薄桜 九
「……早く、安全な所まで運ばねぇと」
腹部の出血は辛うじて止まっているようだが、重体であるのは間違いない。
息はあるが、それもどちらかというと虫の息だ。
狂ってしまっているとしても、すぐに怪我の手当てをしなければ助からない。
貫通していない弾はまだ体に埋まっているだろうから取り出す必要もある。
半ば呆然としていた土方は紫苑を抱き上げようとしたが。
「高貴な鬼の血に、不浄なものを混ぜるなど……」
「!?」
突然聞こえた重く低い声に顔を上げると、
月光のように明るい髪の男が赤い目を忌々しそうに細めて立っていた。
洋装の姿は初めて見たが、その存在を忘れた事はない。
何度も行く手を遮って来た、純血の鬼。
「穢らわしい事をしてくれたものだ」
「風間!お前まで来てたのか……!」
「人間の争いになど興味はないが、紛い物が未だ生き残っている事が我慢ならんのでな」
土方は内心で舌打ちをした。
一刻も早く紫苑を運ばなくてはならないのに、この場で一番面倒な奴が現れた。
羅刹化して戦ったとしても、簡単には道を開けてくれない事などわかりきっていて。
にじり寄ってくる獰猛さに焦りを隠せない。
「羅刹は全て滅ぼさなくてはならぬ」
「今、お前の相手をしてる暇はねぇんだよ……!」
一歩一歩近づく風間の視線が倒れている紫苑を見た事に気付いて、土方は遮るようにして柄を握る。
「こいつに近づくんじゃねえ!」
「……ふん、その女、もう手遅れだろう?放っておいてもいずれ死ぬ女に、今更どうこうせん」
「っ!なら、目的は俺って訳か……っ」
土方は怒りすら滲ませて羅刹の力を解放する。
白い獣となってすぐに斬りかかれるよう構えるが、風間は鞘を握ったまま余裕そうに笑うばかり。
「俺は別に構わんが、いいのか?俺とやり合っている間にそいつは死ぬぞ」
「わかってんだよ……だから、やるならさっさとやるぞ」
「紛い物の羅刹が、純血に勝てると思うのか」
「知らねぇよそんな事!だが勝たなきゃこいつが死ぬ!だからやるしかねぇだろ!」
こんな所で立ち往生している間に、紫苑の命が消えようとしている。
早く、早くしなければと土方は殺気を込めた形相で風間を睨み付ける。
「来いよ!紛い物だろうが何だろうが、俺達は昔から武士の紛い物なんだよ!
だけどここまで来たんだよ!こいつが、命賭けて俺を庇った!だから生き残るしかねぇだろ!?」
「…………」
慟哭にも聞こえる激しい声で土方は吠えた。
噛み付かんばかりの勢いで風間の目を凝視するが、相手は真顔のまま動こうとしない。
間合いを読んでいる時間すら惜しく、土方には焦燥感ばかりが積もっていく。
相手が動かないなら此方から行くしかないと、刀を抜こうとした時。
「……ふん、揃いも揃って、威勢だけの同じ目をする」
溜息をつくと、どうしてか風間は刀の柄から手を離した。
「……何のつもりだ」
「紛い物がのさばっているのも気に食わんが、同じ鬼を潰えさせるのはもっと気に食わん」
戦う気のなくした風間が堂々と歩いてくる。
突然の事に狼狽したのは土方の方だった。
「っ、何をする気だ!」
「どいてろ、邪魔だ」
風間は土方の横を通り過ぎると、桜の幹にもたれさせた紫苑の前でしゃがみ込む。
「……憐れな女だ。そうまでして人間に入れ込んで、自ら滅びるか」
声をかけた相手からの返事はない。
血色のない紫苑の目は固く閉ざされていて、人形のように動かない。
「生き急ぐ……桜のようだな、お前達は」
頭上から落ちてきた花びらが紫苑の頬に落ち、ふわりと風に流れる。
「俺には理解できん」
そう言いながら風間は懐の刀を抜き、自らの袖を捲ると腕を切り裂いた。
ざくりと深く抉ったそこから赤い血が溢れていく。
「風間の血だ、持っていけ」
土方がやったように、風間は自分の血を口に含むと紫苑の唇に重ね合わせた。
紫苑は無意識ながらもそれを受け入れて、少しずつ液体を飲み込んだようだった。
「お前……」
「この俺の血があれば少しはもつだろう。さっさと運んで治療させるんだな」
誇り高そうな風間が、まさか自身を傷付けてまでそんな事をするとは思わなかった。
呆然とする土方の前で、風間は血を分け与える行為を繰り返した。
されるがままの紫苑の唇を何度も塞ぐ、自分ではない男。
救命の為の処置だとわかってはいるが、その光景は土方にとっては少し不快だった。
「…………っ」
「気に入らんか?だがこれぐらいの対価をもらう権利はあると思うが」
見せつけるようにニヤリと笑いながら血を飲ませる風間。
土方は眉を顰めながらも視線を外す事はしなかった。
不甲斐ないのはこんな状況にさせてしまった自分で、だから逃げるように目を逸らしたくはなかった。
何回目かの後に、紫苑の微かな呻き声が聞こえた。
重い瞼をふるりと震わせながら、その瞳が少しだけ開かれる。
焦点の合わない視線は、目の前の風間を見ているようで見ていない。
「……ひ、じかた、さん…は?」
「真っ先に聞く事がそれか」
弱々しくも土方を探すように視線を彷徨わせる姿に、土方は堪らず駆け寄って肩を掴む。
紫苑からは土方の血を飲んだ時のような狂気さは感じない。
意識はぼんやりしているが、しっかりと正気の言葉を紡いでいる事に土方は安心した。
「紗矢!俺はここにいる」
「……よかっ、た」
誰よりも死にかけているくせに、それでも小さく笑う紫苑に土方は息を詰まらせた。
咄嗟に言葉が紡げない土方を余所に、風間は仏頂面のまま。
「どこまでも土方なのだな、お前は」
「……?……風間、…さん?」
「ようやく気付いたか、薄情な奴だ。この俺に血を流させる奴などお前以外にどこにもいないぞ」
悪態をつきつつも風間の口調に棘はない。
それどころか、紫苑を気遣うような穏やかな声音だった。
「呆れるほどに馬鹿な女だ……だが、お前の覚悟は認めてやる」
「…………」
言葉を発する力がない代わりに、朧げな瞳で瞬きながら風間を見遣れば。
彼は小さく笑って踵を返す。
「惜しいな……羅刹になどなっていなければ、俺がもらっていた」
「っ!」
去り際にとんでもない事を囁かれて、土方は弾かれたように振り返る。
だけど風間は相変わらず楽しそうに笑ったまま。
「……羅刹という紛い物の名は、貴様らの生き様には相応しくないな」
立ち尽くす土方と、横たわる紫苑の背後には桜の大木が満開に咲いている。
美しく花開いて、そのまま儚く散って、二人の間に揺れて落ちていく。
「土方、貴様はもはや一人の鬼のようだ」
「……鬼として認められるために、戦ってきたわけじゃねぇんだがな」
羅刹を毛嫌いしていた風間に認められたのは喜ぶべき事なのかもしれないが、
そんなつもりではなかった土方は苦笑する。
だけど、そのおかげで土方は傷一つなく此処に立ち、彼女も助けてくれた。
悔しいが、気まぐれな鬼に感謝するしかないのだろう。
「さっさと行け、新政府の奴等が騒ぎを聞きつけるかもしれんぞ」
「……俺達の事は、いいのか」
「言ったはずだ、俺は人間の争いになど興味ない。
鬼でありながら男にやつして人間の男に付き従う、馬鹿な女を見届けに来ただけだ」
「……すまねぇ」
恐らく、新政府軍を足止めしてくれるつもりなのだろう。
状況を読んだ土方は素早く紫苑を抱き上げる。
「薄桜鬼よ」
自分の事だろうか、と思っていると風間が目を細める。
敵になると面倒くさい事この上ないが、今はとても頼もしく感じてしまった。
「足掻いてここまで来たのなら、その意地でどこまでやれるか見せてみろ」
「……ああ、そのつもりだ」
言われずともそうしてやると頷けば、風間は満足そうに鼻を鳴らした。
紫苑の傷口を刺激しないように馬に乗せ、その後ろに跨ろうとすると、
それから、と風間はさらに口を開く。
「……綱道は、北の大地の清浄な水を使っていた。それを飲ませれば、羅刹の作用が薄まるかもしれん」
「…………」
何から何まで世話になってしまったのだろう。
本当なら、今ここで殺し合いの死闘をしてもおかしくはなかった。
「貴重な水鏡の鬼だ、死なすなよ」
風間は最後に真剣な顔で土方を睨み付けた。
それはきっと、紫苑の身を案じているからこその目の強さなのだろう。
「……感謝する」
「礼ならそいつに言え」
素直な言葉を口にするが、風間はふいっと顔を背ける。
会話が聞こえていたのだろうか、腕の中の紫苑がもぞもぞと身じろいだ。
碌に体力もないだろうに、必死に瞳を開かせて風間を見つめる。
「あ……ありが、とう……」
これだけは言わなければならないと、かすれた声で微笑めば。
風間はニヤリと口角を上げ、そして背を向けた。
「せいぜい長生きしろ、生き急ぎの女鬼よ」
風間はそう答えると、もう用はないとばかりに振り返る事はなかった。
もう、この先に相見える事はないのかもしれない、そんな気がした。
心から感謝を感じながら、土方は馬を慎重に走らせた。
千鶴は驚いていた。
数日前に土方の馬に一緒に乗せられた紫苑を見送ったばかりだというのに、
また土方は血塗れの彼女を連れて戻って来たのだ。
「紫苑さん!?」
今度こそ紫苑は命に関わる怪我をしていた。
聞けば土方を庇って撃たれたのだという。
土方の全身もまた、紫苑の血で濡れていて傷の深さを悟った。
その時の土方は、千鶴が今までに見た事がないくらいに切羽詰まった表情をしていた。
怒ったり、険しい表情は何度も見てきたが、今は弱っているという表現が正しいようだった。
あんなに焦って、泣いているかのように歪めた顔を見るのは初めてだった。
ああ、彼もただの人間なんだと心の何処かで思った。
千鶴まで胸が締め付けられながらも、人間らしさを垣間見る事ができて少しだけ安心したのだ。
「頼む……っ!」
一度紫苑の体をぎゅっと抱きしめて、土方は懇願する声で軍医達に引き渡す。
紫苑の玲瓏な瞳は開かない。
出発した時は幾度か目を開けていた紫苑だが、馬に揺さぶられているうちに再び意識を失った。
何度も声をかけ、名を呼んだが、小さくも声を出していた紫苑はついに返事をしなくなった。
土方軍に付いてきている簡易的な医療では無理だろうと思ったからこそ、五稜郭まで必死に走ってきた。
馬に揺られるのが負荷になるのはわかっていたが仕方がなかった。
まだ間に合うだろう、いや、あの風間にも助けられたのだから意地でも間に合わせたつもりだ。
寝かせられた紫苑を見つめて土方は拳を握りしめる。
今になって、紫苑の血を吸った上衣の重みを感じている。
本当は手術が終わるまで此処で待っていたいが、戦はまだ続いている。
すぐにでも自身の軍に戻って指揮をしなければならない。
後ろ髪を引かれる思いで、土方は傍にいる千鶴と山崎を振り返る。
「風間に血をもらったから狂気性は出ないと思うが……」
「え、風間さんにですか!?」
「ああ……だが、もしまた必要になったら、すまないが……」
「も、もちろんです!私の血でよければいくらでも提供します!」
「……すまねぇ」
意気込んで頷いた千鶴がいつかの紫苑に少し似ていて、土方は苦笑いをした。
そこまで無理しなくていいという意味で頭を撫でた後、山崎を呼ぶ。
「水を、紫苑に与えてやってくれ。できれば、より清浄な水を」
「水、ですか……?」
風間から聞かされた、羅刹の効果を薄めるかもしれない北の水の話を伝える。
北の大地が具体的にどこかは不明だが、幸いにもここは最北の土地だ。
確実な事は何もないが、これが本当なら他の羅刹達にも利用できる。
できる範囲でいいから探してみてくれと頼めば、山崎は文句の一つも言わずに了承した。
「悪いな、こんな不確かな命令で」
「いえ、全力で当たらせて頂きます」
頼りになる者ばかりだ、と土方は僅かに頬を緩ませる。
「……これで、あいつが女だと知られるだろう」
上手く誤魔化していたようだが今回ばかりは仕方ないと土方は思う。
だから、と二人を見遣れば、心得ていたように頷いた。
「必要があれば手助けしてやってくれ」
「はい、紫苑さんは私が守ります」
「根回しは任せて下さい」
「……ああ、助かる」
紫苑一人を助ける為に、様々な人間が動いてくれる。
箱館政府軍の要職に就いている訳でもない、ただの一隊士なのに。
その事実に申し訳なく思いながら、同時に感謝の気持ちばかりが胸を満たす。
もしかしたら彼女の生き方や人柄が仲間達をそうさせるのかもしれない、そんな風に感じた。
土方は、意識のない紫苑にもう一度だけ近寄った。
「紗矢……」
頬を撫でると、じんわりと温かさを感じた。
もしかしたら、ここで今生の別れになるのかもしれない。
土方は戦で命を落とすかもしれない、紫苑はもう二度と目を開けないのかもしれない。
それでも、紫苑とした約束を違える気はなかった。
「必ず戻る……だから、お前も戻ってこい……っ!」
皆が、紫苑の大切な仲間達が、紫苑を助けようと努力してくれているから。
そして誰より、紗矢に想われ庇われた土方が、強く望んでいるから。
土方は紗矢の唇に触れ、自身の熱を与えるように深く口付ける。
傍には医師達も千鶴達だっていた、だけど誰が見ていようと構わなかった。
名残惜しくもゆっくりと唇を離すと、土方は陸軍奉行並の顔をして戦へ駆け出した。
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土方さんとの殺し合いはありません。
彼女の生き方が、風間の気持ちを動かした。