「三成殿、是非私も救出に向かわせて下さい!」
「わ、私もお願いいたします!」
駆け込んできた知らせに、その場にいた者達はどよめいた。
幸村が真っ先に名乗りを上げ、次に綾葉の本来の護衛である奏が必死な形相で頭を下げた。
単なる行方不明なのか誘拐なのかすらはっきりしない。
何処の勢力が彼女を連れ去ったのかも不明な以上、大人数の部隊は得策ではない。
だが三成は冷酷な表情を崩す事なく、それらの思惑すら捨て去るように言った。
「将でありながら愚策に嵌るような奴ならば死ねばいい」
「、三成殿……!」
幸村は思わず非難の目を三成に向けた。
「それで無駄死にするようなら、どのみちこの先、生き残れまい」
「綾葉殿は放っておくという事なのですか!?」
「行きたいなら勝手に行け、俺は知らん」
「……殿」
張り詰めてさらに重苦しくなってしまった空気に、ようやく左近が口を開いた。
意地を張るばかりの主の代わりに指示を出す。
「幸村殿、もし最悪の事態になっているのだとしても彼女は自力で切り抜けられるぐらいの力はある。
だから戻ってくると信じている……と殿は仰せだ」
「っ、左近!」
「…………わかりました、ならば我々は助けに向かいます!少しでも綾葉殿のお力になれるように!」
「頼みますよ」
不器用な命令を何とか解釈して幸村と奏は城を飛び出した。
べらべらと余計な事を口走る左近を一瞥し、何も言えなくなった三成は睨むようにその背中を見送った。
左近のわざとらしい大きな溜息は三成を後ろめたくさせる。
「ですが殿、これでもし綾葉が本当に戻ってこなかったら、どうなさるおつもりで?」
「……それまでの者だったという事だ」
「後悔されても知りませんよ?」
「俺は俺の道を進むだけだ、後悔などせん」
ふと、いつか綾葉が陽動部隊として隊を別にした事を三成は思い出した。
綾葉が戻ってこないかもしれない事態に直面して、少なからず自分は動揺した。
選択を誤ったのだろうかと、失望に似た後悔に苛まれて雨の中立ち尽くして。
(……俺は、あれを……どうしたいのだ?)
嫁として傍に置きたいのか、配下として武器を持たせたいのか。
守りたいのか死なせたいのか、今でもよくわからない。
「いくら隊を率いる猛者だろうと、彼女は女ですよ。その意味、わかってますか?」
「……………」
あの頃から、自分は彼女に対して適切な判断ができなくなっている気がした。
32・磨り減らせた心
暗闇の中、微かに明かりが灯されて男の顔が揺れる。
獲物を見つけた獣のように獰猛な目が綾葉の前で光る。
「随分羽振りがよさそうじゃねぇか」
「どうして……というのは愚問でしょうね」
一度は志を同じくした者。
だが主であった男は変わり果てたみすぼらしい格好をし、
そして配下であった綾葉は奪われたもののそれなりに上質な素材でできた衣装を着ていた。
どうして男がこのような行動に出たのか、火を見るよりも明らかだった。
「今度はどうやって主人に取り入ったんだ?拾ってくれって縋り付いたのか?」
「……拾われる為に浮浪していた訳ではありません。貴方の時も、今回も」
「行き場がなかったお前を住まわせた恩さえ忘れて………俺はなぁ……お前に人生狂わされたんだよ」
乱暴に顎を掴まれ、上を向かされた。
深い憎しみが込められた視線に自然と綾葉の顔も歪む。
「お前が裏切らなければ負ける事はなかったんだよなぁ……」
「……裏切ってなどいません、私はお止めいたしました」
「なあ、どうして裏切ったんだ?俺達を置いて、何で逃げたりしたんだ?」
綾葉の言葉には聞く耳を持とうとせず、男は譫言のように呟いては笑う。
あれは無益な戦いだった、だから何度も諫めたのに構わず決行したのは男達の方だ。
力を得て、それなりに権力を持った集団は暴走し始め、男は人が変わったように目先の富に執着した。
男に付き従っている事に既に限界を感じていた綾葉は、罵りにも似た静止の声を振り切って離脱した。
「お前のせいで仲間は無駄死に、命からがら生き残った俺も今や明日の飯にも困ってる始末」
「…………」
綾葉は哀れみにも似た諦めの表情で男を見据えた。
男は変わってしまっていた、従うだけの理由があった頃の面影など消え去っていた。
それは浮浪人となってしまった今も戻っておらず、原因を作ってしまった綾葉は悲しみに唇を噛みしめる。
「狡いなあ綾葉……それでお前だけ良い思いしてるなんてなぁ。許せねえよ、お前だけは……絶対に許せねえ……」
「それは逆恨みではありませんか。諫言は聞き入れてもらえず、ならば私は不要だと抜けさせていただいたまでです。
それで勝手に戦を起こして敗戦した事は私の関与する所ではありません。全て、貴方が自分で招いた結果ではないですか!」
気に入らなかったのだろう、男は顔色を変え怒りに任せて綾葉を床に叩き付けた。
縛られた腕では身動きがとれず、それでも綾葉は負けじと睨み上げた。
「お前が担ぎ上げたんだろうがよ!何も知らなかった俺に、俺には人の上に立つ力があるとか惑わして!」
「っ……確かに人をまとめる力があると言いました……だけど貴方には義がなかった!
いつからか志をなくし、力を誇示する為に戦をするようになったではありませんか!」
「おかげで俺はこのざま!金もないロクに飯も食えねえ世捨て人!」
「それは貴方が罪もない人を襲ったからでしょう!?」
自分のあずかり知らぬ所で行われた殺生に綾葉は愕然とし、そして離脱を決意した。
世の為に、そう思って与えた知識がただ人殺しの為に利用された事が悲しくて、浅はかな自分を憎んだ。
自分の力は、本当の主から授かった力はそんなものの為に使って欲しくなんてなかったのに。
「ならばお前はどうなんだよ!人の後ろ付いて歩くだけで何も決断しない!
都合が悪くなったら逃げて、それでまた新しい主人探せばいいんだからな!」
「っ……それは!」
「お前に期待されて俺だって必死だったんだよ!だけどお前に弄ばれた俺には結局何も残ってねぇんだよ!」
「私は……逃げてなど…!」
「捨てられた頭は……それでも生きてかなきゃいけねぇんだよ!それがお前にわかるか!?」
懐から取り出したのは、明かりで鈍く光る小刀。
男は怒りに震えながらジリジリと綾葉に近づいていく。
本気の目に、このままではやられると綾葉の本能がざわついた。
「……おやめ下さい、矢太郎様……今ならまだ間に合います」
「へえ?やめねえって言ったらどうする気なんだ?」
「危害を加えようとするなら………私は貴方を斬らなければなりません」
「はっ!だったらあの時にそうしてたらよかったなぁ綾葉!
そうしたら俺達が負ける事も、俺が野良犬のように生活する事も、お前が逃げる事にもならなかっただろ!?」
「…………っ!」
男は刀を振り上げ、綾葉めがけて突き下ろした。
身をよじるようにしてそれを避け、縄の痛みを感じながら体勢を保とうとするが、
光る金属は何度も振り注ぎ、そのたびに床は穴を作り、男の表情からは完全に正気がなくなっていた。
「こんな、事したって……!何も!」
「それでもお前を殺らなきゃ気が済まねえ!なあ綾葉!!」
「っ!!」
手足が使えない身に、避けきれなかった剣先が赤い線を描いていく。
チクリと、そのたびに痺れるような痛みが綾葉を襲い、同時に心が悲鳴を上げていく。
これが、過去に自分がやってきた事の贖罪なのかと。
だけどこんな所で殺される訳にはいかない、自分にはやるべき事がある。
「矢太郎、様!」
「ぐっ……!」
繋がれた両足に渾身の力を込め男の腹を蹴った。
倒れた反動で小刀はその手から離れ、綾葉は体全体で武器を男から遠ざけた。
だが男は壊れたように笑い、今度は綾葉にのし掛かった。
「だったら……傷物にしてやるよ!前から、抱きたいと思ってたんだよなあ!」
「っ……!」
「誰もがお前をそうやって見てた事、気付いてただろ!?」
床に押さえ込まれ、両手と両足の自由を奪われると男の手が薄衣だけの肌に触れた。
綾葉の思考に走るのは悪寒と嫌悪、そして。
「男は……すぐに…っ、女を虐げようとする!」
過去にも襲われそうになった事が何度もある、
そのたびに男達は女である綾葉を見下して侮辱して、服従させようとした。
決して奪わせなかった、だけど心は疲弊して、傷ついて。
自分は今までこんな危険と隣り合わせの世界で生きてきた事を、忘れていた。
それは今の主と出会ったから。平穏に、静かに生きていられたから。
「生憎と……襲われるのには慣れてる!!」
「つ……っ!」
女の証である胸のふくらみに手が触れた瞬間、綾葉は上半身を持ち上げて男の腕に噛み付いた。
引き千切れるくらいの力で腕からは血が滲み、拘束が弱まると綾葉は再び男から逃げた。
遠くにあった小刀まで這うようにして近づき、両手と両足の縄を切る。
そして綾葉は躊躇わず男を突き飛ばし、馬乗りで跨ぎ首を絞めた。
膨れあがった感情のまま震える手で、力の限り。
「ぐ……ぁ!」
自分を辱めた男、己のたった1つの信念を仇で返した男。
もっと確実に、もっと凄惨に……その一心で手を伸ばした小刀を男の首に押し当てた。
少しだけ酸素を送り込まれた男は、苦悶に顔を歪めながら綾葉を睨み付けた。
「こ、今度は俺を殺すのか!?」
「っ!!」
「一度は仕えた俺を、お前の都合で殺すのか!?」
(私……いま、何を……!?)
我に返った綾葉の視界には息も絶え絶えな男の顔、
そして確実に目の前の人間を殺そうとしていた自分の両手。
心臓は狂うほど身を叩き、忘れていたかのように荒く呼吸を繰り返す。
「っは……はぁ、……っ!」
人を殺そうとしていた事に、気がつかなかったなんて。
「隊長!!」
綾葉の硬直を解いたのは、ドアを蹴破って入って来た配下の影。
在時達は建物内に突入すると綾葉を囲み、代わりに男を取り押さえた。
「ご無事ですか隊長!」
「、…え……ええ……大丈夫、です」
半ば呆然としながらも綾葉は、未だ此方だけを見据えてくる視線から目が離せないでいた。
男は悔しそうに唇を噛み、だけど乾いたように笑っていた。
「クク……偉くなったなぁ、綾葉」
「……、は……っ」
「だけど忘れるな、お前の存在が俺を狂わせたんだ。お前にさえ、出会わなければ」
「っ……」
自分に出会わなければ、彼はこんな事にならなかっただろう。
今もあの村で貧しいながらも平穏に過ごしていただろう。
それを壊した元凶は、どうしたって自分しかいない。
「軽々しく口をきくんじゃねぇ。これ以上隊長を穢すな」
「俺は……死罪か?」
「まあ十中八九そうだろうな、それで満足か」
男を連行していく集団の後ろで、綾葉は俯いたまま薄闇の中を歩いた。
もうすぐ夜明けだろう、少しずつ明るくなっていく景色とは反対に、綾葉の心は一向に晴れそうになかった。
―――私は……逃げているのだろうか。
自分では何もせず、主という盾を掲げて影に隠れて。
危なくなったら逃げて新しい場所を探して。
あの時の私は、自分の後ろめたさを隠そうとして無意識に男を殺そうとしていた。
怒りのまま殺せと、これは正当な死だと、頭の中で何かが囁いていた。
また自分は、あの男から逃げようとしていた。
自分が望む死に場所を探す為、それを貫き通す過程で私は"主"を犠牲にしてきたのだろうか。
彼のように最初は志に燃え、だけど最後は悔しそうに死んでいく姿を何度も目の当たりにしてきた。
長政様と同じに…………無自覚な私が死を招いてきたのだろうか。
「綾葉殿!」
「幸村、殿……お奏殿まで」
蹄の音をさせ、一目散に駆けてきたのは幸村と奏。
彼らは綾葉を見つけると体を気遣い、そして無事だと悟ると大きく息を吐いた。
「私のような者の為に、こんな所まで……」
「いえ、事態が収拾しているようで安心しました」
「綾葉様、怪我されているじゃありませんか!」
「大した事ないよ、ありがとう奏殿」
軍の重鎮でもない綾葉は本来ならば城から援軍を出される程の身分ではない。
さらに自分の不注意の上に起きた騒ぎであるから、逆に彼らに迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
彼が来たという事は主は出ていないのだろう、綾葉にもそれくらいわかっていた。
配下として今は微妙な立ち位置にいるし、主はそんな配下一人の為にその重い腰を上げたりしない。
(むしろ、余計に怒らせてしまっただろうし……)
気付かれないほどの苦笑を漏らし、綾葉は幸村を仰ぎ見た。
「ありがとうございます……お2人に来てもらえて、私は幸せ者です」
「いえ、私と奏殿だけではないですよ。あちらに…………」
「え……?」
振り返った平原の向こうに、毅然と騎乗している人の姿があった。
隣には左近が控え、大振りの武器を片手に悠然と笑みを浮かべている。
遠くからでも見慣れてしまっている、鷲色の長い髪と金色の兜。
綾葉にはその佇まいが、夜明けの光を浴びて輝いているように見えた。
「三成、さま………」
どうして、その思いの方が強かった。
不機嫌そうな表情のまま冷たい目で、それなのにどうして此処にいるのだろうか。
信じられない物を見たかのような顔で綾葉は、無意識に少しずつ三成に歩み寄った。
だがそれを遮って、ずっと黙ったままだった矢太郎が再び笑い出した。
「あいつが……今の主か」
捕らわれながらも不気味に呟く男を、馬上から見下ろしながら三成が眉根を寄せた。
視界の隅には、あられもない格好で所々に血を付けた綾葉の必死そうな顔があった。
「間者には見えんな。目的は何だ」
「いえ……俺があいつの前の主だったもので、ただ挨拶しただけですよ」
「……私怨か、くだらぬ」
「ですが貴方様と同じように綾葉を所有していた、だから俺のものでもあるんですよ」
怒りを誘う為の発言だったが、三成はクッと哀れみを込めた冷笑を浮かべただけだった。
「滑稽だな。配下を所有していた事がそんなに自慢か。
戯言を述べる暇があるなら畑の一つでも耕すんだな。よほどクズより役に立つ」
「っ!」
「今、あれの主は俺だ。それ以外に何がある」
表情を一変させたのは三成でなく、土に伏していた男だった。
押さえ付ける兵達に抵抗しながら噛み付きそうな目で吼えた。
「いつかあんたも裏切られるぜ!こいつは人を捨てて生きてきたんだからな!」
「……っ」
裏切ってきたつもりはない、だけどもしかしたらそうだったのかもしれない。
綾葉は苦悶に表情を俯かせ、どうか主に愛想を尽かされませんようにと、それだけを願っていた。
だが三成は呆れたように吐き捨てた。
「配下の一人二人減った所でどうという事はない。大して痛くもない」
――そうだ……三成様は己を覆すような人ではないと見越したから、私は仕官しようと決めたんだ。
「あれが何を考えてどうしようが俺には一切関係のない事だ」
――私を求めようとしない人、だから私は長政様だけを思いながら義の為に死んでいけると。
「あれが離れていくのなら、俺はそれだけの器だったという事にすぎん」
「……っ」
――そう、思っていたのに。
「言いたい事はそれだけか、ならば己の不運を呪いながら死んでいけ」
三成が促すと、兵達は男を引き摺るようにして城へと引き上げを始めた。
綾葉には奏が付き添い、幸村と左近は空気を察知して先に馬を歩かせて。
放心したように主を窺っていた綾葉とその不機嫌な目線が合うと、気まずくなって思わず俯いた。
これで本当に捨てられたらどうしようと、怖くて三成を見る事ができなかった。
だが頭上で呟かれたのは、たった一言の静かな声。
「…………すまなかった」
弾かれたように顔上げた時には、既に赤い装束の背中しか見えなかった。
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また切ります。
間延びしてなければ幸いですけれど。