「いいんですかい?」

左近は眉根を寄せて同じ言葉ばかり繰り返す。
そのたびに三成は「くどい」と吐き捨てているのだが。

「本当に、このままでいいんですか?」
「……秀吉様の命だ、良いも悪いもない」

引き下がろうとしない配下に、三成は遂に根負けして口を開いた。

秀吉自らが伝えるまで周囲には内密に、というお達しのおかげか、
この縁談を知っているのはごく僅かな人間だけ。
その為に様々な人間が詰めかける等の騒ぎになっていないのが唯一の救いだろう。

それを好都合、として陰ながら何とか説得させようとしているのは左近。

「大殿にお望みになれば、叶えられたでしょうに」

望めば、楽に彼女を手に入れられたはずなのだ。
卑怯な手かもしれないが、命令だと突きつければいくらでも。
だが主はそうしなかった。

「本当は、娶りたい女が別にいらっしゃったでしょう?」
「……………」


――わかっていた。

たとえ綾葉が誰を想っていようとも、自分が綾葉の至上の存在でないとしても。

俺は、あれが付き従ってくれているだけでよかったのだ。
俺が、あれにいて欲しかったのだ。


「俺が、あれを娶る必要などない。それに何の意味がある」


――だから、そのような事をしても無駄なのだ。


「何処へなりとも勝手に行けばいい。
あれは少なくとも日の光がなければ生きていけぬ」


――奥に入るよりも、外に出ている方が本懐だろうから。


「………難儀な人だ、殿も」


その真意は主の意地なのだろうか、それとも不器用すぎる想いの形だろうか。
答えは恐らく、主自身もわかっていないのだろう。


だが、それでは誰も救われないのだという事に、彼らはまだ気付かない。






30・醜き情の輪廻






―――「可愛いわ、綾葉。貴女が大人になったら、どれだけ綺麗なんでしょうね」


長政様が政略結婚すると聞いた時、思わず長政様の元に駆け込んで猛反対した。
若い頃には一度婚姻を結んでいたと聞いたけど、それは私が生まれる頃の話だったからあまり現実味はなくて、
だから初めて驚愕を経験したのはこの日だった。

「織田家との同盟の為だ、仕方ない」

子供の私にはわからなかった。
どうして、ずっと自分が欲しかった場所に「仕方ない」という人が入るのだろうかと。

それなら私を娶ってほしい。私をお嫁にしてください。
本当に貴方をお慕いしているのは私ですと、言ってしまいたかった。
私から長政様を奪う人を許せなかった。

もしかしたら、その人を好きになったら私の事などどうでもよくなってしまうのではないか、
そんな事ばかり考えていた。

だから初めお市様がお輿入れした時、私はお市様を嫌っていた。
私から長政様を奪う女、それしか思っていなかった。

だけどお市様は花のような方で、上品で優しくて、そして長政様の事を愛してくれた。
苦手だった私にすら声をかけてくれて、慈しんでくれた。
私はいつの間にかお市様が大好きになっていた。

長政様も、お市様を愛していた。

その時、よかったと思った。
お二人が幸せでいるならそれでいいと。
あの方達が笑っている事が何より嬉しいと。

きっと、お市様だったから長政様はあんな幸せそうな顔をしていたのだろう。
きっと、長政様だったからお市様も政略結婚の事など忘れて互いを愛したのだろう。

……私では、きっと無理だった。
いくらもう少し年齢が上だったとしても、こんな風にはきっとできない。

お二人はいつも一緒で、そして子供ができた後も、二人は私にも変わらず接してくださった。
これでいいんだ。長政様が、お市様が幸せならそれでいい。
胸の痛みは消えないけど、それでもいい。

いつか、もう少し大人になったらあの二人の為に死のう。
長政様が育んでくれたこの命……長政様の為に使おう。

「……綾葉……幸せになりなさい」

幸せなんてわからない。
二人をお守りする事が私の幸せだったのに。

「いつか……綾葉も嫁いで行ってしまうのだろうな…」

嫁ぎません。
私は一生長政様の元で生き、死にますから。

だから、傍にいさせてください。

「寂しいな、市。藤姫にはずっと此処にいてほしいのになあ」
「それは叶わぬ事なのでしょうね。この幸せはきっと、長くはありません……」
「……戦の世は、辛いな……」
綾葉を心から愛してくれる方は、どんな方なのでしょうね……」―――



―――「……綾葉……お前は……っ!」―――



どうしてだろう、あの時のように心がざわざわする。
何もおかしい事はない。
長政様の婚姻が決まったあの時のように、主が結婚するだけの話だ。

私が三成様に対する忠義は変わらない。
それなのに、何故……胸が痛いのだろうか。

(同じだ……お市様の時と……)

頑なに振り返ろうとしない三成様の背中を見つめるだけで一日が過ぎる。

配下として祝いの言葉を述べるべきなのにそれができない。
見合いの話を切り出せる雰囲気でもない。

ただ……主との距離がとてつもなく開いてしまった感覚だけが自分を襲う。

主の伴侶となる方はどんなお人柄なのだろうか。
優しい方だろうか、主の性格を受け入れてくれるのだろうか。
こうやって静かな背中を見守って……主を、愛していくのだろうか。

三成様は、その人を……


「………っ」


あの不器用な優しさが、他の誰かに与えられるのは……嫌だ。
少し不機嫌な顔が、実は照れているのだと他の女の人に知られたくない。

音のない空間の中、あの赤みがかった鷲色の髪が風で静かに揺れている事を、他の女に見られたくない。


……三成様が、誰かに奪われるのが許せない。


(……私……いつの間に、こんなに……)


この感情は、主に対する敬愛ゆえのものだと思っていたのに。
かつて左近殿に向けた敵意よりももっと醜いものが渦巻いている。


これは紛れもなく……恋慕だ。


(今更……気付きたくなかった……)


綾葉?」
「……は、はい?」

ハッとして顔を上げると、怪訝そうに綾葉を見る左近がいた。

どれだけの間、思考を巡らせていたのだろう。
それを暗に伝える左近の目が嫌で綾葉は思わず視線を彷徨わせた。

「そういえば今度、領地の視察に行くそうだな」
「はい……」
「少数の隊らしいが、まあ大した問題がある訳でもないからな。息抜き気分で行けばいいさ」
「……私はともかく、他の者はそうさせるつもりです」

主の代わりに左近が労いの言葉を述べる、その事実が虚しさを助長させる。
現に会話など一切聞こえないと、主の背中が語っていた。

(……三成様にかける言葉が見つからない……)

絞り出したとしても恐らく聞いてはくれないだろうが、綾葉はそんな事ばかり考えていた。
少しでもこの状態を緩和したい、だがどうすればいい。

どう言えば主の望む答えに辿り着くのだろうか。

主に対する忠義の心は何度も伝えてきた、だがそれはもう届きそうにない。
それ以上の綾葉の感情には恋慕が混じる。
だけどその感情を……縁談の決まった殿方に伝えて、どうだというのだ。

(……長政様……どうすればいいですか……?)

自分は結局同じ事を繰り返してばかりだと、心の中の主に呟いた。


綾葉がいく地方は……確か名物の餅があったなぁ」
「……餅、ですか……?」

綾葉の心中とは裏腹に、左近の呑気な声。
いつまで経っても、左近の考えている事すらも碌に理解できない。

「久しぶりに食べてみたいですねぇ、殿」
「………」

何気なく声をかけられても三成からは何も返ってこなかった。
いつ激昂するのだろうかと冷や冷やしている綾葉だったが、左近はさらに続ける。

「中に色々入っていて美味なんですがね、いりませんか?」
「いらぬ」
「そうですか、美味いのに残念です。あれは珍しく酒に合うんですよ」
「いらぬと言っている」

ああ、これ以上主を刺激しないで欲しい、綾葉は目で左近に訴えた。

「あの味を知らぬとは人生損をしてますよ殿、食べた事あります?」
「くどいと言っている!食べた事などない!」
「……という訳で頼んだぞ、綾葉
「……え?」
「な……っ!」

慌ててキッと左近を睨み付け、さらに後ろを振り返ろうとして一瞬だけ横顔が見えた。
だがすぐに前を向いた主の表情は、それ以上読み取る事ができなかった。

(惜しい……あと少しだったんだが……)
左近が苦労を滲ませるように溜息をついた。

「土産、楽しみにしているぞ。是非とも殿に味わっていただきたいからな」
「だから俺はいらんぞ!」
「この頃、目新しい茶請けがなくて不満そうにしていたじゃないですか」
「……っ!」

突然立ち上がった三成は吐き捨てるように叫んで、荒々しく襖を開け放った。

「俺は絶対に食わんからな!」


静まり返った部屋で、綾葉は左近の真意を探るように首を傾げた。

「頑固だねぇ、殿も……素直になれば楽だろうに」
「あ、あの……左近殿……?」
「とにかく頼んだぞ。殿も鬼じゃないんだ、機会さえあれば許してくれるだろうよ。
……早い内に手を打たんとな」

芝居じみた事をしたのはその為かと、思わず納得してしまった。
左近はふいに真剣な顔に戻ると綾葉を見据えた。

「あんたも、このままでは不本意だろう?縁談の話はともかく、主に望まれぬ臣下なんてのは」
「………はい」
「俺の気苦労もそろそろ限界なんだ、わかるだろ?」
「……ええ、申し訳ありません、左近殿」

彼には何かと気を揉んでもらっている。
自分のせいでいらぬ苦労をかけていると、感謝の意も込めて頭を下げた。


(そう……せめて戻らなければいけないんだ、前のように……)


何も、あの時と変わらない。
誰かが嫁ぐのは変えられない。

いつか三成様はその女性を愛すのだろう。
その女性は、三成様を愛してくれるのだろう。

だけどそれは自分のあずかり知らぬ事。

そして、私は……それでも私は三成様の臣下。
これ以上、望むものなど何もないのだからいい。

三成様の為に生きて、三成様の為に命を散らす。
そうして胸を張って長政様の元に逝く、それが自分の本懐なのだから。


私は私のまま………だから、それでいい。



―――この胸の痛みすら……あの頃と、何も変わらないのだとしても。











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ツンデレ三成。
左近には敵わないでいてもらいたい。