冷えた空に銃砲の単音が鳴り響く。
詰めていた息を吐き出せば白く、立ち込める火薬の煙と共に流れる。
目標物を見遣れば、どうにか狙った場所へ当たるようになってきた。
「良い調子ですね」
指南してくれている島田が嬉しそうに言うが、紫苑は苦笑する。
「こういう場では何とか。問題は、実戦で使いこなせるかですよ」
基本の構えを解き、刀よりも重い最新式の洋式銃を難しい顔で見下ろす。
今までも銃器に触れた事はあったが、刀で戦いたいという矜恃が邪魔をしてしっかりとした操練は避けていたのだ。
旧幕府軍に銃兵が増えていっても、自分が使うという事には消極的だった。
だけど少し前から、その気持ちは変わりつつある。
一つは、紫苑が刀を手に無謀な戦い方ができなくなったという事。
前線に出るなと言われ、あまり無理ができなくなった体で何ができるかを考えた結果、銃という選択肢が生まれた。
これなら遠距離から攻撃できるし、羅刹になる頻度も減るだろうと思った。
弾を込め、金属部を操作し、狙いを定め、引き金を引く。
一連の動作が慣れていなくて違和感を覚える。
「どうも変な感じですね」
「藤沢君なら大丈夫でしょう。様になっていますよ」
「……ありがとうございます。やるからには、きっちりやりますよ」
いざという時に役に立たなければ意味がない。
体に覚え込ませるように何度も発砲音を響かせた。
「やってるな」
そんな時、姿を見せたのは陸軍奉行並の土方。
夢中になっていたが、気が付けばもう日が傾いていた。
周囲の人間が直立して姿勢を正すなか、紫苑は呑気に笑いかける。
「軍議終わりました?」
「ああ、とりあえずはな」
新政権が樹立した後、役職を決める入札選挙が行われた。
その結果、新たな組織として再始動した箱館新政府の総裁は榎本に決まり、陸軍奉行に大鳥、土方はその陸軍奉行並に選出された。
以前からの幕臣や名だたる大名が大勢いる中、六番目に多い得票だった。
さらに責任ある立場になったのだが、常に忙しくしている彼の動きは今までとあまり変わらない。
土方が戻って来たのなら紫苑には通常業務という仕事がある。
島田に礼を言い、てきぱきと片付けを始めるとふいに土方の笑い声が聞こえる。
「お前がそれ持ってると変な感じだな。刀振り回して暴れてる奴が」
「……自分でも思いますけど」
最後の一言は余計だが、彼の言葉には概ね賛成だ。
些細な事で穏やかな顔をしている土方を見ると何だか嬉しくなって、紫苑は自室へ向かう彼の後を追う。
「お前、戦術論も習ってるんだって?」
「はい」
「どういう風の吹き回しか知らねぇが、知識はあるに越した事はねえからな」
「…………」
理由として挙げるならば、この穏やかな日々が怖くなったからだろう。
小さな戦闘はいくつかあったが、常に死と隣り合わせで生きてきた反動で、
この操練と土方の補佐を繰り返すままでいいのだろうかと不安になるのだ。
新政府軍本隊は、いつか必ず来る。
予想は雪が溶ける春頃だろうと言われている。
開陽丸は今も健在している。
天候が悪い日はやはり不安になって港まで様子を見に行ってしまうが、
今のところ先視のような未来は起きていない。
だけどいくら開陽丸を含めた海軍がいるとしても、戦は今まで以上に熾烈なものとなるだろう。
恐らく冬の間に新政府軍は戦力を増やし整え、総力戦となる。
だから紫苑も、戦に備えて何かをしていたくなったのだ。
自分達の置かれた状況をもっとちゃんと知っておいた方がいいと思ったのだ。
どうすれば自分達が勝てるのか、何が必要なのか、戦術や戦略を知らなければ、
咄嗟に戦況が変わったり、先視をした場合に的確に動けないだろうと。
紫苑は普段土方の補佐のようなものをしたり、小隊と小隊を繋ぐ連絡だったり上からの命令を伝える役目をこなしているが、
空いた時間を見つけては少しずつそういう勉強を始めた。
土方や大鳥は忙しくしているので流石に訪ねるのは憚られるので、幹部達でも情勢に詳しそうな、
斎藤だったり島田に色々聞いて勉強をさせてもらっている。
(こういう時に、山南さんがいてくれたらなぁ)
彼なら外交とか戦術に詳しいだろうし、教えるという事に長けていただろう。
そう思うと少し寂しい気持ちになった。
薄桜 四
土方の執務室での紫苑の仕事は、もう長年やってきたものとほぼ同じなので慣れたものだ。
人間が二人いても基本会話はなく、何も言われなくともやるべき事はわかるし、たまに口を開く土方の指示にも瞬時に動ける。
自分の隊の報告書をまとめたり、最近では軍の配置図なんかを見て勉強したりしているとあっという間に時間が過ぎていく。
頃合いを見て、手を離さない土方に半ば無理矢理夕食をとらせ、気が付けば夜が更けている。
この作業に終わりはない。
紫苑は羅刹なので夜に眠くて困るという事はないが、それでもいつも大体の所で下がっていいと声がかかる。
「私は昼間仮眠とってますからいいですけど、土方さんも休んでくださいよ」
「ああ」
「…………」
そう返事をして、彼が本当に実行した試しなどない。
こういう時溜息をつくのはいつも紫苑だ。
(全然寝てないのに、一体どういう体してるんだろ……)
最近では彼の気力というか、意地が凄いなと感心までしている。
わかっていても絶対に寝ようとしない人を寝させる方法なんてあるのかしら。
答えなど見つからない問題をとりとめもなく考えている時だった。
「、う……っ!?」
「――土方さん?」
突然に聞こえた、驚いたような呻き声。
どうしたのかと振り向くと、筆を持つ指が小刻みに震え、それを凝視する見開かれた双眸が赤く染まっている。
月明かりに照らされた艶やかな黒髪が色を失くしていく。
あ、と紫苑が駆け寄る頃には土方は乱暴に立ち上がり、よろめきながら近くにある長椅子に体を預ける。
「血が……」
「いい、……来るなっ!」
血がいるんですね、と言いかけた紫苑の手を払い除け、顔を背けて吸血衝動をやり過ごそうとする。
苦しそうにぜえぜえと息を吐く土方を見下ろす紫苑は引き下がる気など毛頭なかった。
「飲んでください」
「、いらねぇ!」
「約束、でしたよね?」
「っ……!」
それはまだ山南が生きて、羅刹隊が存在していた頃。
羅刹達に飲ませる新薬として紫苑が血を提供しているのをやめさせた時。
絶対に了承しなかった紫苑に呑ませた交換条件が、吸血衝動が起きた場合のみ飲ませてもいいという事だった。
土方自身も飲む事を念を押して約束させられたが、それがまさに今だ。
「くっ……!」
本当は飲みたくない。
何故、自分が楽になる為に女に傷を付けなければならないのか。
少し前に、先視の為に自分を傷付けた紫苑を叱責したばかりだというのに。
だがその逡巡を知ってか土方を見下ろす紫苑の目は、あの時と同じ絶対に譲らない意志に満ちていて。
約束を反故にするのかという威圧に、薄ら恐ろしささえ感じた。
「は、っ……、……わかった、」
長い葛藤の末、受けざるを得ない事を覚悟し、土方は頷いた。
それが無性に嬉しくて、紫苑は思わず笑みを浮かべながら脇差に手をかける。
だがその手はまたしても静止された。
「いい、……俺がやる」
土方は紫苑の体を引き寄せると、紫苑の首元の襟を寛げる。
どうせ消える事はわかっているが、それでも見えない所にという土方の最後の抵抗だ。
苦しげに、だけど気まずそうな顔をする白い獣を紫苑は至近距離からただじっと見つめた。
「っ……すまねえ」
「いいえ」
唇を寄せた首筋に呼吸が当たり、肌がざわざわするのを感じていると、ちくりと痛みが走る。
「っ」
何故だろう。
痛いのに、嬉しくて仕方ない。
鬼の血が役に立った事、彼が紫苑を頼ってくれた事、それがこんなにも紫苑の心を満たしていく。
じわじわと血が吸われる、すなわち自分の一部が彼の中に入っていくのだ。
手負いの獣を手懐けたような、言い知れない優越感と歓喜に体が震えた。
視界の隅に映る白い髪が、少しずつ闇色に戻っていく。
荒い呼吸も和らいでいき、静かに顔を上げた土方は突き刺した歯の痕が消えるのをじっと見届けた。
躊躇いがちに紫苑を見遣り、そして次の瞬間にはものすごく嫌そうに顔を顰める。
目の前には、傷を付けられたというのに美しく微笑む女がいたから。
「だから……そんな目すんじゃねえよ……っ」
「え――」
土方を見下ろしていたはずなのに、気が付けば長椅子に背中を押さえ付けられ、真上から見下ろされている。
「ひ、じかた、さん?」
「こういう時ばかり良い顔しやがるから、腹が立つ」
「良い顔って、どういう……」
「欲情する目だっつってんだろ」
「―――っ」
強く見つめてくる瞳はいつもの色に戻っているのに、獣のような気配を残していて。
吸血衝動が治まっても血が騒ぐ事は紫苑も経験があるから知っているが、これはそれだけじゃない。
戦の時のようでいて違う目に紫苑の何かが暴かれそうな気がして、背筋がざわりとする。
怖いと思う、だけど目が離せなくて。
その引力に囚われたまま、ゆっくりと土方に唇を奪われる。
「っ……ぅ、ん……!?」
今まで味わった事のないような、荒々しい口付けだった。
ぬるりとした舌が入ってきて、思わず土方の肩を押すがびくともしない。
熱くて柔らかいものに口内をくすぐられると勝手に力が抜けて、本当に食われそうだと思った。
「は、っ、……」
ようやく解放されて、苦しかった呼吸を繰り返す。
これで終わりかと思ったが、彼の視線の熱さはなくなるどころか強くなるばかり。
否が応にもこの先を予感させられて、本能が警鐘を鳴らす。
「ひ、じかた、さん……ここ、執務室……っ」
「……隣の仮眠室ならいいのか」
「そ、いう問題じゃ、――!?」
そのまま軽々と抱き上げられ、嘘のように力強い足取りで隣の部屋に移動する。
寝台に下ろされ、またしても覆い被される。
「ひ、土方さん、今たぶん、治まったばかりだから……っ」
「関係ねぇ。煽ったのは、お前だ」
「そんな事、してな……っ!」
血がまだ昂ぶっているせいだと、慌てて制しようとするが土方は表情を変えない。
そればかりでなく、どこまでも低い声で囁かれてびくりと肩が跳ねる。
(ほ、本当に……!?)
予想もしていなかった事態に心臓が破裂しそうだ。
土方の目をこれ以上見ると自分がどうにかなってしまいそうで、逃げるように顔を背けると、ハッと我に返った土方が頬を撫でる。
「悪い……お前の事を考えてなかった。無理だって言うなら、止める」
「、あ……」
離れていった手を思わず目で追うと、その先には寂しそうに苦笑する想い人がいた。
燭台の僅かな灯りに揺れるその表情に、どきりと胸が熱くなる。
「……い、嫌じゃ、ないです……」
長い片想いだった。
女として見てもらえないのなら男としてでもいいと、ただ傍にいられればいいと願い。
想いが通じただけで嬉しくて、もうそれだけで満足していた。
だから、その先があるなんて考えもしなかったのだ。
いや、全く考えなかった訳ではないが、こんな戦況で、
寝る間も惜しんで仕事をしている人にまさかそういう欲があるなんて思わなかった。
急な事で驚いて、どうすればいいかわからないだけで、本当はもっとと望んでいる。
上手く言葉にならなくて、代わりに土方の洋装の袖を小さく握る。
「だがお前……大丈夫なのか?」
「え……?」
何が大丈夫なのだろうかと、土方の覗う目を見てようやく思い至る。
「……知ってたんですね」
「平助から聞いていた」
紫苑――紗矢がその昔、試衛館で男達に襲われそうになった事。
未遂ではあったが紗矢は彼らを殺し、京に行った土方達を追うきっかけになった。
唯一、試衛館で事情を聞いた藤堂に心配された事もあったが、
どうやら彼は御陵衛士として離隊する時に土方に打ち明けていたらしい。
「だから、触られたくねぇって言うなら止める」
記憶を呼び覚ますような行為はしないと土方は言う。
忘れてはいない、むしろ忘れてはいけないとも思っている。
「……確かに嫌な記憶ですけど……でもあれで先視を知って、土方さんを追いかけて、今こうしていられる」
過ちを忘れるつもりはない、だけど過去に囚われるつもりはない。
悩みながら苦しみながら必死で生きて、今に繋がっている。
何よりこの瞬間に、想い人に触れられて嫌な気持ちにならないのだから、もうそれでいいのだろう。
「だから、大丈夫です」
「……そうか」
「心配してくれて、ありがとうございます……これは、ただ恥ずかしくて……ずっと男の振りをしてきたから……」
強がってきたから、急にしおらしくしようとすると気恥ずかしくて仕方ない。
緊張や不安も混じり合って、自然と声が震えてしまう。
まさか、こんな日が来るなんて思わなかった。
「触られるのは嫌じゃない、です……」
だから、と紗矢は真っ赤になりながら彼の目を精一杯見つめる。
「もっと、触ってください……その方が、嬉しいです」
「……いいんだな、紗矢?」
「っ、それ、卑怯です……っ」
どうやら自分は本来の名前を呼ばれる事に弱いらしい。
土方もそれに気付いたのか、フッと笑う。
「名前を呼んでるだけだろ」
「……っ」
もう止める気はないのだろう、土方は紗矢に跨ったまま器用に篭手を外し、上衣を脱ぐ。
そして唇を啄みながら今度は紗矢の白い中衣のボタンを外していく。
その流れるような一連の動作に、流石数々の浮き名を流してきた人だと思った。
同時に、やっぱり悔しくもあった。
「……慣れてるの、腹立ちます」
「うるせぇな」
どうにも自分は真面目な空気を茶化してしまう性格らしい。
ボソリと呟けば、彼は青筋を立てながら紗矢のさらしを解き、膨らみをするりと撫でた。
「今にそんな口利けなくしてやるよ」
「!あ……待っ、て……っ」
長年さらしで押さえ付けられてきた胸は、同じ年頃の女達よりも小振りだった。
男所帯の中で頑なに守ってきた場所を暴かれてしまった背徳感が、恐怖や興奮に似た感情になって紗矢に襲いかかる。
思考は許容を超え、咄嗟に隠そうとした腕は布団に縫い止められ。
「っ……ふ、…ん」
「ほら、良い声してきた」
優しく、だけど吸い付くような指が肌を滑り、それが頂きをかすめると勝手に溜息のような声が漏れる。
「や、それ、やめ……っ」
「嫌か?」
反射的に逃げの体勢をとると、土方は意外にあっさりと手を離す。
やめて欲しいと思ったのに、本当にやめられると何だか物寂しい気がして。
恐る恐る顔を覗くと、彼は楽しそうに微笑んでいた。
ああ、全部わかってやってるんだと思った。
彼の思い通りになっている気がして悔しい。
きっと慣れてるって言った事への仕返しなのだろう。
だけど、やっぱりやめて欲しくなくて、紗矢は涙目で訴える。
「、……意地悪」
「悪いな、本来こういう性格なんだよ」
ニヤリと笑いながら、だけど優しい唇が降りてくる。
欲に痺れて、甘さに溺れそうになる。
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続きますが短いです。
性描写ありますので苦手な方は読み飛ばして下さい。