「本当によかったのか?」

会津の激戦地へ戻ろうという時、一度だけ斎藤が窺うように言った。

「今ならまだ引き返せる」
「……ありがとう、心配してくれて」

無表情のようにも見えるその相貌の奥に躊躇いのようなものを感じて、紫苑はくすりと笑う。

「でも私……どうしてもみんな放っておけない、欲張りな性格みたいだから」
「……すまない」
「どうして一君が謝るの」
「あんただけは、必ず土方さんの元へ帰す」

斎藤が含まれていないその言葉に、やっぱりという気持ちを隠せない。

「私だけじゃ駄目だよ。一君も、一緒に付いてきた人達もみんな」
「……そう、だな」

本当は無理かもしれない。
だけど気持ちだけでも生き残るつもりでいる事が大事だと紫苑は思う。

残った者達は皆、会津への忠義や誇り、それから意地、すなわち志だけを持って此処にいる。
死を覚悟した人間は強いのだなと紫苑は改めて感じ、彼らを生きて帰らせようとする事はもしかしたら無粋な事なのかもしれない。
だけど、と紫苑は首を横に振る。
もう誰も失いたくないと強く思った。
この中の誰かが、死にたくはないと少しでも思っているのなら自分はその意思を守るだけだと言い聞かせる。

「あんたは、変わらないな」

その言葉に懐かしさを感じて、少しだけ嬉しかった。
時代の移り変わりと共に変わるものもあれば、変わらないものもある。
そして彼はその変わらないものを信じていると、いつかの桜の下で聞いた。

「……一君こそ」

紫苑は彼のような強い信念を持っている訳ではない。
それを口にしようとして、結局言葉にはしなかった。
この昔のような何気ないやり取りが嬉しくて、もう少しだけ浸っていたかった。
紫苑が微笑すれば、斎藤も表情を緩める。
命を奪い合う戦に埋もれる前の、僅かなひと時だった。






紺碧 四






小さな幕軍は鶴ヶ城の北西に位置する、如来堂近くにある高久村の人のいない屋敷に身を潜めた。
ここで一時待機し、どうやって攻めていくかの議論が為された。
正攻法で正面から会津の軍に合流するか、裏をかいて奇襲作戦を主にするか。
どちらがより忠義を果たせるか、そんな論が飛び交っていた。

紫苑としてはあまり作戦や策に詳しい訳でもないので、聞いているだけで積極的に参加しなかったが、
とにかく捨て身の戦法にならないように誘導するくらいだった。

すぐにでも戦地へ赴きたい男達を抑えながら夜の闇に息を潜めていた、そんな時。
外の喧騒と、見張りの人間の慌てた足音が聞こえて来たのは同時だった。

「逃げろ!新政府軍に囲まれてる!」
「なに……!?」

一同に衝撃が走る。
どうして、何故此処がわかった。
そんな疑問を抱く余裕すらなく、男達はバタバタと刀を握る。

同じく刀を手にとった紫苑は、目の前に飛び込んできた光景に目を見開いた。

「急げ!奴等がもう…、ぐぁっ!」
「っ……この野郎!」

見張りの人間が外からやってきた敵に背中から斬られ、中にいた仲間がその敵を倒す。
そうして外に出た瞬間、その仲間が銃弾に撃たれ、地に倒れ伏す。

「っ!」

闇雲に外に出れば蜂の巣にされる、だけどこんな狭い部屋にいれば突入される。
そして自分達は敵が何人いるかも把握できていない。
八方塞がりだった。

「脱出するぞ!」

完全に包囲されている状態で一体どこに!?と、絶望的な思考すら浮かんだ。
だけどやるしかないとすぐに切り替えて、紫苑は刀を持ち直す。

「固まるな!散るんだ!」

斎藤の叫びを聞きながら畳を蹴る。
屋外に出るにしても見晴らしの良い場所であったら恐らく撃たれるだろう。

締めきっていた裏口が壊される音がする。
紫苑は裏口に続く廊下に身を潜め、敵が突入してきた瞬間を狙った。

「ぐ、ぎゃあああ!」

あいにくと紫苑は羅刹、夜にこそ真価を発揮するのだ。
闇の中で楽に動け、夜目だって効く。
新政府の軍服が現れた瞬間に斬り付け、さらにその奥にいた男に刀を突き刺す。
敵は何人いるのかと、僅かに開けた雨戸から視線を覗く。

「っ!」

間髪入れず銃弾が近くの雨戸に埋まる。
裏口の戸に隠れるようにして銃を持った兵が配置されている。

(のんびりしてられない)

今は当たり所がよかったものの、木製の雨戸など弾が貫通する事だってある。
いつまでも隠れている訳にもいかない。
そして敵多数相手にこちら一人で全てを斬るなんて事は不可能だ。

背後では斎藤が正面からやってきた敵を迎撃している。
だが次第に増えていく、動かなくなった味方の体。
一瞬のうちにどう動くか考えようとして、結局うまい作戦なんて思い付かなくて、
紫苑は本能のままに動いた。

(動いていれば簡単には当たらない!)

紫苑はひたすら裏口から屋敷に入ってくる新政府軍を斬り、隙を見て裏口から脱出する。
それしか考えられなかった。

「っ!」
「うあああ!」

声も上げずに敵を仕留める。
薄暗い夜に飛ぶ闇色の血飛沫が紫苑の全身に降りかかる。
それでも構わず違う敵を斬る。

「くっ!!」

傍の雨戸が打ち破られ、外から敵が押し寄せてくる。
飛び込んできた刀を受け止め、鍔迫り合いの状態に紫苑の顔が歪む。
速さが特徴の紫苑の剣筋ではいささか不利なのだ。
戦慣れして対処の方法も身に付いているのだが、問題はこちらの動きが僅かでも止まる事だ。

危機感を覚えた瞬間、ガタンと紫苑のすぐ近くの雨戸が倒れてきた。

「ぐ…ぅっっ!!」

感じる灼熱、走る痛み、それから覆われた視界。
競り合っていた相手からは離れたが、倒れ込んできた雨戸の下敷きになり、紫苑はそのまま激しく押し倒された。

雨戸ごと突き刺された脇腹の痛みを感じただけ、隙が生まれた。

「死ねぇ!!」
「っ……、!」

上体を起こそうと顔を上げた時には、もう目の前に鈍色が迫っていた。

やられる、と本気で思った。

「ぅああああ!!!!」

寸前で雄叫びを上げながら、自身の血を呼び覚ます。
金色の双眸を血走らせながら刀の軌道を読み、頬を抉るだけに留まらせ、
紫苑は目の前にあった敵の手首に噛み付いていた。

「な、ぅぐ、あああ!!」

まさか噛み付かれるとは思わなかったのだろう。
動揺した男の弱まった掌から刀を奪い、もう片方の手で男の髪の毛を引っ張りながら刀を突き刺した。
自分の刀を握り直して距離をとるより、そちらの方が手っ取り早いと思ったのだ。

白髪が浮かぶ額には角が生え、彩るのは妖しい金色と禍々しい血色。
異様な光景に敵が戸惑いを感じているうちに紫苑は体勢を立て直す。

そして先程よりも速くなった剣筋で男達を斬り捨てる。

紫苑、無事か!」
「、何とか……っ!」

騒ぎに駆けつけてくれた斎藤が傍に寄る。
傷は思ったより深かったようで、羅刹の体といえどもまだ完治できていない。
だがその時間を待っている暇はない。

「行くぞ!」
「っ、わかった!」

彼の言わんとしている事を瞬時に理解する。
無理矢理にでも裏口を突破するという事だ。
恐らく、正面はもう駄目なのだろう。

斎藤が素早く羅刹化して駆け出した。
紫苑もまた、痛みなどないものとして走り出す。

捨て身の策に出たと思った敵が、裏口から何発も銃弾を放つ。
だが羅刹の二人は互いに交差するように裏口までの距離を走り抜ける。

降り注ぐ銃弾の雨を、斎藤は類まれな強さと経験で、
紫苑は弾の軌道を先読みしながらくぐり抜ける。

避けきれない弾が、頬や腕、腹や足を焼いていく。
だけど斎藤も紫苑も、立ち止まらなかった。

「ぎゃあああ!!!」
「なんで当たらな、ぐああああ!!!」

裏口に隠れていた敵を、目にも止まらない居合抜きで斬り払う。
紫苑も的確に腕を斬り、傍にあった首を刎ねた。

だが紫苑の背後から左肩に銃弾が当たり、反動で地面に飛ばされる。

「―――!!」
「っ、紫苑!!」

斎藤が撃った敵を斬り、さらに的になる前にと紫苑を担ぎ上げる。
状況が理解できた紫苑は斎藤に大丈夫だと告げ、自ら起き上がる。

「走るぞ!」
「っ、うん!」

あれだけ撃たれたのに何故動けるんだと敵に動揺が広がっている。
化け物だと囁かれながら、紫苑達は命からがらに高久村を抜けた。

味方が何人殺されて、何人生き残ったのか、紫苑達にはそれを知る術がなかった。
だがあの屋敷を振り返るまでもなく、仲間達は壊滅状態だった。











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如来堂にて。
※アニメ版とは少し変えています。