相馬主計が新政府軍に捕縛されたとの知らせを聞き、予想していたがやっぱりかと一同は肩を落とした。

嘆願書は渡ったと思うが、それを聞き入れるかは向こう次第。
近藤の消息もわからず、これ以上どうにもできない状況で、
何とか相馬の身柄だけでも取り戻そうと土方は密かに動いたが、事態は思うように進まない。

そしてさらに数日後の4月11日、江戸城が無血開城された。
幕府が新政府軍に江戸城を無抵抗で明け渡した、この事実に新選組の誰もが驚愕した。
戦わずして負けを認めたようなものだ、そんな屈辱的な事があっていいものか。

旧幕府と新政府でどのような取引がなされていたのか下の人間には知る由もなかったが、
自身の誇りがまた一つ削られていくようで、一時は絶望さえ感じた。

土方はしばらく悩んだのち、会津に向かう事を決めた。

「やれるだけの事はした。ここに留まりたいが、新選組をいつまでも頭なしで動かす訳にはいかねぇからな」

幕府軍の中には、江戸開城に伴い新政府に恭順の意を示す者も多かった。
だが会津藩も含め、まだここで終われないと思う者もいた。
土方や紫苑もそうだ、局長が投降してまで逃がしてくれた命を、無駄になどできなかった。

江戸城がそうなってしまった以上、江戸に長居する事もできない。
後ろ髪引かれる思いで紫苑達は、大きな故郷に別れを告げた。

市川を経由して先に北進している他の旧幕府軍と鴻ノ台で合流し、共に北へ歩む事になった。






浅葱 二






何だか居心地が悪いと感じたのは、気のせいではなかった。
同じ目的で集まっているはずなのに冷めたような、悪意にも似た視線がちらちらと紫苑達を刺す。

「なあ……あいつらが人斬り新選組か?」
「ああ。気に入らなきゃ仲間さえ斬り捨てる、狂犬の集団って噂だ」
「目を合わせない方がいいぜ。どんな難癖つけられるかわかったもんじゃねぇ」
「…………」

此方を覗き見しながらひそひそと話す声がする。
聞こえてもいいと思っているのか、不躾な侮辱の言葉が時々耳に入る。

この軍の主体となっている伝習隊もそれなりに腕の立つ人材が揃っていると聞くが、
どうやら新選組は、その中であっても危険物扱いされているらしい。
紫苑からしてみれば、生粋の幕兵なんてのは平和に慣れた育ちのいい人間ばかりの集団に見えるから、
新選組を恐れるのはまぁ当たり前といえば当たり前なのだが。

(そんな目が合っただけで喧嘩吹っかけたりしないっての)

新選組はそんなんじゃない、と言って訂正してやりたくなる。

いや、周りから見ればそう映るのかもしれないし、
仲間を斬ったのもあながち間違いではないが、それは局中法度という組織を貫いた結果だ。
決して気に入らないからとか、私情で人を斬ったりはしなかった。

「……口さがない連中ですね、黙らせてきましょうか?」
「言いたい奴には言わせておけばいい」

同じく不快に思っただろう島田が進言するが、土方は放っておけと言う。
害になる訳でもなし、確かにいちいち相手にするだけ時間と体力の無駄だが。

鬱陶しいと、紫苑が威嚇する目付きで辺りを見渡すと、さっと視線が散っていく。

(絡まれて怖いなら、聞こえないようにしろよな……)

舐められて、余計な喧嘩を売られるよりかは幾分かマシだが。
そうやって悪意を向けてくるから、此方も同じものを返すしかなくなるのだ。
京にいた時から陰口を叩かれるのは慣れている、だけど気持ちの良いものではない。
どこでだって、自分達はつまはじき者だ。

(だけど、あの時はみんながいた)

同じ志を持つ信頼できる仲間達がいたから、どんな悪意や嘲笑だって怖くなかった。
堂々と、胸を張っていられた。

今だって別に後ろめたい事なんてない。
だけど仲間が一人また一人と減っていって、何だか隙間風に吹かれているような気分になる。
正しいと信じる事をしているはずなのに、心細くなる。

(淋しいな……)

疎外感と孤独が、寒々しく体を吹き抜けていく。
もう此処には、背中を預けて共に戦える仲間が、少ししかいない。











太陽が傾きかけた頃、今夜の宿となる屋敷に辿り着いた。
ようやく休憩ができると、土方が腰を下ろした近くで紫苑も座り込むと、どっと溜息をついた。
この体で昼間活動するのはかなり辛い。
本当なら皆のように夜の支度や明日の準備などしなくてはならないが、
もう少しだけ回復させたいと、静かに深呼吸を繰り返す。

そんな事をしていると、二人にすたすたと歩み寄ってくる人物がいた。
誰もが新選組に近づこうとしないのに、その足音には何の躊躇も感じられなかった。

「あなたが土方君ですか?」

すらっとした細身に洋装を着こなした、優しい物腰の男というのが第一印象だ。
一見するとひ弱そうな見た目だとも思った。

「……あんたは」
「僕は歩兵奉行の大鳥圭介、初めまして」

ニコリと微笑を浮かべながら、大鳥と名乗った人物は右手を土方の前に差し出す。

「……何だ?」
「えっと、シェイクハンドだよ、知らないかい?欧米での挨拶のようなものだよ」
「…………」

そう言われても此方は何をしていいかなどわからず、土方は不審な目付きでただ見つめ返すだけ。
無言が少しだけ続き、大鳥は困ったように伸ばした手を宙に漂わせ、
変な間を補うようにちょうど隣にいた紫苑に視線をずらす。

「そちらの方も、よろしく」
「……ええと……藤沢紫苑、です」

(何かよくわからないけど、挨拶と言うからには何かした方がいいのかな……?)

どちらかというと気まずい顔をしている大鳥。
気安く近づいてきた男に警戒しているのか憮然としたままの副長に代わり、何かしなければならない気がする。
差し出された右手を見下ろして、紫苑は恐る恐る聞いてみる。

「俺は……何をしたらいいんですか?」
「ああ……同じように右手を出して握手してくれればいいんだ」
「……これが挨拶、ですか?」
「欧米ではね」

変わった風習だな、というのが正直な感想だった。
離れた手を眺めていると、大鳥がじっと紫苑を見つめたままだったのに気が付いた。

「君は……男性かい?」
「…………」

今年の初め頃から無理に髪を切る事をやめて、以前より伸びて紫苑はさらに中性的な見た目になっていた。
それから侮られたくないようにとしていた、男っぽく見せるような虚勢もあまりやらなくなった。

それは、最初に土方と交わした"女だと気付かれたら離隊させる"という約束自体があやふやになったからだろう。
戦が始まり、男だ女だとか、そんな事を言っている場合ではなくなったし、
何より紫苑が羅刹になってしまったせいで、どうやっても新選組からは追い出される事のない体になった。

無理して男でいる必要がなくなった。
むしろ女っぽい見た目の方が、敵が油断してくれるので得なのだ。
そういう理由で少しだけ自然でいるようになったから、もしかしたら女にも見えるかもしれない。

「……さあ、どうでしょう?ご想像にお任せしますよ」

紫苑はわざと男にも女にも見えるように悪戯っぽく笑った。
ぽかんとしている大鳥の次の言葉を遮ったのは、隣にいた土方だった。

「で、何の用なんだ?」
「あ……これは申し訳ない。この軍の編成について話がしたかったんだ。
旧幕府軍は先鋒・中軍・後軍に分かれていて、僕はその総督を任されているんだが……」
「総督?あんたが総大将か」
「一応、そういう事になるね」

意外だった。
幕府軍を統率する人間ならば、もう少し年がいっているかと思ったが、彼はまだ若い。
こんな物腰で男達を従えられるのかと僅かばかり不安になるが、
偉そうにふんぞり返っているような人よりはるかにマシだと紫苑は思う。

実際、軍の話になったら大鳥という人は急に真剣で聡明な顔付きになった。
旧幕府軍にもこんな人がいるんだ、などと二人のやり取りをぼんやり眺めていると、
急に話を切って土方が紫苑を振り返る。

「お前、こっちはいいからさっさと太陽の当たらねぇ所探して、休むなり寝るなりしろ。この先もまだ長い」
「……でも」
「準備の手筈は島田達に言ってあるから、お前は気にしなくていい」
「…………」

紫苑はどこか呆けたような顔で、しげしげと見返した。
意外だと言わんばかりの顔付きに、土方まで訝しげに首を傾げる。

「……何だ、また気に入らねえってか?」
「いえ……そうします」
「……?」

(何だろう……いつもだったら絶対言い合いになったと思うのに)

今までだったらきっと、"大丈夫だから除け者にしないで欲しい"なんて言い返したと思う。
だけど土方の口調が多少柔らかくなったからか、それとも自分が許せるようになったのか。
どちらともなのかもしれないが、今日は何故か彼の言葉がすんなり受け入れられた。

土方の方も噛み付かれると予想していただろうに、それがなくてどこか拍子抜けしている。
言う事を聞く気になった紫苑は、大人しく日の当たらない陣営を探した。
人のいない場所を選び、座り込んでとりあえず目を瞑る。

(お互いに妥協できるようになったのかな……?)

よくわからないが長岡屋での一件以降、何かが変わった気がする。
互いに溜め込んでいた本音をぶちまけて理解しあえたのか、歩み寄れたのか。

とにかく衝突が少なくなったのなら良い事だ、と紫苑は昼間に酷使した羅刹の体を休ませた。
無理していると悟られないように進軍していたのだが、やはり彼にはお見通しだったようだ。


軽く意識を飛ばし、次に目を覚ますと辺りはまだ薄く暗くなった程度だった。
それでもかなり楽になれたようで、紫苑は顔を洗おうと立ち上がる。
羅刹になってから好きになった夜の闇にはまだ早い、
未だ忙しなく動いている軍の者達の波を抜けながら、紫苑は井戸の水を汲んだ。

「おい、あれも新選組らしいぜ」

(……私の事か?)

鋭くなった聴覚が、遠くの方から聞こえる話し声を捉える。
この辺りには新選組の者はいない、つまりは紫苑の事だ。

「まじかよ。女みたいな顔して、どう見たって弱そうに見えるけどな」
「…………」

(聞こえてるって)

向こうは此方が気付いているなど知りもしないだろう、それぐらいには距離が離れていた。
また睨んでやろうかとも思ったが、土方の放っておけという言葉を思い出して、
あまり騒ぎにしてもと紫苑は我慢の二文字を心に念じた。

だが、男達は構わず会話を続ける。

「でも、あんなんでも人斬りだろ?見た目で騙されない方がいいって」
「それかもしくは、あの土方歳三の小姓とか?」
「ああ、その方が納得できるな。夜の相手もさせてる、とか?」
「けど、これだけ苦戦続きなのにわざわざ小姓はべらせるとか、どんだけ物好きなんだよ」

批判、というよりは面白おかしく喋るのが好きな部類なのだろう。
そういう邪推も昔から何度かされたし、危害を加えるような事はないからどちらかといえば無害だ。

だが紫苑は今、それを笑って聞き流せる程の余裕は持ち合わせていなかった。
髪が伸びて中世的に見えたとしても、それを一応は"仲間"に嗤われるのは気に食わない。
新選組の事を、特に土方の事を悪く言われるのが一番許せない。

「おい、コラ」
「、な……っ!」

羅刹の瞬発力で目の前に立ち塞がって睨み付けると、流石に驚いたのか男達は後ずさる。

「好き勝手喋ってくれてんじゃねぇよ。誰が寝所まで付き合う色小姓だ」
「い、いや……これは……!」

元々好戦的ではなく、本当に噂好きなだけなのだろう。
苛々を隠さずに殺気を滲ませると、今にも悲鳴を上げて逃げてしまいそうな怯えた顔をする。

「こんなんでも何人も殺してきた身なんでね、経験してみるか?今更一人二人増えた所でどうって事はない」
「ひっ……!」
「ま、待ってくれ!」
「こっちは短気で乱暴な人斬り集団なんだ。そんな聞こえる所で喋ってたら……うるさくて喉掻っ切りたくなるだろ?」
「「……っ!!」」

低く重い声で、鈍く光る刀身をチラリと見せつけながら薄く笑う。
細められた目はまさに獣のようで、
先程遠巻きから見ていた華奢な体からは全く感じられなかった獰猛さに、男達は死期さえ悟って震えあがる。

「……新選組を馬鹿にすんじゃねぇよ。お育ちのいい坊ちゃん達は、後ろで静かに行進してな」
「ひぃぃ!!」
「助けてくれぇぇ!」

そろそろ苛めるのもここまでにしておいてやるかと、
紫苑がまとっていた殺気を散らすと、男達は情けないほどに一目散に逃げていった。
あれでも腐っても幕府軍だ、名目上は仲間なのだから流石に殺しはしないが、
侮っていると痛い目を見ると教え込むぐらいには脅しておきたかったのだ。

(土方さんの事、何も知らないくせに嗤うからだ)

あの人と、近藤さんがどれだけ苦労して今まで新選組を築き上げてきたか。
そして局長が捕えられ、彼はさらに必死で戦っているのに。

「何の騒ぎだ!」
「……あ」

会議をしていたらしい土方と大鳥が騒ぎを聞きつけやって来た。
気が付けばいつの間にか、やり取りを遠巻きに見ていただろう人達が集まっている。
あれだけ騒げば誰だって何事かと出てくるに決まっている、それは土方達も例外ではない。

そして人だかりの中央では、刀の柄に手をかけたままの紫苑

「何やってんだ、お前……っ」
「や、あの、はは……」

当事者はいなくとも何となく状況を察したのだろう、
次第に増えていく眉間の皺と胡乱になっていく目に、まずい、と本能的に危機を感じた。
放っておけばいいと言われたのに余計な事をして、これは絶対に怒られる。
誤魔化せそうもないが、もう笑うしかなかった。

「本当にお前は……目を離すとすぐこれだ」
「……すいません」

昔から"手が早い"だの"喧嘩っ早い"だの小言を言われていたから、返す言葉もない。
またぐだぐだと説教かなと思っていたら、意外にも土方はため息をついただけだった。

「はあ……まあいい。連中にも良い薬になっただろ。程々にしておけ」
「…………。はい」

周りが静かになったのならちょうどいいと、土方は解散を指示してその場を立ち去った。
あんぐり口を開けてぽかんとしている紫苑を置いて屋敷に戻ろうとすると、
ずっと土方の後ろにいた大鳥がクスクスと笑い出す。

「彼女はとてもアクティブな人なんだね」
「あく、何だ?……っていうか、あんた……っ」

上手く聞き取れなかった言語はさておき、今彼は何と言った。
ひた隠しにするつもりは元よりなかったが、確かに"彼女"と言わなかっただろうか。

だが大鳥は土方の疑問も、さらにはその先も心配も読み取って微笑んだ。

「大丈夫だよ、誰にも言わない。そういう事だろう?」
「…………」

そういう事がどういう事か、いまいち釈然としなかったが。
なかなか食えない人物だと、土方は独り言ちた。











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大鳥さん登場。