長いようで短い冬だった気がする。

白銀に覆われた世界のまま、刻が止まればいいと何度願った事だろう。
だけどこんな時にも自然は無情で、冷たい雪は少しずつ溶けていった。

そして、厳しかった寒さがようやく和らいできた頃。
紫苑の身に異変が起きた。

「っ……!?」
紫苑?」

いつものように土方の補佐として動いていた時に、突如として身の毛がよだつような感覚に襲われる。
とてつもなく大きな敵意、無数の殺気のような塊に狙われているようで冷や汗が溢れ。
耳の奥で地割れのような戦の音が響いて頭が割れそうになり、そこにはないのに血の臭いすらして気持ちが悪い。

「どうした!?」
「……、来る……!」

感じたのは、敵がついに来たという事。
何処に来たのかとか、具体的な事はわからないが確かにそう思ったのだ。

そして何より、

「怖い……っ!」

惨状を引き起こす元凶がすぐ傍まで迫っている事実が身震いするほどに怖い。
いくら戦慣れしている紫苑であっても、この尋常ではない数の敵意に恐怖を覚えて仕方ない。

いつか来るだろうとわかっていた、回避できない戦なのだとも。
だけど、やはりついに来てしまったかと絶望すら感じた。

もう、束の間の平和は終わってしまった。

「大丈夫か?」
「……っ」

頭を抱え蹲る紫苑を土方が強く抱きすくめる。

はっきりとした言葉にはならなかったが、土方には通じているのだろう。
紫苑を支えながらも、「新政府軍の情報を集めろ」と的確な指示を飛ばしていた。


そして数日後、紫苑が予期した通り、新政府軍が乙部に上陸間近だという情報がもたらされた。
もの凄い大群が押し寄せていると斥候からの報告があり、此方を制圧する本気さを嫌でも感じてしまう。

新政府軍は上陸した後、部隊を分けて陸から海から五稜郭を目指してくるだろう。
前々から軍議でも予想されていたので、此方も部隊を分けて進軍する事になった。

海沿いにある松前城は海から砲撃されるだろうという事で、海軍艦隊と陸からの歩兵の両方で守備にあたる。
乙部から陸路を進んだ先、松前にも繋がる重要な分岐点である木古内には大鳥や遊撃隊などが。
そして五稜郭から北西に位置し、乙部から山を通ってくるだろう二股口は土方と紫苑が防衛する事となった。

千鶴は五稜郭で怪我人の手当を任され、新選組の幹部達は固まる事なくそれぞれに配置された。
紫苑としては皆が同じ部隊ではないのは寂しいが、
新選組の幹部はいるだけで兵の士気が上がるのだと土方は言う。
なので均等に配置すると決められたのなら、それ以上紫苑は口を挟めない。

(今の所、皆の大怪我は視ていない)

だからきっと大丈夫だと、紫苑は自分に言い聞かせる。
仲間達も心配なのだが、まだ一番の心配事が残っているのだ。

「…………」
「どうした、紫苑?」
「……いえ」

じっと見ていたせいで土方が眉を潜める。
決定に不満があると思われたのか、宥めるような声が降りてくる。

「こればかりは仕方ねえ、わかるな?」
「そこまで文句言いませんよ、俺は」

ここが本当の正念場なのだろう。
皆と一緒がいいとか、甘えた事など一切言える状況ではない。

だから、ただひたすらに祈る。
どうか大切な仲間達と、また笑って会えるようにと。

頼むから、これ以上彼らの血が流れる光景を見せてくれるなよと。
自身の胸元を握り締めれば、全身の脈が騒いでいるようだった。






薄桜 六






「手を止めるな!何としても食い止めるぞ!」

降りしきる雨、少し先も見えない程の夜の闇の中で土方の声だけが耳に入って、
自分が今も銃を持って戦っているのだという事を思い出す。

他の兵達もそうなのだろう。
最早自分が何をやっているのか分からなくなる程の弾を撃ち続けている。
敵の銃弾をやり過ごししているうちに自分の銃に弾を込め、土壁から隙を狙って発砲する。

もうずっとその繰り返しだった。
だけど、やめる事は許されない。

「押し切るのでなく頭を使って撃て!」

味方と紫苑の無数の発砲音のせいで、耳が麻痺したように音を拾わなくなる中、
土方の力強い確かな号令が聞こえる。
ただそれだけでいくらでも耐える事ができた。

紫苑は既にボロボロだった。
雨が全身をぐっしょりと濡らし、体温を奪っていく。
最も重要である弾薬箱を雨に濡らさないようにと軍服の上衣を被せているせいで、
寒々しくて震えてしまいそうなのに体の奥は火照っているという、よくわからない状況だ。

雷管も湿ってしまうと発火しないので、服の中で温めてから銃に取り付ける。
引き金を引けば撃鉄が降りて雷管を叩き、爆発の衝撃と共に弾が飛んでいく。

新政府軍の攻撃も激しく、一切の休みを与えさせてもらえない。
どちらかの弾がなくなるまでの永遠とも思える時間だった。

次第に腕が痺れて、意識が朦朧としていく。
視界もほとんどが闇に覆われていて、互いの火薬が爆発した無数の小さな光すらぼやけていくようだった。

(だけど刀じゃないだけ、マシだ!)

これが肉弾戦であったら、もっと凄惨な事になっていただろう。
人の骨を斬り続ければ手の感覚だってなくなるし、刀だって脂を吸って斬りにくくなる。
何より、目の前で命を奪う行為をし続けなければならないという気持ちの消耗が激しい。

良いか悪いかはわからないが、銃撃戦にはそれがない。
羅刹化だって今の所する必要はない。
だから刀に比べたら、撃ち続けるのはどうという事もない。
紫苑はそうやって自分を奮わせながら戦った。

もし、此方側の弾が全てなくなったらどうなるのだろう。
延々と撃ち続けていると、そんな不安が頭をよぎるようになった。

そうなれば決死の覚悟で刀を握りしめ、突進しなければならないのだろう。
最新式の装備で身を固めた新政府軍の大群相手に、刀一つで。

「……っ」

恐怖のせいか、冷や汗が流れていく。
少しずつ味方の中でも同じような不安の空気が漂ってきた頃。
空が白んで視界が開けてきた。

そして、気付けば新政府軍の攻撃が止んでいた。

「……お、終わった?」

先に敵側の弾が底を尽きたのだろう、突然に銃声が消えて静まり返る。
ぼんやりとした耳で敵の撤退していく音を聞き、呆然と立ち尽くす。

「か、勝ったぞ!」
「やった!」

周囲から歓喜の声が上がる。
紫苑も同じように喜びたかったが、そんな気力はとうになく、
痺れた腕も上がらないので小さく笑って分かち合う。

紫苑、よく耐えた」
「……土方、さん……」

振り返れば愛しい人が微笑んでいた。
今すぐに飛びついて抱き締めてもらいたい衝動が湧き上がったが、
流石にこんな所ではできないなと思っていると、どうしてか土方が吹き出した。

「……?」
「酷い顔だな」
「え?」

どういう事かと周りを見遣れば、味方の兵達は一様に顔面が真っ黒になっている。
銃を撃ち続けたせいで大量の煤が付き、みんな酷い有様だった。

「わ、笑わないで下さいよ……」
「わかってる、悪かった」

そう言いながらも土方は笑みを抑えられないといった様子で、自身の袖で紫苑の顔を拭ってくれる。
笑われて恥ずかしかったけど、何だか土方の目がとても柔らかい色をしていたので、
文句を言う気が削がれてしまった。

そうして、土方軍の二股口での初戦は勝利で終えた。
使用した銃弾は約三万五千発にも及んだ。

刀を握り、武士として名を馳せていた彼は、
この勝利により「銃の土方」としても褒め称えられるようになった。














二股口から一旦五稜郭に戻った土方は、休む間もなく軍議に参加した。
各地の報告を聞きながら次の作戦を練り、そしてすぐさま実行に移される。

紫苑も報告や伝令に動き、一通り回り終えてから土方の部屋に戻ろうとすると、
とある隊士がちょうど出てくる所だった。

若き小姓、市村鉄之助は紫苑に気付くと律儀に会釈をし、走り去っていった。
その目には涙が浮かんでいたので、何かあったのかと紫苑は慌てて扉を開ける。

「鉄之助、どうかしたんですか?」
「……いや」

土方の方は何故か苦笑していて、一体どういう事なのかと紫苑は首を捻る。

「あいつを、箱館から逃がすつもりだったんだが……嫌だと言われた」
「……それで、どうしたんです?」
「……俺が根負けした」

ああ、そういう事かと納得した。
土方から此処から出て行くように言われ、市村は頑なに拒否したのだろう。
彼は心から土方を敬愛していたし、土方の為なら命だって捨てられる、そのぐらいの意志を持っている少年だ。
自分だけ引き離されると思い、涙ながらに懇願する様が目に浮かぶようだ。

だけど彼にしては珍しいなと思った。
土方という人間は一度決めてしまえば絶対に譲らない。
紫苑にも経験があるから、その恐怖が痛いほどわかる。

「命令を拒否するなら隊規違反で斬り捨てると言う気でいたんだがな……」
「…………」

やっぱり、と紫苑は市村に同情を抱かざるを得ない。
それを言われてしまったら、もう此方は引き下がるしかなくなってしまう。

その鬼の言葉を何故告げなかったのだろう、そう思っていると。
土方はどうしてか悲しそうに笑った。

「必死で嫌だと叫ぶ姿が……お前と重なって、言えなくなった」
「……っ」

予想もしていない言葉に紫苑はどう反応すればいいかわからない。
ただ、嬉しさなのか心苦しさなのか、胸が締め付けられた。

紫苑と市村はどこか似ていた。
土方が彼を可愛がるのと同じように、紫苑も年の離れた弟のように接している。
市村もまた、紫苑を筆頭小姓のように敬い、慕ってくれている。

だから彼が此処に残る事ができてよかったと言ってやりたい反面、
土方が逃がしたかった理由もわかりきっているので胸が痛い。

いつ新政府軍に負けてしまうかわからない戦況なのだ。
先の戦いで、絶望感のようなものを体で感じ取った。

今回は銃撃戦に勝ちはしたが、兵力を増強させて敵が戻ってきたら次はどうだろう。
それを撤退させても、まだ新政府軍には戦力がある。
いつまで続くのだろう、いつになったら終わるのだろうか。
そんな底知れない恐怖が誰の胸にも渦巻いている。

だからこそ、まだ若い市村の命を散らせたくないと思って、この時期に手放す事を決めたのだろう。
昔から土方は市村を可愛がっていたし、まだ早いと戦にも参加させなかったぐらいなのだから。

そんな土方を負かしてしまった原因が紫苑であるなら、やっぱり申し訳ない気持ちになる。

「……ごめんなさい」
「まったくだ。お前の泣きそうな顔が浮かんで、強く出られなかった」
「…………」

どれだけ突き放されても追いかけて、散々迷惑かけて、意地で此処まで来た。
紫苑の頑固さが、もしかしたら彼までも動かしてしまったのかもしれない。

だけど、それはよかったのだろうか、それとも悪いのか。
わかるのは、また彼の心労を増やしてしまったという事。

(いつも、謝ってばかりだな)

紫苑を傍に置いても、彼は疲れるだけではないだろうか。
そんな事を考えたが、言えばきっと怒られるだろうから口にはできない。

「本当はお前も、箱館から脱出してもらいてぇんだけどな」
「…………」

そう言いながらも、ふわりと抱き寄せられた。
優しいような痛いような不思議な強さが彼の心情を代弁しているようで、紫苑は胸を詰まらせながら目を閉じる。
離したいのに離せない、そう言われている気がして嬉しさと罪悪感に満たされる。

(ごめんなさい、土方さん)

やっぱり、その気持ちしか浮かんでこない。
紫苑が粘りに粘ったせいで彼を苦しめているかもしれない。
それでも紫苑だって、離れたくても離れられない。

だから、彼の為に唯一できる事をする。

「勝って、みせますから……」
「……前にもそんな事言ってたな」
「勝てばいいんです。勝ってしまえば鉄之助が此処にいても問題はないし、土方さんは楽になれますよね?」
「気楽に言ってくれる……けどお前に言われると、できるような気がする」

そんな保証はどこにもない。
だけどどうにかして彼の負担を軽くしたい一心で背中に手を回せば、腕の力は強くなった。
土方が小さく笑い返してくれる、それだけでよかった。


――だから、貴方は私が守る


ごめんなさいと、紫苑はまた一つの言葉を呑み込んだ。











Back Top Next



この時の旧幕府軍の主力銃が何なのか悩みました。
銃によって弾の込め方とか色々違うので、若干曖昧な表現をしています。
(一応エンフィールド銃として表現しています)

それから薄桜鬼には出てなかったはずですが、市村鉄之助を登場させてみました。
ここ本来なら土方さんの写真や辞世の句を持って逃げさせられるのですが、変わりました。
個人的には大事な話だと思ったので入れました。