土方が静養している間、新選組本隊は会津藩などの同盟軍と共に白河城にて戦を続けていたが敗走、
その後も白河城を奪還しようと何度も奇襲を仕掛けたが失敗に終わり、北にある福良まで軍を退いていた。
約三か月間かけて傷を癒し、土方と紫苑はそこでようやく本隊と合流を果たした。
「もう傷はよろしいのですか?」
「ああ、心配かけたな」
今まで新選組を任せちまってすまねえと土方が言えば、斎藤は返事のように緩く目を伏せた。
怪我の治療で会津に移動した後すぐ、一度彼らに会った。
そこでも前線に出ると主張した土方だったが全力で止められ、悔しそうにしながらも軍の指揮を斎藤に任せた。
あれから顔を合わせていなかったが戦況だけは耳に届いていた。
この過酷な状況で、よく生きていてくれたと紫苑は思わず頬を緩ませる。
「藤沢君も元気そうで何よりです」
「ありがとうございます、山南さん」
「土方さんも大丈夫か?羅刹になったって聞いたけど……」
「ああ、何ともねぇよ」
「そうかあ~……土方さんがいない間のびのびやってたのにな」
「泣き言言ってたの間違いじゃねえのか」
穏やかな顔の山南、そして冗談めかしながらも土方の様子を窺う藤堂。
隣には嬉しそうな顔をする島田や、山崎もいる。
「島田と山崎も、俺がいない間よくやってくれた」
「いえ……これぐらいの事、何でもありません!」
「ご無理はなさらないで下さい、副長」
(みんな、いる……)
久しぶりに見る顔、久しぶりの仲間。
一歩外に出れば死と隣り合わせの世界に覆われているけど、皆が集まれば束の間でも笑顔が零れる。
ああ、やっぱり帰ってきてよかったと紫苑は思った。
ただの女であった紫苑はもういない、陣羽織に身を包んだ男装の紫苑がそこにいる。
どんなに絶望的な状況であったとしても、今ここにいられて嬉しかった。
「戦況はどうなっている?」
「新政府軍は白河から北上し、まもなく二本松まで到達するでしょう。
兵力からいって、二本松が落ちる可能性もあります」
「そうだな……陥落するのも時間の問題だろう」
柔らかい空気は一瞬で霧散し、戦の話に切り替われば皆が真剣な顔で周辺図を見つめる。
山南が指を差しながら冷静に今の状況を説明する。
「問題はその後です」
「会津へ来るか、仙台へ行くか、だよな……」
「会津だろう。長州の連中は会津を恨んでるからな」
思案げに呟いた藤堂に、土方は淡々と答えた。
「私もそうだと考えています。
敵が会津を獲るとなれば、この母成峠を越えて鶴ヶ城を目指すでしょう」
「ああ、大鳥さんは母成峠に布陣して迎え撃つ構えだ」
「じゃあ、俺達も援軍に出るわけ?」
「当然だ。会津を獲られるような事になったら奥州列藩の示しがつかねぇ。
何としても母成峠で食い止める」
藤堂の問いに土方は力強い決意を告げた。
大鳥は今、日光のあたりで軍を率いている。
じきに会津藩境の母成峠で合流し、一緒に戦う事になるだろう。
(戦になる……きっとこれまで以上に厳しくて、熾烈な戦いに……)
紫苑と同じように皆も考えているのだろう、押し黙って唇を引き結んでいる。
紫苑は、不思議と怖いと思わなかった。
みんなの為に、みんなと一緒にならば、怖くない。
願うのは、土方を含めた皆が生き残る事。
そこに終着点なんて存在しないのかもしれない。
だけど、目の前の命の奪い合いに勝たなければ、明日を生きられない。
(だから……戦える)
結束する仲間達と共に、紫苑は強い目で土方に頷いた。
浅葱 十
生命を象徴するかのような太陽がその役目を終え、
影のように昇る月が朧に佇んでいるだけの夜の刻。
騒がしさに満ちた日中とは違う、心地いい無音と冷たい空気を壊さないようにと、
足音小さく屋敷奥の目的の部屋に向かえば、彼は待っていたのか既に笑っていた。
「山南さん」
「おや、藤沢君。来ると思っていましたよ」
寝静まった陣中で、羅刹隊がいるこの周辺だけ気配が違う。
身をひそめ、だけど夜行性の獣の双眸をぎらつかせながら闇を吸って生きている。
紫苑も、彼らと同じ存在だ。
少し前まで日の光の下で普通の女子として生きていたのに、
ここに来ると何故か安堵のようなものを感じる。
自分のいるべき場所だ、そんな気分になって気持ちが落ち着くのだ。
紫苑は、ふわりと薄笑いを浮かべて山南の前に腰を据える。
「長い間、血を提供できなくてすみませんでした」
「いえ、貴女が謝る事ではありません。土方君の様子はどうですか?」
「……一度、衝動に襲われましたが薬を飲んでもらいました。
本当は血を飲んでもらいたかったんですが」
日中に土方を気遣うような言葉が交わされたが、それが虚勢だと山南もわかっていたのだろう。
改めて尋ねられて、紫苑は正直に今の状況を伝えた。
「そうですか……彼もまた、滅びの道を選んでしまったのですね」
「…………」
儚い雰囲気を持つ山南は、悲しそうに首を振った。
彼の纏う空気が、以前とは少し変わっているように見える。
それもまた、鬼の血がしばらく飲めていないせいだろうかと紫苑は眉を潜めた。
「また薬をもらってもいいですか?もう残り少なくなってきたので」
「ええ、すぐ用意しましょう。ですが、わかっているとは思いますが……」
紫苑が受け取るのは、新薬ではない普通の薬。
作業机から薬包を取り出しながら山南は言葉を濁した。
「はい……私はもう、あまり効かなくなってきましたよ。
でも土方さんにはまだ効くから、どうしてもという時には」
「……貴女にも、何か良い薬があればいいのですが、ね……」
「いいんです、私は」
他の鬼の血を飲めば紫苑も多少は良くなるだろうが、ここに鬼はいない。
それを悔しいと思った事もないし、紫苑は気にしてはいなかった。
「山南さん。遅くなりましたが、また血をもらってください」
「…………」
何か月も期間が空いてしまったのだ、もう新薬の在庫も羅刹達への効果もないだろう。
だからと紫苑が迷わず腕を差し出すと、山南はその穏やかな顔を歪めた。
「その件なんですが……もう、貴女から血をもらわない事にしました」
「え……?どういう事ですか?」
「……意味がないからです」
晒された腕から目を逸らす山南に、慌てたのは紫苑だった。
「どうしてですか?鬼の血は効果があったじゃないですか!」
「ええ、確かに効果はありました。通常の薬よりも遥かに早く効き、羅刹の狂気すらも弱まらせる事ができた」
「だったら……!」
「ですが、それは薬が効いている間だけの事。
薬が切れたらまた彼らは狂気に囚われる……今までの薬と同じく、根本的な解決にはならなかったのですよ」
「……そんな……っ」
一気にたくさんの情報が与えられて、紫苑は頭の整理ができなかった。
意味がない?
狂気が抑えられるのに意味がないとは、どういう事なんだ。
「貴女に渡した薬のように次第に効かなくなる、という事はないかもしれません。
ですがたとえ貴女の血で狂気を抑え続けていたとしても、いつかは羅刹の寿命が来る」
恐らく、血をもらわない事を決めていたのだろう。
羅刹にとって何よりも至高で甘い毒である血を断たなければならない苦しみか、
紫苑の厚意が哀しいのか、山南は痛々しいような複雑な表情で言葉を吐く。
「この部屋に来るまでの道のり、静かだとは思いませんでした?
もう既に、羅刹隊は半分以上が灰になって消えています」
「え―――」
それは、と言いかけた言葉が止まる。
山南の部屋のすぐ近くで、かたんと物音がして誰かが歩いている。
左右が揃わない、覚束ない足音を不審に思い二人は廊下に出た。
ふらふらと裸足のまま中庭に下りて佇んでいるのは、羅刹隊の隊士だった。
彼はぼんやりと天を照らす月を見上げている。
「な、何をしてるんですか……?」
「狂っている訳ではないでしょう……ですが」
ある意味狂っているのかもしれませんね、と山南が自嘲気味に苦笑する。
どういう事かと聞こうとした時、月明かりに目を細めた隊士が呻いた。
「……ぅ……ぁ」
獣とは違う、もっとか細い声で。
月を求めるように、力を振り絞って。
そして次の瞬間、隊士はその身を灰に変えながら、音も立てず崩れ消えた。
「――!」
「……寿命、ですね」
「そんな……っ!」
跡形もなくなった隊士に紫苑は茫然とするばかり。
この光景をきっと何度も見てきたであろう山南は、どことなく笑っていた。
「確かに血欲しさに無差別に人を襲う事はなくなりました。
ですが戦に出て羅刹の力を使わなければならない以上……一人、また一人と誰かの寿命が尽きる」
「……っ」
――これが人ならざる者と、紛い物と呼ばれた自分達羅刹の、末路か。
鬼の血があるのに、救えなかった。
いつか自分達もこうやって、死んでいくのか。
「……一緒なのですよ。結局は滅ぶ道しか、残されていない」
羅刹の中には、羅刹にならなければ生き残れなかった人もいるだろう。
羅刹などなりたくなかった、仕方なく羅刹になった人もいるだろう。
戦う為、皆と同じものを見る為に、羅刹を選んだ者だっている。
(わかって、いたのに……)
狂わなければ、どうにかなると思っていたのかもしれない。
「だから、もう貴女が犠牲になる必要はありません」
目を見開いたまま放心状態の紫苑に、山南はただ寂しそうな声を出す。
「戦にも出ず、貴女に血をもらい続けていれば、長く生きられるかもしれません。
ですが……一生貴女に頼らなければ生き長らえられない命など、何の意味があるのでしょうか」
「…………っ!」
紫苑は震えていた。
どうしてなのかは自分でもよくわからなかった。
悔しさと、絶望と、苦しさからかもしれなかった。
自分の鬼としての存在価値が否定されたからだろうか。
だけどきっと、それだけじゃなかった。
(ここに……楽になれる鬼の血があるのに!)
紫苑の行動原理が、頭の奥で焼き切れたような気がした。
「でも……それでも!私はみんなに一日でも長く生きて欲しい!
私に鬼の血が流れている限り、鬼の血があれば生きられるなら、私は一生でもあげ続けたっていい!」
「!……藤沢君……っ」
(誰でもいい、一人でもいい、この血で守れるなら……!)
突然悲痛な声を張り上げて詰め寄った紫苑に、逆に山南が驚愕の表情を浮かべた。
「お願いです山南さん、血をもらって下さい!」
「おやめなさい……っ、羅刹全てを貴女が背負う必要はないのです」
「もう誰も死んで欲しくないんです!血なんか、いくらでもあるじゃないですか!」
半狂乱になった紫苑は山南から距離をとると、自身の腰にある脇差を抜いた。
そして構わず振り下ろした刀で左腕を引き裂いた。
「!藤沢君!!」
ぼたぼたと溢れ出る鮮血が、闇に包まれた木目の床に落ちていく。
流石に慌てた山南が咄嗟に傷口を圧迫する。
なんて事を!と叱るつもりだったのに、紫苑は晴れやかに笑っていた。
「いいんです……傷なんて、すぐに塞がりますから」
「そういう問題ではありません!どうして貴女は、そうまでして……!」
「生きて欲しいんです、みんな……山南さんも、平助も、みんなみんな……」
「…………っ」
赤い薬が、唯一の毒が、二人の足元に染みて広がっていく。
壊れたように微笑んでいる紫苑に、泣きそうな顔をしたのは山南だった。
言いたい言葉も、怒りたい気持ちも、
全てが絡みついて、ただただ哀しくて。
悲痛に顔を歪ませ、諦めたように目を閉じた。
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短め。
戦線復帰していきなり暗い。