開口一番、いつもあの男は飄々とした口調で私の神経を逆撫でる。

「おっ、綾葉殿、お邪魔してるぜ」
「…………………」

我が物顔で部屋に居座るこの男に、どうやっても笑いかける事などできない。
「邪魔している」という言葉も、もはや嫌味にしか聞こえない。
恐らくそれはわざとだ、あの男は私の反応を楽しんでいる。


それでも、左近が悪い人間ではないという事は薄々わかってはきていた。
何かと三成様の部屋に入り浸ってはきちんと与えられた役目をこなしているし(軍師だから当たり前だけど)、
三成様が不器用な性格だという事も理解してきたようで、「殿はまっすぐですねぇ、驚くほど」なんて時々漏らす。

左近は切れ者だから、三成様の功績を上げる腕は確実に私より数段上だ。
左近が真に忠誠を尽くすのならば戦力は大幅にあがり、それは三成様にとって有益になる。
配下としては申し分ない男。

……それはいい事だと思うのに、
左近が三成様の事を知れば知るほど、主を慕っていくほど、面白くない気持ちに駆られる。

三成様の横で、左近はさも当然のように茶をすする。
その茶も、左近の為に淹れたんじゃない。



少し前まで……その位置は私のものだったのに。






21・触れた手の温もりは






年が明けて、真冬の寒さが少しずつ和らいでいく季節になった。
賤ヶ岳の戦の後、つかの間の休息に浸っていた綾葉だったが、 外の世界はもう穏やかなものではなくなってきていた。

大坂に秀吉様の城が完成し、その披露にと諸侯が招かれたが織田信長の次男・織田信雄はそれを拒否した。
賤ヶ岳戦後もいまだ決着しない信長の後継者争いの燻っていた火花がついに散らされた事になる。

きっと、それでまた大きな戦が起こる。
そうなればしばらくは此所には戻ってこられないだろう、綾葉はそんな事を考えていた。



「……失礼します」

苦手な男を視界に入れないように努めて三成様の傍に寄った。
左近に一挙一動を見られている気がして、平気だった部屋の独特な沈黙が今は重苦しい。

「小隊の再編成案ならびに予算案ができました。今回は新入り達の移動が多くなっています」
「ああ、見ておく。別案で持って行ってもらいたいのがあるから少し待て」
「はい」


ああ、また会話が途切れてしまった。
いつも……どうやってこの部屋に長居していたのだろうか。


「……まだ時間がかかるから下がっていてもかまわんぞ」
「………はい」

今までは時間がかかってもそんな事は言わなかった。
そして私も、もし言われても恐らく構わないと言って退出しなかった。

やはり何かが違う。何かが変わっている。
そう感じるほど……いつの間にか、三成様の傍にいる事が当たり前になっていた。

そして今、自分の代わりに左近がいる。
気に入らない。どうやっても、この男とだけは馴れ合えないのだろう。

「……では下がっています。お呼びいただければすぐに参ります」
「ああ」


綾葉がいなくなった部屋、思いの外すんなりと退出してしまった臣下に
僅かだが面白くない気持ちを感じて、三成はそれを隠すように茶を喉にくぐらせた。


……そういえばこの所、様子が変だ。

以前はほぼ毎日部屋で雑務をしていた綾葉だったが、今はその頻度が減った。
来たとしてもすぐ退出してしまって碌な会話を持った記憶がない。

何かにつけて話しかけてきた綾葉
季節の話やら、兵達や城下などの様々な話題を持ち込んではそれを茶請けにしていた。
こちらとしては「ああ」だの「そうか」だの、まともな返事はしなかったように思うが、それでも彼女は楽しそうに喋っていた。

そうだ、確かに楽しそうにしていた。

様子がおかしいと思う理由は恐らく綾葉の顔、
何をしていても笑っていたはずの彼女が、今は俯いた表情しかしない。
ちょうどお市様を亡くして沈んでいた頃のように、何か言いたそうな顔でただそこに存在しているようだ。
だが平気を装って無理に仕事をしていた時よりも、もっと質が悪いのかもしれない。


「殿、どうかしましたか?」
「…………」

振り向くと左近が茶をすすっていた。

そこはいつも、綾葉が笑って菓子を勧めてくる場所だった。


…………綾葉が、いない。


「……左近、暫く席を外すがいいか?」
「ええどうぞ、ごゆっくり」

変わらず呑気な笑みをまとわせた左近を背に、三成は書き上げた書状を手にして部屋を出た。











「……温かくなってきたなぁ…」

障子を開け放って入り込んできた風は、体を刺すような痛みを持つ真冬のものではなく、
少しずつ柔らかみを帯びて頬や髪を通り過ぎる。

ここ数日、十分な睡眠がとれない綾葉は疲れたようにぼんやり外を眺めていた。


もうすぐ三成様に仕えて何度目かの春が来る。

中庭の桜もそろそろ蕾が膨らむ頃。
あの方のような桜は、今年もきっと変わらず咲き誇るだろう。
淡い桃色が空に舞い散るのは、何年経っても胸を締め付けるのだけど。

「……、お市様……」


――幸せになりなさい、藤姫――


「幸せって、なんですか……?」


わからない。
本当の幸せが消えてしまってから……義のもとで主の為に死ぬ、それが自分にとって喜びのはずだった。

だから主が生きているのならそれでいい。
主にとって自分がどのような存在であろうと、自分はただ命を差し出すだけの存在であるべきだ。
残された最後の役目、それを終えたとき……私は胸を張って最初の主のもとに還れる。
余計な感情はいらない。そんなもの、あったって戦には必要ない。


……なのに、胸に穴が空いたようなこの虚無感は、何故?


三成様の傍にいられないのが辛い。
私が今まで必要とされていると過信していたものは、それは他に適任がいなかったからなのだろうか。
出会ってから確立した僅かな信頼、それすらも錯覚だとしたら……寂しい。
寂しい、なんて……あの人以外感じた事なかったのに。

左近が特別嫌な人間ではないから余計に、こんな気持ちでいる自分が汚いような気がして。
せめて憎むほど左近が嫌いなら、私はもっと意地になる事ができたのに。

三成様の隣にいるべきなのは左近、私ではない。


ああ、これはまるで……


「お市様……貴女の時と、同じですね……」



そうして、自分だけがどんどん醜くなっていく。




……もし、三成様のお人柄を知らずにいられたなら……私はこんなに、三成様の隣の位置に固執しなかった。




冷たい目だと思った、だから私は……それでいいと、決めたのに。










綾葉、入るぞ」

障子が少し開いているから外を見ていたのだろう。
彼女は壁に寄りかかり、眠っていた。

書状を持って行けと起こすべきか、そのままにするべきか……

「…………綾葉……」

綾葉が自分の前で寝ているなど常ではありえない事だろう。
初めて見ると言ってもいい寝顔は、今の綾葉には見られなくなってしまった穏やかな表情だった。
安らかに微笑んでいるように見えるのは、その瞼の奥の夢のせいだろうか。

そんな表情ができる夢……それは恐らく彼女の過去。
どこまでも……彼女は過去に生きている。


……綾葉に笑ってほしいと思う、本物のそれで。
どれが本物かわからない、でも普段のは違うとは確信している。

少なくとも、己の後ろで飽きもせず世話話をしていた綾葉に慣れてしまったから、
それがないのは違和感を覚えて気持ちが悪い。


そっと近づいても彼女は目を覚ます気配を見せない。
綾葉が思い詰めたような顔をする時は、恐らく浅井に従事していた頃を思い出していたはず。
そして夢の中ですら、たおやかな笑みを浮かべて記憶に眠る。

目の前に自分がいるのに、過去ばかり見ている女。
今これの主は自分であるというのに……


(……気に入らない)


目を閉じている彼女はとても綺麗だった。
まじまじと見る事がなかったその容貌は、戦を駆け抜ける者とは思えないほど華奢に見えた。
そして数多の戦を生き延びてきてもなお、彼女は何にも汚されていない。
いくら人を斬っても義を持ち続け、主に忠実である事が喜びであるかのよう、まるで獅子のように気高い。

自分はどうしてこうも、彼女に興味を持つんだろうか。
わからない、だが綾葉に……自分を見て欲しいと思っている。
お前の主は俺だと、言い聞かせてやりたくなる。
その心に占めているもの、全て取り去ってやりたくなる。


幸せそうなその寝顔に吸い込まれるように、ゆっくり伸ばした手で初めて頬に触れた。
それはとても柔らかく温かくて、自分のものとは違い吸い付くような感触がする。
ただ触れただけなのに自分の体温までも上がっていくのがわかったが、 やめられそうになくて滑らかな肌を何度も確かめた。

髪、耳、柳眉、瞼、睫毛、鼻筋、顎、唇。
全てが自分と同じなはずなのに、何もかもが違っている。
槍など全く持てそうにない、ただの女子のように脆くてすぐ壊れてしまいそうだった。


このまま触れていたら、綾葉の内面を知る事ができるだろうか。


……触れたい、彼女の心に触れたい。


そうして、その笑顔を俺に―――



「……ぇ…?」
「っ!!!」

通常ではありえない至近距離にいて、目を覚ました綾葉の大きな目と三成のものがかち合った。
心臓がこれ以上ないほど跳ね上がり、三成は咄嗟に大きく後ずさっていた。

「み、三成…様……っ!?」
「い、いや……これは……っ!」

一番状況が理解できない綾葉も動揺でまともな言葉が出てきそうになかった。

「……綾葉……お前は……っ!」
「え……?」

思わず口にしてしまった事で、またしても綾葉の瞳が大きく揺れていた。


今俺は、何を言おうとしていた……!?


「は、早くそれを持って行けっ!」

それだけ吐き出すように言うと、三成はロクに顔も見せられないまま部屋を飛びだした。

真っ赤になった顔を隠すように下を向いて、荒々しく廊下を突き進む。
触れていた右手だけを、どうしてだかずっと見つめながら。






――「いつになったら、俺を見るんだ?」――











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左近が毛嫌いされっぱなしです(笑)

ちょっとずつ、本当にちょっとずつ進展、かな?
次回からまた戦です。