気が付くと、あっという間に終わっていた。
「もう!遅すぎるわよ二人とも?駄目かもしれないって諦めかけてたんだから!」
まさかそんな事を言われるとは予想だにしていなかった綾葉と三成を交互に見遣り、
子供に説教するようにねねは両手を腰に当て眉を吊り上げた。
だがすぐに笑顔に戻るとほとんど無理矢理に宴の場へ促して。
三成の本当の相手は綾葉であると告げた。
ねねは一人で嬉しそうに盛り上がり、秀吉も「そうかあ、よかったなぁ!」と上機嫌に頷いた。
どういう事かと助けを求めても、三成も把握しきれない様子で暫く視線を彷徨わせていたが、
元々本意だったから拒否する理由もない、と素直に席に座ってしまったのだ。
「そのつもりだったのだ、構わぬ」
静かな目を向けられ、綾葉は黙り込むしかできなかった。
35・動き始めた世界
「今回ばかりはおねね様にしてやられたな」
完敗だ、と左近は両肩を持ち上げて笑ってみせた。
その正面で身を小さくさせて座っている綾葉は未だに戸惑いの色を浮かべている。
「急すぎて……混乱しています」
「まぁそうだろうな、まさか縁談まで取り付けられる手筈だったとはなあ」
この時を待っていたと言わんばかりに、ねねと秀吉は着々と話をまとめた。
終始狼狽していただけの綾葉はほぼ流される形で縁談の儀は終わりを告げた。
嫌な訳ではない、ただ頭がついていかないだけだ。
(想いが通じたと思ったら、もう夫婦だなんて……)
「だが、あの方も随分と大胆な賭けにでられたものだ」
縁談の日までに三成と綾葉が素直になるなら良し、
それでも進展しなければ本当に宇多頼忠の娘と縁談する予定だったと後になって聞かされた。
相手方もそれを承知の上で、もし今回の縁談が成立しなければもっといい嫁ぎ先を見繕ってやると秀吉に約束されていたそうだ。
焦れったい二人に気が急いていた秀吉をなだめかつ、ねねが考えた強硬手段だったらしい。
もう少し遅ければ本当に手遅れになっていたと知った三成はおろか、
綾葉や左近までもただ苦笑するばかりであった。
「何だか信じられなくて……」
「主従だったのに、しばらくすれば正室だからな」
「そんな……もっと相応しい方がおられるでしょうに」
「前にも言ったが、俺はあんたでいいと思ってる。それに妾で満足できるのかい?」
「…………」
正直言えば嫌だが、そればかりは仕方がない事だ。
ふいっと不機嫌そうに逸らした横顔がどこか主に似ていて、左近はくすりと笑みを漏らした。
「私はお二人をお祝いしていますよ」
「……ありがとうございます、幸村殿」
自分の事のように嬉しそうに微笑む青年にも、やはり困った表情しか返せない。
それだけでなく在時や奏、他にも会う人皆に祝福の言葉をもらったが、同じような反応をしてしまった。
つまりは実感が湧かないからかもしれない。
縁談の日からも主との距離感は何も変わっていないのに、周りを取り巻く環境ばかりが変わっていくようで。
「ま、時間はある。じきに自覚できるさ」
「そうでしょうか」
「好き合ってる事は互いにわかってるんだ、後はその場の勢いで行ける」
「……左近殿」
まだ下世話な事を言われている気がして綾葉は冷たい視線を向けた。
だけど冗談を交えながらも、きちんと悩みを理解して助言してくれる左近に少しだけ救われた。
「ほら、今日は城に出仕する殿に付いていく予定なんじゃないか?」
「………」
綾葉はぐっと息を詰まらせ、身をさらに一回り小さくさせながら言い淀む。
「左近殿は……来られないんですか?」
「それほど野暮じゃない。なんだ、以前は俺が邪魔だったろう?」
「………何を話していいのか、わからないんです」
行き場をなくして左近に逃げてきた理由はそれだった。
関係はとうに改善されている。
誤解も解け、わだかまりもなくなった。
だけど、あの場にいると何だかくすぐったくて仕方ない。
声をかけられるたびに緊張するし、気がつけば仕事もせずに背中ばかり見つめている。
主を怒らせて重苦しい時とは別の気まずさが胸を占めて。
あんなに落ち着ける静かな場だったというのに、一日に何度も同じ思いに囚われては手が止まる。
――本当にこの人と一緒になるのだろうか、と。
「それもそのうち、楽になる」
「…………」
ふいに温かい手が頭に触れて、またしても心が読まれた気がして目を伏せた。
だが不器用な綾葉にとってはとても貴重な手だった。
自分だけではこんな結果は生み出せなかっただろうと綾葉は思う。
左近や様々な人の助けがあって、縁談という"今"を得る事ができた。
急でいくら実感できないとしても、それは感謝せずにはいられなかった。
ありがとうございます、と深々と頭を下げると綾葉はようやく重い腰を上げて主の部屋へ向かった。
少しだけ力が宿った瞳を見送り、世話が焼けると左近は呟いた。
「まあ、あれぐらい強引じゃなければ絶対結ばれそうになかっただろうからな」
「おねね様の事ですか?」
「ああ、よほど焦れったかったんだろう」
「……そうですね。でもよかったです」
残された幸村はやはり嬉しそうに笑い、左近はそんな青年を見つめた。
「あんたはよかったのかい?」
「私、ですか?」
「少しは綾葉を好いていたんだろう?」
虚を突かれた幸村だったが、再び一点の曇りもない微笑みを浮かべた。
「……ええ、好意なら少なからず抱いています。
ですが彼女は、会った時にはもう三成殿しか見ていませんでしたよ」
太陽のような主を追いかけていた藤色の姫は、あの時と同じ目で今度は新しい主を見つめていた。
「長政殿に勝てなかった私がどうして三成殿に勝てるでしょうか。
それに、自分の物にしたいとは一度も思った事はありませんよ」
「……そうかい」
綾葉の幸せを願う幸村の目は確かに純粋さが溢れていた。
あんたにもいつか良い女が現れるだろうよ、左近は静かに言葉を返した。
子供の頃の望みはただ一つ、"長政様"に女として愛され、できる事なら嫁ぐ事だった。
初恋であり一目惚れであった主への想いは募るばかりで。
相手は大人で自分は子供だったけど、憧れや幻想の延長ではなかったと自信を持って言える。
それからおよそ十年、何が起きようともその想いは揺らぐ事はないと確信していたはずなのに。
何度も自問しては、そのたびに緊張が膨らんでいく。
あれ以来、縁談やそれ以降の話題は互いに口にしなかった。
そればかりか、長い廊下を歩く主と配下の間にすらほとんど会話はない。
まるであの時が夢であったように曖昧で、不自然な程いつも通りの日常が続いた。
近いような遠いような距離。
背後に控えながら綾葉はぼうっと鷲色の髪を眺める。
ぽっかりと頭の何処かがなくなってしまったかのように放心して。
――本当にこの人と、一緒になるのかな。
想いが通じた喜びを感じるより先に、そんな不思議な気分になる。
ねねに「ごめんね、黙ってて」と詫びられながらも、気がついたら主である三成と対面して縁談が取り仕切られ。
秀吉も大歓迎、三成も黙って従ってしまう以上、綾葉は落ち着く間もなく頷くしかできなかった。
(何か変な感じ……長政様しか嫌だと思ってたのに……)
そして信じられなかったのは、何よりも自分の感情にだった。
縁談に関しては突然すぎて戸惑ってはいるけど、いずれは少しずつでも自覚できるだろう。
だけど否応なしに決められていったにも関わらず、それも悪くないと思っている自分の気持ちは。
(他の人が嫁いでくるのが嫌だって事は、そういう事なんだよね……)
つまりは心の何処かで、その場所を欲しがっていたという事だ。
最初の主と同じように。いや、"長政様"が心にいてもなおそれ以上に。
――三成様を選んでいた、という事だろうか。
「綾葉」
「は、はいっ……!」
突然名を呼ばれ、思わず上擦った声を出した。
目の前の人の事を考えていたばかりに心臓はいつにもまして跳ね上がったが、
三成は振り返る事なく庭の景色を遠くに見て。
「嫌ならば、やめるか?」
どこか主らしくない、覇気のない言葉だった。
「、ぇ……?」
「縁談を取り止めるかと聞いている」
「な、どうして、ですか……?」
自分が何かしてしまっただろうかと必死に記憶を探ったが、
当の三成に怒っている様子はなく、勢いのないまま必死に言葉を選んでいるように見えた。
「……思えば、お前の承諾を得ていなかった」
その場の雰囲気に呑まれた事実はあった。
だけど綾葉は「いいか?」という得も言われぬ表情に押されながらも、確かに自分の口から「は、はい……っ」と答えたのだ。
「私利ばかりに囚われ……俺は、お前を顧みていなかったのではないか」
「そ、そんな事はありません!」
三成との距離を詰め、全力で否定した。
「あの時は様々な事が一度に起きて驚きましたけど……決して、嫌ではありませんでした」
それよりも喜んでいるのだと思う。
女の幸せなど不要だと思っていた自分に、こんなにも一番良い結果が舞い降りてきたのだから。
「たぶん、私が本当に望んでいた事だと思いますから……」
――貴方と一緒になるのに、どうして嫌などと思うのだろうか。
気恥ずかしくて俯き加減で頬を緩めていると主の視線を感じた。
見上げれば僅かに探るような瞳が綾葉を射抜き、そしてまた逸らされた。
「…………本当に、俺でいいのか」
もしかして、不安になっていたのは自分だけではなかったのかもしれない。
縁談の後、どう接していいかわからなくて探るような日々を送ってきた。
それを主は不本意に思っていると受け取ってしまったのかも知れない。
確かに今、主の本音に触れた気がした。
自然と笑みが漏れ、綾葉は素直な想いを口にした。
「三成様がいいんです」
驚いたような目が一瞬だけこちらを凝視し、恐らく照れているのだろう、またすぐあさっての方向を向いて。
「……ならばそれらしくしていろ、俺の調子が狂う」
「すみませんでした……あまり女らしく振る舞えなくて……何とか努力します」
だけど三成は今度こそ不快そうに溜息を漏らした。
「配下として傍にいるのと、妻としているのに何の違いがある。
何も変わらん。俺はお前に変われとは一言も言っていない」
(それは大きく変わると思います三成様……)
分かっているのか分かっていないのか、それとも気遣いなのか、
思わず口をついて出そうになった言葉は呑み込んだ。
だけど不器用な主の事だ、きっと彼なりの優しさなのだろう。
「お前には何も望んでいない」
それは、少し前だったら傷ついたかもしれない言葉。
「…………そこにいればいい」
いつだって、そんな風に続きを言ってくれたら何度も誤解しないでよかったのに。
「……はい」
靄が消えていくように自分の気持ちが明確になり始めていくのを感じた。
主の気持ちも、同じように伝わってくる。
だから今なら笑って応えられる。
そして、呼べば応えてくれる人がいる。
「三成様?」
「何だ」
「何でもありません」
「……あまり呼ぶな」
ざわついていた心が嘘のように穏やかになっていく。
ゆっくりと、少しずつ、故郷の湖のように浸透していく温かさ。
いつまでもこの背中を見ていたいと思った。
「綾葉」
「はい」
廊下を進む足が再び止まった。
思い立った何かを口に出されるのを辛抱強く待っていると。
「休みをやる」
簡潔な一言だった。
傍にいると何だか気恥ずかしいけど、逃げたい訳じゃない。
だから少し不満げな声色を返すと、三成は遠くを眺めて。
長い沈黙のあと、いつものように素っ気ない口調で。
「…………遠乗りにでも、行くか」
不器用なひとの、精一杯の気遣いが何よりも嬉しくて。
「はい、三成様」
火照った頬の熱に、愛おしさを感じた。
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一気に飛びましたが、二人は少しずつ。
両想いになっても牛歩すぎる。
甘くしたい、ほのぼのしたいのに。