ふとした時、じっと見られている気がする。

例えば茶を運びに行った時や、中庭の景色を眺めている時。
執務をしていたはずの主がいつの間にか手を止めてこちらを見ているのだ。
用があるのかと目を合わせようとすると逸らされ、だけどしばらく経てばまた視線を感じる。

「何でもない」と主は素っ気なく答えるが、その少し機嫌が悪そうな、
何か言いたげな目で見られるとどうも落ち着かなくなる。

胸が、ざわざわする。


「それでは三成殿、よろしくお願い致します」
「ああ」

用件を終えた幸村が退出しようとする。
この時綾葉は二人から離れた場所に座っていたが、縁側に出た所で幸村が嬉しそうに綾葉を呼んだ。

「見て下さい綾葉殿。あんなに蕾が」
「え?」

殺風景だった木々に目を凝らすと、確かに膨らみかかった芽がいくつも枝に並んでいる。
厳しかった冬は少しずつ寒さを和らげ、代わりに華やかな色彩を与える季節がやってくる。

「本当ですね……もうすぐ、春ですね」

感慨にふけるように言った意味がわかっている幸村はにこりと微笑み、
「楽しみにしていますよ」とだけ伝えて背を向けた。

幸村が立ち去った後も、綾葉は庭に点在する春の予兆を探していた。
また此処も草花で一杯になるのだろうと思うと自然と頬が緩む。
この静かな空間で、主の指示を待ちながらぼうっと外を眺めるのが綾葉は好きだった。

だがそんな時、急に後ろ髪が触れられた。

「え、三成様……?」
「……」

だが三成は答えない。
部屋にいたはずなのに気がついたら背後にいて、普段では考えられないほどの距離に動揺を隠せない。
思わず振り向いたが、三成にもの凄く見つめられていると気付いて、恥ずかしくなってまた前を向いた。

あの三成の目には色があった。
心臓の音が聞こえるのではないかと思うほど、綾葉の鼓動は速くなる。

「あ、あの……」
「……髪、伸びたな」
「は、はい……祝言の時に結いやすくする為に……」

それから会話は続かなくなってしまうが、三成はやめようとしない。
主の顔は見られない、だけどこのままの状況も耐えられそうにない。

「み、三成様……?」
「……黙っていろ」
「え……」

困惑しきって、いたたまれない綾葉はただ俯くしかなかった。

ずっと、髪を梳かれる感覚を感じながら。












38・つがいて溶ける視線























春が近くなってきたある日、城内では兵達の士気を上げる為の仕合が行われた。
それぞれ一対一で力を示し、最後まで勝ち残った者に褒賞が与えられるという事で、
腕に自信のある者は一様に気合いを入れている。

幸村などはもちろん、綾葉も参加している為に必然的に注目が集まっている。
純粋に強いという事もあるが、男達の中で数少ない女だという事が主な要因だろう。

だが期待を余所に、綾葉はかつてないほど緊張していた。

「勝者、篠田在時!」
「よっしゃ!」

副官が相手を打ち取るのを見遣りながらも、心は別の所にあった。
集中しなければいけない、いつもの鍛錬と同じようにすればいい、そうは思うのに空回りばかりしている。

綾葉殿、どうかされましたか?あまり調子が良くないようですが……」
「……大丈夫です、幸村殿」

見かねた幸村が隣にやってくるが、綾葉はやんわりと笑うばかり。
どこか怪我した訳でもないし顔色も悪くないのに、いつもとは様子が違う。

「三成殿も見ておられますよ」
「……」

元気付ける為に言った言葉なんだろうが、今の綾葉には逆効果だった。

「本当にどうしたんですか隊長、何か気になる事でも?」
「…………」

チラリと横目で周囲を盗み見れば、不機嫌そうな顔でこちらをじっと見る主の姿がある。
参加はしないものの、珍しく執務を中断させて仕合を静観しているが。

(何で……ずっと、私を見てるんですか……?)

髪を触れられた時のように、物憂げな目で綾葉ばかりを追っている。
その視線が痛いほど突き刺さってくるものだから、意識しないようにしても無理だった。
ただの主従でいた頃はこんな風に見つめられる事なんてなかったのに、一体何故。

見られている、それだけで綾葉の心拍数は上がり、どうしていいかわからなくなる。
無性に恥ずかしいのだ、何をするにしても想い人が気になって、目の前の事態が頭に入らない。

殿!……殿、前へ!」
「っ、はい……!」

一瞬遅れて立ち上がり、木刀を握り締める。
三成の視線に耐えながらも何とか勝ち進んできたが、綾葉の緊張は消えないばかりか増していく。

(……三成様……そんなに、見ないで……)


――そんな顔をされると、私はただの女になってしまう。
戦人でいなければいけないのに自分が自分でなくなるようで、雑念ばかりが心を占める。


主に見られていると意識すればするほど、胸がキュッと詰まるように痛くなる。

「……ぁっ…!!」

振りかぶってきた相手に対して、咄嗟の反応が遅れた。
案の定相手の一撃を受け止めきれず、強く打ち込まれて綾葉は木刀を手放した。

「っ、綾葉!」

真っ先に飛び出したのは三成だった。
ずっと意識していた茶色の髪がすぐ近くにあって、怪我の事よりもそればかりに目を奪われてしまう。

「だ、大丈夫です、三成様……」

そう笑ったが、ほぼ無理矢理に城内に連れて行かれる。
乱暴に手を引かれながら、もしかしたら自分は重傷かもしれないと綾葉は他人事のように思った。

負けた事や怪我の度合いでなく、今こうされている事が嬉しくて仕方ないと思っている自分の心が。

「祝言が近いのだぞ。俺ではなく女子が青痣を作って出る気か」
「……すみません」

だったら仕合になど出させるなよと、聞いていた人は突っ込んだかもしれないが、
綾葉が正室になった後も戦に出させるかそうでないかは、綾葉自身の好きにさせている。
綾葉の意見を尊重させているのは三成の不器用な優しさの一つであったが、怪我はなるべくしてほしくないのが本音だった。

「ずっと集中力散漫だった」
「……はい」

打ち込まれていない方の手を握りながら先を進む主は本当に機嫌が悪い。
あんな結果では無理もない、綾葉は素直に俯いた。

「何故あのような相手に負かされる?あの程度の者なら楽に勝てるだろう」
「すみません……少し緊張していて」
「何度も戦に出ているお前が、あのような戯れ事でか?」
「……すみません」

貴方に見られているから調子が出なかった、とは言えず綾葉は謝罪を繰り返した。
綾葉の活躍を期待していたから仕合を覗きにきたのだろう、
実際は良い場面など一つもなく負けてしまったせいで、三成は苛立ちを隠さずに城内を突き進む。

「その程度の腕なら、もう戦に出る必要はない」
「、次こそは必ず……!」
「いらぬ。両立できぬのなら奥に引っ込んでいろ」
「っ……」

ねねのように、祝言を挙げても戦場で三成の背を守りたい綾葉にとって衝撃的な言葉だった。

(違う……違うんです、三成様!)

少なからず失望を与えてしまった事も耐え難いが、 綾葉の生きる術であった"力"を取り上げられるのも嫌だ。

気持ちが落ち着けば、今までのように戦えるから。
だから怒らないで、振り向いて。

(戦うな、なんて言わないで)


「……み、三成様が……そんなに見るからです!」

腕を強く引き止め、綾葉は顔を真っ赤にさせて半泣きで見上げた。
三成はその意味がわからず、唖然と綾葉を振り返る。

「恥ずかしくて仕合に集中できなかったんです……!」
「……な、そんなに見てないだろう!」
「見てました!だから、ずっと……気になって……っ」

言いたくはなかった、自分がこんな感情に左右されている事など。
仕合の場に顔を見せた主が悪いとまでは言わないが、少しは此方の事情もわかってほしい。

綾葉が懇願するように目を潤ませると、三成にも伝染したのか頬を朱に染めて狼狽する。

「今日だけじゃなく……以前から見られていると思ったのは、私の自惚れですか……?」
「っ……それは」

三成のただ一つの願望が無意識ににじみ出てしまったからに他ならない。
真相まではわからないながらもそれは綾葉を少しずつ圧迫し、こうやって赤面させ困惑させるまでに至った。
結果的には良かったのかもしれないが、気付いて欲しいと意図した訳ではない三成にとっては恥ずかしい指摘だ。

だが目を何度も瞬かせながら小動物のように見上げてくる姿は……可愛いとしか言いようがなかった。
それは、今まで我慢していた衝動が溢れ出す瞬間だった。

「ど、どうしてなんですか……?もしかして、私が何か至らぬ事を―――!」

言いかけた言葉は三成の胸に消えた。
突然腕を引かれ、抱き寄せられたのだと気付いて綾葉の思考も停止した。

温かい体温に包まれて、鼓動がさらに跳ね上がる。

「み、三成、さま……!?」
「…………ずっとこうしたかったと言えば、嗤うか?」

動転してもぞもぞと体を動かす綾葉に投げかけられた呟き。
静かに、だけど絞り出されるように聞こえた三成の言葉は、少しだけ綾葉を安心させた。

「っ……いいえ…」

将来の約束をしているのだ、当たり前と言えば当たり前の事だ。

夫婦となるからには今までの主従関係と違い一線を越えるだろうし、子ももうけなくてはならない。
綾葉としては今は想いが通じただけで満足であったが、相手はそうでなかったのだろう。
それに気付かず、感情の読めない主に思い詰めたような目で見つめられ、一人で動揺するばかりだったが。

言葉にされて、ようやく綾葉の心に納得がいった。


――私はこの人に、想われているのだと。


慌てる必要なんてなかったのだ。
緊張もする、心臓も落ち着く事を知らない。だけどそれは決して嫌な代物ではない。
想いが通じ合って、恥ずかしいようなくすぐったいような初めての感触。


――長政様の時には、こんな胸の高鳴りはなかった。


「嗤いなどしません……でも、嬉しくて……笑ってしまいそうです」
「……結局笑うのか」
「種類が違います……これは感謝の気持ちですから」

三成は体を離し、ふいっと顔を逸らす。
それが照れている時の仕草なんだと綾葉にはわかりきっていた。

「……すまなかった。邪魔をした」
「いいえ、そんな事はありません。ただ私が、三成様に良い所を見せようと気張りすぎてしまっただけですから」

そうか、と三成は小さく答え、息を吐く。

「……お前がこれからも戦に出るというのなら、好きにしろ。
だがあのような者に負けるほど弱いのなら、もうお前を出す事はできぬ」
「三成様……」

それは心配の裏返しだった。
彼の機嫌が悪かったのも、突き詰めれば綾葉の力を推し量っていたからだろう。

「戦に出て、俺の傍にいたいのなら……強くなれ」

心配しながらも、綾葉の意思を尊重してくれている。
死なせたくないのなら屋敷に閉じ込めておけばいいのに、彼はそうしない。
あくまでも隣に立つ事を許してくれる、綾葉の力を信じてくれている。

「俺の為に生きるというなら……俺が死ぬ最期まで、俺の傍にいろ」


"長政様"と同じ事を言ってるのに、違う優しさを感じる。
わかりにくい。けど、なんて嬉しい情だろう。


「城内誰にも負けぬほど……強くなれ」
「……はい……三成様」


――だから私は、貴方に惹かれたんだ。
この主の為に生きて、貴方が望む通りに強くなろう。

配下として、妻として……貴方と迎える最期まで、一緒にいよう。


「打ち込まれた箇所は冷やしておけ、話はそれだけだ。……戻る」
「三成様。……三成様!」
「…………何だ」

さっさとその場から立ち去ろうとする主を呼び止めると気まずそうな顔が此方を振り返る。
何だかんだ言って応えてくれる律儀な人だと、綾葉はふわりと笑った。

「触れても……いいですか?」
「は……?」
「私から触れても、構いませんか?」
「っ………………拒否した覚えはない」

では……と綾葉は一歩ずつ距離を縮め、恐る恐る伸ばした手で三成の袖をキュッと握り締めた。
一度だけ見上げると、見た事もないような困惑した目が近くにあり、綾葉はまた目を伏せた。

「私……三成様に出会えて、よかったです……」

初めて自ら触れた主の体温を感じる。

人を恋慕い、そしてその人に想われる、それさえも初めての事で。
主従関係から始まったのにこんな行為が許されるなんて思ってもみなかった。

「三成様に出会わなければ、三成様に仕えていなければ……きっと何処かの戦場で野垂れ死んでいました」

"長政様"と"お市様"だけを想い、死に走っていただろう。
それでいいと思っていた、生き長らえる事さえも罪だと感じていた。

「何も変えられないまま死んでいたら……長政様とお市様に顔向けできませんよね」

だけど、それではいけないのだと気付かされた。
何より自分は"生きている"、だから最期まで生き続けなければならなかったのだ。
それが残された者の役目、そして死んでいった者達を背負う責任。

「三成様が教えてくれたんです。生きるという事を、立ち上がるという事を……人を愛するという事を」

彼は死に場所を探す為の偶像でもない、"長政様"の代わりでもない。
彼という人柄に惹かれ、その生き方を一番近くで支えたいと思った。

それは誰にも譲りたくなかった綾葉の、主従関係を越えた願望。

「こんな気持ち……三成様とじゃなければ知り得ませんでした」

まさか自分が、こんなにも穏やかな気持ちになるなんて思ってもいなかった。
彼は緩やかに心の中に浸透して、傍にいるだけで自然と笑顔が溢れていく。
時には嫉妬に襲われたり勝手にざわついたりするけれど、血は確かに洗い流されて。

まさかこんな感情が自分の中にまだ残っているなんて、知らなかった。


「私……幸せです……」



――「生きるんだ、そして幸せになれ」――

――「綾葉……貴女は、幸せにね……」――



嬉しさが込み上がって、はらはらと透明な涙が視界をにじませる。
掴んだ手の甲越しに主へと頭をもたげると、三成は身をかがめて綾葉を包み込んだ。

綾葉……俺を、愛しているか?」
「はい……誰よりも貴方を……三成様の傍にいる事が一番の幸せです。これからも、ずっとお傍にいさせてください」
「当たり前だ。俺は恐らく……お前しか愛せない」


――なんて甘美な響きだろう、その感情の名は。
きっと長政様相手には言えなかっただろう、きっとその感情を形容するには足りなかっただろう。

そして初めて告げられた、言葉。
自分は、誰かの支えになっているのだろうか。生きている価値があるのだろうか。
そうだと思わせてくれる奇跡の名。


「だからこの先も側室などはいらぬ。お前がいればいい」
「三成様……」

顔を上げると、真摯な表情がこちらを見下ろしていた。
綺麗な目だ。無感情と人から言われるが、綾葉には平穏を与える月のような光。

温かい手で頬を包まれて、じっと静かな目が降りてくる。
綾葉が寝ている隙に一度だけ触れられた時も、思えばこんな春を待つ日だった。

あの時と同じように、だけど全く違う境遇で2人の視線が交差する。
意味などわからなかったが、今ならはっきりとわかる。



――自分達は今、互いを想い合っていると。



綾葉様ー!どちらですかー!?」
「…………ちっ」

だが遠くからやってくる声に先程までの空気は一変して消え去ってしまう。
駆けつけたのは恐らく奏だ、慌てているように聞こえるのは怪我の心配をしているからだろう。

忌々しそうに舌打ちをしたのは三成。
何度も邪魔されて、さすがの彼も苛立ちの声を上げた。

「み、三成様……?」

赤面ばかりして状況が掴めない綾葉だったが、それでも恐る恐る主を覗うと盛大な溜息が聞こえた。

「……行ってこい」
「い、いいんですか……?その……」
「っ……いいから行け!」
「は、はい!」

慌ただしく立ち去った綾葉の背を見送った三成はその場で頭を抱えた。
運の悪さと、そして照れて目が泳いでしまっている自分を呪った。
この先もいらぬ邪魔が入るのだろうかという、先行きの不安を抱えながら。


それでも、三成の頬は緩んでいた。











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お約束のおあずけ(笑)
ごめんね三成、奏はある意味空気を読んだんですよ。

正直言うとヒロインの髪型の設定はありません。
ので"後ろ髪"の表記ですが、自由に受け取って貰って構いません。


いきなりですが、あと2話で終わります。