「大丈夫か」
「うん……もう動ける」
体を半ば引きずるようにして逃げてきた森の奥、ようやく追手の音が聞こえなくなった樹木の下で身を潜める。
しばらく休ませてと、紫苑は少しの間仰向けで目をつむり呼吸を整えた。
斎藤も同じく消耗しているはずだが、彼は顔色ひとつ変えず紫苑の隣に座っている。
脇腹と肩の痛みはもうない、他の小さな傷も既に消えた。
だけど流石にあれだけ撃たれたり斬られれば、万全な状態に戻るには時間がかかった。
(羅刹じゃなかったら死んでたな……)
敵が驚いていたように、自分達、特に紫苑はあのまま行き倒れていてもおかしくはないほどの傷を負わされていた。
羅刹であった事、そしてあの場にいた新政府軍が羅刹用の部隊ではなかった事で、運よく生き残れたのだろう。
銃弾も、羅刹の急所である心臓に当たらなくて幸いだった。
「何人、脱出できたんだろうね……」
「わからん。俺達が突破する前に、既に大半がやられていた」
「……うん」
裏口よりも正面の方が混戦だった。
敵にやられ、その敵を斬り、その斬った者が今度は撃たれ、無惨な死体だけが積み上がっていった。
斎藤はその腕で突破口を開いて仲間に託し、紫苑を迎えに来た。
僅かな正面からの出口は敵が陣形を整えた事で塞がり、結局裏口から無理矢理突破する事になったのだ。
「みんなで、生きて帰るって言ったのに……」
「……戦だ。あんたが背負う事じゃない」
志を同じくした仲間達とこんなに簡単にばらばらになってしまった。
あっけなさすぎて涙すら出ない。
ただ、気持ちだけが先行して消えてしまい、途方に暮れていた。
夜明け前の空がじわじわと明るくなっていく。
羅刹の身を刺す太陽はまだ出ておらず、ぼんやりと光る月がその存在を示す。
張り詰めたような静かな空気の中、紫苑はゆっくり体を起こした。
さくさくと草と土を踏みながら足を進め、木の葉の翳りがない場所で天を仰ぐ。
いつだって、どんな時だってそこにある空を見つめていると、
澄んだ空気に気持ち良さを覚える反面、ただ虚しさだけが胸を満たす。
(戦、か……)
紫苑自身、戦なんてやりたくてやっているのではない。
幕府の為にとか、新政府軍を全滅させてやろうだなんてのも考えてない。
ただ、自分の好きな場所が奪われたくなくて、仲間を殺されたくないから敵を殺す。
結局はそれが負の連鎖だってわかっているのに、止められない。
(逃げられたら、どんなに楽か……)
軍とか関係ない所に逃げて、普通に暮らす事だって可能だ。
だけど紫苑の大切な者達はそれを良しとしない武士達で。
だからこんなにも、守れなかった時に辛い。
きん、と耳鳴りのような音と共に、頭が痛くなる。
(、え……?)
――立ち尽くした紫苑の目の前に、倒れている人とそれを見守っている人達がいる。
それは忘れようもない大切な仲間達の姿で。
「やはり、もう時間でしたね……」
穏やかな山南さんの声が聞こえる。
それを必死に受け止めようとする土方さんと、悲しそうに叫ぶ平助がいる。
「これ以上、彼女に羅刹達を背負わせたくなかった……だから、残りの羅刹は、貴方にお任せします」
山南さんが何をしようとしていたのか、何が行われたのかを察してしまった。
最後まで彼は新選組の為に動いていた。
「藤沢君に……ありがとうと、伝えてください。
それから、すみませんと……もしかしたら今頃知っているかもしれませんが……」
静かな声で、あの優しい顔で、残りの言葉が紡がれていく。
そう、時に彼は隊士に怖いと評される事もあったけど、私には優しかったのだ。
昔からずっと、ずっと。
「知ったら……きっと、彼女はまた……泣いてしまうでしょうから……」
彼の温かさが、紫苑の心に流れ込んでくるようだった。
そうして静かに目を閉じた山南さんが灰になり、夜明け前の月に消えていった――
「っ……山南さん!!」
自身に視せられた最期を追いかけるように紫苑は空に叫んだ。
どうしようもなく悲しくて涙が溢れて、手で顔を覆い隠しながらその場に崩れ落ちる。
「どうした!?」
異変に気付いた斎藤が紫苑の肩に触れる。
「山南さんが!」
「山南さんがどうしたんだ!?」
「き、消え……っ!」
「…………」
その言葉で紫苑が先視をしたのだとわかった。
だが止めどなく涙を零す姿に、斎藤は言葉をかける術がない。
「山南さん、わかってて……!何で……っ!」
今更、彼女の先視がただの幻覚だとは思わない。
紫苑が山南の最期を視たというのなら、遅かれ早かれそうなるのだろう。
だから斎藤もまた、山南の事に動揺を隠せない。
「もう嫌だ!誰かが死ぬのは嫌だよっ!」
「……っ」
幼子のようにうずくまる紫苑。
それをする役目は土方だとわかっていたが、今はいない彼の代わりに、斎藤は紫苑の頭を抱えた。
少しだけでも彼女の悲しみを負担できればと。
「……そうだな」
それが戦だと正論を説いたところで彼女には何の気休めにもならないだろう。
そんな事、彼女も百も承知だろうから。
自分達は人の死を見過ぎた。
「難儀だな、あんたは。見たくないものまで見えてしまう」
「っ……わからない……だけど、知らないままなのも、嫌だし……っ」
「……そうかもしれないな」
紫苑のたどたどしい言葉に斎藤は妙に納得をしていた。
別れたまま二度と会えなくなった仲間なんていくらでもいるから。
「だが気をしっかり持て、でないとあんたも生き残れないぞ。いつか本当に潰れる」
「……っ、ごめん」
紫苑の赤い目尻を手袋で擦る。
涙が拭えた代わりに、煤がついてしまった。
紺碧 五
しばらく泣いていた紫苑だったが、次に顔を上げた時には気丈な目に戻っていた。
必死に悲しみを堪えているような顔ではあったが、振り払おうとする姿に強いなと斎藤は思った。
紫苑は近くの沢までとぼとぼ歩くと、羽織を脱いで水に浸す。
返り血と自分の血がべったりとついていた服から赤い色が川に流れていく。
今が冬でなくて良かったと、そんな事を思いながら羽織を洗って木の枝に引っ掛けた。
「これから、どうする?」
「…………」
散り散りになってしまった仲間を探して歩くのは難しい。
そもそもいるかも不明であるし、付近には新政府軍が溢れている。
斎藤は無表情だったが、じっと思案しているようだった。
かと言って、自分達に残された選択肢は少ない。
戻るか、このまま進むか、だ。
紫苑は斎藤の決定に従うつもりでいた。
「会津の軍と合流を目指しながら、敵を少しでも減らす」
「……うん、わかった」
その言葉は暗に、さらに過酷な状況におかれる事を意味していたが、紫苑は静かに頷いた。
それからは、おおよそ普通の生活とはかけ離れた日々だった。
会津の軍と合流すると言ったものの当てはなく、あるのは高久村で交わした少しの情報のみ。
一歩人里に出れば新政府軍がいて、見つかれば多勢に無勢で押し寄せられる。
そんな中で二人は道なき道を進みながら、僅かでも相手の戦力を削ごうと奇襲を行なった。
斎藤の合図を受け取り、闇夜に紛れて走り抜ける。
「ぎゃああああ!!!」
「な、なんだ!?敵か!?」
突然現れた、たった二人の軍に敵は慌てふためきながらも体勢を整える。
斎藤が倒した敵の影から紫苑は違う敵を刀で突く。
「ぐあああ!!!」
「相手は二人だ!鉄砲隊前へ出ろ!」
相手の動きを読みながら、斬れる者をひたすら無心で斬っていく。
またしても血飛沫が顔に降り注ぐ、だけど紫苑は止まらない。
「撃て!」
「……っ!」
夜にも関わらず、左腕に銃弾がかすっていった。
だがそれもすぐに塞がり、弾の軌道から撃ってきた方角を読み、鉄砲を構える男を袈裟斬りにする。
「うあああ!!」
「くそ!もっと応援を呼べ!」
そろそろ此方の分が悪くなる頃合だと思った瞬間、斎藤からの撤退の合図が聞こえた。
指笛に反射的に動き、一目散に撤退を始める。
斎藤の姿を見つけ、一緒に山へ逃げていく。
そこからは追いかけられなくなるまで、ただ走るだけ。
敵の殺意を振り切り、走って走る。
そうして静かになった所で、二人は立ち止まる。
「はあ……、はあっ」
「……っ」
今日の敵からは有力な情報が得られなかった。
相手の会話から幕軍の動きが知れるかとしばらく潜んでいたのだが、こういう日もあるから仕方ない。
そしてまた森の中で敵から隠れながら日中をやり過ごす、その繰り返しだった。
山から川から食料を調達し、衣類の汚れは川で落とす。
時にはその水で身を清めた。
前回風呂に入ったのなんていつだっただろう。
人気のない村を発見すれば色々と拝借する事もあったが、基本は森で生活していた。
そうして敵を見つければ、数減らしに斬り捨てる。
こんな日がいつまで続くのだろう、それを考えながら、考える事をやめる時もあった。
「紫苑」
「ん?」
「……何であんたは、こんな事をしてても何も言わない?」
じゃぶじゃぶと川の水で二人分の洗濯をしていたら、珍しく斎藤がそんな事を言った。
「こんな生活を続けていて……普通なら嫌だろう」
「んー……」
確かに温かい風呂に入れないのは一番辛い。
けど戦ともなれば風呂に何日も入れないのなんて当たり前で、仕方ないと思っている。
進んでやりたい訳ではないが、不満で投げ出したいと思った事はない。
「私、変なのかな?」
「……あんた、女子だろう」
冗談交じりに答えれば溜息が返ってくる。
さらしを巻いている状態とはいえ、肌を晒して水仕事をしている紫苑をチラリと横目で見て、斎藤は目をそむけた。
「まぁ、普通の女じゃないですから。慣れてるよ、こういう事は」
そうでなければあの荒くれ人斬り集団の中に溶け込んでいられない。
「それに……」
紫苑が手を止めて顔を上げれば、斎藤は不思議そうな表情をする。
「私、言ったよ。一君の残りたいっていう気持ちを止めたりしないって」
「…………」
「一君は、戦いたいんでしょ?こんな風になっても」
闇夜に駆けていく、彼の迷いのない背中を見ていると何も言えなくなる。
やめようと言う事は簡単だ、だけどそれを言ったら彼はどうなってしまうのだろう、それが不安だった。
最初は、死に場所を探しているのかとも思った。
だけど彼の目はひたすらに前を向いていて、生きて戦いたい意志がひしひしと伝わってきた。
だから紫苑は何も言わずに、一緒に付いて歩いている。
ただ不意打ちで人を斬る事に、何の罪悪感も抱かない訳ではない。
卑怯な行為で、理不尽に誰かの命を奪っている自覚はある。
だけど彼にその意思を貫いてもらいたいが為に、紫苑は付き従う事に徹している。
もちろん、斎藤の為に人を斬っていると言うつもりは毛頭ない。
これは自分の為の人殺しなのだと、わかっている。
彼を生き残らせる事という利己的な目的で彼の傍にいて、支えて、そして誰かを殺す。
「……すまない」
「いいんだって、勝手に付いてきたのは私だから」
洗い終わった白い上衣をパンっと広げ、川から上がる。
斎藤の分も一緒に枝に干して、紫苑はまじまじとそれを眺める。
「血は流せるからいいけど、破れた所はどうしようもないなぁ」
「そうだな」
斎藤よりも圧倒的に破れた箇所の多い紫苑の上衣が、腕の差を物語っていて少しだけ悔しい。
女子が必ずと言っていいほど持っている裁縫道具はこの場にはなかった。
「あんたは突っ込みすぎなんだ」
「一君だってそうじゃん」
「羅刹だからと油断している。もっと基本を思い出せ」
「……すいません」
小言を聞きながら、斎藤の焼いてくれた魚を頬張る。
二人分の洗濯をして、二人並んで食事をしていると、何だか夫婦みたいだなとぼんやり思った。
(まさか野宿をしながら、そんな風に思うなんて)
普通の女が夢見る生活とはかけ離れた状況に、紫苑は苦笑する。
斎藤に付いていくとは決めたが、先の見えない不安は常に存在していて、時には大きく膨れ上がる。
だけど、こんな穏やかな瞬間でそれが少しだけ和らいだ。
(土方さん、どうしてるかな……)
ふと、一番の心配事が頭をよぎった。
あの時少しだけ視えた横顔は、悲痛な色が浮かんでいたから。
遠い空の向こうを想いながら、紫苑は日々を過ごした。
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野宿生活。
かなり話を詰め込んでます。