新政府軍の羅刹達が近づいているという情報を元に、
街道が二手に分かれる分岐点が垣間見える森の中、藤堂はじっと息を潜める。
本当に来るのかと半信半疑でいながらも、山南が直々に頼み込んでくるくらいだから確かなのだろう。
辛抱強く待ち続けていると、ざっざっと規則的に砂を踏む音が聞こえ、遠くから洋装の軍隊がやってくる。
(あれは……羅刹)
陣笠が顔を隠していてはっきり判別しにくかったが、僅かに見える白い髪、そして時折チカリと光る禍々しい赤色。
彼らが何者であるかを物語っていた。
(昼間でも本当に平気なんだな……)
太陽が煌々と照らす大地を隊列を乱す事なく歩いている。
藤堂だって日向に長くいられないから日陰を選んで潜んでいるというのに。
新政府側が昼間でも活動できる羅刹を完成させたという話は以前耳に挟んだが、
彼らと太陽の下で戦うのは不利かもしれないと藤堂は実感として焦りを覚えた。
(どこへ行くんだ……仙台、か?)
過ぎ去った彼らが向かうのは北。
この方角で大きい城下は、仙台だ。
あそこには今、山南率いる羅刹隊がいて、さらには幕軍本隊も合流予定だ。
早く知らせなければと立ち上がった瞬間、背後に人の気配を感じた。
正確には人ではない、獣のそれのような本能に訴えかけるものだった。
「っ!?しまっ―――!」
だが気付くのが遅かった。
ぼうっと宿る血色の双眸が細められるのを見ながら、藤堂の体に衝撃が走る。
早く、戻らなければいけないのに。
悔しさに襲われながら、藤堂は意識を手放した。
紺碧 一
会津を出た新選組含む旧幕府軍本隊は北上し、仙台へと到着した。
しかし偵察の目的で先行させていたはずの羅刹隊と連絡が取れないのだ。
どこにいるのかもわからない状況で何も進展がないまま。
城下にある宿泊宿で、土方は書面を見つめながら渋い顔をしていた。
「はあ……」
動けない状況に、重い溜息が出る。
絡まった思考を解く為に茶を飲もうと手を伸ばし、湯呑の中身がなくなっている事に気付く。
そんな些細な事で気分はまた下降し、顔を上げる。
「、…………」
呼ぼうとした名前はついに言葉にならなかった。
それが今此処にはいない人物だと思い出し、さらに眉間に皺が寄る。
習慣というものは恐ろしいと思った。
呼べるべき妥当な名前が見つからず、土方は溜息をついて茶を諦めた。
山崎の入室を問う声と、来客があったのはそんな時だった。
「久しぶりだな、土方君」
「榎本さん!」
豊かな髭を蓄えた、洋装の紳士。
穏やかそうにしているが目の奥に強さを宿している彼が旧幕府海軍の副総裁――榎本武揚。
江戸から新造艦開陽丸を始め、八隻の軍艦を率いて奥羽越列藩同盟の支援に来てくれた、土方達の頼もしい味方だった。
「榎本さんも変わりない様子でなによりです」
「近藤さんの事は、俺も力及ばず、すまなかった。惜しい人を亡くしたもんだぜ」
「……榎本さんがそう言ってくれるなら、近藤さんも喜んでいることと思いますよ」
まだ過去にはできそうもない。
深い悲しみに沈み込んでしまいそうな意識を引き上げ、土方は気丈を装う。
「仙台の様子はどうですか?」
「実はまだ仙台藩主と話ができていねぇんだ。
城には何度か足を運んでいるんだが、会談を申し込んでも是非の返答もない」
「……そうですか」
現状は変わらず足止めだという事だ。
拒否するにしても何かしら返答があっていいはずなのに、音沙汰がないというのは一体どういう訳か。
「それに妙な噂を聞いた。仙台藩にはおかしな部隊が存在している、っていうんだ」
「おかしな部隊……?」
「城下では辻斬りが横行していてな。その犯人達が城に出入りしているとか」
「…………」
「城は不気味な程、静まり返っている」
連絡の取れない、山南の羅刹隊。
そして京の時と同じ、辻斬り。
浮かび上がる共通点に嫌な予感がする。
「……榎本さん。辻斬りの件は、俺に預けてもらえませんか」
少しだけ首を傾げた榎本だったが、その件に関してはそれ以上聞かないとばかりに、すぐに任せると答えた。
戦況や軍備の事をいくつか報告し合った後、玄関先で榎本を見送ると、
傍で口を挟む事なく話を聞いていた山崎が声をかける。
「副長……今の話」
「ああ、確証はないが無関係とも言えないだろう」
思い浮かぶのは二人とも山南の顔だった。
京と同じ事件が仙台でも起こるのは偶然ではないだろう。
しかも今、羅刹隊は消息不明だ。
「調査しますか」
「頼む。今回は俺も動くから、定期的に報告してくれ」
「了解しました……」
聞き分けのいいはずの山崎が、珍しく何かを言いたそうに逡巡しながら土方をチラリと見る。
「どうした?」
「その……お一人で、大丈夫でしょうか?」
「…………」
「い、いえ、差し出がましい事を申し上げました……」
いつもより躊躇いがちな声で、だけど気遣うような目線に土方が言葉を失うと、
山崎は出過ぎた真似をしたと慌てて目を伏せた。
山崎が気にしたのは、彼が動く事によって土方の傍に誰もいなくなるという事だろう。
他にも呼べば部下はいくらでもいるが、彼が絶対的に信頼できるであろう元新選組の旧知の仲間は今は限りなく少ない。
すなわち、ずっと傍にいた特定の人物がいない状態を心配したのだ。
土方は苦笑する。
片方がいない事を気にされる程、そんなに自分達はいつも一緒にいただろうか。
(確かに……考えると大体何となく、近くにいたな)
小姓見習いから離れても、副長助勤にさせても、戦になっても何かと土方と絡み、そしていつも心配させられた。
なのに今は、自分がそれをされる立場になっている。
孤独で冷酷で、鬼副長であるはずの、自分が。
「何ともねえよ。すまねぇな、気を遣わせちまって」
「いえ……申し訳ありません」
恐縮する山崎に気にするなと笑いかけ、その後の調査の指示を出す。
山崎は即座に行動に移り、ついに身辺に誰もいなくなった土方は静かに息を吐く。
悩み事はどんどん増えていくばかりで頭が痛くなる。
辻斬りの犯人が、山南でない事を祈りたかった。
もし彼であるなら斬らなければならないのだから。
それから数日後、あちこちで調べてきた山崎が、
榎本が言っていた噂通りに仙台城で怪しい人影が出入りしていると報告してきた。
それが新選組の羅刹までかは知り得なかったらしいが、仙台藩主からの返答がない事もあいまって、
城内で何かが起きているのは確かだった。
土方は山崎と共に仙台城に潜り込む事を決めた。
山崎は土方を安全な場所にいさせたかったようだが、否定した。
藩主の了承もなく入城するので大人数では行けず、また誰かに見つかる訳にもいかない。
様々な理由から、周囲が暗い夜間に二人で決行する事になった。
山崎が見つけた抜け道を使って城内に侵入したものの、やはり何かがおかしい。
人の気配がまるでしない。
静まり返った怪しい雰囲気の城内に自然と緊張感が高まっていく。
音を消し、廊下を慎重に進む。
自身の長年の経験か、羅刹故の敏感さか、何となく感じる嫌な気配を辿り、
誰もいない閑散とした広間に足を踏み入れる。
土方は眉を潜め、虚空に投げかけた。
「これはどういう事だ……山南さん」
「そろそろ来る頃かと思っていましたよ」
返ってくる静かな声に振り返れば、仄暗い微笑を携えた山南が音もなく佇んでいた。
いてほしくはなかったと思いながらも、土方は山南を強く見据えた。
「説明してもらおうか」
「見たままだ、土方君」
「――!?綱道さん……!」
同じようにどこからともなく現れた人影は、消息不明になってからしばらくが経つ、
新選組に変若水をもたらした千鶴の父親――雪村綱道だった。
新政府軍側に付き、羅刹の研究を続け、
怪しい計画を企てていた所を少し前に出くわしたが、その彼がどうして山南の隣に立っているのか。
いや、考えなくともわかる。
"そういう事"なのだと。
「綱道さんと手を組んだのか、山南さん?」
「……仙台に君が求めるものはありません。奥羽同盟は戦争回避を目論んでいます」
「なに……?」
「もう我々の味方は、此処にはいません」
穏やかな声で、だけど虚ろな目付きで山南が近寄る。
それを阻止するように山崎が進み出て刀を抜いた。
「そこで、私は彼と手を結び、彼の目指す鬼の王国と我々羅刹隊の共存を目指す事にしたのです」
「……っ」
バタバタといくつもの足音が広間に押し寄せ、山南と綱道の背後にずらりと並ぶ。
羅刹の赤い目が、一斉に土方と山崎に狙いを定めた。
「この国全ての羅刹が、今この城に集結しています。
新政府軍を確実に打ち倒せるだけの最終兵器になります」
「……綱道さんは、新政府側の人間じゃなかったのか?」
「私は、元より雪村家の再興が望みだよ」
「―――そう、俺達は俺達の王国を作る。人間共を全て滅ぼして、ね」
「!?」
千鶴と同じ顔をした少年が羅刹達を率いて現れ、綱道の隣に並んだ。
「南雲、薫……か」
「絶体絶命だね、土方。こんな状況で選択肢なんてないよ」
「…………」
恍惚とした表情で笑う薫に、土方はさらに顔を歪ませ山南を睨む。
「どうです土方君、この羅刹達を率いて共に新政府軍と戦うつもりはありませんか」
薫の言う通り、この状況で是も否もない。
彼らを否定する言葉を発した瞬間に羅刹達が動き、殺しに来るつもりだろう。
「……その前に聞きたい事がある。城下の辻斬りはあんたの仕業か」
「いいえ、暴走する羅刹を斬った事はありますが、辻斬りは決して」
「そうか。それと平助はどうした?」
「……彼は私達に賛同してくれませんでしたから、地下で休んでもらっています」
土方が質問をしなくなると、もうよろしいのですかと山南が歩み寄る。
じりじりと狭まる距離に、山崎が刃を突き付ける。
「ここは俺が食い止めます。副長は逃げて下さい」
「いや、俺が残る。お前だけでも逃げろ」
「何を仰るのですか!貴方を置いて逃げられる訳がないでしょう!」
「相手は羅刹だ。生身のお前では太刀打ちできない」
「しかし!だからといって、頭を置いて逃げる手足がどこにいるというのですか!」
平然と言ってのける土方を制するように山崎が叫ぶ。
わかっているが、だがこれでは二人とも共倒れになる。
土方は必死でこの状況を打破する方法を考えていた。
「ご相談は終わりましたか?返答を、聞かせて下さい」
「……っ」
返答の言葉は、決まっている。
だがそれを発した瞬間、ここは戦場になる。
時間稼ぎもこれ以上できそうにない。
結局は力づくで切り抜けるしかないと、土方が腰の柄に手を掛けた、その時。
さらに足音が、聞こえた。
「――何やってるんですか土方さん。たった二人で敵陣に飛び込むなんて、それでも鬼の副長ですか」
「!?」
突然増えた声に、まさかと思った。
だが聞き間違えようのない、敬語なのに人を食ったような挑戦的な口調。
「総司……!」
振り返ると、しばらく前に別れたきりだった沖田が、千鶴と共に立っていた。
ニヤリと笑う変わらない表情に、心が震えた。
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ながむとて花にもいたく馴れぬれば 散る別れこそ悲しかりけれ 西行
仙台編。
さくさく進ませたいです。