚われている暇はないのだからと、紫苑は振り払うように足を動かした。


江戸に到着後、土方は勝安房守――勝海舟と面談し、大久保一翁にも働きかけ、新政府軍への書状をしたためた。
その嘆願書を誰かが使者となり、早急に板橋総督府へ届けなければならないのだが。

「俺が行きます、土方さん」

今戸で待機していた島田と合流し、誰を使者にするかという話題で紫苑は真っ先に名乗りを上げた。
敵軍へ赴く訳であるから、拘束されたり最悪殺される場合もある事ももちろん承知しているが、
それでも大切な局長の為の助命嘆願書を届けるという役目、どうしてもやらせて欲しいと主張した。

だが土方は嫌そうに眉を寄せて、少しも思案する事なくきっぱりと言い放つ。

「お前は却下だ」
「何故ですか?自惚れる訳ではありませんが、そこそこ腕は立ちますよ。
危険だというなら俺みたいな人間の方が適任だと思いますけど」

紫苑には使命感のようなものがあった。
沖田が一人でも近藤を助けようとしているのだから、紫苑も何かやらずにはいられない。
どんな障害に阻まれたとしても、意地でも届ける気でいるのに。

「例えば拘束されたとして、尋問を受けたらどうする?身ぐるみ剥がされたらお前など良い標的にしかならねえだろ」
「今更そんな事で怖気づいたりしませんよ?屈辱的な事があったって絶対に口なんか割りません」
「……お前は駄目だ」

女である事が露呈したら何をされるかなんて明白で、
それを示唆しているのに、望むところだと言わんばかりに胸を張る紫苑
そういう事を言ってるんじゃねぇと、土方は呆れ果てた溜息を吐いた。
そして軽くあしらっていた態度を変え、険しくも力のある強い目で紫苑を見据える。

「言ったはずだ、俺はもうお前を野放しにするつもりはねえって。
お前を何処ぞへと一人で行かせると、平気で勝手に死のうとするからな」
「…………」
「初めからお前を行かせる事なんか考えちゃいねえ、問題外だ」

(あれは、そういう意味だったのか……)

裏を返せば、土方の傍から離さないという事になるのだが、
それが大事な局面であっても適用されるのだとすると、紫苑にとっては少し困る。
今回のような、是非自分がと思う隊務にも自由がきかないという事だ。
精神的なものでなく、隊務一つにとっても文字通り"野放し"にしないという事だとは。

傍にいさせてくれるらしいのは嬉しいが。
大事にされているのか、信用されていないのか、よくわからない。

その証拠に、この場にいる島田や他の隊士が微妙な顔をしている。
深読みすれば男女の愛の言葉にも聞こえるが、
そんな甘い雰囲気を一切まとわない、有無を言わせない重い拘束力がそれをかき消している。

「相馬……危険な役目だが、行ってくれるか?」
「は、はい!そのような大役、必ず成し遂げます!」
「ああ、頼む」

土方は連れてきたもう一人の隊士、相馬主計を使者に指名した。
恐らく最初からそのつもりだったのだろう。
打ち合わせで別室に行ってしまった土方と相馬を横目に見ながら、
悔しんでいいのか何なのか、とにかく変な気分で溜息をつくと、それを見ていた島田が小さく声をかける。

「仕方がありません、副長は藤沢君を死なせたくないのでしょう」
「そうかもしれないですけど……相馬君だって危険なのは同じなのに」
「今の副長には恐らく、藤沢君が必要なのだと思いますよ」
「……さっきの会話でそう思えました?」
「……ええ、何となく、ではありますが」

聞きようによっては喧嘩しているようにしか見えなかっただろうに。
似たような事を近藤にも言われた、だがそれがいまいち理解できない。
疑わしい目付きをする紫苑に、島田はくすりと苦笑してみせた。

「気付いていますか?斎藤さんや沖田さん達新選組の重鎮がいない今、
物怖じせず副長に意見できるのは、この中では貴方だけです」
「……まあ」

命知らずなだけかもしれないが。
島田も古株に入るが、彼はずけずけと意見したり歯向かったりはしないから、 そうすると確かに紫苑しかいない。

(それは逆に、鬱陶しいだけなんじゃ……?)

「このような苦境で独り作戦を練るのは、我々では計り知れない重圧を感じておられる事でしょう。
だからこそ互いに遠慮なく言い合える存在は、議論を深められる面も含め、知らず支えになる事もあると思いますよ」
「…………」

彼の支えになれればいいと何度も願っていたが、
いくら考えても、紫苑の存在は彼の重荷にしかなってないと思っていた。

(だけど死なれるのは嫌みたい)

死のうとした事をあんなにも怒られるとは意外だった。
だから今までの行ないが、少なくとも迷惑や重荷に感じられている訳ではないのかもしれないと、最近思うようになった。

だとしても、島田の言うような尊い存在になれているとは到底思えないが。

「でも俺、土方さんに何もしてあげられてない。できるのは戦力になる事と、守る事しかできない」
「それでもいいのですよ。その上で傍にいる事を望まれているんですよ、恐らく」
「…………」

やっぱりよくわからない。

だけど本来は、ずっと彼の傍にいたいと思っていた。
言われるまでもなく、それが紫苑の本懐。

望まれるのなら、なおさら喜んで傍にいようと思った。
自由に動けないのは少し不満だったが。

「まあ……今まで散々追い払われても付いてきましたからね、今更ですよ。
俺が土方さんを精神的にも支えてみせますよ」
「その意気です、藤沢君」

ははは、と頼もしく思えるように振る舞ってから部屋を出る。
しんと静まり返った縁側で夜空を見上げると、太陽のように美しく眩い月が紫苑を照らす。

だけど本当は自信なんてない。


――「独りで泣かないで土方さん……ほんの少しだけでいいんです、私も一緒に……背負いますから」――


そう言ったのは紫苑だ。
だけど自分は、彼の支えになれるのだろうか。

(ええい、考えたって仕方ない!今までと同じようにしてればいいんだ)

やれるだけの事をやる、ずっとそうしてきたのだから。
紫苑は月に頷き、確かな足取りで歩き出した。




――その数日後、使者として発った相馬主計が、板橋総督府で捕縛された。











Back Top Next



花散ればとふ人まれになりはてて いとひし風の音のみぞする  藤原範兼


ううむ、微妙な文章…
史実通り相馬主計さんを出してみました。キャラは想像ですけど。