「春が楽しみだわ!やっぱり草花が咲き出す頃が一番いいわよね!」
綾葉一人だけ呼び出され何事かと思いきや、ねねは顔を合わせるなり目を輝かせた。
祝言は春の吉日に行われる予定となっていて、その衣装やら何やらを全てねねが仕切ってくれる手筈になっている。
総大将の正室にそんな事までと綾葉は恐縮していたが、ねねが誰よりも乗り気でその役を買って出た。
何度目かの衣装合わせの後、こういった事に慣れていない綾葉が戸惑いながらされるがままになっていると、
ねねは母親のようにくすりと苦笑を零した。
「綾葉、まだ少し不安?」
「い、いえ、そんな事はありません……!」
「いいのよ。思ってる事、何でも言って?」
せっかく懇意にしてくれているのに悲しい顔をさせてしまったと慌てたが、
ねねは不愉快な顔を見せず、それだけでなく話を聞こうとしてくれている。
申し訳なくて俯いたが、ここで何も言わないのも不義だと思った綾葉はやがて声を絞り出した。
「本当に……私でいいんでしょうか?」
それは縁談が決まってからずっと気にかかっていた事だ。
「だって……正室になってしまったら……十分に戦えないではありませんか。
私は三成様に命の危険が迫った時、迷わず命を捨てる覚悟でいますのに」
「あら?私は正室だけど戦に出ているわよ?」
「……おねね様は特別です」
本来はそうそう器用にいくものではない。
仲の良い兵達も、微妙に立場が変わってしまう綾葉の扱いに困るだろうし、
家を守る事も女にとっては重要な役目になる。
「私はこれからも三成様の為に戦いたいのです。ですからこの命はいつ途絶えるかわかりません。
そんな私が正室であっていいものなのでしょうか?」
いつだったか、ねねが二人の間を取り持とうとした時、三成に仕えて死ねればそれでいいんだと綾葉は言った。
彼女は根本的に長く生きようと思っていないのだろう、それが言葉の端々からわかる。
だから将来の約束ができない。
彼女は無意識ながらも、誰かに命を捧げないと生きられないのだろう。
「綾葉……何ていじらしい子」
だからこそ、本当に幸せになって欲しいとねねは思う。
こんな戦の世で無理な事かもしれないが、平穏を手に入れて欲しいと。
「ね、綾葉……貴女は三成とずっと一緒にいたいんでしょ?」
「……はい」
「ならそれでいいの。戦うとか戦わないとかじゃなくて、
いつか……二人が別つ時まで、一緒に生きたいと思っている事が大事。
もしかしたら病にかかるかもしれない、不慮の事故に遭うかもしれない。何をしていたって、
人はいつ死ぬかなんてわからないものよ。短い命かもしれない、だからその生を幸せに生きなくちゃ」
「……似たような事を三成様にも言われました。"生きろ"、と」
ねねとは意味合いが少し違うが、基本的には同じだ。
生きる意味が"長政様"から三成に変わったとき、綾葉の中ではその可能性がうまれた。
「三成が言いたいのはね、命を捨てる為に生きるんじゃなくて、生きる為に生きてって事だと思うよ。私もそう思う」
いつしか死ぬ事が望みではなくなっていた。
それでいいのかもしれない、綾葉はようやく笑みを浮かべた。
「……はい」
初めて綾葉と出会った頃、彼女はその意思の強い目の奥で時折泣きそうに笑っていた。
だけど今目の前にいる彼女は、子供のように戸惑いながらも微笑みを溢れさせていて。
やっぱり自分の目に狂いはなかったと、ねねは内心で頷いた。
「綺麗になったね、綾葉」
「いえ、そんな……」
「ちゃんと三成は優しくしてくれる?」
「……はい、温かい言葉をかけていただいてます」
「うんうん、それで?」
「遠乗りにも連れて行ってもらいました」
「よかったじゃない~!それで?」
「?……それぐらい、ですが?」
「え?」
ねねが唖然とした顔を向けてくるが、何を期待されているのかわからない綾葉は困ったように首を傾げた。
「もしかして……全然触れ合ってないとか?」
「え……っ?祝言前からそんな事いたしません……!」
「ええ~!?好き合ってるのに、将来の約束してるのに……手も繋いだ事ないの!?」
信じられない、ねねの全身からその言葉がにじみ出ていた。
だが三成と綾葉の間で、日常生活で互いに触れ合うなんて事は普通にあり得ない。
ただ三成は執務をこなし、綾葉はその手伝いをしながら隊長としての役目をこなしているだけだ。
綾葉自身そうして欲しいと思った事がないのだから不満はない。
それにどうやってあの主と触れ合えというのだ。
「もしかして三成……すっごく我慢してるんじゃ……」
ねねは譫言のように呟き、ゆっくりと綾葉を眺めて一人納得したように頷いた。
「素直になれない性格が悪い所だけど、それが良い所でもあるからねぇ…」
憐れんだような視線の意味を、やはり綾葉はわかりかねるのだった。
37・白銀に燃える命
――例えば名を呼んで、あれが振り返った時。
その艶のある髪がさらりと音を立てるようにして宙を舞い、
次にしたたかで玲瓏な瞳が姿を現すと、言いようもない満足感のようなものが込み上がる。
主に何の疑いも持っていない澄んだ双眸を正面から見据えるが、
やがて罪悪感が全身を襲い、耐えられなくなって目を逸らす。
近頃、綾葉に触れた時の事を何度も思い出す。
一度だけだったが、間近で見た肌は戦の中で生きてきたとは思えないほど白くて。
それを引き立てるような黒髪も指で梳かせたらさぞ気持ちいいだろう。
あれを見るたびに自覚する感情、それは今までになかった衝動を起こさせようとしているが。
……もう一度触れてみたい、確かにそう思っている事をこの真摯な配下には知られたくない。
浅ましい考えではないか。
少し前まで後ろに控えている事が当然とばかりに歩いて、何とも思いはしなかったのに。
あれは今の距離感で満足なのだろう、一層配下として忠実にあろうとしているのがよくわかる。
だが、一方で踏み出したがっている自分は――
「三成様」
後ろから聞こえた声に弾かれるように視線を彷徨わせれば、自分の手には筆が握られたまま。
少し前から全く進んでいない文面を読み返し、そっちのけで思惑を巡らせていたのだと悟った。
それに気付いていない様子の綾葉は至極楽しそうな表情で襖の向こうの世界を見ていた。
「……何だ」
「雪ですよ。今日は一段と積もりましたね」
昨夜のうちに降り積もった雪は今や庭の景色を全て白に染め上げていた。
三成としては雪が降ろうが感動する事はなく、ただ寒いと思うだけだ。
だが綾葉は違うようで、眩しいものでも見るような目で外を気にしている。
何がそんなに良いのかわからないが、好きにさせればいいと三成は黙ったまま。
「先程から左近殿や幸村殿も一緒になってはしゃいでます。
何でも雪玉を敵の攻撃に見立てて避ける力を養う修練だと、皆で投げ合ってるんです」
「……童のやる事だろう」
結局は皆、雪合戦がしたいだけなのだ。しかも何故か三成の屋敷で。
いい歳した男達が何をやっているんだと三成は盛大に溜息をついた。
だが羨ましそうに話す綾葉にとっては、恐らくそれを楽しいものとして捉えているのだろう。
騒がしい事に参加したそうにしている姿を、珍しいと思った。
「行きたいなら行けばいいだろう」
「いえ、これは毎日の務めですから」
「……俺はお前がいなくても困らん」
我ながらもっと気の利いた事は言えないのかと三成は自分を恨んだ。
こんな言葉では"不要"だと言っているようなものだが、ちらりと覗いた綾葉の顔は微笑を浮かべたまま。
「いいえ、此方にいます」
「構わぬと言っている。お前に与えた量など何時でもできるだろう」
「でしたら……雪を見に行きませんか?三成様も一緒に」
「は……?」
何処をどう繋げばそんな提案になるのかと、三成は思わずあんぐりした顔で振り返る。
「三成様こそ息抜きいたしませんか?外は寒いですけど、体を動かしていれば案外暖かいものですよ」
そんな所へ二人して顔を出したら、特に左近にからかわれる事必須だ。
何が悔しくてほいほいと行かなくてはならない。その前に自分には手放せない仕事がある。
「……俺は左近らのように馬鹿らしく騒ぐのは御免だ」
「外の空気を吸うだけでも気分が変わりますよ、少しの間だけですから」
「何故俺が行く必要がある?お前だけで行け」
大きく溜息をつくと綾葉の誘いの声はなくなり諦めたかと思った瞬間、妙に落ち着いた返事が耳に届いた。
「……わかりました。なら私も此処にいます」
「…………」
(だから何故そうなる?)
再び手を動かし始めた綾葉を見遣り眉をしかめながらも、どこか安堵している自分がいる。
とにかく綾葉がいてくれる、その事を嬉しく思っているのだろうがそれを素直に口にできるはずもなく。
「…………」
「…………」
そればかりでなく、何だか自分の本心を悟られている気がして悔しくなる。
そう、綾葉はまるで三成の為であるかのように部屋にいるのだ、少なくとも三成にはそう見えた。
有り難いと思う、少し悪いと思う、だがそれ以上に、
綾葉に此処にいて欲しいと内心で思っている事が知られているようで気恥ずかしくて仕方ないのだった。
「っ……いいから出て行け!」
吐き捨てるような言葉は怒りではなく、ただ耐えられなかっただけだ。
心なしか顔が熱い気がすると三成は思う。
そして予想通りに綾葉は剣幕に怯む事なく静かな目のままで。
「お前がいると筆が進まんのだ!」
「……私が此処にいては、駄目ですか?」
「……っ!」
図星だ。完全にしてやられたと思った。
いったい何時からこんなに強くなったのだろうと、三成は誰かに救いを求めたい気分だった。
結局は自分の心が読まれているから綾葉はあんなにも純粋な目を向けてくる。
とにかく一人で落ち着きたい、何とかして綾葉を追い出そうと口を開きかけた時。
「わかりました。では少しだけ席を外します」
本気で怒り出しかねない沸点の一歩手前で突然に立ち上がった。
不器用な事この上ない主を見る限り一度は離れなければ収拾がつかないとは綾葉にもわかっていた。
悪戯心を向けてしまったのは綾葉だ。
本気で言っている言葉ではないという確信があったからこそ、ほんの少しだけ主を試してみたくなって。
あまりこんな事はしないのだが、時折こうやって確かめては満足している自分がいる。
わかりにくい人だと思う、だけど一度要領を掴んでしまうと案外わかりやすい。
「……綾葉」
「はい、すみません」
遊ばれているとでも思ったのだろう、ジトリと睨まれて綾葉は今度こそ部屋を抜け出した。
いなくなってしまうと、途端に静かになるものだと三成はふと感じた。
行けと言ったのは自分だ、一人になる事も了承していたはずだ。
いてもいなくても部屋の状態は何も変わりないが、物寂しいと思ったのは誰に言えるものでもない。
とにかく執務に集中しなければと三成は筆を持ち直した。
だが、あれからそんなに経っている訳でもないのに綾葉が再び顔を見せた。
意外に早く戻ってきたなと思いながら見上げた綾葉の両手には、大事そうに白い塊が乗せられていた。
「……何だそれは」
物体の名称の事ではない、どういうつもりでわざわざ雪だるまにして部屋にまで持ってきたのかを三成は聞いていた。
「気分だけでもと思いまして」
「すぐに溶けるだろう」
「いいんです、雪ですから」
そして無理矢理に傍らに置き、綾葉はまた姿を消した。
しんと静寂が戻ってきた部屋で三成は皿に鎮座している雪だるまを凝視する。
(これを、どうしろというのだ?)
見ろと綾葉は言ったが、見た所でどうなるものでもない。
いずれ溶けて消えてしまう固形物をどう扱うのか三成にはさっぱりで、
困惑気味の溜息をおとし、雪への意識を遠ざけて大量の書類に向かった。
それからまたしばらくの時間が過ぎた。
あらかた文章を書き終え、ようやく一息つけると顔を上げた視線の先には綾葉が置いて行った雪の皿がある。
そういえばこれの存在を忘れていたと肘をついて、何を思う訳でもなく眺めてみる。
案の定雪は随分溶けていて、もはや原形を留めておらずあと幾ばくかで全て水になる。
だがその塊の中から、ちらりと覗く色を見つけて三成は思わず瞬きを繰り返した。
(これは……綾葉が入れたのか?)
偶然ではなく、あらかじめ一枚だけ入れられていたのだろう。
静寂を思わせるような純白に包まれて、小さくもその存在を誇示するように映える赤い花弁。
色彩が鮮やかに燃えているようで、それは朽ち果てる前に命を賭しているようにも見える。
まるで世に贖う戦人のようだと思った。
花はいずれ散る、この花弁もあとは枯れる道しか残されていない。
だがその短い命で強く発光し、誰にも染まらぬように生き続けるその色は……綾葉のようだった。
綺麗だと思った。
色を奪う白さえも自身を飾る武器と化し、睨むように三成の目に飛び込んでくる。
だけれども花弁を手にとり指で転がすだけで、弱々しくはらりと畳みに落ちていった。
「……っ」
――綾葉の顔を見たい、突然に衝動が生まれた。
突き動かされるまま三成は部屋を飛び出して駆けていた。
一歩外に出れば世界は白に覆われていて、冷気が容赦なく三成の頬に刺さる。
大股で床を蹴り、手には花弁を握り締めて配下の声がする庭を目指した。
そうして目的の人物を見つけた。
男達の中で一際異彩を放ち、強さを秘めてゆるく微笑む女はやはり花弁のように白一色の景色で輝いていた。
「綾葉!」
「っ……三成様?」
あれだけ外に出ないと主張していた三成がそこにいて、さらに息を切らせていれば驚くだろう。
目を見張って主を凝視して、呆然と立ち尽くしている。
「おや殿。こんな寒い日にいかがなされました?」
さも面白そうに唇を歪めている左近にはこの状況が全て読めているのだろう。
もしかしたら雪だるまの仕掛けも知っているのかもしれない。
悔しい、悔しいがそれでも望んで罠に嵌りに来たのだ。
「ど、どうされたんですか三成様?」
「……あれはお前の仕業か」
「え……?あ、あの花弁ですか?」
ようやく三成の剣幕を理解した綾葉はふんわりと頬を緩めた。
「庭に咲いていて、とても綺麗でしたから。少しは気分が休まるかと……」
「…………」
純粋に笑う姿が花のようで、三成はそれを手にしようと足を進めた。
縁側を降り、さくさくと雪を踏みしめる音が鼓膜を刺激する。
顔を顰めたまま目の前にまで迫られて、三成の態度を不機嫌と捉えた綾葉は思わず身を竦ませて見上げた。
「いけませんでしたか……?」
「……いや。悪くは、ない」
部屋に籠もってばかりいる三成への気遣いのつもりで雪だるまを持ってきたのだろう。
綾葉が花に感動し、それを主にも分け与えたいという意味だけで花弁を混ぜたのだろう。
「真っ赤な花びらが、三成様のようだと思ったんです」
「…………馬鹿か。これは、お前だろう」
彼女自身は無自覚かもしれないが見事な策だ。
実際赤い花弁に目を奪われ、綾葉の目論見通り執務を中断させて外に出るまでに至った。
何時でも傍らにさり気なく存在し、この雪のようにじんわりと三成の胸を溶かしていく。
少し見逃せば気付かないような彼女の情、それが三成にはどうしようもなく心地良かった。
だから自分は綾葉がいいのだと、三成はふっと笑い手を伸ばした。
――触れたい、そしてこの身に留めさせたくなる。
「お取り込み中申し訳ないんですが殿、我々もいるんだという事をお忘れなく」
「っ……!!」
一瞬にして手を引っ込めて周りを見遣れば、嫌に笑みを浮かべている者や、
目線に困って視線を彷徨わせている者達が立ち尽くしていた。
我に返った三成はその羞恥に耐えられず、とにかく激怒しそうな顔で綾葉から離れた。
「俺は構いやしませんが、若い者には目に毒ですよ」
「うるさい!見ている方が悪いのだ!!」
「殿ー、せっかく外に出たんですから殿も参加されてはどうですか?」
「やらん!!」
縁側に戻り、大急ぎでその場から逃げようとする三成を呑気に引き留めようとする左近。
耳まで真っ赤にして振り返れば、こんな騒ぎの中三成だけを見据えて笑っている綾葉の姿が。
平和そうなあの顔を少しだけ呪った。
「三成様、少しでいいですから休憩して下さい。見ててくれるだけでいいですから」
「…………っ」
周りの男達より一際高い声に引かれるように、三成は歩みを弱める。
綾葉の後ろにはやはり三成の動向を見守っている男達がいて、一刻も早く立ち去りたい。
余計な事を、黙れ、そう言ってやりたい。
なのに無下に出来ない自分を呪った。
「…………また後で、来る」
そうして辱めを受けるのは自分なのだと、思いながら。
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最近ヒロインに出し抜かれてばかりの三成様。
そうしないとほのぼのしないというツンデレ。
この二人は両想いになってからも長い。
気持ちが先行して行動が伴わってない分こういうほのぼのが大切だと思い、間延びしながらも書いてます。
って、ただ作者がゆるい話を書きたいだけなんですがね。
とにかく一歩ずつ近づいてくれたらそれでいいです。