紺碧 三
静かになった城を後にして、土方達はひっそりと城下の宿に戻った。
新政府軍側の羅刹達も滅ぼしたというのに、素直に喜べない状況だった。
手から零れ落ちた灰の感覚が抜けない。
また、仲間が減った。
残された者達は、繋ぎとめられた命でこの先どう生きていくか、それを考えさせられて一同は終始重苦しい空気だった。
沈黙を最初に破ったのは沖田だった。
ずっと我慢していたのだろう、宿に着いた途端に追及が始まった。
「それで?紫苑はどこにいるんですか?」
「…………」
来るだろうなと予想はしていた。
だがやはり土方はその答えをはっきりと口にできなかった。
自分自身も納得していない上に、沖田の責めるような目が土方の罪悪感を煽る。
初めて、沖田から目を逸らした。
「あいつは……斎藤と一緒に、会津で戦っている」
「何ですって?」
一段低くなった声色に、以前と状況が似ているなと土方は遠い目をしながら思った。
流山で局長を手放してしまい、沖田に胸倉を掴まれたあの時と。
――「結局、土方さんは近藤さんを身代わりにして自分だけ逃げてきたって事でしょう!?」――
そんなつもりは決してなかったが、客観的に見ればそうなってしまうのかもしれない。
結果的に局長は処刑されて、副長はまだ生きているのだから。
今この時だって、どうして自分だけのうのうと生き延びているのだろうと、そう思わずにはいられない。
だからそれを沖田に問い詰められると弱い。
「貴方は、また紫苑を置いていったんですか?」
「…………」
また、とはどれの事だろう、心当たりがありすぎてもはや分からない。
沖田の声が、紛れもない怒りに震えていた。
「どうして貴方はそうなんだ……!しかも会津って!今一番の激戦地じゃないですか!
死にに行かせたも同然じゃないですか!」
「行かせたくなかったんだよ!俺だって手元に置いておきたかったさ!」
誰よりも土方が反対したのだ。
沖田につられるように抑えていた感情が爆発した。
「あいつが……斎藤を守りたいと言ったんだ。死ぬつもりの斎藤を止めると、
二人でなら生きて帰ってこれる可能性があると……そう言ったんだ!」
――「一君が死ぬのを止めに行くんです!死にに行くんじゃないです!」――
必死に訴える紫苑の顔を思い出して、ギリと拳を握りしめる。
「誰が喜んで送り出すかよ!でもあいつは決めちまったんだ!もう俺にだってどうする事もできねえよ!」
結局、決意を固めてしまった人間には勝てない、止められないのだ。
近藤の時も、紫苑の時も。
「……また先視ってやつですか」
沖田は、紫苑の行動原理を鼻で嗤った。
訳のわからないそれに彼女はいつも振り回されて、命を賭けて。
本懐があるにも関わらず、時にはそれよりも優先してしまう紫苑が沖田には理解できなかった。
「だからって二人とも死ぬかもしれない前線に送ったんですか、貴方は?」
「不本意に決まってるだろう!だが、どちらかしか生き残れないのなら、分が悪くてもどちらも生き残れる可能性を選んだ!」
隊の為だと、今まで様々な隊士を冷酷に見捨て、斬り捨ててきた。
だけど戦でもっと色んな人間が無残に死んでいった。
武士の誇りである刀が価値をなくし、武士の魂さえも消えていく。
皆が夢を見て、必死に守ってきた"新選組"が滅びかかっている。
武士になりたかった自分達は、もはや逆賊だった。
もう、仲間と呼べる人間はほとんどいない。
「もうこれ以上、俺の仲間が死ぬ報告を聞くのは御免だ!だから、俺は……っ」
「そうして貴方は、本当に大事な人を失っていくんだ、何度も。近藤さんと同じく、紫苑まで」
「……っ」
沖田の言葉が胸に突き刺さる。
自分は間違っていたのだろうかと、時々苦しくなる。
だけどここで私情を優先させてしまったら、今まで斬り捨ててきた仲間達に筋が通らない。
感情などとっくの昔に捨てたはずなのに、土方の奥深くの何かが悲鳴を上げている気がする。
"新選組の鬼副長"を貫くが故に、失ってはいけないものを失っているのではないだろうか。
土方がグッと息を詰めると、沖田が悲しそうに笑った。
ふいっと視線を逸らし、ここにはいない人間を思うように。
「紫苑も馬鹿なんですよ。自分の一番大事な人だけ守っていればいいのに、他も全部守ろうとするから……」
「…………」
馬鹿と言いながら、どこか仕方ないなと呆れているような口振りだった。
恐らく土方が知るよりも、二人は見えない絆で繋がっている。
悪態をついていても、誰であっても必死で守ろうとする紫苑を心配しているのだろう。
その沖田の声が次第に弱々しくなっていく。
「そんな事してたら、いつか守れなくなる。僕みたいに……」
「総司……」
「……助け出そうとしたんです、近藤さんを。どんな手を使ってでも」
彼がそう言うのなら本気で助けようとしたのだろう。
処刑されるかもと紫苑が先視で告げた時、土方もまた沖田に一縷の望みを賭けた。
だが局長が処刑されたという事は、つまり。
「でも、できなかったんですよ」
「…………」
厳重に警戒されている刑場に単騎で乗り込むつもりだった。
刺し違えてでも防衛網を突破して、刑場を滅茶苦茶にして、無理矢理助け出すつもりだった。
だけど羅刹隊にそれを阻まれた。
敵側も死にもの狂いで助けようとするのをわかっていて配置したのだろう。
全方面を囲む大勢の羅刹、それに対して一人の羅刹。
刀の他に銃砲を持っている羅刹も大勢いた。
いくら沖田が強い剣豪であったとしても、どちらが有利なんて考えなくてもわかってしまった。
「一度はやってみたんですけどね、駄目でした」
突撃して、返り討ちにあった。
だけどどこかに突破口を開こうと、白い髪を振り上げて戦った。
勢いで何人かを斬り捨て、手薄になった場所から侵入しようとして、左腕に銀の弾を食らった。
それでも沖田は止まらなかった。
血塗れになりながらも獣のように敵に食らいついた。
だけどさらに足を撃ち抜かれ、何本もの刀が振りかざされた瞬間、身を切る思いで退却を選んだ。
とはいえ、逃げるのも一苦労だった。
足を引きずりながら森へ走り、追撃の羅刹を斬った。
途中で止血だけをして、足跡が残らないようにしてようやく待っている千鶴のもとへ帰った。
「……たぶん、この子がいなかったら、僕はそこで終わるつもりだった」
諦めたように笑いながら、沖田は部屋の隅まで歩くと背後の襖を開け放つ。
そこにいたのは、湯呑を乗せた盆を持ちながら慌てている千鶴だった。
「あ、あの、すみません……!盗み聞きしていた訳では……っ!」
「わかってるよ。お茶、持ってきてくれたんでしょ?」
「は、はい……っ」
「ありがとう」
茶を受け取ると、千鶴は土方に頭を下げてそそくさと立ち去ってしまった。
その足音が消えるまで、沖田は優しい眼差しでそれを聞いていた。
「近藤さんがいなくなったら、生きる意味などないと本気で思っていましたよ」
「……そう、だな」
だけどそこに、千鶴という存在ができた。
羅刹にまでなってしまい、それでも沖田に付いてくる彼女を一人残す事なんてできないと思った。
だから今は、進んで死のうとは思わない。
それでも、時々考える。
「どうして、大事な人ほど助けられないんでしょうね……ただ、守りたかっただけなのに」
「…………」
同じような言葉を以前に言った人物がいた。
本当に、沖田と紫苑はよく似ていた。
「……もし、一君と紫苑が二人とも戻ってきたら、土方さんの事を許します」
沖田の怒っているような、挑戦的な目が土方を捉えた。
局長を死なせてしまった自分を、もう彼は許さないのかもしれないと思っていた。
土方の苦渋の選択をどこかで理解しつつも、それを許したくない気持ちもあるのだろう。
近藤の死を土方に責めるべきか、諦めるべきか、迷っているのかもしれない。
これはきっと最後の分岐点。
紫苑が死んでしまったら、本当に沖田は土方を見放すのだろう。
局長と紫苑と沖田と、文字通り全てを失い、同時に土方の選択、生き方が間違っていたという事だ。
「……ああ」
紫苑に似ている彼に責められると、どうも彼女に責められているような気になる。
申し訳ない気持ちになりながら、それでも最後の砦だけは残してくれた沖田に感謝の気持ちすら湧いた。
土方は視線を伏せ、静かに苦笑した。
羅刹隊の制圧から解放された仙台藩に改めて会談を申し込んだが、
既に仙台は新政府軍に恭順の姿勢を見せていた。
榎本と共に何度も仙台藩の面々を説得するも、彼らが意志を変える事はなかった。
米沢藩や他の藩も次々と降伏していったため、ついに奥羽越列藩同盟は崩壊してしまった。
「状況は厳しいね……」
会津から遅れて合流して来た大鳥は渋い顔でそう言った。
もうこの地に、自分達の味方はほとんどいない状況になってしまった。
土方は、次第に自分の首が締まっていくような気分にさえなった。
「島田、会津の戦況はどうだ?」
「鶴ヶ城は……籠城を続けています」
「……そうか」
戻って来ましたと律儀に挨拶をした島田は、会津の事を聞かれると言い辛そうに静かに吐き出した。
籠城、それは防衛とは違う、敵の攻撃をただただ耐えるだけの最後の手段だった。
籠城を成功させるには、此方が持ちこたえるだけの兵糧や武力がある場合や、
もしくは敵を挟み撃ちにする援軍がある場合などがある。
だが、恐らく会津にそこまでの戦力は残っていないし、諸藩はほとんど新政府軍に降伏した。
様々な戦術を思い巡らせながら、もう無理なのだと土方は目を伏せる。
「……斎藤達は、どうなった」
会津藩の状況は何となくわかっていた。
土方はそれよりも気がかりな事を、絞り出すようにして訊ねた。
斎藤"達"と言ったのは、僅かながらの強がりだ。
知りたい、だけど本当は知りたくない、そんな気持ちがせめぎ合っていた。
間違っても島田の口から、あの言葉だけは聞きたくなかった。
もう何度も聞かされてきた、別離を意味するあの単語だけは。
だけど聞かずにはいられなくて、土方は半ば吐き気すら感じながら返答を待った。
「……わかりません」
「何、だと?」
戦死の二文字ではなかった事に安堵しながら、わからないとはどういう事だと。
土方は縋るように島田を凝視した。
「斎藤さんや藤沢君、並びに数名の隊士達は如来堂に布陣していました。
高久村で戦が起こり、我々が援軍に行った時には既に、如来堂は壊滅していました」
「……っ」
「全員討死したものとしてその場は放棄されました。ですが俺は信じ切れず、しばらく斎藤さん達を捜しました。
お二人の姿はなく……遺体も遺品も、ありませんでした」
生きているか死んでいるかわからない。
だがそこに遺体が見つからなかっただけで、生きているという保証はどこにもない。
ましてや彼らは滅びたら灰になってしまう羅刹で、死んでいたとしたら遺体すら残らない。
それも含めて島田は遺品と言ったのだろうが、だからといって安心できる訳がない。
土方はかつてない焦燥感と、恐怖と、眩暈に襲われていた。
「ひ、土方さん……っ」
「……いい……続けてくれ」
ふらついた土方に島田は思わず駆け寄ったが、大丈夫だと言われてしまったら報告を続けるしかなかった。
「……最後まで捜索できず申し訳ありません。敵の攻撃が激しく、それ以上その場に留まる事ができませんでした。
ですが、俺は、生きていると思いたい。お二人は必ず、どこかでまだ生きているはずです」
「……そう、だな……報告、すまなかった」
「い、いえ……」
これ以上、土方にどんな言葉をかけても気休めにしかならないのだろう。
そう判断した島田は、俯いて表情を見せない副長を気遣いながらも部屋を後にした。
(紫苑が、いない……?)
どんな時だって片時も離れず傍にいた奴が。
どんなに突き放しても、結局は飄々と戻って来てしまう彼女が。
どこにいるかわからない、などと。
こんな戦時中に行方不明になったら、遺体が見つからなくても戦死扱いにされるのが普通だ。
たとえ敵に捕縛されていたとしても、それはそれでまともな扱いはされない。
ましてや彼女は女だ、それが敵に知られようものなら、
「くそ――っ!」
湧き上がった衝動で机を叩きつける。
震えている拳が、痛みによるものなのか、怒りか、それとも恐怖なのか。
この叫び出したい気持ちを抑え付けるので精一杯だった。
――「必ず、帰ってきますから」――
紫苑の声が、聞こえる。
あれの穏やかで呑気な声を、戦時の猛将のような鋭い声を、もうこの耳で聞く事はできないのだろうか。
何でもいい、冗談でも悪態でもいいから、もう一度聞かせて欲しい。
もう一度会いたい、傍にいて欲しい。
もう、会えないのかもしれない。
死んだとはっきりする事もないまま、この先を生きていかなければならないかもしれない。
自分はいつ、彼女が死んだと判断できるのだろうか。
いや、どれだけ待ってもできる気がしない。
だが、もしそうしなければならない時が来たら……自分は、どうなってしまうのだろう。
叩きつけた拳から、僅かに血が滲み出ている。
今頃彼女が生死を彷徨っているのかもしれないのに、自分の怪我はたったこれだけ。
自分はまた、何もできない。
逃げ延びて、安全な所で誰かの死を聞くばかり。
こんな自分が嫌になる。
大事な人を見捨てていく自分が。
「っ……は、ぁ……うっ!?」
土方の怒りに呼応するように、忘れかけていた羅刹の吸血衝動が襲い掛かる。
ガタッとその場に倒れ込みながら、今はどうしてか来てくれて有り難いと思った。
紫苑と同じではないかもしれないが、せめてもの苦しみと痛みを自分に課したかった。
血の渇望を必死で耐え、暴走する前にと懐にある薬を口に放り込む。
「ぐ、…ぅ、あ!」
――「今度土方さんも衝動に襲われたら、飲んでくれますか?」――
こんな時にもまた、あれの声がする。
ああ、血でも何でもいい、あれのものであるなら何でも欲しい。
そんな本能の声を聞きながら、土方は衝動が収まるまでその苦痛を享受した。
八方塞がりになった旧幕府軍は、新天地を求めて蝦夷へ行く事を決定した。
まず陸路を北上して榎本の艦隊と合流し、航路でいくつかの港を経由しながら蝦夷へ上がっていく事になる。
土方もそれには賛成で、蝦夷行きに向けた準備を着々と始めていたが。
気持ちの面では、少しだけ気が進まない要因があった。
「本当は、あまり北に行きたくないんですよね?」
「…………」
淡々と指示を飛ばす土方に、沖田がずけずけと言い放った一言。
こういうやり取りが何だか物凄く懐かしい気がした。
耳打ちだったのがせめてもの気遣いなのか、見透かすようにニヤついた顔を土方は睨み付ける。
図星だったが、負い目がある身としては沖田に何を言われても仕方ないと思った。
色々悟られているようだが、流石に立場的に否定せずにはいられないので、
フイと顔を逸らして厳しい表情を作ってみせる。
「……生きているかわからない奴を、いつまでも待っていられるか」
「ふぅん、そういう事言うんですね」
本音を言えば、これ以上会津から離れてしまいたくない。
あまり距離が離れてしまうと合流が難しくなる。
船に乗ってしまったら、さらに会える可能性が低くなる。
できる事なら、この陸路を進んでいるうちに追いかけてきて欲しい。
(生きていればの話、だがな……)
「今は土方さんに付いて行ってあげてますけど、船に乗るまでに紫苑達が戻ってこなかったら、僕達も出て行きますからね」
「…………」
――「一君と紫苑が二人とも戻ってきたら、土方さんの事を許します」――
そういう約束でしたよね?と此方を見定めるような目が語っている。
ああ、まだ自分は瀬戸際だったなと土方は思った。
本当に全て失うのか、否かを。
「……好きにしろ。お前にはその権利がある」
「ええ、だからそれまでは見届けてあげますよ。土方さんの選択が正しかったのか、どうか」
「……行くぞ」
痛いところばかり突いてくる沖田から半ば逃げるように歩けば、後ろを飄々とした態度で付いてくる。
時折乾いた咳をする彼を横目で見て、その貴重な時間を自分に割いてもらっている事を心で詫びた。
吹き流れる風につられて南の方を振り返る。
あの山の向こうで彼女はまだ戦っているのだろうか、それとも。
(早く、帰ってこい)
紫苑を諦めなければいけない時間が迫ってくる、その前に。
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次回から会津編です。
完全にオリジナル話になります。