あれから、あっという間に時が過ぎた。

しばらく抱き締め合って、というか紫苑はほとんど固まっていただけなのだが。
そういえば何日も風呂に入っていない事に気が付いて、なのに密着している状況に我に返り、
猛烈に恥ずかしくなって耐え切れず彼の腕から逃れようとした。

土方は不満そうにしていたがその女心を察してくれたのか、素直に紫苑を離した。
その後はいつも通りの顔で滞在していい部屋を教えられ、そして真っ先に全身を洗った。
清潔な衣類に着替え、足の傷を手当てした。

そうしていると緊張がほぐれたのか、長い間の戦の無理が祟ったのか全身の倦怠感を覚え、
紫苑はあっという間に意識を失うようにして布団に倒れた。

気が付けば太陽が南天に登っていて、明らかに朝と呼べる刻限ではなかった。
どうやら長旅だったからか起こさないように配慮されているらしい。
羅刹であるせいで、日の光に気持ちよさを感じる事はなく、むしろ体調は悪い方で。

寝起きと気怠さでぼんやりとする意識で昨日の事を思い出す。

(本当に、嘘じゃない、のかな……?)

片想いが長すぎたせいか、怒涛の展開に付いていけない。
間近にあった土方の顔と唇の感触を思い出してしまい、紫苑は布団に顔を押し付けた。
眩暈でふらふらしながら火照った顔を落ち着けると、ようやく起き上がり身支度をした。






紺碧 十






外に出ると、皆が出港の為に慌ただしく動いている。
新政府軍が迫っている以上、のんびりしていられない。
自分も何かしなきゃと思うが、そういえば仕事を割り振られていなかったなと、覚醒しきってない頭で考える。

(土方さんの所に、行かなきゃ)

だが昨日の今日で、どんな顔をして会えばいいのだろう。
他人の目もあるのだし、なるべく普段通りにしなければと思うが、果たしてできるだろうか。

紫苑、目が覚めたんだ」
「っ、……総司!」

聞き慣れた声に振り返ると、口角を上げた沖田が立っていた。

「久しぶり。流山の時以来だよね」
「来てたんだ!?いつから土方さんと?」
「仙台で会って、そのまま成り行きでね」
「そ、っか……うん、そうなんだ」

成り行きでとは言っているが、それでも彼がここにいるという事は土方に協力してくれているという事で。
仲違いしていないようでよかったと、紫苑は安堵の笑みを浮かべる。

「もう少しで見限るつもりだったんだけどね」
「え?」
紫苑と一君が帰ってこなかったら出て行くつもりだったけど、帰って来ちゃったから出て行けなくなったんだよ」
「…………」

さらりと恐ろしい事を言われた。
どんな話になっていたのかわからないが、沖田の目は笑っておらず、きっと本当に際どい境目だったのだろう。
それもあって、土方はみんな帰って来たと表現したのかもしれない。

「千鶴ちゃんが心配してたよ、君が丸一日目を覚まさないから」
「…………、え?」

千鶴もここにいるんだと喜ぼうとして、止まった。
彼は今何と言った?

「君は昨日此処に着いたと思ってるだろうけど、一昨日の事だよ。昨日は君、一度も目を覚まさなかった」
「…………」

一日分の記憶がないという事実に、唖然というか変な感覚に陥る。
そんなに疲れていたのかと紫苑は驚くしかできなかった。

「土方さんもずっと気にして君の部屋の中をうろうろしてたよ」
「……そ、うなんだ、何か……悪い事したよね?」
「だから早い所土方さんの所へ行けば?」
「うん……そうする」

あれだけ心配していた彼だ、きっと昨日も一日そうだったに違いない。
元々仕事をもらいに行く予定だが、早めにそうするかと素直に頷いた。

狐につままれたような顔をする紫苑をじっと見つめていた沖田が、ふっと笑った。

「でも、まぁ、生きててよかったよ、紫苑
「……うん、ありがとう、総司」

軽口を叩きながらも、それでも時にはこんな風に言葉をかけてくれる沖田の存在が嬉しいと思い、二人は静かに笑い合った。











土方を探すついでに体を動かそうと散歩気分で港を歩く。
足はまだ引きずっている状態だが、ゆっくり進むなら特に問題はない。
しばらくすれば気怠かった体はいつもの調子を取り戻し、意識も冴えた。

会議をしているか、船の近くで兵達に指示しているだろうかと人が集まっていそうな所へ行ってみると、
案外簡単に目的の人物を見つけた。

「あ、土方さ」
紫苑!」

目が合って彼の名前を言い終わる前に、此方を見つけた土方がずんずんと大股で近づいてくる。
そして紫苑の頬を両手で鷲掴みすると、ぐいと覗き込まれた。

「動いて大丈夫なのか?」
「え、あ、」

すごい勢いで凝視されている事よりも、周りの目が気になって仕方ない。
突然指揮を外れて一人の隊士に駆け寄った副長に、他の者達が呆然と此方を見ている。

(み、みんないっぱいいるんですけどー!?)

「どうもないのか?」
「え、な、ないです」
「どうなんだ!?」
「だ、大丈夫、です……」
「ならいいが……」

溜息をついた土方は、それから状況に気付いたらしい。
彼は急にしかめっ面になると手を離し、いかにも作業をしてますという態度で書類に視線を落とす。
紫苑は内心で笑いながら、構わず背中に声をかける。

「あの、土方さん」
「何だ」
「俺は何をしたらいいですか?ほら、みんな出港準備してますよね?」
「起きたばかりで何言ってやがんだ。お前はまず医務室で診察してもらえ」
「ええー……」

紫苑としては診察が必要だとは思っていない。
疲労のせいで丸一日以上寝ていたのだろうと思うが、彼はそれでも診てもらえしか言わない。

若干の不満はあるものの、心配させてしまったのだから彼はそう言うだろうし、
実際足は負傷しているからてきぱきと動くことはできないな、と紫苑は諦めて医務室に行く事に決めた。

少しだけ気落ちした返事をして踵を返すと、ちょうど永倉と原田が此方に歩いてくる所だった。

「お、紫苑が起きてるぜ!」
「もう動いて平気なのか?」

永倉はがしがしと遠慮なしに頭を撫で、原田は優しく肩に手を置いた。
その体温が心地よくて紫苑は頬を緩ませる。

「うん大丈夫、ありがとう。けど土方さんが診せに行けって言うから、これから医務室に行くところ」
「ま、そうだろうな。あの土方さんが、紫苑が目を覚まさないって焦ってたんだからなー、珍しいもの見たぜ」
「聞こえてるぞ新八」

紫苑の背後に立つ土方が永倉を威圧するが、そんな空気すらも吹き飛ばして豪快に笑う。
全ては紫苑が目覚めたからこそ冗談めかしていられるのだが、流石に可哀想だと原田が片肘でつつく。

「そう言ってやんなって新八。そりゃ誰だって心配するだろ、なあ土方さん?」
「うるせぇ」

素直じゃない土方に苦笑して、原田は紫苑に近付いて身を屈める。

「ほら、送っていってやるから」
「ありがと、左之さん」

折浜までの道のりのように再び肩を借りると、永倉もそれを見守りながら付いてくる。
その三人の背中を土方は無言で眺めていたのだが、紫苑は気付かず歩いた。

途中でふいに原田が口を開く。

「けど、よかったな、紫苑
「え?」
「通じ合ったんだろ、土方さんと?」
「……っ」

流石、色恋事に聡い人だ、どこでそう察する場面があったのだろう。
温かい眼差しを向けられて、紫苑はつい顔を赤らめた。

「ん?何の事だ?」

意味がわからず、永倉が紫苑の顔を覗き込む。
それを苦笑して払いのけたのは原田だった。

「わかんねぇならいいよ」
「ああ?何だよ、俺だけ除け者かよ」
「鈍感なお前が悪いんだ」
「何だと!?」

冗談か本気かわからない言い合いを、紫苑を挟んで繰り広げている二人。
その騒がしさが相変わらずだなと、紫苑は思わず吹き出した。
それを見下ろした二人もいつの間にか笑っていて、
結局何の話題だったのかはうやむやになったまま、医務室に辿り着いた。

送り届けてくれた原田と永倉は現場に戻り、紫苑は大人しく診察を受けた。
だが別段問題はなく、普通に生活してもいいとの診断だったが、此処の手伝いをしていた千鶴は涙ぐんでいた。

「本当に、よかったです……」
「うん、ごめん」

死線を潜り抜けてきた事と、二晩寝続けていた紫苑を心配していたのだろう。
可愛らしく微笑む千鶴に紫苑は弱い。
同じ女であるにも関わらず、庇護欲を掻きたてられて男らしく千鶴の肩を優しく叩いた。

他の者の診察に行った軍医の代わりに、千鶴が足の包帯を変えてくれる。
そうしていると、紫苑が起きたという知らせが行き渡ったのか、藤堂がひょっこりと顔を出す。

「お、紫苑!よかった、何ともなさそうだな」

変わらない活発な笑顔に紫苑も自然と顔が綻ぶ。

「平助こそ、元気そうでよかった」

先視では、土方の隣で藤堂も一緒に山南を看取っていた。
よく一緒に行動していたから、人一倍心を痛めているだろう。
同じ羅刹としての寿命を突き付けられて不安にもなるだろうに彼は笑っている。

自分がもっと早く山南の最期を視ていれば、救えたかもしれないのに。
そう考えると、笑っているのに目尻に涙が溜まってきてしまい、藤堂は慌てた。

「なっ、ど、どうした!?まだどこか痛むのか?」
「ううん……ごめんね、平助……山南さん、助けられなくて」
「なんだよ……そんなの、紫苑が謝る事じゃねぇだろ?」

はらはらと泣き笑いしている紫苑に、藤堂は呆れたように苦笑する。

「うん……わかってるけど、ごめん」
「はあ……本当、よく泣くよなぁお前」

子供をあやすような顔で紫苑の頭を撫でる。
最近、よく撫でられるなと思った。
男らしく、武士らしくいなければいけないのに、子供じみている自分は嫌だった。

「ごめん」
「悪いって言ってるんじゃねぇよ?俺達って、紫苑に凄く大事にされてるんだなって思っただけ」

座っている紫苑に目線を合わせた藤堂が優しく微笑む。
いつもはキリッとしている大きな双眸が、じっと此方を見つめる。

「嬉しいけど、紫苑が自分の事大事にしてくれなくて不安。
ごめんな……ずっとお前の血、分けてくれてたんだろ?」

山南さんが残した薬の調合方法に書いてあった、と藤堂は言う。
それを見せてくれた土方から事の顛末も聞いたらしい。

紫苑のおかげで俺はまだ生きられてる。だからありがとう」
「……っ」
「だけどお前が思ってくれてるぐらいに、俺達は紫苑が大事なんだから、自分の事も労わってくれよな」
「……、うん」

ありがとうと言われ、反射的にまた涙が頬を流れた。
藤堂らしい誠実な言葉に、紫苑は素直に頷いた。

また子供っぽく泣いてしまったと乱暴に目尻を拭っていると、
いつの間にか医務室に来ていた沖田が、紫苑の目の前に酒の瓶を突き出した。

「な、何?」
「これ飲みなよ」
「いや、昼間から酒なんて――」

覗き込んで、瓶の中身が透明でなく赤い色だった事に紫苑は驚愕して顔を上げる。

「これ……っ!」
「私も皆さんから聞きました。紫苑さんが鬼の血で、羅刹の人達の症状を和らげていた事を」

答えたのは千鶴だった。
振り返れば、芯の強さを滲ませる目が真っ直ぐ此方を捉えている。

「や、そうだけど……これっ」
「私の血です。今度は紫苑さんを楽にしたいんです」
「そんな……!」

紫苑は自ら進んで血を提供していただけで、わざわざ千鶴が傷付く必要はない。
一度は直接もらった事もあるが、彼女を傷付けてまで血をもらいたくない気持ちに変わりはない。
どうして、と瞠目する紫苑に千鶴が微笑む。

「私だって紫苑さんが心配なんです。いつも、無理をされるから」
「君はどうせ拒否するからって、だから先にとっておいたんだよ。もうとっちゃったんだから、飲んでくれないと困るよ?」
「…………」

駄目押しとばかりに沖田が言葉を付け足す。
千鶴だって羅刹になっていて辛いはずなのに、その心の強さに紫苑は狼狽する。

「……ごめん」

有り難くて、申し訳ない。
謝罪の言葉を口にすれば、千鶴はいいえと美しく答えた。

もう一度瓶の中を覗けば、紫苑にとっては酒以上の極上の飲み物がある。
鉄のような匂いは香しく、羅刹の思考を痺れさせる。
悦んでいる本能を抑え込むようにして、躊躇いながらも苦い顔でその甘美な酒を飲み干した。
甘い鉄の味が喉から全身に流し込まれるような感覚に、体が愉悦に震えた。

「、ありがとう……お返しに、俺も千鶴に血をあげるよ」

千鶴にも鬼の血がいるだろ?と平静を装いながら紫苑が口を開くが。

「それが、私は意外と大丈夫みたいで……」
「そうなのか?」

どうやら千鶴はあまり吸血衝動が起きないらしい。
全くない訳ではないらしいが、頻度がかなり少ないという。

「千鶴ちゃんは君と違って、ほいほい羅刹になったりしないしね」
「悪かったな」

本当の事を指摘されてばつの悪い紫苑はぷいっとそっぽを向く。
ちょうどそんな時、さらに斎藤が部屋に入って来た。

「一君!傷はどう?」
「俺は何ともない。それよりもあんたこそ診てもらったのか?」
「うん、大丈夫だって」

もう元気、と笑っても斎藤は難しい顔でじっと紫苑を見下ろしてくる。

「あんたの大丈夫は信用ならん」
「え……そうかな?」
「ああ、羅刹だからと体を酷使しすぎだ。だから体に出る」
「……ごめんなさい」

素直に謝れば、俺も人の事は言えないがな、と少しだけ冗談ぽく斎藤が零す。
腹部の傷口を見るような仕草に、紫苑は苦笑する。

彼とこんなに穏やかに会話できている事が奇跡のようだ。
少し前まで、本当に二人は銃弾の雨と降り注ぐ刀の中心にいたから。

「血を飲ませてもらったか。顔色が戻っているな」

確かめるように紫苑の頬に触れる。
ゆっくりとなぞられる斎藤の指が心地よくて思わず目を細めた。

「うん、少し楽になった。これで足も早く治ると思う」
「あんたは養生しろ。しばらくは無闇に動かない方がいい」
「えー、私だけ?一君だって無理してたのに……」
「俺は二晩も眠り続けてなどいない」
「う……確かに」

正論にぐっと言葉を詰まらせた紫苑は肩を落とす。
そのやり取りを見ていた藤堂が、放心したような顔でぽつりと漏らす。

「なんか……一君が一番遠慮ないよね?」
「?何がだ」
「え、いや、何ていうか……距離感?」

斎藤は当たり前のように紫苑に触れ、紫苑もそれを受け入れて。
互いの体の間合いが、違和感なく寄り添い合っているのだ。

「ああ……つい」

二人行動が長かったせいで、庇い合うのは日常茶飯事だった。
だから癖のように出てしまったと、斎藤はそこでようやく手を離す。

「いいのかなーそんな事して。そんな所見られたら土方さんが嫉妬するよ?」
「何を言っているんだ」

沖田がニヤニヤと笑うが、斎藤にはその意味がわからない。
紫苑も、斎藤とは違う意味で何を言っているんだと笑った。

「まさか、土方さんがこんな事で嫉妬とか――」

言いかけて、医務室の入口に今まさに口に出した人物が立っているのを見つけてしまった。

「あ」
「あーあ、知ーらない」

聞かれて困る話題ではないが、かの人を噂していただけに流石に気まずい。
よくわからない沈黙に、至極楽しそうにしている沖田の言葉だけが流れた。

「…………」

こめかみを押さえながら、土方は深い溜息を吐く。

「……紫苑。診察は終わったか?」
「あ、はい。問題ないそうですー」

とりあえず場の空気を和らげようと、紫苑はへらへら笑ってみる。

「そうか、なら来い」
「はい」

普段通り呼ばれた事が嬉しくて、大人しく付いていこうとすると背後の沖田が小さく笑った。
何、と振り返れば藤堂は気まずそうに頭を掻き、沖田は口角を上げて。

「頑張って」
「何を?」
「ああいう人は、箍が外れたら大変そうだからね」
「…………」

いやまさかそんな、と半信半疑な気持ちのまま紫苑は土方の後を追った。











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長くなったので切ります。
皆と再会を喜んでるだけで一話終わってしまった。