綾葉……今一度、小谷の地を踏む覚悟はあるか」

遠い山を眺めながら三成は呟いた。
ここから小谷が、ましてや広大な湖が臨めるはずもない、なのに何故そんな事を言ったのか。
綾葉が首を傾げながら続きを待っていると。

「……報告ぐらいした方がいいだろう」

つまりは"長政様"に会ってくれるという事だ、綾葉の為に。
挨拶を必要とするのが生家ではない所に、主の気遣いを感じた。

墓参りという名の帰郷は綾葉にとっては傷を抉りかねない。
帰ってしまえばまた崩れ落ちるだろう、それだけの痛みが小谷にはある。

かつての想い人に会うのは辛い、だけど報告もなしに婚姻を結ぶのは申し訳が立たない。
綾葉の複雑な心境を知っている三成の遠慮がちな言葉は、後ろ暗い感情以上に温かみを覚えた。

「ありがとうございます……三成様」

気持ちに整理がついたら、いつか必ず。

(長政様に三成様を紹介したい……)

今の主はこんなにも素敵な人ですよと、安心してもらいたくて。
幸せになれと言った人に、こんな平穏な気持ちを知ってもらうのと。

貴方だけを想い続けていられなくてごめんなさい、という謝罪を。






36・言葉にならない想いで






寒さが本格的にやってきた頃、季節外れの遠乗りは身を震わす程だった。
馬が吐く息は時折白く、見渡す景色にも彩りはあまりない。
だけど綾葉にはそんな事は重要ではなかった。

ただ主の不器用な優しさに触れられた事で舞い上がって、気がつけばもう帰路の途中で。

「三成様、少し城下に寄っても構いませんか?」

土産の一つでも買っていきたいと綾葉は三成に馬を預けて駆け足で行ってしまう。
特にする事もない三成は後を追いつつ遠い場所で待つ事に決めた。

「おや、いらっしゃい綾葉ちゃん」
「こんにちは」

いつも世話になっている甘味処の女将は綾葉を笑顔で出迎える。

「用事の帰りかい?」
「えっと……そんな所です」

口籠もって後ろを振り返る仕草にならって見つけた男の姿に、女将は目の色を変えた。

「い、石田様じゃないか……!」

慌てたように身を縮みこませ、綾葉を手招くと声を潜めて。

「ちょ、ちょっと綾葉ちゃん!本当にあの方に仕えてるのかい?」
「ええ、もちろん」
「そうだとは聞いていたけど、まさか本当にねぇ……」
「………」

主の評判がよくない事は百も承知だ。
愛想もないし、他の武将からも影で言われている影響で城下での信頼も正直あまりない。

きっと女将は主に酷使されていないかを心から心配しているのだろう。
主を受け入れてもらえない、それは寂しい事だったが慣れている綾葉は仕方ないと思っている。

ただ彼女達は知らないだけなのだ、主の内面というものを。

「いつも買っていってくれる団子やら茶菓子やらは、あの人の為だって事だろう?
その……大丈夫かい?……無理に言いつけられてるとか……」
「いいえ、三成様はお優しい方ですよ」

くすりと微笑むと女将は素直に謝罪の言葉を口にした。
今まで店に顔を出すたびに主の事を話題にし、三成の良さを散々聞かされていた女将は、
綾葉がいつも楽しそうに喋っている事を思い出した。

あんなにも幸せそうな顔にさせる主の事を悪く言うつもりはなかったんだが、
どうしても取り巻く悪評に心配になってしまったのだ。

「……ごめんよ、あんたの大事な人に。わかってはいたんだけど……」
「いいえ」

女将に悪意はない、それを重々にわかっている綾葉は終始笑っていた。

「ここだけの話ですが、あの方は本当に不器用な方なんです。
だからいつか、皆にわかってもらえると思っていますから」

縁談の件で調子を崩していた綾葉の為にわざわざ休みを作ってくれて。
今日の遠乗りだって寒かったはずなのに一度だって「寒い」と言わない人だから。

「そうだよな……綾葉ちゃんのような人が付き従ってるんだ。悪い人な訳ないか」

そして女将は少しだけ意地悪そうに笑って三成を盗み見る。

「よく見ると良い男だしね、あんたも隅に置けないじゃないか」

弾かれるように振り向くと、少しだけ不機嫌そうな横顔が目に入った。
柔らかそうに揺れる鷲色の髪は、整った顔を余計に引き立てる要素になっていて。
改めて言われると何だか恥ずかしくて綾葉は頬を染めた。

「……ええ」
「なんだい?もしかしてそれ以上の関係かい?」

どうも主を見る目ではないと気付いた女将が突っ込んで尋ねてみると、 綾葉は益々赤面させながら微笑んだ。

「縁談を済ませました」
「そうかい!好いた人となんて一番幸せじゃないか!」
「……そうですね」
「ふふ、だから今日は一緒だったんだね?この寒いのに馬連れてさ」
「ええ……まぁ」
「そうだ、これも持ってお行き」

女将が店に戻り持ってきたのは一つの包み。
何かはわからなかったが食べ物だろうとは予想ができた。

「いいんですか?」
「こんな人の往来が多い所で律儀にあんたの事を待ってくれているんだ。
形ばかりの祝いの品だけど、帰ったら二人で仲良く食べるんだよ」
「……ありがとうございます」


買い物を済ませて走っていくと、ずっと遠くを見ていた主はようやく此方に視線を寄越して。

「お待たせしました、三成様」
「ああ」

多くを語ろうとせず三成はさっさと城下を抜けようと足を進め。
その背中を追いながら綾葉は女将に言われた事を思い出していた。

馬二頭を待たせる事はそれなりに大変だったろう。
それだけでなく人々の視線もあっただろうし、主が配下に待たされているという状況なのに、
何とでもないという顔で綾葉に恨み言一つ口にしない。

「三成様」
「なんだ」

呼べばすぐに無感情な言葉が返ってくる。
誰かに自分の想い人を、心配されながらも認めてもらえた事が嬉しくて。

「今日はありがとうございました。それと、待っていただいた事も……」
「……別に立っていただけだ」

全く飾らない人だと思った。
会話だって続かないし、上辺だけでも礼を受け取ればいいのに。

(三成様らしいけどね……)

もっと気の利いた言葉が言える男性はいくらでもいるだろう、女を喜ばせられる人も。
だけど、わかりにくい優しさに触れて喜んでいる自分は、
もしかしたら変わり者かもしれないと綾葉は今更ながらに感じた。

穏やかで、これくらいが丁度良い。











「おかえりなさい殿、それに綾葉殿」

三成の屋敷で二人を出迎えたのは左近。
仕事を押しつけられ少々疲れ気味な様子で、わざとらしく背伸びをする。

「申し訳ございませんでした左近殿。これよかったらどうぞ」
「これはこれは、わざわざすみませんねぇ」
「いえ。今までのお詫びも含めて、こんな物しかありませんが……」

縁談の件で随分と左近には迷惑をかけ、世話にもなった。
こんな菓子折だけでは到底足りるものではないが、せめてもの気持ちを示したかった。

「……それは左近にやる物だったのか」
「おや、私が頂いてはいけませんでしたかい?」
「…………」

それを見ていた三成は不満そうに声を出し、左近に聞き返されるとふいっと顔を反らした。

「いいじゃないですか。もう一つの包みは殿のものなんでしょう?」
「あ、これは三成様と一緒にどうぞと、特別に頂いたもので……中身までは把握していないんですが」

手の中にある包みに視線を送られ、綾葉が代わりに答える。
何を貰ったのか興味があった綾葉はその場で開いてみせる事にした。

「これは……搗栗(かちぐり)じゃないか」

殻と渋皮を取り除かれた、乾燥した栗の実がいくつか包まれていた。
保存食の一つであり、"勝つ栗"として戦時には縁起物として重宝されるものだ。
もの凄く固いが噛めば噛むほど味が出る代物で、もちろん水に戻して料理に利用する事もできる。

だが今は戦時でもない、何故こんなものをと左近は首を傾げた。

「確かに縁起物だが…………そうか、そういう事か」
「……はい、恐らくは」

それに込められたもう一つの意味に気付き左近はにやりと笑み、
原因を作っただろう綾葉も苦笑しながら搗栗を見下ろした。

「殿と綾葉への祝いですよ、これは」
「何のだ」
「婚姻、それ以外に何があるんですか」
「っ……何故俺があの者に祝われねばならんのだ」

出陣の際によく見かける物だが、この栗は結婚祝いにも使われる。
甘味処の女将がいつ干したのかはわからないが、偶然にもあの場で手渡せる品だったのだろう。

三成にとっては親しくもない人間に祝われるのは嫌だろうが、
綾葉には過度ではないささやかな祝いの気持ちが嬉しかった。

「すみません……私が"三成様と縁談を済ませた"と言ったので……」
「、な……っ」
「妬けますねぇ、殿」

複雑そうにしていたかと思えば頬を緩ませた表情で見上げられて、三成は思わず動揺した。
三成にしてみれば見知らぬ人間にまで縁談の事を知られてしまい、さらに左近のいる場で堂々と口にされるとは。

次第に顔が熱くなっている事を自覚したが、どうしてもそれは悟られたくなかった。
だから三成は身を震わせながら不機嫌さを滲ませるばかり。

「中々に可愛い事をする。そう思いませんか、殿?」
「……知らん…っ」
「でもおかげでこれが頂けたんです。民の気持ちですから仲良く食べるのがいいと俺は思いますが」

完全にからかっている調子の左近に、三成はすっかり怒りを露わにして。
逃げて行ってしまいそうな主を、だけど綾葉が躊躇いがちに呼び止めた。

「……せっかくですから、食べませんか?」

桃色に上気した顔は左近が言った通りの言葉を形容するに値するだろう。
だがそれをされても、上手く処理する力が三成にはなかった。

「……、いらん!」

ピシャンと乱暴に襖を閉ざされて、綾葉と左近はその場に取り残されて。


だけど綾葉は幸せそうに笑っていた。











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女将さんが標準語で申し訳ない。

か、可愛いなんて言ってやらないんだからな!
特に深い意味もないほのぼの話。
しょうもなくてごめんなさい。